盗賊と領主の娘

倉くらの

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第12章 サーカスの夜

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 ある者は困惑し、ある者は胸に熱情を抱き、ある者はそんなものとは無関係に飲み食いに精を出し、ある者は片付けのために忙しく駆けずり回った。

 様々な人の思いが交錯した長い、長いパーティーの夜が明けた。
 特にレイピアにとってはこの夜が永遠に明けないのではないかとさえ思えるほど長いものだった。

 翌日。
 朝早くからドタドタドタドタ、と地響きにも似た音を立ててスキルのテント目がけて走ってくるものが1人。

「ちょっとぉぉスキルゥゥゥゥ!!」

 栗色の髪の毛を揺らし、目を吊り上げて飛び込んできたものの正体、それはシアだった。
 今にも湯気が出そうなくらいにカンカンに怒りで顔を染め、怒鳴り声を上げた。そのただならぬ様子にスキルも、そして打ち合わせで話し合いに来ていたリグも目を丸くするばかりだった。

「あんたは――っ! レイピアに一体ナニしたのよぉ――!?」

 いまいち、スキルには事情が掴めなかった。
 シアを激怒させるほどの何かをした覚えもない。

「ナニって…その妙に誤解を招く言い方はやめてくれないか。リグ、なんでそんな目で俺を見る?」

 後半の言葉は半眼になってスキルを見るリグに向けたものだった。

「若君…一体ナニしたんですか」

「だから、どうしてそういう方向に話がいくんだ。その目は止めてくれ」

 ごちゃごちゃ言っている彼らを蹴散らすようにシアが吠えた。

「うるっさ――い! 私の話に答えなさいよ。なんで、レイピアの服がボロボロになってんのよぉっ!? 膝は怪我して血が出てたしっ! 震えてたしィ!」

「……は?」

 スキルは初耳だとばかりに目を瞬かせた。昨夜別れた時のレイピアはそんな怪我を負っている様子などなかった。あの後一体何があったのだろう。
 まるで心当たりがないという様子のスキルに気付き、シアが訝しげに眉をひそめる。

「あんたが犯人じゃないの?」

「冤罪だ。何で俺が……」

「だって、考えられる原因っていったらあんたしかいないじゃない」

 断言されビシッと指さされ、スキルは苦笑する。

「酷い言われようだね。そんな心当たりなんてな――……あ」

 そこでスキルの言葉が止まる。考え込む。
 もしかしてあれが原因で?
 口付けを交わしたあの後、ひどく動揺して逃げ出すように駆け出したレイピアの姿が脳裏に浮かんだ。あの動揺ぶりでは転んでもおかしくはないだろう。

 だが、事情を知らないシアはスキルの一瞬考え込むような素振りを別の解釈で受けとった。
 彼が無理矢理レイピアに何かしようとした、と。

「あ、あんたって奴はぁぁ! なんて最低なの――――!」

 シアは近くに置いてあったアルミ製の椅子を両手で持ち上げ振りかぶった。

「ちょ、ちょっと待てシア!」

 いつも冷静なスキルもさすがにこれには慌てる。そんなもので殴られたらたまったものではない。怪我するだろう。
 無理矢理ではない。
 ちゃんとキスしていいかと尋ねた。まあ返事を得る前に事に及んだ感だったのは否めないが。

「若君…あなたという人は……」

 いつかやると思っていました、そんな言葉が聞こえてきそうな表情でつぶやくリグ。頭を抱えてうめくスキル。

「だから何でそういう目で俺を見るんだ、リグ。チョットどうかと思う」

「ええい、つべこべ言うな。成敗してくれる! シアちゃんの天誅ぅぅぅ――――っ!!」

 振りかぶったアルミ製の椅子がスキルめがけて落ちてくる。

「………ッ!」


 その日、ガン、という鈍い音がテント内に響き渡ったとかなんとか……。


***


 手元にある鏡を覗き込んだレイピアは目の下にできた隈を見てため息をついた。もともとレイピアは悩んだり憤慨したりすると眠れなくなることがあり、肌が白いということもあって隈ができやすい体質なのだが今日のは特にひどい。とても見られた顔じゃない、と自分でも思う。

「酷い顔」

 原因は考えるまでもない。あのことだ。
 昨日の、夜の―――。
 無意識のうちに唇に手を当てた。

 視線を膝に移す。膝には包帯が巻かれてある。たいした傷ではなく痛みは引いたものの、触れると少しだけ痛む。

 ここ最近怪我が絶えない、と思う。
 スキルと出会ったパーティーの夜でついた短剣による傷。ライに噛まれたことによってできた傷。そして昨日の転んだ拍子にできた傷。いずれも完治する前に負傷している。冒険者として働いている時だってこんなに怪我はしていない。だんだんと情けない気持ちになってきた。ため息を吐く。


「……少しいいかい?」

 テントの外から掛かったその声に驚き、肩が跳ね上がる。
 手にしていた鏡が滑り落ちた。割れはしなかったものの、床に落ちたときにガシャンと派手な音があがった。

 レイピアはそれを拾わなかった。いや、鏡を拾うだけの心の余裕がなかったと言うべきだろう。
 「入って来ないで」という言葉を言うことさえ忘れて慌てふためき、顔を青ざめさせる。
 見かねて代わりに鏡を拾ったのは中へと入って来たスキルだった。

「怪我は大丈夫?」

 スキルは鏡をレイピアの手に戻しながら、問い掛けてきた。視線が膝の方に落ちているから腕の怪我のことを言っているわけではなさそうだ。おそらくシアに聞いたのだろう。
 ぶんぶんと音がしそうなくらいに思いっきり首を縦に振る。

「だ、大丈夫っ。少し転んでしまっただけ。そうだ、わ、私……シアに用事があるんだわ」

 唐突に何かを思い出したようにレイピアは椅子から立ち上がり、半ば強引にスキルの問いかけを打ち切った。その動作はかなり不自然なのだが、本人に自覚はないようだ。なおも声を掛けようとしたスキルを振り切るようにして足早にテントから逃げ出した。

 本当はシアに用事など何もない。ただ、あの場にいたくなかったのだ。
 スキルと顔を合わせるのが恐い。だから逃げ出した。



 朝から夕方まで、そんなことが続いた。
 公演の合間を縫ってスキルはレイピアの所へ来るのだが、レイピアはというと彼の姿を見つけるたびに脱兎のごとく逃げ回った。公演中に声を掛けられたら逃げることができないと不安に思っていたが、さすがにその間はスキルもプロとして仕事に徹していた。


 1日の公演が終わり、片付けも全て終了した。
 自分のテントへ戻るために曲がり角を曲がると、腕を組み木に背を預けたスキルの姿があった。

 その姿を見るなりレイピアはギクリ、と身を強張らせた。まるで死神でも見たように顔を青ざめさせ、悲鳴を上げそうになった。

 いつも気配もなく側にいるのだ、この男は。
 そんなレイピアの様子を一瞥したスキルは特に気分を害した様子もなく静かに問い掛けてきた。

「避けられているのかな? 俺は」

 レイピアは明らかにスキルを避けていた。それは事実だ。スキルも当然気がついているだろう。だが、わかっているくせにわざわざ疑問形で言うところが何とも人が悪い。

「……さ…」

「まさかあれだけ逃げ回ってて『避けてない』なんて言わないだろう?」

 しらばっくれようと思ったがそうはいかなかった。
 言いたいことを先に言われてしまい、レイピアはぐっと言葉を詰まらせた。退路を絶たれ、追い詰められてしまった気分になる。
 どうしよう、どうしようと考えているとスキルの方が先に口を開いた。

「昨日は……」

 弾かれたようにレイピアは顔を上げ、今度はこちらから強引にスキルの言葉を遮る。

「き、昨日はっ! 昨日は…パーティーに呼んでくれてありがとう」

 眉をひそめた後、スキルは再び口を開こうとする。

「昨日……」

「りょ、料理もとてもおいしかったし。団員のみんなもとても楽しそうだったわ」

 だが、またしてもレイピアは強引にスキルの言葉を遮った。明らかに必死になって「昨日の出来事」から話を逸らせようとしている。

 これにはスキルも気分を害したようだった。みるみるうちに瞳の温度が下がっていき不機嫌になっていく。

「話を逸らさないで欲しいね」

 鋭くそう指摘され、とうとう観念したようにレイピアはスキルに向き直った。

「昨日のことだったら…あれは気の迷いよ……」

 昨日のキスは、あんな風に受け入れてしまったことは気の迷いだった。声を絞り出すようにしてレイピアはそう告げた。
 その言葉にスキルは微かに眉をひそめる。

「――気の迷い?」

「そう。少しお酒を飲んでいたの。だから…」

「飲んでなかったみたいだけどね」

 再び鋭く指摘され、レイピアはまた言葉を詰まらせ黙り込んだ。
 何でそんな細かいところまで見ているのだろう。もしかしてずっと会場で見られていたの?
 とことん退路が絶たれてしまう。沈黙が訪れる。レイピアの解答を待つようにスキルが腕を組んでいる。恐い。

「でも、あなたは飲んでいたでしょう? それにあの時は周り全体が浮かれた雰囲気だった。だからあなたも私もその雰囲気に呑まれただけのこと。……ただそれだけなのよ」

 2人が口づけを交わしたのは周りの雰囲気に流されてのこと。だから、あれは自分の意志じゃない。そう言い聞かせるように言った。スキルだけでなく、レイピア自身も含めて。

「それに、あれは……あなたにとって悪戯みたいなものだったんでしょう?」

「悪戯だって?」

 スキルは明らかに苛立ちを帯びた声を出し、顔を険しくさせた。

「そう。キスはあなたにとっては挨拶みたいなもの。違う?」

「違うね。挨拶のキスで舌は入れない。君はそうだとでも言うの?」

「……なっ」

 ストレートな物言いに、カッと顔を真っ赤にさせる。

「君が雰囲気に流されてのことだったとしても、俺は違う。本気だった」

「やめて! とにかく……あのことはもう忘れて頂戴」

 もうそのことについてこれ以上話し合うことはないとばかりに強引に打ち切ると、スキルに背を向けて歩き出す。
 だが、3歩ほど歩いたところでスキルの言葉によって引きとめられる。

「恐いの?」

「………ッ!」

 レイピアは弾かれたように振り向き、歩みを止めた。スキルのその言葉はレイピアの抱えている思いの核心をつくものだった。

「俺が恐い?」

「こ……」

 恐くなんてないわ。そう言おうとしたのに、言葉は喉から出てこなかった。スキルの炎のような熱さをもった瞳と目が合ったから。
 恐い。
 恐かった。
 レイピアの心に踏み込んでくるスキルが。いつの間にかすっかりレイピアの心の半分以上を占めるようになったスキルが。

 顔を俯かせる。
 そして唇を噛み締めると再び歩き出した。いや、駆け出したといった方が正しいかもしれない。とにかく今は一刻も早くこの場から立ち去りたかった。
 今度はスキルも引きとめはしなかった。






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