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中編
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スノービル伯爵家の当主であり軍の第5師団を任されていたケヴィンは、ルーカスという名の子供を自分の部隊で引き取ることになった。
彼は軍の設営基地近くで発見された戦災孤児だった。
困っている者を助けるのは貴族にとって当然の義務。これもまた慈善活動の一環だった。
引き取ったルーカスは故郷と家族を失い深い失意の中にあった。ひどく痩せて年齢の割に身長も低くて十分な栄養を取れていないのが分かった。
不憫に思い面倒を見ているうちに、ルーカスは徐々に本来の明るさと健康を取り戻し、こちらを心から慕ってくれるようになった。
学校に通ったことが無いというルーカスにケヴィン自ら文字の書き方や勉強を教え、ハーモニカを使って音楽の楽しさも伝えた。彼は覚えが早くてぐんぐんと吸収していき、時には一緒に演奏することもあった。
真っ直ぐでやさしい心根のルーカスの存在は、早くに両親を亡くし軍に身を置いて孤独に生きていたケヴィンの心をも癒してくれた。
ケヴィンが引き取ったもののルーカスをこのまま軍人にするつもりは無かった。あの子の手が血に染まるのは見たくないと思ったからだ。いずれは伯爵家に戻してそこで暮らしてもらうつもりでいた。
そんなささやかな幸せの日々は戦争が激しくなってくると共に終わりを告げた。
軍から命令を受けてケヴィンはさらに戦況の悪化しつつある地へと行かなければならなくなった。
「僕も一緒に行きます!」
君を一緒に連れて行くことはできない。
何度そう言い含めてもルーカスは納得しなかった。ケヴィンの言うことは何でも素直に聞くルーカスだったが、こればかりはどうしても聞いてくれなかった。
それから数年が経って、子供だったルーカスはすっかり大人に成長していた。背は相変わらずそれほど伸びなかったけれど、もう立派な若者だった。
ルーカスの成長を嬉しく思ったけれど、ケヴィンの心にはずっと後悔の念があった。
あの時ルーカスを押し止め切れずに戦地に長く留めてしまったことを。
これまでに戦場でたくさんの人を殺した。そしてあの子にもまたたくさんの人を殺させてしまった。
綺麗だったあの子の手を汚させてしまったのはケヴィンの罪だ。
それでもルーカスが居なければとっくにケヴィンは心を病んで狂っていたかもしれない。
戦場の中で、あの子の存在だけが―――。
ルーカスの奏でるやさしいハーモニカの音色が、あの子のはにかんだ笑顔が何度ケヴィンの心を救ってくれたことか。
どうしてルーカスは戻って来てしまったのだろう。
手紙を託し、戦地から伯爵家へと追いやったはずのあの子が戻って来てしまった。
ただ幸せに暮らして欲しいと願っていたはずなのに……。
空から砲撃が降り注いだ瞬間、ルーカスによって突き飛ばされた。綺麗な両目が、こちらに必死に向けられていた。そしてケヴィンがたった今居た場所にはルーカスがいて、そこには血の海が広がっていた。
そこから先はケヴィンの記憶も曖昧だ。
ただ、ルーカスは自分の屋敷に運んで手厚く治療するようにと叫んだような気がする。それから背後のルーカスを守るために戦線を死守しなければならないと奮い立った。
ひたすらに守って、守って、そこから隣軍に対して反撃に出た。
戦争が終結した時、救国の英雄だなどと呼ばれるようになったがケヴィンは何の感慨も抱かなかった。それよりも、ただただルーカスの身が心配でならなかった。一刻も早く屋敷に戻りたいと。あの子の無事をこの目で確かめなけば安心できない。
だが残念ながら戦争終結の立役者という立場は、ケヴィンに自由を与えてはくれなかった。
戦後処理することが山のようにあり、そこから離れられなかったのだ。
ルーカスの怪我の容態を尋ねる手紙を何度も屋敷に送ったが、その都度問題ないという返事が家令から届いたので無理矢理自分を納得させていた。
そうでなければ、何が何でも屋敷に戻っていたというのに……。
事務仕事を片付け、休暇を何とかもぎ取ってケヴィンがスノービル家に帰った時。
そこにいるはずのルーカスの姿はどこにも無かった。荷物も、存在も、何もかもが…。がらんとした冷たい部屋の中で混乱する頭で立ち尽くした。
「ルーカス…ルーカスはどこへ……!?」
家令に詰め寄って肩を揺さぶる。
彼は眉根を寄せて、ひどく苦し気な顔をした。それから、ケヴィンを庭へと促したのである。
家令の案内で連れて来られたそこには、小さな墓があった。嫌な予感がしてケヴィンの体から熱が消えて行く。
まさか。
そんな……。
震える足で近づき、そこの墓標に刻まれた名前を確認する。
『ルーカス・クロスビー ここに眠る』
「嘘だ……」
ケヴィンは家令の胸倉を掴む。
「問題ないと言っていたじゃないか! ルーカスは無事だと。それなのに何故!?」
「彼の死を知ったら旦那様は心を乱すでしょう。全てが落ち着くまでお話できませんでした…。どうかお許しください」
あの子が苦しんでいる間…私は何も知らずに……。
「あの子は……あの子は最期の時に苦しまなかっただろうか……」
「……はい。薬を使って痛みを取り除きましたので……」
「ああ……」
ぐしゃ、とその場に崩れ落ちるように座り込む。
「旦那様!?」
「少し…1人にしてくれないか……」
「……かしこまりました」
背後にあった家令の男の気配が消えてから、ケヴィンは震える手で墓標に触れた。
冷たくてまるで温度を感じさせない石の感触。ルーカスの温かかった頬とはまるで違うもの。
力なく両腕を地面に垂らした。
ケヴィンが軍規に背いてでも何でもルーカスを戦地から遠ざけたかった理由。そのことに今更ながらに思い至ったのだ。失って初めてようやく気が付いた……。
ルーカスに抱いていた思いは、愛だったのだと。
それが部下に対するものではなく、保護した守るべき対象に向けるものでもなく、たった1人の大切な相手に向けた感情。
「今更こんなことに気が付くなんて……」
ルーカスを看取ってやることもできなかった。あの子をたった1人で寂しく逝かせてしまった。
後悔ばかりが胸に募って、ケヴィンの頬を涙が伝って落ちた。
***
聖夜祭の日に戦勝パレードが開催されるというポスターが、各所に張り出された。店先に張り出されたそれを、ルーカスは食い入るように見つめる。
そのポスターには救国の英雄、スノービル少佐の写真が載せられていた。
ああ、あの人がここへやって来るのだ……。
あちこちで配られている新聞をもらうとそこにもやはり少佐の活躍が書かれた記事が目に飛び込んでくる。傷を負って離れた後の、ルーカスが知らない少佐の姿。
記事を書いた新聞記者は随分と熱心に取材を重ねたようだ。
読んでいるとその情景が頭の中に浮かんでくる。
ひと目少佐の姿を見たい……。
もう2度と少佐に近づかないと約束したが、遠くからそっと見つめるぐらいなら許されるだろうか。
ルーカスはもらった新聞を丁寧に折りたたんでバッグに仕舞い込んだ。
「旦那様にはあなたが死んだということにします」
家令の言葉に、ルーカスは残った左目で見上げた。
ルーカスの引きつった顔の火傷の跡を見て、家令はそっと視線を背ける。
「旦那様の下には毎日求婚状が山のように届いています。侯爵家からも。今や旦那様はこの国を救った英雄。お相手は選び放題です。だからこそ……お分かりですか?」
「はい。僕の存在が邪魔……ということですね」
「ええ。旦那様はとてもお優しいですから、怪我を負ったあなたを放り出すことはないでしょう。しかしお相手の方は醜い姿のあなたを見てどう思うでしょうか……。下手すれば婚約破棄ということにもなりかねません」
「はい。その通りだと思います……」
「だからどうかこの屋敷を去った後は、2度と旦那様の前に現れないでいただきたい」
自分ですら鏡を見るたびに恐ろしくて目を背けたくなる。醜い姿になったルーカスの存在は、もはやスノービル少佐の足を引っ張るものでしかないのだ。
それはルーカスの望むものではない。
少佐が自分を思って戦場から遠ざけたように、ルーカスもまた彼の幸せを望んでいるのだから。
今のルーカスの楽しみは3日後の戦勝パレードの日が訪れることだ。嬉しい知らせは帝都にも活気を取り戻しつつあるようだ。
いつもは暗い顔をした路上生活の仲間たちの顔も心なしか明るく見える。帝都の人々の心が明るくなれば、必然的に自分達にも恩恵が増えるのが分かっているのだ。
コホコホとルーカスは体を丸めて咳き込む。
毎日厳しい寒さが続いている。あと3日、たったそれだけなのに。
果たして自分の体はそこまで持つのだろうか?
段々と動きが鈍くなっていく体に、不安が募る。それでも、最後に一目少佐の姿を見るまでは死ぬわけにはいかない……。
「随分具合が悪そうじゃないか。ほら、野菜のスープをもらってきたよ。戦勝パレードの影響かな。炊き出しがあちこちで行われている」
「ありがとう……」
片足の男にスープの器を渡される。中は野菜クズがわずかに入ったスープで満たされていた。
味もほとんどしないけれど、それは体の芯から温めてくれるもので今のルーカスにはとてもありがたかった。
「観光客も随分増えたしな……。今夜は稼ぎ時だ」
片足の男は体を売って生活をしていた。
街には男も女もそういう者達で溢れかえっている。夜になると街角に立って客を引くのだ。
「あんたも、そろそろ考えてみたら? 温かい寝床にありつけるし、ハーモニカを吹くよりもずっと実入りはいいと思うけど」
ルーカスはそういう道を選んだ者が悪いとは決して思っていない。
生きるためならどんな方法でも選ばなければならないことは分かっている。
「怪我のことを気にしているなら包帯で隠してさ……案外そういうのが好きな奴も多いんだよ。不幸な奴を支配したい。もしくは施しをしていい気分になりたい……みたいな。あんたは残った左目はかわいいし、十分いけると思うよ」
どういうことが行われるのか分からないわけじゃない。
軍でもやはりそういったことは横行していた。
出世のため上官に取り入るために体を差し出す者もいれば、上官の方から無理矢理迫るといったことも……下士官ならば格好の餌食だ。ルーカスにもそういう誘いが来たことは1度や2度ではない。
その度にスノービル少佐が守ってくれたのだ。
いつも……。
「僕は……ハーモニカでもう少し頑張ってみるよ」
「そっか……」
少佐はルーカスを引き取ってくれた恩人だ。
恋人というわけではなかったし、これまで思いを伝えたことも無かった。ただルーカスが一方的に憧れ、焦がれ続けているだけ。
少佐だってもうじきどこかの令嬢と結婚するのだ。
それでも体を売ることはどうしても出来なかった……。少佐のやさしかった顔が浮かんでしまって。
すっかり変わり果てて醜くなってしまった体だけど、せめてそれだけは守りたいと……。
彼は軍の設営基地近くで発見された戦災孤児だった。
困っている者を助けるのは貴族にとって当然の義務。これもまた慈善活動の一環だった。
引き取ったルーカスは故郷と家族を失い深い失意の中にあった。ひどく痩せて年齢の割に身長も低くて十分な栄養を取れていないのが分かった。
不憫に思い面倒を見ているうちに、ルーカスは徐々に本来の明るさと健康を取り戻し、こちらを心から慕ってくれるようになった。
学校に通ったことが無いというルーカスにケヴィン自ら文字の書き方や勉強を教え、ハーモニカを使って音楽の楽しさも伝えた。彼は覚えが早くてぐんぐんと吸収していき、時には一緒に演奏することもあった。
真っ直ぐでやさしい心根のルーカスの存在は、早くに両親を亡くし軍に身を置いて孤独に生きていたケヴィンの心をも癒してくれた。
ケヴィンが引き取ったもののルーカスをこのまま軍人にするつもりは無かった。あの子の手が血に染まるのは見たくないと思ったからだ。いずれは伯爵家に戻してそこで暮らしてもらうつもりでいた。
そんなささやかな幸せの日々は戦争が激しくなってくると共に終わりを告げた。
軍から命令を受けてケヴィンはさらに戦況の悪化しつつある地へと行かなければならなくなった。
「僕も一緒に行きます!」
君を一緒に連れて行くことはできない。
何度そう言い含めてもルーカスは納得しなかった。ケヴィンの言うことは何でも素直に聞くルーカスだったが、こればかりはどうしても聞いてくれなかった。
それから数年が経って、子供だったルーカスはすっかり大人に成長していた。背は相変わらずそれほど伸びなかったけれど、もう立派な若者だった。
ルーカスの成長を嬉しく思ったけれど、ケヴィンの心にはずっと後悔の念があった。
あの時ルーカスを押し止め切れずに戦地に長く留めてしまったことを。
これまでに戦場でたくさんの人を殺した。そしてあの子にもまたたくさんの人を殺させてしまった。
綺麗だったあの子の手を汚させてしまったのはケヴィンの罪だ。
それでもルーカスが居なければとっくにケヴィンは心を病んで狂っていたかもしれない。
戦場の中で、あの子の存在だけが―――。
ルーカスの奏でるやさしいハーモニカの音色が、あの子のはにかんだ笑顔が何度ケヴィンの心を救ってくれたことか。
どうしてルーカスは戻って来てしまったのだろう。
手紙を託し、戦地から伯爵家へと追いやったはずのあの子が戻って来てしまった。
ただ幸せに暮らして欲しいと願っていたはずなのに……。
空から砲撃が降り注いだ瞬間、ルーカスによって突き飛ばされた。綺麗な両目が、こちらに必死に向けられていた。そしてケヴィンがたった今居た場所にはルーカスがいて、そこには血の海が広がっていた。
そこから先はケヴィンの記憶も曖昧だ。
ただ、ルーカスは自分の屋敷に運んで手厚く治療するようにと叫んだような気がする。それから背後のルーカスを守るために戦線を死守しなければならないと奮い立った。
ひたすらに守って、守って、そこから隣軍に対して反撃に出た。
戦争が終結した時、救国の英雄だなどと呼ばれるようになったがケヴィンは何の感慨も抱かなかった。それよりも、ただただルーカスの身が心配でならなかった。一刻も早く屋敷に戻りたいと。あの子の無事をこの目で確かめなけば安心できない。
だが残念ながら戦争終結の立役者という立場は、ケヴィンに自由を与えてはくれなかった。
戦後処理することが山のようにあり、そこから離れられなかったのだ。
ルーカスの怪我の容態を尋ねる手紙を何度も屋敷に送ったが、その都度問題ないという返事が家令から届いたので無理矢理自分を納得させていた。
そうでなければ、何が何でも屋敷に戻っていたというのに……。
事務仕事を片付け、休暇を何とかもぎ取ってケヴィンがスノービル家に帰った時。
そこにいるはずのルーカスの姿はどこにも無かった。荷物も、存在も、何もかもが…。がらんとした冷たい部屋の中で混乱する頭で立ち尽くした。
「ルーカス…ルーカスはどこへ……!?」
家令に詰め寄って肩を揺さぶる。
彼は眉根を寄せて、ひどく苦し気な顔をした。それから、ケヴィンを庭へと促したのである。
家令の案内で連れて来られたそこには、小さな墓があった。嫌な予感がしてケヴィンの体から熱が消えて行く。
まさか。
そんな……。
震える足で近づき、そこの墓標に刻まれた名前を確認する。
『ルーカス・クロスビー ここに眠る』
「嘘だ……」
ケヴィンは家令の胸倉を掴む。
「問題ないと言っていたじゃないか! ルーカスは無事だと。それなのに何故!?」
「彼の死を知ったら旦那様は心を乱すでしょう。全てが落ち着くまでお話できませんでした…。どうかお許しください」
あの子が苦しんでいる間…私は何も知らずに……。
「あの子は……あの子は最期の時に苦しまなかっただろうか……」
「……はい。薬を使って痛みを取り除きましたので……」
「ああ……」
ぐしゃ、とその場に崩れ落ちるように座り込む。
「旦那様!?」
「少し…1人にしてくれないか……」
「……かしこまりました」
背後にあった家令の男の気配が消えてから、ケヴィンは震える手で墓標に触れた。
冷たくてまるで温度を感じさせない石の感触。ルーカスの温かかった頬とはまるで違うもの。
力なく両腕を地面に垂らした。
ケヴィンが軍規に背いてでも何でもルーカスを戦地から遠ざけたかった理由。そのことに今更ながらに思い至ったのだ。失って初めてようやく気が付いた……。
ルーカスに抱いていた思いは、愛だったのだと。
それが部下に対するものではなく、保護した守るべき対象に向けるものでもなく、たった1人の大切な相手に向けた感情。
「今更こんなことに気が付くなんて……」
ルーカスを看取ってやることもできなかった。あの子をたった1人で寂しく逝かせてしまった。
後悔ばかりが胸に募って、ケヴィンの頬を涙が伝って落ちた。
***
聖夜祭の日に戦勝パレードが開催されるというポスターが、各所に張り出された。店先に張り出されたそれを、ルーカスは食い入るように見つめる。
そのポスターには救国の英雄、スノービル少佐の写真が載せられていた。
ああ、あの人がここへやって来るのだ……。
あちこちで配られている新聞をもらうとそこにもやはり少佐の活躍が書かれた記事が目に飛び込んでくる。傷を負って離れた後の、ルーカスが知らない少佐の姿。
記事を書いた新聞記者は随分と熱心に取材を重ねたようだ。
読んでいるとその情景が頭の中に浮かんでくる。
ひと目少佐の姿を見たい……。
もう2度と少佐に近づかないと約束したが、遠くからそっと見つめるぐらいなら許されるだろうか。
ルーカスはもらった新聞を丁寧に折りたたんでバッグに仕舞い込んだ。
「旦那様にはあなたが死んだということにします」
家令の言葉に、ルーカスは残った左目で見上げた。
ルーカスの引きつった顔の火傷の跡を見て、家令はそっと視線を背ける。
「旦那様の下には毎日求婚状が山のように届いています。侯爵家からも。今や旦那様はこの国を救った英雄。お相手は選び放題です。だからこそ……お分かりですか?」
「はい。僕の存在が邪魔……ということですね」
「ええ。旦那様はとてもお優しいですから、怪我を負ったあなたを放り出すことはないでしょう。しかしお相手の方は醜い姿のあなたを見てどう思うでしょうか……。下手すれば婚約破棄ということにもなりかねません」
「はい。その通りだと思います……」
「だからどうかこの屋敷を去った後は、2度と旦那様の前に現れないでいただきたい」
自分ですら鏡を見るたびに恐ろしくて目を背けたくなる。醜い姿になったルーカスの存在は、もはやスノービル少佐の足を引っ張るものでしかないのだ。
それはルーカスの望むものではない。
少佐が自分を思って戦場から遠ざけたように、ルーカスもまた彼の幸せを望んでいるのだから。
今のルーカスの楽しみは3日後の戦勝パレードの日が訪れることだ。嬉しい知らせは帝都にも活気を取り戻しつつあるようだ。
いつもは暗い顔をした路上生活の仲間たちの顔も心なしか明るく見える。帝都の人々の心が明るくなれば、必然的に自分達にも恩恵が増えるのが分かっているのだ。
コホコホとルーカスは体を丸めて咳き込む。
毎日厳しい寒さが続いている。あと3日、たったそれだけなのに。
果たして自分の体はそこまで持つのだろうか?
段々と動きが鈍くなっていく体に、不安が募る。それでも、最後に一目少佐の姿を見るまでは死ぬわけにはいかない……。
「随分具合が悪そうじゃないか。ほら、野菜のスープをもらってきたよ。戦勝パレードの影響かな。炊き出しがあちこちで行われている」
「ありがとう……」
片足の男にスープの器を渡される。中は野菜クズがわずかに入ったスープで満たされていた。
味もほとんどしないけれど、それは体の芯から温めてくれるもので今のルーカスにはとてもありがたかった。
「観光客も随分増えたしな……。今夜は稼ぎ時だ」
片足の男は体を売って生活をしていた。
街には男も女もそういう者達で溢れかえっている。夜になると街角に立って客を引くのだ。
「あんたも、そろそろ考えてみたら? 温かい寝床にありつけるし、ハーモニカを吹くよりもずっと実入りはいいと思うけど」
ルーカスはそういう道を選んだ者が悪いとは決して思っていない。
生きるためならどんな方法でも選ばなければならないことは分かっている。
「怪我のことを気にしているなら包帯で隠してさ……案外そういうのが好きな奴も多いんだよ。不幸な奴を支配したい。もしくは施しをしていい気分になりたい……みたいな。あんたは残った左目はかわいいし、十分いけると思うよ」
どういうことが行われるのか分からないわけじゃない。
軍でもやはりそういったことは横行していた。
出世のため上官に取り入るために体を差し出す者もいれば、上官の方から無理矢理迫るといったことも……下士官ならば格好の餌食だ。ルーカスにもそういう誘いが来たことは1度や2度ではない。
その度にスノービル少佐が守ってくれたのだ。
いつも……。
「僕は……ハーモニカでもう少し頑張ってみるよ」
「そっか……」
少佐はルーカスを引き取ってくれた恩人だ。
恋人というわけではなかったし、これまで思いを伝えたことも無かった。ただルーカスが一方的に憧れ、焦がれ続けているだけ。
少佐だってもうじきどこかの令嬢と結婚するのだ。
それでも体を売ることはどうしても出来なかった……。少佐のやさしかった顔が浮かんでしまって。
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