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 翌朝になってクライヴと共に畑へと向かった。僕の見込みだと今日にも薔薇は咲くはずだ。

 ところが昨日あったはずの場所に、青い薔薇の蕾はなかったのだ。

「何で……!?」

 昨日までは確かにあったのに。蕾があったはずのところを、薔薇の茂みを隅々まで掻き分けて確認する。すると、蕾があったらしき場所が不自然に切り落とされていることに気付く。

 誰かが、薔薇の花を切り落として持って行ったのだ。

 それに、葉っぱの色がおかしい。木自体が弱っているのだ。これでは次の蕾は咲かないかもしれない。

「そんな……」

 もうすぐゴールへと手が届きそうというところでスタート地点に戻され、へなへなと力なく地面に崩れ落ちる。血の気が下がり、体中が冷たくなってしまったように感じる。

「ユウイ、落ち着け。薔薇の棘で手が傷ついている」

 クライヴが背中に手を添え、空いた方の手で僕の手を握る。
 言われてそこで初めて気づく。茂みを掻き分けたことによって棘に引っかけて僕の手は傷だらけになっていた。でもそんなことはどうだっていい。心の方がずっと痛い。

 大切な青い薔薇だと知りながら、どうして一晩中見張っていなかったのだろう。自分の迂闊さが恨めしい。こういうところが、駄目なんだろうな…僕って奴は……。

「僕、僕、やっぱり駄目だった……。ごめんね、クライヴ。約束守れなくてごめん……」

 泣きながら見上げたクライヴの顔は、困ったように眉が下がっていた。
 そこから先の僕はひたすら泣きながらクライヴに謝り続けて……最後の方はクライヴに抱えられながら宿屋へ戻った。



 泣き疲れて眠ってしまっていた僕は、階下が騒がしくて目を覚ますことになる。女の子の声と、それからクライヴの声だ。なんだかとても気になって一階へと降りていく。

 共用スペースには白魔道士の女の子とクライヴがいて、女の子がクライヴに言い寄っているという感じだった。

「どうして受け取ってくれないんですか!? あなたのために作ったんですよ」

 そっと物陰から共用スペースを覗き込む。
 白魔道士の女の子は青い色の花びらの浮かんだ液体の入った瓶を手にしていて、それをクライヴに差し出そうとしていた。

 その青色の花びらに心当たりがあったので、ひゅっと息を呑む。
 あれは、青い薔薇を使って作った魔力増強剤じゃないか。
 どうしてあの女の子が持っている?
 偶然、同じようなタイミングで青薔薇の育成に成功したなんてこと、あり得るのだろうか?

「知らない奴から物は受け取らない」

 ぷいっとそっぽを向くクライヴ。子供かな!? と思うような態度だが、それよりも気になったのは「知らない奴」という言葉。

 クライヴはあの白魔道士の女の子のことを知らないのか!?
 女の子から聞いていた話とまるで噛み合っていない事実に混乱する。どういうことなんだ。
 よろめいた時にカタッと音を立ててしまう。しまったと思った時には二人がこちらを振り向き、バッチリ目が合ってしまう。

「聞き耳立てていたんですか」

 女の子が忌々しそうに僕を睨む。逃げてしまいたい衝動に駆られながらも、どうしても気になっていることを女の子に確認しなければならなかった。女の子のところへ歩み寄る。

「君の持っているそれ……魔力増強剤、だよね」

「だったら何ですか」

「それを作るためには青い薔薇の花が必要なんだけど、どこで手に入れたか教えてもらってもいいかな?」

「知人から譲ってもらったんですよ」

「その知人が誰か教えて欲しい。あの、気を悪くしないで聞いてもらいたいんだけど。昨日僕が育てた青い薔薇が無くなってしまったんだ。だから知人の方に話を聞きに行きたくて」

 女の子は薄く笑う。

「もしかして、私が薔薇を盗んだって疑っています?」

 僕は慌てて首を横に振る。

「そういうわけじゃないよ。僕の薔薇だと知らずに持って行った可能性もあるから確認だけしておきたくて」

「でも、それって証拠はあるんですか? あなたの薔薇だという証拠」

 女の子の言葉に、僕は言葉を詰まらせる。自信ありげに微笑む彼女に対して確信を抱いた。この子が自分の薔薇を奪っていったのだと。
 だけど……残念ながら女の子の言うように僕のものだという証拠なんてない。薔薇の蕾は全て切られていたから。だからこそ女の子はこんなにも堂々としている。
 対策を何もしていなかった僕は、泣き寝入りするしかないのだ。
 ぐすっと鼻をすする。

「ユウイの薔薇か確かめる方法、ある」

 それまで黙って事の成り行きを見守っていたクライヴが口を開いた。

「は?」

 女の子も僕も目が丸くなる。

「ユウイの青い薔薇が咲く前、印の魔法かけた」

 言い終えるなり、クライヴは手の平から魔法を発動させる。糸のような光る細い魔力が目に見える。そしてその糸は真っ直ぐ女の子の持つ瓶の中の花びらに繋がる。それを見てクライヴはこくりと頷いた。

「ユウイの薔薇だ。間違いない」

「そんな話聞いてない!」

 女の子は顔を真っ赤にして怒り出した。

「あんた、魔法を使って聞き耳立ててた。でも、言ってないことは聞こえなかった」

 どうやらクライヴの話によると、女の子は魔法を使ってここ最近の僕達の会話をずっと聞いていたらしい。
 いわゆる盗聴ってやつだ。

 その中で青い薔薇の話を知って、何とか僕をクライヴの側から追い出してやろうと画策したのだとか。
 クライヴは自分達に纏わりつく魔力の欠片に気付いていたものの、興味がなかったので放置していたという。でも僕の様子がおかしくなって別れると言い出したから、慌てて調査を始めて今回の結末に辿り着いた。

「この人の薔薇だったとしても、今魔力増強剤を持っているのは私です。次の青い薔薇の育成に成功するのは一体何年先でしょうね? 冒険者として活動しているあなたならこれが喉から手が出るほど欲しいって思いますよね。私を選んでください。そうしたらこれをあげます」

 女の子が勝ちを確信したように微笑む。ところが、クライヴの答えは

「いらない」

 だった。

「何でですか? ずっとこの薬が欲しかったんじゃないですか」

 女の子がおろおろと戸惑う。

「それはユウイが約束してくれたものだからだ。ユウイがくれるものだったら何でも欲しい。でも、知らない奴のものはいらない」

 ぷいっと再びそっぽを向く。

「そんな平凡な男の方がいいっていうんですか? この、私よりも!?」

 クライヴの表情がみるみるうちに温度を下げていく。絶対零度の顔付きへと変わる。

「ユウイは可愛い。努力家ですごい。俺はユウイしか好きじゃない。あんたとは比べものにならない」

 この女の子にとってみれば、平凡な男よりも劣ると言われたのが屈辱だったらしい。

「S級で顔がいいから自慢できるので彼氏にしてみようと思いましたが、あなたみたいな目が腐っている人なんて願い下げです!」

 白魔道士としてこれまでちやほやされて生きてきたのかもしれない。
 ところがクライヴによってプライドをこれ以上ないほど粉々に砕かれた女の子は、顔を真っ赤にして吐き捨てるように叫ぶと、踵を翻して宿屋から出て行ってしまった。
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