夜桜仇討奇譚(旧題:桜の樹の下で)

姫山茶

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不知火

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 次の朝、沙絵は琥太郎と一緒に早速亀戸天神まで行くことにする。
「お鶴に、よろしくな」
 笑顔で小平太と栄一は、沙絵と琥太郎を見送る。
 先日上野不忍池まで足を伸ばした日と同じように、気持ちよく晴れた青空が広がっていた。
 明け四つ(午前10時)のため神田明神門前町の店もそれぞれ営業を始めており、結構な賑わいを見せている。そん中顔見知りと挨拶をしながら、沙絵と琥太郎は道を歩いていく。

 清洲橋から大川(隅田川)を渡り、東に向かう。
 大川にはたくさんの船が浮かび、所々の船着き場には荷卸しをしている男たちが声を掛け合いながら仕事に精を出していた。
 一刻ほどかけて亀戸近くまで来ると、景色は鄙びた風景に変わっていく。人の往来もまばらになり、田畑が多くなる。お昼近くなり、畑で汗を流している人たちの姿も見なくなる。それぞれが腹を満たしに家に帰ったり、近くで弁当を頬張っているのだろう。
 沙絵と琥太郎も、腹が空いていた。
「もうすぐ紅梅屋だ。着いたらお鶴の蕎麦でも食べようね」
 楽しそうに沙絵が言うと、後ろを歩く琥太郎も嬉しそうに頷く。
「そうですね。お鶴さんの蕎麦、美味いんだよなぁ」
 出来立ての蕎麦に思いを馳せて琥太郎が呟いていると、どこからか女のか細い悲鳴が聞こえた。
 二人はすぐ足を止めて、辺りを伺う。
 また、女の悲鳴がした。
 琥太郎は沙絵に視線をやると、沙絵は無言で頷く。
 彼は急いで悲鳴がした方向へ走り出し、藪の中に分け入っていく。沙絵も彼の後に続く。
 しばらく行くと身なりのよくない浪人者三人がいて、彼らは地面に誰かを押さえつけているようだった。裾を捲り上げられた白い女の足が見える。
 無言で沙絵はしゃがみこんで石を拾うと、こちらに後頭部を向けている浪人者に向かって石を投げつけた。思いっきり投げた石は、浪人者の背中に当たる。
 「…ぐぅ」
 痛みで浪人者が嗄れた声を漏らす。他の二人がこちらに顔を向けた時には、琥太郎は浪人者たちの近くにいた。
 彼は足を思いっきり振り上げると、まずは娘に覆いかぶさっていた浪人者の後頭部に蹴りを入れた。そのまま、浪人者の体が吹き飛ぶ。
「この野郎!」
 他の二人が刀に手をかける前に、左下にいた浪人者顔めがけて裏拳を入れる。その男は口から血を吹き飛ばしながら倒れ、痛みに悶えながらゴロゴロ転がっている。
 最後の一人は刀を抜いて琥太郎に向き直っていた。人に刃を向けることに、一切の躊躇いもない。過去にもこうして刀を抜いた事があるのだろう。
「ウラァアアア」
 そう叫びながら男は、琥太郎に斬りかかる。しかし、琥太郎は慌てる事なく刀をかわして行く。
 沙絵は痛みで地面に転がる男たちの隙をついて、襲われていた娘を助け起こして少し離れた場所に避難する。
「この小僧がぁぁぁ」
 大きく振りかぶって琥太郎に斬りかかってきた浪人者の足を彼が引っ掛けると、男はバランスを崩した。琥太郎は後ろから浪人者の尻を思いっきり蹴りつける。すると、無様に男は地面に転がった。
 琥太郎は浪人者が落とした刀を拾い上げて、青眼に構える。
「次は、誰だ」
 息一つ乱さず琥太郎が言うと、浪人者たちは互いの視線を交わらせる。
 刀を構えた琥太郎を、只者ではないと悟ったからだ。
 浪人者たちは憎々しげに顔を歪める。ジリジリと後ずさりしながら琥太郎から距離を取ると、そのまま後ろも見ずに逃走して行く。
 琥太郎はため息をつきと持っていた刀を放り投げ、沙絵の方に向きなおる。
 彼女は怖い顔をして、浪人者が逃げた方向を睨んでいた。
 琥太郎は奇妙な顔をして沙絵を見たが、正義感の強い彼女が女性の尊厳が傷つけられていた現場に遭遇した事に怒りを覚えているのだと察した。
「…娘さん、大丈夫かい」
 なるべく優しい声で、琥太郎は娘に声をかける。
 娘は恐怖のためか大きくおこりのように震えていて、琥太郎の方に一切顔も向けない。恐怖で身が竦んでいるようだ。
 琥太郎が辛そうな顔をして娘を見ていると、沙絵が震えている娘の体を優しく抱きしめた。
「もう大丈夫だよ。悪い奴らはいなくなったからね。」
 優しく沙絵が声をかけながら娘の背中を撫でると、娘のすすり泣く声が聞こえ始めた。
 しばらく娘の嗚咽が弱くなるまで、沙絵は背中を撫で続ける。
 沙絵にすがりついて泣いていた娘の背中を、彼女はポンポン優しく叩く。
「さぁ、いつまでもこんなところにいないで行こう。私たちは知り合いのところに行く途中だったのさ。」
 そう沙絵がわざと明るい口調で言うと、小さく娘は頷いた。
 沙絵が娘を支えるように立たせる。
 小柄な娘で、お秋と同じような年頃のようだった。畑仕事をするような格好をしているから、近くに住む農家の娘なのかもしれない。彼女の着物についた草など沙絵がをはたき落としてから、彼らは元の道に戻る。
 時折鼻をすすり上げながら歩く娘を哀れに思って、沙絵は彼女に合わせるようにゆっくりとした歩幅で歩く。琥太郎も彼女たちのゆっくりとした歩幅に合わせて、後ろを歩く。
  すぐに、大きな梅の木が見えてくる。
 その下にこじんまりとした茶店があって、店の名は紅梅屋という。
 この店の名の由来でもある大きな梅の木が目印だった。
 近くまで沙絵たちが茶店に行くと、中から娘が一人飛び出してきた。
「沙絵姉さん、それに琥太郎兄も。それに…お雪ちゃんじゃないの!どうしたの⁉」
 沙絵に支えられて歩いているお雪は、いつもの元気な彼女ではなかった。目は真っ赤で一目で泣いていたという顔をしていた。
 お雪はお秋を見ると、彼女に抱きつき再び泣き始めた。
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