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不知火
二
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桔梗屋小平太は、二つの稼業を持っている。
表の稼業は神田明神下で旅籠屋桔梗屋を営み、裏では不知火という盗賊の頭目をしていた。
不知火は、盗賊の中でも老舗の一つとしてその世界では知られていた。
曽祖父の代から始まり、小平太は四代目の頭目になる。
盗賊不知火には、三箇条になる盗みの掟がある。
一、人を殺めず。
一、女を犯さず。
一、貧しきものから奪わず。
今のご時世の盗賊としては珍しく、初代から続く掟を固く守り続けているのが盗賊不知火であった。
昨今はこうした盗みの掟に従わず、乱暴に押し入っては一家皆殺しにして一切合切を奪っていくどう猛な盗賊が急増していた。そうした盗賊が増えたことにより、幕府は火付盗賊改方を設置し、急増する兇賊たちの取り締まりを年々厳しくするのだったが、いくら火盗が取り締まりを厳しくしても、後から後から泉から水が湧き出るように兇賊が現れる始末であった。
「お義父さん、今時分江戸に戻ってきたのは裏の方の用なの?」
沙絵はのんきな顔をしてお茶をすする小平太に話しかける。
小平太の長男栄一は不知火の一味で、小平太の後を担う次代である。
栄一はまだ盗人としてはやっと見習いを卒業したくらいで、副頭目である番頭の宇吉に表と裏の稼業両方の仕事を教わっているところだった。
つまりは、神田明神下にある桔梗屋はいわゆる盗人宿なのだ。
盗人宿とは大概は表向きは真っ当な稼業の店として営業して、そのじつ裏の稼業を行うための拠点とする場所の事だ。
不知火は江戸以外にも何箇所か全国に盗人宿を持っていて、小平太は旅をしながら各地の盗人宿に出向いては裏の稼業の仕事もしているのである。そのために旅をしていると言ってもいいが、やはりその大半の目的は食べ歩きであると言えるだろう。
ちなみに、上方桔梗屋は盗人宿ではない。あちらは純粋に小平太の趣味で作られた店で、上方の盗人宿は別にある。
沙絵の養父左内も一年前まで不知火の一味に属し、小平太の懐刀であった。沙絵にとっては義理の祖父にあたる寅吉が体の調子を崩してしまったので、左内は一年前に盗賊稼業から足を洗い、今は深川にある飯屋の主人に治っていた。
「まぁな。明日あたり下見屋の粂さんが来る事になってんるんだ。」
「まぁ、粂おじさんが?ずいぶんを久しぶりだ。元気でいなさるのかねぇ」
表情を和らげて沙絵は言う。
下見屋の粂八は沙絵が江戸に来た時分からの知り合いで、その頃から子供好きの粂八は沙絵を実の娘のように可愛がってくれた。この江戸市中を縄張りとして行商をしながら、不知火のような盗賊に獲物となるお店の情報を集めては、それを売るという稼業をしていた。
「じゃ、粂おじさんのために明日は亀戸天神まで行って、お鶴婆手製の大福でも買ってこようかね。」
ふふふ、と楽しそうに笑いながら沙絵が言うと、小平太も楽しげに頷いた。
「それがいい。粂さんはお鶴の大福を殊の外、気に入っていたからな。」
お鶴は数年前までこの桔梗屋で下働きをしていた女で、今は孫娘と一緒に亀戸天神の近くで茶店を開いていた。彼女が桔梗屋を辞める時小平太がその茶店の権利を買取り、餞別としてお鶴にやったのだ。老後の生活としては、これ以上ないことだろう。
「お秋ちゃん元気かしら?かわいい柄の半襟があるから、それをお土産にしようかね。」
お秋はお鶴の孫で数えで15になる娘で、そんなお鶴を沙絵は妹のように可愛がっていた。
今は見る影もないが若い頃のお鶴に似た器量好しのお秋は、茶店の看板娘として亀戸天神近くの茶店の中でも人気があった。お鶴の作る甘味も美味いと評判のため客足が多く、そのため祖母と孫二人で店を切り盛りするのが厳しく、しばらく前に近所に住む農家の次男坊が店の手伝いをしてくれるようになったという。
「3日後に兄様がうしとら屋に行きたいそうだから、お鶴婆のところに行った後深川に寄ってくるわ」
そう沙絵が栄一に言うと、栄一は頷く。
「兄様、お前さんにも会いたいとおっしゃってたわ」
「そうか。俺もお前の兄というお人に会ってみたい」
沙絵の夫として栄一は、沙絵の兄という人を自分の目で見定めたいと思っていた。話を聞く限りでは立派な武家の人のように思うが、実際に会ってみない事には分からない。
何よりも自分たちは裏の稼業を持つ後ろ暗いところを持つ身なのである。用心に越したことはないだろう。
「わしも一緒に会ってもいいかい?」
「ええ。お義父さん、勿論ですよ」
小平太も軽い調子で言う。
父と子は、お互いに目を合わせる。
小平太も栄一と同じ気持ちであった。
大事な嫁の一大事である。
危険がないか見定めて、もし沙絵に不利になるようなことがあったなら、すぐにでも江戸を離れることも頭に入れておいた方がいいだろう。
息子夫婦が楽しげに会話をしている横で、小平太は煙管を懐から出して煙管に刻みタバコをを詰めて火を付けると、すぐに煙管を蒸し始める。
何かを思案する時、煙管を蒸すのは小平太は癖である。息子夫婦は父の癖を知っていたので、二人だけで会話を進める。
小平太は息子夫婦の会話を耳に入れながら、不知火の頭目として小平太はこれからのことの算段を組み始める。
先の先を読まなければ、盗賊としての稼業は続けていけないのだった。
表の稼業は神田明神下で旅籠屋桔梗屋を営み、裏では不知火という盗賊の頭目をしていた。
不知火は、盗賊の中でも老舗の一つとしてその世界では知られていた。
曽祖父の代から始まり、小平太は四代目の頭目になる。
盗賊不知火には、三箇条になる盗みの掟がある。
一、人を殺めず。
一、女を犯さず。
一、貧しきものから奪わず。
今のご時世の盗賊としては珍しく、初代から続く掟を固く守り続けているのが盗賊不知火であった。
昨今はこうした盗みの掟に従わず、乱暴に押し入っては一家皆殺しにして一切合切を奪っていくどう猛な盗賊が急増していた。そうした盗賊が増えたことにより、幕府は火付盗賊改方を設置し、急増する兇賊たちの取り締まりを年々厳しくするのだったが、いくら火盗が取り締まりを厳しくしても、後から後から泉から水が湧き出るように兇賊が現れる始末であった。
「お義父さん、今時分江戸に戻ってきたのは裏の方の用なの?」
沙絵はのんきな顔をしてお茶をすする小平太に話しかける。
小平太の長男栄一は不知火の一味で、小平太の後を担う次代である。
栄一はまだ盗人としてはやっと見習いを卒業したくらいで、副頭目である番頭の宇吉に表と裏の稼業両方の仕事を教わっているところだった。
つまりは、神田明神下にある桔梗屋はいわゆる盗人宿なのだ。
盗人宿とは大概は表向きは真っ当な稼業の店として営業して、そのじつ裏の稼業を行うための拠点とする場所の事だ。
不知火は江戸以外にも何箇所か全国に盗人宿を持っていて、小平太は旅をしながら各地の盗人宿に出向いては裏の稼業の仕事もしているのである。そのために旅をしていると言ってもいいが、やはりその大半の目的は食べ歩きであると言えるだろう。
ちなみに、上方桔梗屋は盗人宿ではない。あちらは純粋に小平太の趣味で作られた店で、上方の盗人宿は別にある。
沙絵の養父左内も一年前まで不知火の一味に属し、小平太の懐刀であった。沙絵にとっては義理の祖父にあたる寅吉が体の調子を崩してしまったので、左内は一年前に盗賊稼業から足を洗い、今は深川にある飯屋の主人に治っていた。
「まぁな。明日あたり下見屋の粂さんが来る事になってんるんだ。」
「まぁ、粂おじさんが?ずいぶんを久しぶりだ。元気でいなさるのかねぇ」
表情を和らげて沙絵は言う。
下見屋の粂八は沙絵が江戸に来た時分からの知り合いで、その頃から子供好きの粂八は沙絵を実の娘のように可愛がってくれた。この江戸市中を縄張りとして行商をしながら、不知火のような盗賊に獲物となるお店の情報を集めては、それを売るという稼業をしていた。
「じゃ、粂おじさんのために明日は亀戸天神まで行って、お鶴婆手製の大福でも買ってこようかね。」
ふふふ、と楽しそうに笑いながら沙絵が言うと、小平太も楽しげに頷いた。
「それがいい。粂さんはお鶴の大福を殊の外、気に入っていたからな。」
お鶴は数年前までこの桔梗屋で下働きをしていた女で、今は孫娘と一緒に亀戸天神の近くで茶店を開いていた。彼女が桔梗屋を辞める時小平太がその茶店の権利を買取り、餞別としてお鶴にやったのだ。老後の生活としては、これ以上ないことだろう。
「お秋ちゃん元気かしら?かわいい柄の半襟があるから、それをお土産にしようかね。」
お秋はお鶴の孫で数えで15になる娘で、そんなお鶴を沙絵は妹のように可愛がっていた。
今は見る影もないが若い頃のお鶴に似た器量好しのお秋は、茶店の看板娘として亀戸天神近くの茶店の中でも人気があった。お鶴の作る甘味も美味いと評判のため客足が多く、そのため祖母と孫二人で店を切り盛りするのが厳しく、しばらく前に近所に住む農家の次男坊が店の手伝いをしてくれるようになったという。
「3日後に兄様がうしとら屋に行きたいそうだから、お鶴婆のところに行った後深川に寄ってくるわ」
そう沙絵が栄一に言うと、栄一は頷く。
「兄様、お前さんにも会いたいとおっしゃってたわ」
「そうか。俺もお前の兄というお人に会ってみたい」
沙絵の夫として栄一は、沙絵の兄という人を自分の目で見定めたいと思っていた。話を聞く限りでは立派な武家の人のように思うが、実際に会ってみない事には分からない。
何よりも自分たちは裏の稼業を持つ後ろ暗いところを持つ身なのである。用心に越したことはないだろう。
「わしも一緒に会ってもいいかい?」
「ええ。お義父さん、勿論ですよ」
小平太も軽い調子で言う。
父と子は、お互いに目を合わせる。
小平太も栄一と同じ気持ちであった。
大事な嫁の一大事である。
危険がないか見定めて、もし沙絵に不利になるようなことがあったなら、すぐにでも江戸を離れることも頭に入れておいた方がいいだろう。
息子夫婦が楽しげに会話をしている横で、小平太は煙管を懐から出して煙管に刻みタバコをを詰めて火を付けると、すぐに煙管を蒸し始める。
何かを思案する時、煙管を蒸すのは小平太は癖である。息子夫婦は父の癖を知っていたので、二人だけで会話を進める。
小平太は息子夫婦の会話を耳に入れながら、不知火の頭目として小平太はこれからのことの算段を組み始める。
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