盗賊と領主の娘

倉くらの

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第11章 過去との決別

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「な……」

 なぜ?
 なぜあなたがここに?

 そう言いたいのに言葉は出てこなくてただ掠れた声でうめくだけだった。頭の中は真っ白になって、体に力が入らない。
 レイピアは目を見開いたまま、ただユーザの顔を見つめることしかできずにいた。

 ユーザの姿は前よりも体つきが逞しくなったように感じる。2年前よりも少し短くなった髪の毛。何よりも印象が変わってしまったのはその顔。左の目元には短剣のようなもので切られた傷跡がある。

 彼はレイピアと目が合うとにやりと笑った。獲物を追い詰めた野性の獣のような笑みで。
 その笑みはレイピアに懐かしさよりも恐怖を与えた。

 ユーザがここに来た理由。
 そんなことは考えればすぐにわかる。なぜもっと早くに気がつかなかったんだろう。
 ―――彼は自分を殺しに来たのだ。あの時できなかった止めを刺しに。
 手足が痺れ、体が震える。

「は、離して…っ」

 レイピアは両腕でもがき、ユーザの拘束を解くとその体を思いっきり突き飛ばした。けれども彼女の力ではたいしたダメージにはならず、少しよろめく程度にしかならなかった。何とか震える膝を立たせて、ゆっくりと後ずさりしながら彼との距離を取る。

「わ…私を殺しに来たの…?」

 声が震え、まるで別人のような声になる。
 その問いに微かにユーザの瞳が暗くなったような気がした。

「馬ァ鹿、違う。迎えに来たんだ」

 そう言ってレイピアの前にゆっくりと手を差し伸べる。
 『来いよ、レイピア』
 あの日、レイピアの前に手を差し伸べてくれたユーザの姿と重なる。一瞬、時が戻ったのかという錯覚さえ起こる。そんなことあるはずがないのに。
 あの頃には決して戻れないのだから。

「迎えに? 嘘、嘘ばっかり。私は…そんなに愚かじゃない。何度も騙せると思わないで…」

 言葉とは裏腹に、口調は限りなく弱々しかった。ユーザは焦れたように半ば強引にレイピアの手を取り自らの方へ引き寄せようとする。

「離せっ! 私に…私に触らないで!!」

 レイピアはその手を振りほどき、駆け出した。

 同じだ。
 あの時と全く同じ。
 違うのは雨が降っていないことと、ユーザがまだ短剣を手にしていないことだけ。しかしそれも時間の問題だった。彼の腰のベルトには短剣と長剣が1本ずつ差し入れてあった。抜くのは容易いだろう。
 また何もできないまま、背中を刺されるのだろうか? いや、今度こそ心臓を刺されるに違いない。

 嫌だ。
 そんなのは嫌だ!
 自分はもうあの時のように何が起きたのかもわからず、ただ震えて逃げ回っているだけの人間ではないはずだ。
 このままでは駄目。
 いつまでも逃げていては駄目だ。立ち向かわなくては…。

 できるのだろうか、彼を相手にそんなことが。
 いや、やらなくてはならない。

 レイピアは荒い息のまま自分のテントに滑り込んだ。中に入りチェストの上に置いていた短剣を手に取る。一度はスキルに取り上げられてしまった短剣だったが、必死に頼み込んだら返してくれたのだ。団員たちに刃を向けないという条件付きで。
 追いかけるようにしてテントの中に入ってきたユーザに、真っ直ぐその短剣を向ける。

「何のつもりだ?」

 レイピアの手に握られたその短剣を見たユーザの目が細くなる。

「これ以上近づかないで、外へ出て。そうしなければ刺すわ。本気よ…」

「やめろ、レイピア。手元が震えてるぜ?」

 そう指摘されカッと頬が熱くなる。

「うるさい! 早く…っ今すぐ出て!」

 手にした短剣に力を込める。レイピアは本気だった。これ以上ユーザが近づくつもりなら刺すことも躊躇いはなかった。
 胸の中にどす黒い感情が生まれる。
 奥底にしまい込んでいた感情、憎しみだ。

 セレイラの街を出た頃は復讐のためにユーザを探した時期もあった。自分が傷つけられた分だけ彼にも同じ思いをさせるために。けれどそれがどんなに虚しいことかわかっていたから、彼を追いかけることを諦めた。彼のことも、胸にチリチリと疼く憎しみも忘れてしまおうと思っていた。
 それなのに―――。

 ユーザは両手を上げて降参の印を示すと入り口に向かって歩き出した。その後にレイピアも続く。これからどうするべきなのか考えているとふいに足を止め、振り返ったユーザが口を開いた。

「変わったなレイピア」

「…変わった? 私が?」

 じっとレイピアを凝視するように開いていたタイガーイエローの瞳がゆっくりと細まった。

「ああ、綺麗になった」

 ユーザの言葉にわずかにレイピアは動揺し、短剣を持つ手が震えた。その隙を見逃すような男ではなく、すばやく短剣を片手で抑えた。カランと音を立てて短剣が地面に落ちる。そして空いている方の片手で銀の髪の毛を一房掴んだ。あの時ユーザに切られて短くなった髪の毛は2年の歳月を経て再び背中の辺りまで伸びていた。
 髪の毛を梳き上げる仕草は残酷なまでにやさしかった。
 キリ、と唇を噛み締めてタイガーイエローの瞳を睨みつけた。

「それに、昔はこんな顔しなかった」

 ユーザの手が髪の毛から頬へと移動する。

 2年の歳月でユーザの容姿が変わったように、レイピアもまた変わった。
 幼さを残した無垢な顔立ちは成熟した女性のものへと変わっていたし、性格もまた同様だった。
 素直だった性格は、すっかりとひねくれたものになってしまった。
 冷ややかに相手を笑い飛ばすことは難なくできても、はにかむようにして笑うことなどもうできそうにないと自分自身自覚していた。

「そうでしょうね、あなたの知っているレイピアはこんな風に憎しみに満ちた表情なんてしなかったでしょうね」

 ユーザの手を振り払うと、吐き捨てるようにして言い放った。
 感情が高ぶり、激情が溢れる。

「変わらなかったら生きていけなかった! あなたを憎んで、憎んで、憎まないと生きていけなかったのよ!!」

 そこまで言うと幾分か冷静さを取り戻したらしいレイピアは、声のトーンを落として言葉を続ける。

「今さら何の用があるっていうの。私を殺して保険金を取る? それとも人質にして身代金でも要求するおつもり?」

 その声は冷ややかなものだった。
 ユーザの瞳が暗くなる。傷ついた少年のようにひどく幼く見えた。

「レイピア…」

「今度はそうはいかない。あなたの思い通りになんてさせない…っ!」

 レイピアはすばやく短剣を拾い上げると、そのまま彼に向けて一閃する。しかし寸での所で避けられてしまい僅かに服を裂く程度だった。

「剣を抜きなさいユーザ! 私だってただでは殺されてやらないわ」

 レイピアに剣を教えたのはユーザだ。
 いくつもの実戦を積み上げ何人もの人間を斬り殺してきた彼と、レイピアの腕では天と地ほどの差がある。その上右手がまだ完治していない状態なのだ。勝ち目など最初からあるはずがない。
 それでもこのまま大人しくしているわけにはいかなかった。

「俺の話を聞けって言っても、無理みたいだな」

 その様子を見て、諦めたようにため息をつくとユーザは腰の短剣を引き抜き、真っ直ぐレイピアの方に向けた。

「俺が手加減できない性格なの知ってるよなァ? レイピア。覚悟は、いいのか?」

 一言、一言区切るようにしてゆっくりと言う。
 短剣を手にしたユーザの顔つきが変わる。野性の狼のような獰猛な顔。
 背筋に恐怖が走り、ごくりと白い喉が上下する。それでも瞳だけは真っ直ぐ睨みつけ、ユーザに動揺を気取られないようにした。

「もちろんよ。私と戦って、勝ったら殺すなりなんなり好きにするといいわ」

「そうかい。俺もそっちの方が話が早くていい」

 短剣の切っ先をペロリと舐めると薄く笑った。

「行くぞ!」

 ひゅっと空気が切れる。
 次の瞬間には刃と刃がぶつかり合うキィンという金属音。レイピアは最初の一撃を短剣によって辛うじて受け止めたが、勢いが殺しきれずに衝撃を負い2、3歩後退する。テントの中はあまり動けるスペースがなくこの2、3歩はかなり不利になる。

「そんなもんか!? お前の腕は!」

 手加減はできないと言いつつ、彼が本気を出していないことは明白だった。彼の腕ならば最初の一撃でレイピアを吹き飛ばすことなど軽いだろう。けれどユーザはあえてそれをしなかった。レイピアの攻撃を最小限度の力で受け流し、弱った獲物を相手にするようにじりじりと追い詰めていく。
 そんな状態だったから真っ先に息があがったのはレイピアだった。

「まだよっ!」

 荒い息をしながらも短剣を握る手は決して緩めなかった。しかし次にレイピアが攻撃をしかけた瞬間、右腕が疼いた。痛みに似た疼き。ライによって負った怪我の部分。反射的に右腕は痛みを和らげるためにその動きを鈍らせる。短剣の動きもそれに伴って鈍る。

「遅いっ!」

 間合いを一気に詰めたユーザは柄でレイピアの短剣を弾き飛ばすと、そのままレイピアの腕をからめとって体ごと地面に叩きつけた。

「きゃあ!」

 受身を取ることもできずまともに背中から叩きつけられ、一瞬呼吸が止まる。

「ゲホ…っ」

 体を折り曲げるようにして咳き込む。
 レイピアの手から離れた短剣はカラカラと地面を滑るようにして手の届かないところまで行ってしまった。なんとか体を起こそうと試みたが、ユーザによってあっさりと押さえつけられ叶わなかった。

「俺の、勝ちだな」

 そう言って薄く笑った。
 タイガーイエローの瞳が薄暗いテントの中でさえギラギラと光っていた。

 ぜえぜえと荒い息をしているレイピアに対してユーザは呼吸一つ乱していない。傷一つつけるどころか、呼吸すら乱させることができなかった。

 悔しかった。
 何一つ彼に敵わないのだ。
 彼と離れてから約2年、1人で生きていけるように必死になって剣の腕をあげた。それ以外レイピアがすがりつくものは何もなかったから。全てを忘れるようにそれに打ち込んだ。

 それなのに、この結果。
 惨めでたまらなかった。

「俺が憎いか?」

 ユーザはレイピアを組み敷いた体勢のまま静かに問い掛けた。

「憎い…憎いわ」

 一瞬ユーザの瞳が揺らいだように見えた。
 しかしすぐに心底可笑しそうにくく、と喉の奥で笑った。

「何がおかしいの」

「俺を愛しているからこそ憎いんだろう?」

 その言葉にレイピアは弾かれたようにユーザを睨みつける。

「何を言って…っ! 愛してなんて! 愛してなんていない!」

 胸にあるのはギリギリと締め付けられるような憎悪だ。それ以外の感情などあるはずがない。

「そんなくだらない質問をするために来たの? 違うでしょう。…さっさと殺しなさい」

 レイピアは全てを諦めたようにだらりと両手の力を抜いた。目を固く閉じ、やがてくる心臓への衝撃に備えた。

 私が死んだら悲しむ人がいるかしら?
 そう考えて、リグとシアとソアラなら涙を流して悲しんでくれるかもしれないと思った。

 あの人は?
 スキルはどうだろう―――。
 少しは悲しむだろうか? いや、もしかしたら心の奥で喜ぶかもしれない。
 ダイヤを取り返そうとしつこいぐらいに追っかけてくる女がいなくなるのだから。清々するに違いない。そう考えたらひどく胸が痛んで、潰れそうになった。
 つー、と溜まった涙が流れる。

 その涙が拭い取られる。
 不審に思ったレイピアがわずかに目を開けるが視界は覆われていた。近づいたユーザの顔がそのままレイピアの唇を塞いだからだ。

「……っ!」

「…殺すために来たわけじゃない」

 唇を離したユーザが静かに言葉を紡いだ。

「迎えに来たんだ」

 レイピアは目を見開く。
 唇を震わせて掠れた声を出す。

「嘘だ! そんなの…そんな嘘に騙されないわ…今さら、今さらっ……!」

 首筋に下りた唇がレイピアの言葉を遮る。ユーザの意図するところを察し、手足を動かし抵抗する。

「やめてっ! 離せっ! 離しなさいユーザ」

 レイピアの抵抗も虚しくユーザは首筋を吸い上げ、白い肌に赤い痕を残す。まるで自分のものであることを主張しているかのような印。

「レイピア…」

 切なげな吐息をもらすとレイピアを抱きしめた。




「そこまでにしておいてもらおうか」

 冷ややかで、それでいてぞっとするような声音が背後から響いた。
 ユーザが振り返ると、そこにはテントの幕をすくい上げるようにして手に持ったスキルが立っていた。






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