夜桜仇討奇譚(旧題:桜の樹の下で)

姫山茶

文字の大きさ
上 下
15 / 18
不知火

しおりを挟む
 少ししてお雪を送って行った琥太郎と裕次郎が戻って来た。
 裕次郎は琥太郎が気に入ったのか、「兄貴」と呼び名が変わっていた。兄弟のいない琥太郎も弟ができたみたいでまんざらでもない顔をしている。
 沙絵は蕎麦を食べ終わって、食後のお茶と大福を食べていた。
 お鶴は戻って来た琥太郎と裕次郎のために蕎麦を茹で始める。
「お雪ちゃんは、無事家に送り届けられたのかい?」
 沙絵が聞くと、琥太郎は頷く。
「途中であの浪人たちにも会うことなく、無事家まで送り届けました。お雪ちゃんの祖母という方がいらして、泣いてお礼をおっしゃっていました。」
「そう。無事に帰れたんならいいんだ。二人ともご苦労だったね。さ、お座り。お腹が空いただろう。」
 二人が卓につくと、お秋が暖かいお茶を持って来て二人の前に出す。
「お帰りなさい。」
「ただいま。お雪なら大丈夫だぞ。」
 お秋を安心させるために、裕次郎は笑顔を浮かべる。
「そう、良かった。今度おばあちゃんのお団子でも持って遊びに行こうかな。」
 お鶴は一見とっつきにくい顔つきをしているが彼女の作るお菓子はとても美味く、それをお土産に持っていくと近所でとても喜ばれるのだった。桔梗屋の面々も亀戸近くまで来ると必ず紅梅屋に寄って、お鶴の菓子を土産に買っていく。
「さぁ、二人とも食べな。」
 お鶴が出来立ての天ぷら蕎麦を持って来る。
 器には大ぶりのエビが、二尾も入っていた。
 二人はすぐに箸を持つと、がっつくように蕎麦をすすり始める。
 よっぽど腹が空いていたようだ。
「慌てて食べると舌を火傷するよ。蕎麦はまだあるんだ。ゆっくり食べな。」
 お鶴がそう忠告しても二人の箸は止まらない。先を争うように蕎麦を食べると、ほぼ同時に器をお鶴に差し出す。
「お代わり!」
 二人がそう言うと、お鶴は無言で器をお盆に乗せ調理場に入っていく。
 その後もお代わりをしてやっと腹が満たされると、二人は一息ついた。
 お秋が二人の前に、お茶と大福を出した。
「お腹いっぱいになったかい?」
「ええ。女将さん。お鶴さんご馳走様です。美味しかったです。」
「そうかい。」
 無愛想にお鶴は言うが、彼女はあくまで顔の表情が乏しく口が悪いだけで、本当は心根の優しい人物であった。
 人に美味しい物を食べさせることが、彼女の楽しみなのであった。
「…それにしても、白昼堂々物騒なものだよ。若い娘さんが襲われるなんて。裕次郎はこの辺りに浪人者が居着いたなんで話、本当に聞いていないのかい?」
 沙絵が話を向けると、美味そうに大福をぱくついていた裕次郎は喉に大福を詰まらせる。
「ぐぅっ…」
 トントン胸を叩きながら裕次郎はお茶を飲みこむ。人心地つくと、彼は深いため息をつく。
「大丈夫かい?」
 苦笑しながら沙絵が言うと、裕次郎は照れたように笑う。
「お沙絵様、挨拶が遅くなって申し訳ないです。近所の住む久平の次男で、裕次郎と言います。」
 礼儀正しく裕次郎が挨拶すると、面白そうに沙絵は笑った。
「あれ?私の事を知っているのかい?」
「はい。お秋やお鶴婆さんに聞いてます。」
「どんな話をしているんだか…」
 可笑しそうにふふふ…と沙絵が笑うと、お秋が口を挟む。
「それはもちろん綺麗で私のお姉さんのような存在で、神田の大きな旅籠屋の女将さんだって言っているの」
 お秋のさも沙絵の事を自慢げに話す様子に、お秋以外の面々は微笑ましげに顔を緩める。
 先程の悲しげな空気が一転して、楽しげなものに変わっていく。
「ところで、裕次郎さっき聞きた事なんだけど、どうなんだい?」
 姉代わりとしてはこんな物騒な事があったところに、お鶴とお秋二人だけを置いてはおけない。小平太に子細を話して、桔梗屋から人をやってもらおうかと沙絵は考えていた。
 それにあの浪人たちに、沙絵は思うところがあった。
 裕次郎は思案顔で、小首を傾げる。
「さぁて、この辺りで怪しい浪人者を見かけたって話は聞かないな。この辺りは若い娘がいる家が多いし、そうした事には殊の外、皆気を配っているはずだ。もしかすると、吉田辺りで遊んだ浪人たちがこっちまで足を伸ばして…なんて事なんじゃないかな」
 裕次郎は物怖じずハキハキと、沙絵の質問に答える。
「…そうかい。」
 思案顔で沙絵は相槌を打つ。
「お沙絵様、この紅梅屋が心配なんでしょう?」
 裕次郎がそう言うと、沙絵は頷く。
「まぁね…この近くで不埒な浪人たちが出没するとなると危ないからね。なんせここには年寄りと若い娘しかいない。誰かこっちによこそうかね」
「お沙絵坊、余計なお世話だよ」
「そうは言ってもお鶴婆。ここにはお秋もいるんだから、用心にこしたことはないよ。何か起こってからじゃ遅いんだよ。」
「………………」
 お鶴も可愛い孫のお秋のことを言われると、何も言えない。確かにお秋に何かあったら悔やんでも悔やみきれない。
 お秋も不安そうな顔をして、二人を見ている。
「琥太郎、申し訳ないけど今晩は二人についてくれないかい?」
「俺ですか?」
 琥太郎としても二人の安全を確認したい気持ちもあったが、主人である沙絵の側を離れると思うと躊躇いがある。
「とにかく今夜一晩は二人について欲しい。明日になったら裕次郎もやってくるから、そうしたら桔梗屋に戻ってくるんだ。その後のことは、お義父さんとあの人に決めてもらおう。」
「分かりました、女将さん。」
 琥太郎が沙絵の命に頷くと、お秋が嬉しそうな顔になる。
「じゃ、今夜は琥太郎兄と一緒だね。」
 無邪気な顔でお秋がはしゃぐと、琥太郎も笑みを浮かべる。
 お秋は兄のように慕っている琥太郎が、今夜一晩一緒にいられると思うと楽しい気分になった。


 補足
 
 吉田 江戸時代に岡場所があった所。
 岡場所 幕府非公認の遊郭。廓。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

【完結】斎宮異聞

黄永るり
歴史・時代
平安時代・三条天皇の時代に斎宮に選定された当子内親王の初恋物語。 第8回歴史・時代小説大賞「奨励賞」受賞作品。

朝敵、まかり通る

伊賀谷
歴史・時代
これが令和の忍法帖! 時は幕末。 薩摩藩が江戸に総攻撃をするべく進軍を開始した。 江戸が焦土と化すまであと十日。 江戸を救うために、徳川慶喜の名代として山岡鉄太郎が駿府へと向かう。 守るは、清水次郎長の子分たち。 迎え撃つは、薩摩藩が放った鬼の裔と呼ばれる八瀬鬼童衆。 ここに五対五の時代伝奇バトルが開幕する。

獅子の末裔

卯花月影
歴史・時代
未だ戦乱続く近江の国に生まれた蒲生氏郷。主家・六角氏を揺るがした六角家騒動がようやく落ち着いてきたころ、目の前に現れたのは天下を狙う織田信長だった。 和歌をこよなく愛する温厚で無力な少年は、信長にその非凡な才を見いだされ、戦国武将として成長し、開花していく。 前作「滝川家の人びと」の続編です。途中、エピソードの被りがありますが、蒲生氏郷視点で描かれます。

戦艦タナガーin太平洋

みにみ
歴史・時代
コンベース港でメビウス1率いる ISAF部隊に撃破され沈んだタナガー だがクルーたちが目を覚ますと そこは1942年の柱島泊地!?!?

if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜

かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。 徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。 堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる…… 豊臣家に味方する者はいない。 西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。 しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。 全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

処理中です...