盗賊と領主の娘

倉くらの

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第12章 サーカスの夜

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 ユーザがいなくなった。
 今まで思っていた憎しみは全て誤解で、彼はレイピアのことを裏切ってはいなかった。全ての真実を知った。本当ならこういう場合、心が晴れやかになるものだけれどレイピアの胸はポッカリと穴が開いた気分だった。
 大切なものを失ったような、何かが胸の中から出て行ってしまったような…。
 寂しさが心に残った。

 今レイピアがやらなければいけないのはピンクダイヤを取り返すこと。それなのに正直今は行動を起こす気分ではなくなっていた。
 舞台も休んでいる。
 そしてスキルとも顔を合わせることを避けている。今回のことで彼には世話になったのだから、お礼を言わなくてはならないのに行動を起こさぬまま日にちが過ぎている。
 スキルもレイピアに気をつかってか、テントに顔を出すことはなかった。

「レイピア、いる?」

 テントの外から声が掛かった。

「シア? 入っていいわよ」

「お昼ご飯持って来たよ。一緒に食べよう」

 両手にお盆を2つ抱えて、シアが入ってきた。盆の上にはスパゲティとサラダと鶏肉を煮込んだスープが乗っていて、それを手際よくテーブルに並べていく。

 シアはこうしてレイピアがテントの中に引きこもってからも良く世話を焼いてくれた。リグとソアラもまた同様で何かと理由をつけてはテントを覗きに来るのだった。
 申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
 彼女は先日のユーザの引き起こした騒動を目の当たりにしている。気になっているであろうに、それにも関わらず何一つ尋ねてこようとはしない。そしてレイピアもまた何一つユーザのことやそれに関わることをシアに話していないのだ。

「シアはどうしてそんなに良くしてくれるの?」

「どうしてって。友達じゃない。当然よ」

 思い切ってレイピアが尋ねてみると、シアはごく当たり前のような顔をして、いともあっさりと返されてしまった。

「だって私、シアに何一つ話してない。それなのに……」

「それなのにおかしい? そうかな、私はそうは思わない。それにね、何となく聞かなくてもわかってたから」

 レイピアが弾かれるようにして顔を向けると、シアは穏やかに笑い、口を開いた。

「私もね、まだレイピアに話してないことがあるの。私ねぇ、昔貴族に騙されたことあったんだ」

 その言葉の内容とあっけらかんと語るシアに、レイピアは驚いたように息を呑んだ。彼女はレイピアを静かに見据えた後、ゆっくりと語り出した。

「お客さんだった人にサーカスで働くのを辞めて、自分の所に来ないかって言われたの。その時の私って馬鹿だったから、その誘いに乗っちゃったんだ。たぶん、好きって言われの初めてだったから舞い上がっていたのね」

 言葉を発することもできずにいるレイピアに特に気にした様子もなくシアは淡々と続けた。

「でも実際は違ってた。その人は私のことを好きでも何でもなく、花街に売り飛ばそうとしてただけなんだよねー。そのとき助けてくれたのがブレンとスキルだったの。2人ともすごく怒ってたなぁ。元々あの2人って貴族が好きじゃなかったから余計にね」

 その光景を思い出したのかくすくすと口元に手を当てて笑う。

「騙されたことがわかって、当時はすっごく辛かったけど、今はもう笑って話すことができるんだ。これは乗り越えた証拠なんだって思ってる。レイピアもいつか、そうなる日が来るといいね」

 胸が詰まる思いだった。
 辛かったことを、何でもないという風に笑って話す。気丈に振舞うシアにたまらなくなって。

「そうね…。そうなる日が来るといいな…」

 時間が経てばなんとかなるものよとシアは穏やかに笑う。

「シアは強いのね」

 シアの肩に頭をもたせかけた。

「ふふ、やだレイピアったら~。酔っ払ってるの? なんか、かわいいぞ」

 くすくす笑いながら、目元を綻ばせた。そうして母親がするみたいにレイピアの頭をやさしく撫でた。身じろぎすることもなく大人しく受け入れている。

「これからレイピアはどうするの? どうしたいの?」

「私は…」

 考え込むように間を空け、やがて少し苦しそうな表情でつぶやく。

「私はピンクダイヤモンドを取り返したい……。たぶんこれが、今の私のたった1つの目的」

 シアはそのレイピアの様子がひどく追い詰められているように感じてならなかった。今のレイピアはピンクダイヤを取り戻すことしか頭にない。いや、そのことしか考えないようにしている。前々からそういった傾向はあったけれど、今日は特にそれが強く現れているように思える。
 そうすることで他のことを何も考えまいと心を守っているのかもしれない。

 だが――もしピンクダイヤを取り返したら、レイピアはどうするのだろうか?
 彼女の心はどうなってしまうのだろうか?
 シアにはそれが気がかりでならなかった。

「これだけは覚えといて。私はレイピアの味方だっていうこと。たとえ―――ピンクダイヤモンドを賭けた勝負が終わったって…私はあなたの友達」

 レイピアはしばらく答えなかった。間を空けて――やがてポツリとつぶやくように言った。

「ありがとう……シア…」

 シアの肩に顔をうずめた。
 だから、シアは気がつかなかった。レイピアの瞳が微かに翳りを帯びていたことに。


***


「最初は騙すつもりだった」

 あの日、全ての真実をスキルに語った後ユーザはその言葉をつぶやいた。
 微かにスキルは顔を上げ、彼を見た。その表情は何の感情も映さず、そこからは何も読み取ることができなかった。

「セレイラの街に着いたら、あいつを売り飛ばすなりなんなりして金を稼ぐつもりだった。けど――あいつはいつの間にか、どんどんと俺の中に入り込んできやがった。純粋で、屈託ない性格に癒されていたのかもしれない――いや、事実癒されていたんだろうな」

 スキルは静かに、その言葉を聞いていた。

「初めて、誰かを幸せにしてやりたいと思った。この血に染まった手でも、あいつ1人くらい幸せにしてやれると思っていた……。だが、やはり罪人は罪人でしかないということだ。汚れきった手が洗い流せるはずがなかった。もう、どう足掻こうとも抜けられない蟻地獄に陥っていたんだ」

 その表情が苦渋に満ちたものへと変わった。やがてユーザは俯かせていた顔を上げてスキルを見、ポツリとつぶやく。

「お前は――同業者の臭いがする」

 スキルは頷いてみせた。やはり、同業者にはわかってしまうのだ。何気ない仕草や雰囲気から嗅ぎ取れる何かが滲み出ているのかもしれない。
 隠すつもりはなかった。

「ああ、俺もあんたと同じように盗賊だ」

「そうか…。やめられるのなら今のうちにやめることだな。いつか俺のようにそのツケを払う日が来る」

 重い言葉だった。
 実際に大きな代償を支払う経験をした者だけが語ることのできる、言葉。



 レイピアが塞ぎこんでテントに引きこもっている頃、スキルは公演のために忙しく動き回っていた。
 スキルはここ数日間で、レイピアへの思いが止められないくらいに強く成長したのをはっきりと自覚していた。シャンナリーやかつて関係を持ったことのある女性達に抱いた軽い思いではなく、今まで他の誰にも抱いたことがないくらいの強い思い。

 愛しいという思い。
 離したくないという思い。

 その思いを自覚している以上、レイピアが気がかりではないと言ったら嘘になる。しかし、今はしばらくそっとしておいた方がいいような気がした。
 彼女はユーザと一緒に行く道を選ばなかった。けれどもそれで気持ちの整理がついたかというと――答えは、否。

 2年の歳月は決して短くない。
 2年間心を占めていた苦しみから解放されたからといって、すぐに気持ちを切り替えることなどできないだろう。
 だが、スキルに時間がないのもまた事実だった。
 勝負の終わる期日は確実に近づいてきているのだから。

 スキルは1つの覚悟を決めると、父であるヴォルクの元に向かった。



「父上、話がある」

 ステージでのリハーサルを終え、一息ついているところを見計らってヴォルクに声をかけた。
 ヴォルクはそのただならぬスキルの雰囲気に眉をひそめた。

「おう、どうした? 改まって」

 単刀直入に用件を切り出す。

「俺に団長の座を譲ってほしい」

 一瞬、父は呆然とした表情をしたものの、次の瞬間には満面の笑みを浮かべてバシバシとスキルの背を叩いた。

「お前…そうか! とうとう決心してくれたか。で、いつからだ?」

「今すぐにでも。といっても今日は無理でしょうから明日にでも式を行なって欲しい」

 そのスキルの急すぎる申し出に、さすがのヴォルクも目を丸くする。普通、こうした団長交代には最低でも5日ぐらい準備期間を設けた後に式を行なうものである。

「明日ぁ!? そりゃまたずいぶんと急だなぁ」

「無理は承知の上ですよ。今回は少し時間がなくてね」

 いつになく焦った様子のスキルに珍しい物を見たとばかりに、ヴォルクはにやにやと口元を歪める。
 こういう表情を浮かべているところはひどく似ている親子である。

「ふうん、まあ息子のワガママを聞いてやるのもパパのお仕事ですしね? いいぜ、明日に決定だ」

「ありがとうございます」

 頭を下げるスキルにヴォルクは手を振る。

「よせよせ。もともとこっちが先に無理言ったんだ。まあ、これで俺も無事にソアラとラブラブ旅行に行けるわけだ。いやー妹ができちゃうかもね、スキル君」

 冗談とも本気とも取れないヴォルクの言葉にスキルは呆れ返ってため息をつく。親の赤裸々な話とか全く聞きたくない。気持ちが悪いにもほどがあるし止めてくれとも思う。

「いい年して…。20歳以上も年の離れた妹なんて冗談じゃない。大体何で妹って決まっているんですか」

「そりゃあ娘の方がかわいいからに決まっているじゃないか。素直に喜ぶとかできないもんかね。一体いつからこんな風にかわいくなくなっちまったのかねえ?」

 頭を抱えられて、こめかみのあたりを拳でぐりぐりとされた。それを半眼で鬱陶し気に手で払いのける。

「なんせ父上の子供ですからね。その時点でかわいくないのは決定していますよ」

「まー。ほんっとかわいくないクソガキですこと。髪の毛の色と目元がソアラに似てなかったら愛の百叩きの刑に処すのに。あーあ、パパはこんなスレまくったクソガキじゃなくってかわい~い娘が欲しかったなぁ~」

 もちろん俺に似て愛らしい子がいいなぁとつぶやいた。
 父上に似ている妹なんて不気味すぎるだろ、その言葉を何とか飲み下し、聞き流した。




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