夜桜仇討奇譚(旧題:桜の樹の下で)

姫山茶

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ある春の日の出逢い

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 江戸の頃の上野辺りは、将軍家である徳川家の菩提寺である寛永寺の門前町として栄えていた。
 寛永寺以外にも小さな寺などが立ち並び、たくさんの僧が住み暮していた。
 当時、出家をした僧は女性との性行為は禁止されていた。もし女性と性行為をしてしまった場合は、女犯にょぼんと言う罪に問われた。
 女犯を犯したことが発覚した場合、寺持ちの僧は遠島(いわゆる島流し)、その他の僧は晒された上に寺に預けられ、それぞれの寺法に基づき多くは破門、もしくは追放の憂き目にあった。
 そのため僧たちは、性の対象を女性ではなく同性の少年たちにする者たちがいたのだ。
 僧たちに体を許すもしくは売る少年たちは「蔭間かげま」と呼ばれ、上野にはそうした者たちが逢引をするための「陰間茶屋かげまぢゃや」が軒を連ねていた。
 多くの陰間茶屋がある中、不忍池近くにひっそりと佇むようにある村松屋は普通の茶店で、そこに沙絵は若侍を誘った。
 
 顔見知りの主人に二階を借りること伝えて、沙絵、琥太郎、若侍の順に急な階段を上がっていく。
 茶店の主人は訝しげな顔をして、三人を見送った。
 慣れた様子で沙絵は奥の襖を開けると、六畳間が現れ心地よい井草の匂いが辺りを舞う。
 真新しい畳が入った部屋に沙絵と琥太郎が先に入ると、隅に置いてあった座布団を琥太郎が上座に敷き若侍を誘導する。
 沙絵が窓を開けると、春風が部屋に吹き込みますます井草の匂いが強くなった。
 眼下には薄紅色に染まる桜の木が並び、老若男女が思い思いに小道を歩いた。どこからか物売りの声も聞こえてくる。
 下座にも琥太郎は座布団を敷くと、そこに沙絵が座った。彼女は琥太郎に向かって頷くと、彼も無言で頷き部屋を出ていく。店の主人に茶と菓子を注文しにいったのだ。
 若侍は、あれから一言も口を聞いていなかった。
 彼もこの状況に、かなり戸惑っているようだった。
 しばらくして琥太郎が戻ってくると、彼は沙絵の後ろに付き従うように座った。
 若侍はいざ一緒についてきたはいいが、どう話を切り出して良いのか分からない様子である。
 沙絵は、一つため息をつき口を開いた。
「お侍さんはどこかの藩のお抱えという感じだけれど?」
 話の糸口を探すように沙絵が口を開くと、若侍は少し目を見開きながら沙絵に視線を移す。
「これは失礼致した。私は二本松藩の者で青木左馬之介と申す。先ほどは本当にすまぬこといたした。申し訳ない」
 青木左馬之介は、恐縮したように謝る。
 武家者だというのに、偉そうな態度一つない。
 沙絵は、若侍に好感を持った。
 中には武家だというだけで、居丈高な態度をとるものもいるのだ。
 そうした態度をとる侍には「触らぬ神に祟りなし」と言って、町民たちは関わり合いにならないようにした。
「ま、びっくりはしたけどさ。そんな恐縮しないでおくんなさいな。わたしは神田で旅籠を営んでる桔梗屋のお沙絵と言います」
 沙絵が笑ってそう返すと、若侍は驚いた顔をして沙絵を見る。彼は何か言いたげに口を動かすが、言葉にはしなかった。
 琥太郎は沙絵の後ろで、若侍の顔をジッと見つめていた。
 彼は若侍の顔を見ていると、とても不思議な感じがしたのだ。見れば見るほどに、先ほどの敵意がなくなっていく。
「…普段はこのような事はしないのだが、どうした事か…。そなたを見かけた途端、いてもたってもいられなくなり、つい呼び止めてしまった」
「お母上とおっしゃっていましたが、わたしそんなに似ていますか?」
「似ている。生き写しといってもいいくらいだ」
 左馬之介は、マジマジと沙絵の顔を見つめながら頷く。
「そのお母上は、今はどうされているんです?」
 沙絵がそう尋ねると、左馬之介は悲しげな顔つきで視線を落とす。
 どうやら聞いてはいけない事を聞いてしまったようだと、沙絵は察した。
「…母はわたしが十四の頃、妹と旅に出てからそれきりだ」
「それきり?」
「以来、行方知れずなのだ」
「…そうですか」
 沙絵と左馬之介の間に、沈黙が広がった。
 その時、誰かが階段を上がってくる音がした。
 先程、注文した茶と菓子がやってきたのだろう。
 すぐに主人の声が、襖越しに聞こえる。
「失礼いたします。茶と菓子をお持ちしたしました」
 そう声をかけるとゆっくりと襖が開き、先程訝しげに見ていた店の主人が現れた。
 彼は穏やかな微笑みを浮かべながら、ゆっくりとした動きで部屋に入ってくると、沙絵と左馬之介の前にそれぞれ湯気の立った湯のみと、団子が二本乗った小皿を置いた。琥太郎の前には茶だけを置く。
 主人は茶と菓子を出し終えると、一礼して出ていった。
 階段を降りていく音を聞きながら、沙絵は左馬之介にお茶を勧める。
「どうぞ、召し上がってくださいまし。ここの団子は美味いんですよ」
 努めて明るい口調で沙絵が言うと、左馬之介は口の端を上にあげた。
「頂こう」
 しばし、二人の茶をすする音が辺りに響いた。
 
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