13 / 18
不知火
三
しおりを挟む
次の朝、沙絵は琥太郎と一緒に早速亀戸天神まで行くことにする。
「お鶴に、よろしくな」
笑顔で小平太と栄一は、沙絵と琥太郎を見送る。
先日上野不忍池まで足を伸ばした日と同じように、気持ちよく晴れた青空が広がっていた。
明け四つ(午前10時)のため神田明神門前町の店もそれぞれ営業を始めており、結構な賑わいを見せている。そん中顔見知りと挨拶をしながら、沙絵と琥太郎は道を歩いていく。
清洲橋から大川(隅田川)を渡り、東に向かう。
大川にはたくさんの船が浮かび、所々の船着き場には荷卸しをしている男たちが声を掛け合いながら仕事に精を出していた。
一刻ほどかけて亀戸近くまで来ると、景色は鄙びた風景に変わっていく。人の往来もまばらになり、田畑が多くなる。お昼近くなり、畑で汗を流している人たちの姿も見なくなる。それぞれが腹を満たしに家に帰ったり、近くで弁当を頬張っているのだろう。
沙絵と琥太郎も、腹が空いていた。
「もうすぐ紅梅屋だ。着いたらお鶴の蕎麦でも食べようね」
楽しそうに沙絵が言うと、後ろを歩く琥太郎も嬉しそうに頷く。
「そうですね。お鶴さんの蕎麦、美味いんだよなぁ」
出来立ての蕎麦に思いを馳せて琥太郎が呟いていると、どこからか女のか細い悲鳴が聞こえた。
二人はすぐ足を止めて、辺りを伺う。
また、女の悲鳴がした。
琥太郎は沙絵に視線をやると、沙絵は無言で頷く。
彼は急いで悲鳴がした方向へ走り出し、藪の中に分け入っていく。沙絵も彼の後に続く。
しばらく行くと身なりのよくない浪人者三人がいて、彼らは地面に誰かを押さえつけているようだった。裾を捲り上げられた白い女の足が見える。
無言で沙絵はしゃがみこんで石を拾うと、こちらに後頭部を向けている浪人者に向かって石を投げつけた。思いっきり投げた石は、浪人者の背中に当たる。
「…ぐぅ」
痛みで浪人者が嗄れた声を漏らす。他の二人がこちらに顔を向けた時には、琥太郎は浪人者たちの近くにいた。
彼は足を思いっきり振り上げると、まずは娘に覆いかぶさっていた浪人者の後頭部に蹴りを入れた。そのまま、浪人者の体が吹き飛ぶ。
「この野郎!」
他の二人が刀に手をかける前に、左下にいた浪人者顔めがけて裏拳を入れる。その男は口から血を吹き飛ばしながら倒れ、痛みに悶えながらゴロゴロ転がっている。
最後の一人は刀を抜いて琥太郎に向き直っていた。人に刃を向けることに、一切の躊躇いもない。過去にもこうして刀を抜いた事があるのだろう。
「ウラァアアア」
そう叫びながら男は、琥太郎に斬りかかる。しかし、琥太郎は慌てる事なく刀をかわして行く。
沙絵は痛みで地面に転がる男たちの隙をついて、襲われていた娘を助け起こして少し離れた場所に避難する。
「この小僧がぁぁぁ」
大きく振りかぶって琥太郎に斬りかかってきた浪人者の足を彼が引っ掛けると、男はバランスを崩した。琥太郎は後ろから浪人者の尻を思いっきり蹴りつける。すると、無様に男は地面に転がった。
琥太郎は浪人者が落とした刀を拾い上げて、青眼に構える。
「次は、誰だ」
息一つ乱さず琥太郎が言うと、浪人者たちは互いの視線を交わらせる。
刀を構えた琥太郎を、只者ではないと悟ったからだ。
浪人者たちは憎々しげに顔を歪める。ジリジリと後ずさりしながら琥太郎から距離を取ると、そのまま後ろも見ずに逃走して行く。
琥太郎はため息をつきと持っていた刀を放り投げ、沙絵の方に向きなおる。
彼女は怖い顔をして、浪人者が逃げた方向を睨んでいた。
琥太郎は奇妙な顔をして沙絵を見たが、正義感の強い彼女が女性の尊厳が傷つけられていた現場に遭遇した事に怒りを覚えているのだと察した。
「…娘さん、大丈夫かい」
なるべく優しい声で、琥太郎は娘に声をかける。
娘は恐怖のためか大きく瘧のように震えていて、琥太郎の方に一切顔も向けない。恐怖で身が竦んでいるようだ。
琥太郎が辛そうな顔をして娘を見ていると、沙絵が震えている娘の体を優しく抱きしめた。
「もう大丈夫だよ。悪い奴らはいなくなったからね。」
優しく沙絵が声をかけながら娘の背中を撫でると、娘のすすり泣く声が聞こえ始めた。
しばらく娘の嗚咽が弱くなるまで、沙絵は背中を撫で続ける。
沙絵にすがりついて泣いていた娘の背中を、彼女はポンポン優しく叩く。
「さぁ、いつまでもこんなところにいないで行こう。私たちは知り合いのところに行く途中だったのさ。」
そう沙絵がわざと明るい口調で言うと、小さく娘は頷いた。
沙絵が娘を支えるように立たせる。
小柄な娘で、お秋と同じような年頃のようだった。畑仕事をするような格好をしているから、近くに住む農家の娘なのかもしれない。彼女の着物についた草など沙絵がをはたき落としてから、彼らは元の道に戻る。
時折鼻をすすり上げながら歩く娘を哀れに思って、沙絵は彼女に合わせるようにゆっくりとした歩幅で歩く。琥太郎も彼女たちのゆっくりとした歩幅に合わせて、後ろを歩く。
すぐに、大きな梅の木が見えてくる。
その下にこじんまりとした茶店があって、店の名は紅梅屋という。
この店の名の由来でもある大きな梅の木が目印だった。
近くまで沙絵たちが茶店に行くと、中から娘が一人飛び出してきた。
「沙絵姉さん、それに琥太郎兄も。それに…お雪ちゃんじゃないの!どうしたの⁉」
沙絵に支えられて歩いているお雪は、いつもの元気な彼女ではなかった。目は真っ赤で一目で泣いていたという顔をしていた。
お雪はお秋を見ると、彼女に抱きつき再び泣き始めた。
「お鶴に、よろしくな」
笑顔で小平太と栄一は、沙絵と琥太郎を見送る。
先日上野不忍池まで足を伸ばした日と同じように、気持ちよく晴れた青空が広がっていた。
明け四つ(午前10時)のため神田明神門前町の店もそれぞれ営業を始めており、結構な賑わいを見せている。そん中顔見知りと挨拶をしながら、沙絵と琥太郎は道を歩いていく。
清洲橋から大川(隅田川)を渡り、東に向かう。
大川にはたくさんの船が浮かび、所々の船着き場には荷卸しをしている男たちが声を掛け合いながら仕事に精を出していた。
一刻ほどかけて亀戸近くまで来ると、景色は鄙びた風景に変わっていく。人の往来もまばらになり、田畑が多くなる。お昼近くなり、畑で汗を流している人たちの姿も見なくなる。それぞれが腹を満たしに家に帰ったり、近くで弁当を頬張っているのだろう。
沙絵と琥太郎も、腹が空いていた。
「もうすぐ紅梅屋だ。着いたらお鶴の蕎麦でも食べようね」
楽しそうに沙絵が言うと、後ろを歩く琥太郎も嬉しそうに頷く。
「そうですね。お鶴さんの蕎麦、美味いんだよなぁ」
出来立ての蕎麦に思いを馳せて琥太郎が呟いていると、どこからか女のか細い悲鳴が聞こえた。
二人はすぐ足を止めて、辺りを伺う。
また、女の悲鳴がした。
琥太郎は沙絵に視線をやると、沙絵は無言で頷く。
彼は急いで悲鳴がした方向へ走り出し、藪の中に分け入っていく。沙絵も彼の後に続く。
しばらく行くと身なりのよくない浪人者三人がいて、彼らは地面に誰かを押さえつけているようだった。裾を捲り上げられた白い女の足が見える。
無言で沙絵はしゃがみこんで石を拾うと、こちらに後頭部を向けている浪人者に向かって石を投げつけた。思いっきり投げた石は、浪人者の背中に当たる。
「…ぐぅ」
痛みで浪人者が嗄れた声を漏らす。他の二人がこちらに顔を向けた時には、琥太郎は浪人者たちの近くにいた。
彼は足を思いっきり振り上げると、まずは娘に覆いかぶさっていた浪人者の後頭部に蹴りを入れた。そのまま、浪人者の体が吹き飛ぶ。
「この野郎!」
他の二人が刀に手をかける前に、左下にいた浪人者顔めがけて裏拳を入れる。その男は口から血を吹き飛ばしながら倒れ、痛みに悶えながらゴロゴロ転がっている。
最後の一人は刀を抜いて琥太郎に向き直っていた。人に刃を向けることに、一切の躊躇いもない。過去にもこうして刀を抜いた事があるのだろう。
「ウラァアアア」
そう叫びながら男は、琥太郎に斬りかかる。しかし、琥太郎は慌てる事なく刀をかわして行く。
沙絵は痛みで地面に転がる男たちの隙をついて、襲われていた娘を助け起こして少し離れた場所に避難する。
「この小僧がぁぁぁ」
大きく振りかぶって琥太郎に斬りかかってきた浪人者の足を彼が引っ掛けると、男はバランスを崩した。琥太郎は後ろから浪人者の尻を思いっきり蹴りつける。すると、無様に男は地面に転がった。
琥太郎は浪人者が落とした刀を拾い上げて、青眼に構える。
「次は、誰だ」
息一つ乱さず琥太郎が言うと、浪人者たちは互いの視線を交わらせる。
刀を構えた琥太郎を、只者ではないと悟ったからだ。
浪人者たちは憎々しげに顔を歪める。ジリジリと後ずさりしながら琥太郎から距離を取ると、そのまま後ろも見ずに逃走して行く。
琥太郎はため息をつきと持っていた刀を放り投げ、沙絵の方に向きなおる。
彼女は怖い顔をして、浪人者が逃げた方向を睨んでいた。
琥太郎は奇妙な顔をして沙絵を見たが、正義感の強い彼女が女性の尊厳が傷つけられていた現場に遭遇した事に怒りを覚えているのだと察した。
「…娘さん、大丈夫かい」
なるべく優しい声で、琥太郎は娘に声をかける。
娘は恐怖のためか大きく瘧のように震えていて、琥太郎の方に一切顔も向けない。恐怖で身が竦んでいるようだ。
琥太郎が辛そうな顔をして娘を見ていると、沙絵が震えている娘の体を優しく抱きしめた。
「もう大丈夫だよ。悪い奴らはいなくなったからね。」
優しく沙絵が声をかけながら娘の背中を撫でると、娘のすすり泣く声が聞こえ始めた。
しばらく娘の嗚咽が弱くなるまで、沙絵は背中を撫で続ける。
沙絵にすがりついて泣いていた娘の背中を、彼女はポンポン優しく叩く。
「さぁ、いつまでもこんなところにいないで行こう。私たちは知り合いのところに行く途中だったのさ。」
そう沙絵がわざと明るい口調で言うと、小さく娘は頷いた。
沙絵が娘を支えるように立たせる。
小柄な娘で、お秋と同じような年頃のようだった。畑仕事をするような格好をしているから、近くに住む農家の娘なのかもしれない。彼女の着物についた草など沙絵がをはたき落としてから、彼らは元の道に戻る。
時折鼻をすすり上げながら歩く娘を哀れに思って、沙絵は彼女に合わせるようにゆっくりとした歩幅で歩く。琥太郎も彼女たちのゆっくりとした歩幅に合わせて、後ろを歩く。
すぐに、大きな梅の木が見えてくる。
その下にこじんまりとした茶店があって、店の名は紅梅屋という。
この店の名の由来でもある大きな梅の木が目印だった。
近くまで沙絵たちが茶店に行くと、中から娘が一人飛び出してきた。
「沙絵姉さん、それに琥太郎兄も。それに…お雪ちゃんじゃないの!どうしたの⁉」
沙絵に支えられて歩いているお雪は、いつもの元気な彼女ではなかった。目は真っ赤で一目で泣いていたという顔をしていた。
お雪はお秋を見ると、彼女に抱きつき再び泣き始めた。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
梅すだれ
木花薫
歴史・時代
江戸時代の女の子、お千代の一生の物語。恋に仕事に頑張るお千代は悲しいことも多いけど充実した女の人生を生き抜きます。が、現在お千代の物語から逸れて、九州の隠れキリシタンの話になっています。島原の乱の前後、農民たちがどのように生きていたのか、仏教やキリスト教の世界観も組み込んで書いています。
登場人物の繋がりで主人公がバトンタッチして物語が次々と移っていきます隠れキリシタンの次は戦国時代の姉妹のストーリーとなっていきます。
時代背景は戦国時代から江戸時代初期の歴史とリンクさせてあります。長編時代小説。長々と続きます。

お江戸を指南所
朝山みどり
歴史・時代
千夏の家の門札には「お江戸を指南所」とおどけた字で書いてある。
千夏はお父様とお母様の三人家族だ。お母様のほうのお祖父様はおみやげを持ってよく遊びに来る。
そのお祖父様はお父様のことを得体の知れない表六玉と呼んでいて、お母様は失礼ね。人の旦那様のことをと言って笑っている。
そんな千夏の家の隣りに、「坊ちゃん」と呼ばれる青年が引っ越して来た。
お父様は最近、盗賊が出るからお隣りに人が来てよかったと喜こぶが、千夏は「坊ちゃん」はたいして頼りにならないと思っている。
そんなある日、友達のキヨちゃんが行儀見習いに行くことが決まり、二人は久しぶりに会った。
二人はお互いの成長を感じた。それは嬉しくてちょっと寂しいことだった。
そして千夏は「坊ちゃん」と親しくなるが、お隣りの幽霊騒ぎは盗賊の手がかりとなり、キヨちゃんが盗賊の手引きをする?まさか・・・
江戸時代改装計画
華研えねこ
歴史・時代
皇紀2603年7月4日、大和甲板にて。皮肉にもアメリカが独立したとされる日にアメリカ史上最も屈辱的である条約は結ばれることになった。
「では大統領、この降伏文書にサインして貰いたい。まさかペリーを派遣した君等が嫌とは言うまいね?」
頭髪を全て刈り取った男が日本代表として流暢なキングズ・イングリッシュで話していた。後に「白人から世界を解放した男」として讃えられる有名人、石原莞爾だ。
ここはトラック、言うまでも無く日本の内南洋であり、停泊しているのは軍艦大和。その後部甲板でルーズベルトは憤死せんがばかりに震えていた。
(何故だ、どうしてこうなった……!!)
自問自答するも答えは出ず、一年以内には火刑に処される彼はその人生最期の一年を巧妙に憤死しないように体調を管理されながら過ごすことになる。
トラック講和条約と称される講和条約の内容は以下の通り。
・アメリカ合衆国は満州国を承認
・アメリカ合衆国は、ウェーキ島、グアム島、アリューシャン島、ハワイ諸島、ライン諸島を大日本帝国へ割譲
・アメリカ合衆国はフィリピンの国際連盟委任独立準備政府設立の承認
・アメリカ合衆国は大日本帝国に戦費賠償金300億ドルの支払い
・アメリカ合衆国の軍備縮小
・アメリカ合衆国の関税自主権の撤廃
・アメリカ合衆国の移民法の撤廃
・アメリカ合衆国首脳部及び戦争煽動者は国際裁判の判決に従うこと
確かに、多少は苛酷な内容であったが、「最も屈辱」とは少々大げさであろう。何せ、彼らの我々の世界に於ける悪行三昧に比べたら、この程度で済んだことに感謝するべきなのだから……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる