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第13章 ゲームの行方
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ゲームの終わりまであと5日。
その数字は確実にレイピアを焦らせていた。
今、レイピアの心にあるのは最後の決着をつける――ダイヤを取り戻すことだ。そして、一刻も早くスキルの元から離れること。それだけだった。
「シア、教えて欲しいの。スキルの弱点を何でもいいから」
ひどく追い詰められたような、沈痛な面持ちのレイピアにシアは怪訝な表情で眉をひそめる。
「レイピア……?」
「何でそんなこと聞くんだよ」
シアのすぐ側にいて木の枝に腰掛け、足をぶらぶらさせていたブレンもまた怪訝な表情をして口を挟んでくる。「それは…」と言ったきり黙りこんでしまったレイピアを見かねたシアが口を開く。
「私はあまりそういうこと知らないんだけど、ブレンは知ってる?」
「何で俺がそんなこと言わなきゃいけねえんだよ。ははん、ダイヤか。スキルの弱点をついてダイヤを奪うって作戦だな」
「お願い、どうしても知りたいの」
自分の親友の弱点を何で教えてやらなくちゃいけないんだ、とブレンは思ったのだが懇願するようなレイピアの瞳に見つめられ少々たじろいだ。彼女がこんな風に自分に頼みごとをしてきたことなど1度もなかったから。
一時期レイピアに酷いこともしていたブレンだったが、今は改心しているし根は悪くない性格をしているのでこうした頼みごとに弱かったりする。それにレイピアに対して悪いことをしてしまったという負い目もある。
「う、そうだな……。朝が弱いことかなぁ。あいつ寝起きの胃にコーヒーを流し込まないと完全に目が覚めるってことがないんだ」
「朝……」
レイピアは口元に手を当て、何やら難しい表情で考え込んだ。
「それを聞いたところでどうすんだよ。まさか寝込みでも襲おうってんじゃ……」
「あーもう、あんたはうるさいっ! デリカシー0男がぁ!」
バシ、とシアは手にしていたタオルを鞭のようにしならせて木の上のブレンを叩く。叩かれた本人は痛いと言いながら文句をたれるが、無視している。
「使えないわねぇ。他には何かないの? もっと、すぐに使えるような犬が嫌いだとか、刃物を見ると恐怖ですくみあがるとか……そういうの」
「ねーよ。そんなもん。あいつには基本的に弱点なんてないんだよ」
「そう……」
期待したような収穫がなく、レイピアはうなだれるように肩を落とした。
「ね、レイピア。どうしちゃったの? まだ時間はあるわ。元気を出して」
気遣わしげなシアのその問いかけにレイピアは力なく首を横に振った。
ここ最近レイピアの元気がないと思っていたが、今日はいっそうそれが激しい。シアには思い当たる節が1つあった。というよりそれしか思いつくことができなかった。
スキルが団長就任したパーティーの夜。
あの日が原因ではないかと考えている。2人の間で何かがあったのだ。だがそれを考えてみたところで今、目の前にいる落ち込んだ様子の彼女にあれこれと追求するのは気が引けた。
こんな時、力になってあげることができない自分がひどく歯痒い。
***
パーティーの夜以降、スキルの姿を見るたびに怯えたように脱兎のごとく逃げ出していたレイピアだったが、今日は違った。
テントの外を歩くスキルの姿を見つけると逃げ出すこともなく、目を逸らせることもなく、真っ直ぐ見据え唇を引き締めた。
「今日こそダイヤを返してもらうわ!」
スキルの対しての宣言というより、まるで自分自身に言い聞かせるための言葉のように思えた。
スキルはそのレイピアの様子がこれまでのものと違うことに驚く。殺気立っていて、ひどく追い詰められた表情をしている。
「どうかしたのか……?」
気遣わしげにレイピアの顔を覗き込もうとしてくる。
しかし―――。
「べつにどうもしない! あなたには関係ないっ」
スキルがこれ以上言葉を紡がないように。鋭く言葉を放つことで強引に振り払う。
「レイピア」
「言うなっ!」
もう何も聞きたくない。
これ以上彼の言葉を聞いたら自分の感情を押さえ込む自信がなかった。一滴の水を落としただけで決壊してしまう器のように心がギリギリの場所にある。
「くだらないこと言って、これ以上私の心を乱さないで!」
言い終えると同時に地面を蹴り上げた。
レイピアの手には武器も何も握られていない。ただ狙うのはピンクダイヤモンドのみ。
このまま闇雲にスキルの懐に手を伸ばしても避けられることは目に見えている。すばやさでいうとスキルの方がはるかに上なのだから。
何とか地面に引き倒し逃げ場を無くさなくてはならない。これまでに何度も繰り返してきた攻防戦でレイピアが学んだことだった。
懐に飛び込み、身を屈めるとスキルの足を払った。スキルは若干体勢を崩したものの、倒れこむということはなくすぐに体勢を立て直してレイピアと距離を取った。
彼は崩れたバランスを即座に立て直すことができる。サーカスで幼い頃から鍛えられているためできる芸当なのだろう。
だがレイピアにとってはこんな時ですら風のように避けるスキルがたまらなく憎らしかった。
この気迫が伝わっているならダイヤを返してくれたらいいのに。
ピンクダイヤモンドなど、今まで彼が盗んできた宝物に比べたら価値が低いものだろうに。
どうして返してくれないの、とレイピアの心は焦れるばかりだった。
「どうして返してくれないのよっ!」
悲痛な声を上げる。
その瞬間、動きに隙が生じてしまった。スキルはそれをついてレイピアの手首を掴んだ。
「……あッ!」
弾かれるようにレイピアは体を仰け反らせた。咄嗟にスキルから逃げようとして、足がもつれ体勢が崩れる。
視界が反転して―――転げてしまった。
頭を打たないようにスキルによって抱え込まれていて。しかしすぐにその体は離れて行き同時に掴まれていた手も離れる。砂埃が上がって白い頬を汚す。
地面に倒れこんだままの自分の目の前にスキルの手が差し伸べられた。息一つ乱していない。その手を叩くようにして振り払う。汚れのついた顔を手の甲でぐいっと拭い、涙で滲む瞳で睨みつける。
一瞬、スキルが怯むのが分かった。
「泥棒っ!」
感情のままに叫ぶ。
「返してよ、返してっ……。私の……っ」
ピンクダイヤモンドと、私の心を―――。
喉を詰まらせ、最後の方は言葉にはならなかった。
ブレンとシアに頼み込んでスキルの弱点を聞き出そうとした。弱点をついてダイヤを取り戻そうと考えたのだ。けれど期待したようなスキルの弱点はなく、やむなくいつも通り正攻法でダイヤを奪い返そうとした。
だが、結果はあのとおり。
完全に負けた、と思った。
結局のところ敵わなかった。
もうどうあってもダイヤは取り戻せそうになくて。
戦意は完全に消えてしまった。
けれども胸にうずまいている熱だけはどうしても消えてくれそうになかった。スキルから離れて、自分のテントへ戻って来た今この時ですら。
もう駄目だ、もう……駄目。
自分自身の体を抱き締めて身を震わせる。
苦しかった。
だんだんと病魔に蝕まれていくように、強くなっていくその思いはレイピアの心を締め付ける。
楽になりたかった。
苦しみを無くしてしまいたかった。
その苦しみを取る方法―――それは……。
1つの考えがレイピアの脳裏をよぎった。
そしてその方法以外楽になる術を知らなかった。その方法を使うことによって後々この心はさらに苦しみを深めるかもしれない。
だが一時だけでも苦しみを消すことができる。その一時の安らぎが今のレイピアには必要なものだった。
吐き出してしまおうと思った。
胸にうずまいている思いを……全部。
のろのろとひどく億劫そうな足取りで向かった先――それはスキルのテントだった。
湿り気を帯びた風がレイピアの頬を撫でる。
この1ヵ月ほどで吹く風の温度はだいぶ変わってしまった。
あの時はまだ吹く風も冷たかったというのに。サーカスに来た初めの頃の夜――スキルのテントを訪れたときは。
あれ以来、夜にスキルのテントを訪れることはしなかった。
あの時の夜に彼が言った言葉は冗談に過ぎないものだったのだろう。けれども用心するにこしたことはないし、団員達の目も痛かったことも加えて、自然と足を赴けることは控えていた。
スキルのテントの前まで来て、レイピアは足を止めた。
テントから明かりが漏れている。まだ眠っていないのだろう。浅くため息をつくと覚悟を決め、幕を開いた。
***
正直、今のレイピアを見ているのは辛かった。
ひどく追い詰められた表情でダイヤを返せと叫んだ姿が目に焼き付いて離れない。彼女をあそこまで追い詰めてしまったのはまぎれもなく自分だ。
スキルはピンクダイヤモンドを懐から取り出した。鎖の部分がシャラリと音を立てて手のひらに収まる。
このダイヤがレイピアの母親の形見の品であることを知ったのはつい先日のことだった。
だから自分の危険も顧みずたった1人で追いかけてきて、ダイヤを取り返そうと必死になっていたのだ―――それを知ったとき、もちろん罪悪感は生まれた。だがそれ以上に彼女を離したくないという思いの方が強かった。
たとえそれが彼女の思いを無視していたとしても。
レイピアがダイヤを取り返すために向かってくるときはいつだって本気で相手をしていた。その中に多少のからかいはあったけれども。
最初の頃は仲間達と自分自身を守るため。
そして今ではその思いも変わり、レイピアを帰さないために必死になってダイヤを守っている。
ダイヤを取り戻した時点でレイピアの目的は達成され、彼女の性格からいって絶対に帰ろうとするだろうから。冒険者をしている彼女がそのまま旅立ってしまったら、もう2度と会えないかもしれない。
そんなのは嫌だと思う。
レイピアの腕はなかなか筋がいい。
油断しているとあっという間に取り返されてしまうだろう。表情では平静を装っていたものの、何度かひやりとさせられたこともあった。自然体でいるようでいて、実は常に気を張っていた。
だが、それも今日までのこと。
スキルは明日にでもダイヤを返そうと決意した。
あくまでもダイヤを返すだけであってレイピアを帰す気はない。
明日になったら改めて自分の思いを伝えようと思った。
好きだと言ったことは冗談ではなく本気だということを。
自分の側から離れないで欲しいということを。
拒まれることは目に見えているけれど……それでもかまわない。
初めて心から好きになった女性を諦めるつもりはないから。
パサ、とテントの幕が開く音がした。
もうすでに夜更けともいえる時間だというのに。一体誰が? そう思って顔を上げると昼間の時と同様にひどく追い詰められた表情のレイピアが立っていた。
ゲームの終わりまであと5日。
その数字は確実にレイピアを焦らせていた。
今、レイピアの心にあるのは最後の決着をつける――ダイヤを取り戻すことだ。そして、一刻も早くスキルの元から離れること。それだけだった。
「シア、教えて欲しいの。スキルの弱点を何でもいいから」
ひどく追い詰められたような、沈痛な面持ちのレイピアにシアは怪訝な表情で眉をひそめる。
「レイピア……?」
「何でそんなこと聞くんだよ」
シアのすぐ側にいて木の枝に腰掛け、足をぶらぶらさせていたブレンもまた怪訝な表情をして口を挟んでくる。「それは…」と言ったきり黙りこんでしまったレイピアを見かねたシアが口を開く。
「私はあまりそういうこと知らないんだけど、ブレンは知ってる?」
「何で俺がそんなこと言わなきゃいけねえんだよ。ははん、ダイヤか。スキルの弱点をついてダイヤを奪うって作戦だな」
「お願い、どうしても知りたいの」
自分の親友の弱点を何で教えてやらなくちゃいけないんだ、とブレンは思ったのだが懇願するようなレイピアの瞳に見つめられ少々たじろいだ。彼女がこんな風に自分に頼みごとをしてきたことなど1度もなかったから。
一時期レイピアに酷いこともしていたブレンだったが、今は改心しているし根は悪くない性格をしているのでこうした頼みごとに弱かったりする。それにレイピアに対して悪いことをしてしまったという負い目もある。
「う、そうだな……。朝が弱いことかなぁ。あいつ寝起きの胃にコーヒーを流し込まないと完全に目が覚めるってことがないんだ」
「朝……」
レイピアは口元に手を当て、何やら難しい表情で考え込んだ。
「それを聞いたところでどうすんだよ。まさか寝込みでも襲おうってんじゃ……」
「あーもう、あんたはうるさいっ! デリカシー0男がぁ!」
バシ、とシアは手にしていたタオルを鞭のようにしならせて木の上のブレンを叩く。叩かれた本人は痛いと言いながら文句をたれるが、無視している。
「使えないわねぇ。他には何かないの? もっと、すぐに使えるような犬が嫌いだとか、刃物を見ると恐怖ですくみあがるとか……そういうの」
「ねーよ。そんなもん。あいつには基本的に弱点なんてないんだよ」
「そう……」
期待したような収穫がなく、レイピアはうなだれるように肩を落とした。
「ね、レイピア。どうしちゃったの? まだ時間はあるわ。元気を出して」
気遣わしげなシアのその問いかけにレイピアは力なく首を横に振った。
ここ最近レイピアの元気がないと思っていたが、今日はいっそうそれが激しい。シアには思い当たる節が1つあった。というよりそれしか思いつくことができなかった。
スキルが団長就任したパーティーの夜。
あの日が原因ではないかと考えている。2人の間で何かがあったのだ。だがそれを考えてみたところで今、目の前にいる落ち込んだ様子の彼女にあれこれと追求するのは気が引けた。
こんな時、力になってあげることができない自分がひどく歯痒い。
***
パーティーの夜以降、スキルの姿を見るたびに怯えたように脱兎のごとく逃げ出していたレイピアだったが、今日は違った。
テントの外を歩くスキルの姿を見つけると逃げ出すこともなく、目を逸らせることもなく、真っ直ぐ見据え唇を引き締めた。
「今日こそダイヤを返してもらうわ!」
スキルの対しての宣言というより、まるで自分自身に言い聞かせるための言葉のように思えた。
スキルはそのレイピアの様子がこれまでのものと違うことに驚く。殺気立っていて、ひどく追い詰められた表情をしている。
「どうかしたのか……?」
気遣わしげにレイピアの顔を覗き込もうとしてくる。
しかし―――。
「べつにどうもしない! あなたには関係ないっ」
スキルがこれ以上言葉を紡がないように。鋭く言葉を放つことで強引に振り払う。
「レイピア」
「言うなっ!」
もう何も聞きたくない。
これ以上彼の言葉を聞いたら自分の感情を押さえ込む自信がなかった。一滴の水を落としただけで決壊してしまう器のように心がギリギリの場所にある。
「くだらないこと言って、これ以上私の心を乱さないで!」
言い終えると同時に地面を蹴り上げた。
レイピアの手には武器も何も握られていない。ただ狙うのはピンクダイヤモンドのみ。
このまま闇雲にスキルの懐に手を伸ばしても避けられることは目に見えている。すばやさでいうとスキルの方がはるかに上なのだから。
何とか地面に引き倒し逃げ場を無くさなくてはならない。これまでに何度も繰り返してきた攻防戦でレイピアが学んだことだった。
懐に飛び込み、身を屈めるとスキルの足を払った。スキルは若干体勢を崩したものの、倒れこむということはなくすぐに体勢を立て直してレイピアと距離を取った。
彼は崩れたバランスを即座に立て直すことができる。サーカスで幼い頃から鍛えられているためできる芸当なのだろう。
だがレイピアにとってはこんな時ですら風のように避けるスキルがたまらなく憎らしかった。
この気迫が伝わっているならダイヤを返してくれたらいいのに。
ピンクダイヤモンドなど、今まで彼が盗んできた宝物に比べたら価値が低いものだろうに。
どうして返してくれないの、とレイピアの心は焦れるばかりだった。
「どうして返してくれないのよっ!」
悲痛な声を上げる。
その瞬間、動きに隙が生じてしまった。スキルはそれをついてレイピアの手首を掴んだ。
「……あッ!」
弾かれるようにレイピアは体を仰け反らせた。咄嗟にスキルから逃げようとして、足がもつれ体勢が崩れる。
視界が反転して―――転げてしまった。
頭を打たないようにスキルによって抱え込まれていて。しかしすぐにその体は離れて行き同時に掴まれていた手も離れる。砂埃が上がって白い頬を汚す。
地面に倒れこんだままの自分の目の前にスキルの手が差し伸べられた。息一つ乱していない。その手を叩くようにして振り払う。汚れのついた顔を手の甲でぐいっと拭い、涙で滲む瞳で睨みつける。
一瞬、スキルが怯むのが分かった。
「泥棒っ!」
感情のままに叫ぶ。
「返してよ、返してっ……。私の……っ」
ピンクダイヤモンドと、私の心を―――。
喉を詰まらせ、最後の方は言葉にはならなかった。
ブレンとシアに頼み込んでスキルの弱点を聞き出そうとした。弱点をついてダイヤを取り戻そうと考えたのだ。けれど期待したようなスキルの弱点はなく、やむなくいつも通り正攻法でダイヤを奪い返そうとした。
だが、結果はあのとおり。
完全に負けた、と思った。
結局のところ敵わなかった。
もうどうあってもダイヤは取り戻せそうになくて。
戦意は完全に消えてしまった。
けれども胸にうずまいている熱だけはどうしても消えてくれそうになかった。スキルから離れて、自分のテントへ戻って来た今この時ですら。
もう駄目だ、もう……駄目。
自分自身の体を抱き締めて身を震わせる。
苦しかった。
だんだんと病魔に蝕まれていくように、強くなっていくその思いはレイピアの心を締め付ける。
楽になりたかった。
苦しみを無くしてしまいたかった。
その苦しみを取る方法―――それは……。
1つの考えがレイピアの脳裏をよぎった。
そしてその方法以外楽になる術を知らなかった。その方法を使うことによって後々この心はさらに苦しみを深めるかもしれない。
だが一時だけでも苦しみを消すことができる。その一時の安らぎが今のレイピアには必要なものだった。
吐き出してしまおうと思った。
胸にうずまいている思いを……全部。
のろのろとひどく億劫そうな足取りで向かった先――それはスキルのテントだった。
湿り気を帯びた風がレイピアの頬を撫でる。
この1ヵ月ほどで吹く風の温度はだいぶ変わってしまった。
あの時はまだ吹く風も冷たかったというのに。サーカスに来た初めの頃の夜――スキルのテントを訪れたときは。
あれ以来、夜にスキルのテントを訪れることはしなかった。
あの時の夜に彼が言った言葉は冗談に過ぎないものだったのだろう。けれども用心するにこしたことはないし、団員達の目も痛かったことも加えて、自然と足を赴けることは控えていた。
スキルのテントの前まで来て、レイピアは足を止めた。
テントから明かりが漏れている。まだ眠っていないのだろう。浅くため息をつくと覚悟を決め、幕を開いた。
***
正直、今のレイピアを見ているのは辛かった。
ひどく追い詰められた表情でダイヤを返せと叫んだ姿が目に焼き付いて離れない。彼女をあそこまで追い詰めてしまったのはまぎれもなく自分だ。
スキルはピンクダイヤモンドを懐から取り出した。鎖の部分がシャラリと音を立てて手のひらに収まる。
このダイヤがレイピアの母親の形見の品であることを知ったのはつい先日のことだった。
だから自分の危険も顧みずたった1人で追いかけてきて、ダイヤを取り返そうと必死になっていたのだ―――それを知ったとき、もちろん罪悪感は生まれた。だがそれ以上に彼女を離したくないという思いの方が強かった。
たとえそれが彼女の思いを無視していたとしても。
レイピアがダイヤを取り返すために向かってくるときはいつだって本気で相手をしていた。その中に多少のからかいはあったけれども。
最初の頃は仲間達と自分自身を守るため。
そして今ではその思いも変わり、レイピアを帰さないために必死になってダイヤを守っている。
ダイヤを取り戻した時点でレイピアの目的は達成され、彼女の性格からいって絶対に帰ろうとするだろうから。冒険者をしている彼女がそのまま旅立ってしまったら、もう2度と会えないかもしれない。
そんなのは嫌だと思う。
レイピアの腕はなかなか筋がいい。
油断しているとあっという間に取り返されてしまうだろう。表情では平静を装っていたものの、何度かひやりとさせられたこともあった。自然体でいるようでいて、実は常に気を張っていた。
だが、それも今日までのこと。
スキルは明日にでもダイヤを返そうと決意した。
あくまでもダイヤを返すだけであってレイピアを帰す気はない。
明日になったら改めて自分の思いを伝えようと思った。
好きだと言ったことは冗談ではなく本気だということを。
自分の側から離れないで欲しいということを。
拒まれることは目に見えているけれど……それでもかまわない。
初めて心から好きになった女性を諦めるつもりはないから。
パサ、とテントの幕が開く音がした。
もうすでに夜更けともいえる時間だというのに。一体誰が? そう思って顔を上げると昼間の時と同様にひどく追い詰められた表情のレイピアが立っていた。
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