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第10章 2年前の、あの日
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アルジェリカ達の一件があって以来、ユーザが考え込むことが多くなった気がする。
冒険に出ているときも、食事をしているときも、レイピアが話し掛けているときもどこか上の空でぼんやりしている。
それが気のせいでないことが確信できたのは、ユーザの元に送られてきた一通の手紙だった。
真っ白な封筒には宛先しか記載されておらず、差出人は不明。
その手紙を読んだユーザは顔を強張らせた。レイピアがその手紙を覗き込もうとすると、見る前にポケットの中にしまい込んでしまった。
結局その手紙には何が書いてあるかわからなかったけれど、それからというもの彼はますます難しい顔をして考え込む日々が続き、漠然とした不安が胸をかすめた。
「レイピア。俺は冒険者を辞めようと思っている」
ある日突然ユーザの口から発せられた言葉に、最初それが何を意味しているのか理解できなかった。
冒険者を辞める?
辞めて一体どうしようというのか。
「一体どうして辞めるなんて?」
「俺だけじゃなくお前も冒険者を辞めるんだよ。この街を出てどこか小さい村に移って2人で暮らさないか」
「え…?」
目を瞬かせて、ユーザを見る。彼は照れたように頭をかいて、おもむろにズボンのポケットから小さい箱を取り出した。
「鈍いな。お前ってハッキリ言わないと駄目なんだろうな…」
ユーザがその小さい箱を開くと、中には銀の指輪が輝いていた。
結婚を申し込むときには、飾りも何もついていないシンプルなデザインの銀の指輪を相手の指にはめることがホットリープ地域の古くからの風習だ。
求婚された者はそれを拒否するならば指輪を地面に落とす。
受け入れるならば指輪にキスを落とす。
「俺と結婚して欲しい」
「――――…!」
その指輪はピッタリとレイピアの指にはまった。呆然と見ていたレイピアだったが、やがてゆっくりと行動を起こす。
答えは迷うはずもなく決まっている。
そっと銀の指輪に口づけた―――それは求婚に答えるという証。
「ありがとう…ユーザ」
幸せいっぱいの笑顔を浮かべる。
あの不安はきっと気のせいだったのだ。
こんなにも幸せなのだから。
「俺はこれから最後の冒険に行ってくる。これが終われば全て終わる」
そう言って空を仰ぎ見るユーザの瞳には決意めいたものが宿っていた。
「最後の冒険…? どこに行くの」
「盗賊退治、そんな類のものだ」
「もちろん私も連れて行ってくれるのよね?」
レイピアの問いにユーザは静かに首を振り、「お前は連れて行かない。ここで待っていてくれ」ときっぱりと言い切った。
「どうして!?」
「お前を危険な目にあわせたくないんだよ…。それに、これは俺のケジメでもあるんだ」
ハッとレイピアは顔を上げた。
『俺は、お前にまだ言ってないことがある。でも、今はまだ言えない…言えないんだ……』
そう言って苦しげな表情をしていたユーザの姿を思い出した。
もしかしたら彼の言うケジメとは過去の清算なのかもしれない。
レイピアの知らない、ユーザの過去。
「ユーザ…」
「昔の俺はお前に言えないような汚いこともたくさんやった。この手は血で真っ赤に染まっている。そんな過去の姿をお前には見られたくない…わかってくれ」
辛そうなユーザの表情に心が揺れたが、それでも首を横に振ってここで待つことを拒否した。
「私はそれでもいい! ユーザの手が血に染まっていても…結婚したいと思ってる。それでも連れて行ってはくれないの?」
彼の過去がどうであれ、関係ない。そう思っているのに肝心のユーザ本人が頑なにレイピアに過去を知られることを拒んでいる。いや、恐れていると言った方が正しいだろうか。
いつか彼の方から話してくれる日を待とうと思っているけれど、結婚の申し込みをした今でさえ話してくれようとはしない。
それがひどく悲しかった。
レイピアの覚悟を知ったユーザはしばらく考え込んだ後、観念したようにつぶやいた。
「わかった。お前がそう言うなら来いよ」
***
セレイラの街から2時間ほど歩いた場所。
そこには何軒かの家が立ち並び集落になっていた。その家はいずれも壁が崩れ落ち、窓は割れていてまともな家が一軒も見当たらない。
人の気配は全く感じられず、生活感もないことから廃墟であることが容易に想像がついた。
歩くたびに枯れた草がカサカサと揺れる。
空を見上げるとどんよりと黒い雲に覆われていて今にも雨が降りそうで、それがまた不気味な雰囲気を漂わせている。
「ここが本当に盗賊達のアジトなの?」
不安を覚えたレイピアはおずおずとその疑問を口にする。ユーザはしーっと口元に人差し指を当てると辺りに人がいないか確認し、声をひそめてレイピアの疑問に答える。
「これは見せかけだ。こうして廃墟の状態なら誰も近づかない。自警団の連中もまさかこんなところに盗賊達がひそんでいるとは思いもしないからな…」
セレイラの街には治安維持を目的とした住民組織の自警団が存在している。そうして街で起こる犯罪の対処を行なっている。またこの組織は冒険者ギルドとも通じていて、犯罪者を捕まえるために賞金をかけることによって冒険者にも協力を求めているのだ。
レイピアとユーザの今回の目的も盗賊達を自警団へ引き渡すためにある。
「奴らは廃屋の地下にいる」
ユーザはまるでここに何度か来たことがあるような慣れた足取りで、一軒の家に近づくと、半分朽ちた木の扉を軋ませながら開き、注意を払いながら中に入る。
レイピアもその後に続いた。
かび臭さと湿気が中にはたち込めていて、顔をしかめ左手で鼻を押さえる。空いている方の右手はいつでも抜けるように腰に差した剣に添える。
「いくぞ、レイピア」
少しだけ振り返ったユーザに頷いてみせる。
それが合図。
腰に差した剣を引き抜くと、2人は一気に地下室へ続く階段を駆け下りて中へと滑り込むようにして入った。その地下室は大広間のような広い造りになっていて、中に何人も男達が椅子に座って酒を煽っていた。
「全員動くな!」
ユーザは地下室全体に響くような大声を出した。
男達は酒を飲んでいるせいもあってか、状況が理解できずに呆然と椅子に座ったままユーザとレイピアの方を向いた。
レイピアはその男達の中にオリバの姿を見つけ、目を見開いた。左手首を失い、その部分を包帯でぐるぐる巻きにしているが間違いない。
「オリバ…」
ユーザもそれに気がついたようだったが、その顔には驚きの色はない。
最初から彼がここにいることを知っていたような、そんな表情だ。
やはりオリバとユーザの間には何かあるのだ。
ただの知り合いではない、何かが。
アルジェリカの姿は見えないが、彼女もまたユーザとの間に深い関わりがあるのだろう。
今まで考えないようにしていたことが、レイピアの中で漠然とした思いながらも形成され始めた。
もしかしたらユーザは―――。
「ユーザさん…」
オリバは椅子から立ち上がり、ユーザの手にしている抜き身の剣を見て険しい表情をした。
「まさか俺達を売るつもりか?」
その言葉に周りにいる男達もざわめく。「まさか!」「そんなはずはない!」そう言いながら。
「いつから自警団の犬になった!? あんたは…」
「黙れ!」
オリバの声を遮るように怒鳴ったが、それでもオリバは続けた。
「俺達を…仲間を売るというのか!」
「やめろぉ!」
しん、と一瞬地下室が静まり返った。
「仲間……」
愕然としてレイピアはつぶやいた。
考えまいとして必死で胸の中にしまいこんでいた考えが的中してしまった。もしかしたらユーザは―――アルジェリカとオリバの仲間だったのではないかと。
クク、と心底楽しそうにオリバは笑う。
「そうさ、俺達の仲間なんだよ。もう10年ぐらい昔からな――――うぐっ」
「黙れって言ってるだろうが!」
ギリ、とユーザはオリバの首を左手で締め上げ、右手にしていた剣で一気にオリバの腹部を貫いた。ボタボタと血が流れ、ユーザの服もまた返り血で真っ赤に染まる。
「正確に言うと仲間だった…だ。過去形なんだよ」
ユーザは懐から手紙を取り出すと腹を押さえてうめくオリバの目の前で破り捨てた。彼の元に送られてきた差出人不明のあの手紙だ。
「こんな手紙をよこしやがって…悪いが俺はもうお前らと行動を共にする気はない。もう2度と干渉して来ないのなら見逃してやる」
氷のように冷たい声だったが、そこにはまだかつての仲間に対しての思いが残っているように感じられた。あくまでも自分に干渉さえして来なければ自警団に突き出す気はない、と。最後の警告だ。
「ククク、フフ…ハハハ!」
血溜まりの中でオリバは狂ったように笑い始めた。
「何がおかしい?」
「俺達から離れて…その女と幸せになるとでも言うつもりか?」
「そのつもりだ」
ユーザの答えに今度は嘲るように喉の奥で笑う。
「そんなこと本当にできるとでも思っているのか? 血に染まったその手が今さら洗い流せるとでも思って…っがぁ!?」
ぞぶり。
オリバの腹に突き刺していた剣を抜いて再び突き刺した。致命傷になる位置、心臓へ。
ユーザの動きにためらいは微塵も感じられなかった。
「喋りすぎだ」
吐き捨てるように言い放ったその口調は驚くほど冷たくて、もはや何の感情もこもっていない。かつての仲間に対しての思いも、もはや存在しない。
「がはっ。馬鹿なことを…。所詮悪人は悪人でしかないのさ。幸せなんか訪れやしない。……、……っ」
最後の方の言葉はよく聞き取れなかったが、オリバがユーザの耳元に顔を寄せて何かをつぶやいた。それが彼の最期の力だったのだろう。ニヤリと背筋がぞっとするような笑みを浮かべて絶命した。
呆然としたように立ち尽くすユーザは口元に手を当て、顔を蒼白にしている。
「ユー…ザ?」
レイピアが手を伸ばすとユーザはそれを乱暴に振り払い、手にしていた剣の柄を思い切り握り締めた。
「くそっ…。何だと? ……ちくしょうっ! ウアアァァァァ!!」
突然ユーザは血に濡れた剣を闇雲に振り払い、近くにいた男を斬り捨てた。
抵抗らしい抵抗を見せない男達を2人、3人と次々にその手にかける。人を斬ったために刃こぼれが生じているにも関わらず力まかせに剣を振るう。その切れ味の悪さから一撃で絶命できない者が苦しみにのたうち回った。
転がった瓶から漂う酒の臭いとむせかえるような血の臭いが入り混じる。
地獄絵図のような光景だった。
なぜこんなことになったのだろう?
オリバは最後に何を言ったのだろう?
レイピアはユーザを止めることもできず、ただ恐怖に震えてその場に立ち尽くすことしかできなかった。
***
雷鳴と共に雨が降り出す。
滝のような雨は返り血に染まった2人の体を洗い流すが、心に残った苦々しさだけは洗い流すことができなかった。
セレイラへ帰る道のり、レイピアもユーザも何も喋らなかった。
何も映さない虚ろになったユーザの瞳を見て、掛ける言葉が見当たらなかったのだ。
あの後、生き残っていた何人かの盗賊達を柱に縛り付けて、レイピア達はギルドへ報告するために帰ることにした。
生き残った、とは言っても剣による傷を受けていて重症を負っている者達ばかりだったが。
セレイラの街まであと少しという場所に差し掛かった。
ふいにレイピアの髪の毛が掴まれ、ザクリという音と共に雨の中に散った。背中まで伸ばした銀色の美しい髪の毛が肩の辺りまで切られたのだ。
「な、何を…?」
頭が真っ白になりながら振り返って見ると、ユーザは短剣を手にしていて、その短剣の切っ先をレイピアに向けた。
驚愕に目を見開く。
「ユーザ…どうして?」
なぜ彼がこんなことをするのか。
信じられない思いで見つめるが、ユーザは何も答えなかった。代わりに暗い闇の中にタイガーイエローの瞳だけがギラギラと光っていた。
振り上げられた短剣を見て、とっさに左に避ける。
少しだけ右腕が切れ細い糸のように血が流れた。
殺…され…る?
本能的にそう感じた。
逃げなくては、殺されると。
レイピアは背中を向けて逃げ出した。
雨を含んだ服は何倍にも重くなってレイピアの動きを阻むが、それでも必死に逃げた。ユーザが追いかけてくる気配が背中越しに感じられる。
「嘘だ…何でこんなことに……」
これは夢?
悪い夢でも見ているのだろうか……?
銀の指輪を見る。間違いなくその指輪はレイピアの左薬指で静かに輝いていた。どこからが現実でどこからが悪夢なのかレイピアには判別がつかなかった。
照れたように結婚を申し込んできたユーザ。
あれは、何だったのだろう。
あれすらも夢だったのだろうか。
わからない。
何もかもわからなくなってしまったけれど、ただひたすら走った。逃げるために。
しかしレイピアの足ではユーザから逃げきれるはずもなかった。
突然後ろから突き飛ばされたような衝撃が走り、雨でどろどろになった地面に勢い良く倒れこんだ。遅れて背中に痛みが生じる。
「アア…っ」
背中に突きたてられた短剣を肩越しに見つめて、悲鳴を上げた。傷口からは真っ赤な血が雨と共に地面へと流れ込んでいる。
「悪いな、レイピア」
レイピアが力を振り絞って顔を上げると、口元に薄笑いを浮かべているユーザの顔が見えた。
その笑みはどんな鋭い短剣よりもレイピアの心をずたずたに傷つけた。暗くてよく見えないけれど、きっとユーザの瞳は氷のように冷えきっているのだろう。
やがて彼は踵を返してゆっくりと歩き出した。
「ユ…ザ……」
なぜ? どうして?
そう言いたいのに声は出なくて、右手を伸ばす。けれどその手は歩き出したユーザには届かない。
「………」
背中を向けたままユーザは足を止めて何かをつぶやいた。
「聞こえ…な……い」
滝のような雨はユーザの言葉をかき消し、やがて姿すらも消し去った。
凍るように冷たい雨の中、レイピアは動くこともできずその場にうずくまってゆっくりと目を閉じた。
これは悪い夢なんだ…。
次に目が覚めた時にはきっとこの悪夢は終わっているのだ。
「悪い夢でも見たのか?」そう言って笑うユーザの姿がある。そしていつもの日常が始まる。
そう信じたい……。
アルジェリカ達の一件があって以来、ユーザが考え込むことが多くなった気がする。
冒険に出ているときも、食事をしているときも、レイピアが話し掛けているときもどこか上の空でぼんやりしている。
それが気のせいでないことが確信できたのは、ユーザの元に送られてきた一通の手紙だった。
真っ白な封筒には宛先しか記載されておらず、差出人は不明。
その手紙を読んだユーザは顔を強張らせた。レイピアがその手紙を覗き込もうとすると、見る前にポケットの中にしまい込んでしまった。
結局その手紙には何が書いてあるかわからなかったけれど、それからというもの彼はますます難しい顔をして考え込む日々が続き、漠然とした不安が胸をかすめた。
「レイピア。俺は冒険者を辞めようと思っている」
ある日突然ユーザの口から発せられた言葉に、最初それが何を意味しているのか理解できなかった。
冒険者を辞める?
辞めて一体どうしようというのか。
「一体どうして辞めるなんて?」
「俺だけじゃなくお前も冒険者を辞めるんだよ。この街を出てどこか小さい村に移って2人で暮らさないか」
「え…?」
目を瞬かせて、ユーザを見る。彼は照れたように頭をかいて、おもむろにズボンのポケットから小さい箱を取り出した。
「鈍いな。お前ってハッキリ言わないと駄目なんだろうな…」
ユーザがその小さい箱を開くと、中には銀の指輪が輝いていた。
結婚を申し込むときには、飾りも何もついていないシンプルなデザインの銀の指輪を相手の指にはめることがホットリープ地域の古くからの風習だ。
求婚された者はそれを拒否するならば指輪を地面に落とす。
受け入れるならば指輪にキスを落とす。
「俺と結婚して欲しい」
「――――…!」
その指輪はピッタリとレイピアの指にはまった。呆然と見ていたレイピアだったが、やがてゆっくりと行動を起こす。
答えは迷うはずもなく決まっている。
そっと銀の指輪に口づけた―――それは求婚に答えるという証。
「ありがとう…ユーザ」
幸せいっぱいの笑顔を浮かべる。
あの不安はきっと気のせいだったのだ。
こんなにも幸せなのだから。
「俺はこれから最後の冒険に行ってくる。これが終われば全て終わる」
そう言って空を仰ぎ見るユーザの瞳には決意めいたものが宿っていた。
「最後の冒険…? どこに行くの」
「盗賊退治、そんな類のものだ」
「もちろん私も連れて行ってくれるのよね?」
レイピアの問いにユーザは静かに首を振り、「お前は連れて行かない。ここで待っていてくれ」ときっぱりと言い切った。
「どうして!?」
「お前を危険な目にあわせたくないんだよ…。それに、これは俺のケジメでもあるんだ」
ハッとレイピアは顔を上げた。
『俺は、お前にまだ言ってないことがある。でも、今はまだ言えない…言えないんだ……』
そう言って苦しげな表情をしていたユーザの姿を思い出した。
もしかしたら彼の言うケジメとは過去の清算なのかもしれない。
レイピアの知らない、ユーザの過去。
「ユーザ…」
「昔の俺はお前に言えないような汚いこともたくさんやった。この手は血で真っ赤に染まっている。そんな過去の姿をお前には見られたくない…わかってくれ」
辛そうなユーザの表情に心が揺れたが、それでも首を横に振ってここで待つことを拒否した。
「私はそれでもいい! ユーザの手が血に染まっていても…結婚したいと思ってる。それでも連れて行ってはくれないの?」
彼の過去がどうであれ、関係ない。そう思っているのに肝心のユーザ本人が頑なにレイピアに過去を知られることを拒んでいる。いや、恐れていると言った方が正しいだろうか。
いつか彼の方から話してくれる日を待とうと思っているけれど、結婚の申し込みをした今でさえ話してくれようとはしない。
それがひどく悲しかった。
レイピアの覚悟を知ったユーザはしばらく考え込んだ後、観念したようにつぶやいた。
「わかった。お前がそう言うなら来いよ」
***
セレイラの街から2時間ほど歩いた場所。
そこには何軒かの家が立ち並び集落になっていた。その家はいずれも壁が崩れ落ち、窓は割れていてまともな家が一軒も見当たらない。
人の気配は全く感じられず、生活感もないことから廃墟であることが容易に想像がついた。
歩くたびに枯れた草がカサカサと揺れる。
空を見上げるとどんよりと黒い雲に覆われていて今にも雨が降りそうで、それがまた不気味な雰囲気を漂わせている。
「ここが本当に盗賊達のアジトなの?」
不安を覚えたレイピアはおずおずとその疑問を口にする。ユーザはしーっと口元に人差し指を当てると辺りに人がいないか確認し、声をひそめてレイピアの疑問に答える。
「これは見せかけだ。こうして廃墟の状態なら誰も近づかない。自警団の連中もまさかこんなところに盗賊達がひそんでいるとは思いもしないからな…」
セレイラの街には治安維持を目的とした住民組織の自警団が存在している。そうして街で起こる犯罪の対処を行なっている。またこの組織は冒険者ギルドとも通じていて、犯罪者を捕まえるために賞金をかけることによって冒険者にも協力を求めているのだ。
レイピアとユーザの今回の目的も盗賊達を自警団へ引き渡すためにある。
「奴らは廃屋の地下にいる」
ユーザはまるでここに何度か来たことがあるような慣れた足取りで、一軒の家に近づくと、半分朽ちた木の扉を軋ませながら開き、注意を払いながら中に入る。
レイピアもその後に続いた。
かび臭さと湿気が中にはたち込めていて、顔をしかめ左手で鼻を押さえる。空いている方の右手はいつでも抜けるように腰に差した剣に添える。
「いくぞ、レイピア」
少しだけ振り返ったユーザに頷いてみせる。
それが合図。
腰に差した剣を引き抜くと、2人は一気に地下室へ続く階段を駆け下りて中へと滑り込むようにして入った。その地下室は大広間のような広い造りになっていて、中に何人も男達が椅子に座って酒を煽っていた。
「全員動くな!」
ユーザは地下室全体に響くような大声を出した。
男達は酒を飲んでいるせいもあってか、状況が理解できずに呆然と椅子に座ったままユーザとレイピアの方を向いた。
レイピアはその男達の中にオリバの姿を見つけ、目を見開いた。左手首を失い、その部分を包帯でぐるぐる巻きにしているが間違いない。
「オリバ…」
ユーザもそれに気がついたようだったが、その顔には驚きの色はない。
最初から彼がここにいることを知っていたような、そんな表情だ。
やはりオリバとユーザの間には何かあるのだ。
ただの知り合いではない、何かが。
アルジェリカの姿は見えないが、彼女もまたユーザとの間に深い関わりがあるのだろう。
今まで考えないようにしていたことが、レイピアの中で漠然とした思いながらも形成され始めた。
もしかしたらユーザは―――。
「ユーザさん…」
オリバは椅子から立ち上がり、ユーザの手にしている抜き身の剣を見て険しい表情をした。
「まさか俺達を売るつもりか?」
その言葉に周りにいる男達もざわめく。「まさか!」「そんなはずはない!」そう言いながら。
「いつから自警団の犬になった!? あんたは…」
「黙れ!」
オリバの声を遮るように怒鳴ったが、それでもオリバは続けた。
「俺達を…仲間を売るというのか!」
「やめろぉ!」
しん、と一瞬地下室が静まり返った。
「仲間……」
愕然としてレイピアはつぶやいた。
考えまいとして必死で胸の中にしまいこんでいた考えが的中してしまった。もしかしたらユーザは―――アルジェリカとオリバの仲間だったのではないかと。
クク、と心底楽しそうにオリバは笑う。
「そうさ、俺達の仲間なんだよ。もう10年ぐらい昔からな――――うぐっ」
「黙れって言ってるだろうが!」
ギリ、とユーザはオリバの首を左手で締め上げ、右手にしていた剣で一気にオリバの腹部を貫いた。ボタボタと血が流れ、ユーザの服もまた返り血で真っ赤に染まる。
「正確に言うと仲間だった…だ。過去形なんだよ」
ユーザは懐から手紙を取り出すと腹を押さえてうめくオリバの目の前で破り捨てた。彼の元に送られてきた差出人不明のあの手紙だ。
「こんな手紙をよこしやがって…悪いが俺はもうお前らと行動を共にする気はない。もう2度と干渉して来ないのなら見逃してやる」
氷のように冷たい声だったが、そこにはまだかつての仲間に対しての思いが残っているように感じられた。あくまでも自分に干渉さえして来なければ自警団に突き出す気はない、と。最後の警告だ。
「ククク、フフ…ハハハ!」
血溜まりの中でオリバは狂ったように笑い始めた。
「何がおかしい?」
「俺達から離れて…その女と幸せになるとでも言うつもりか?」
「そのつもりだ」
ユーザの答えに今度は嘲るように喉の奥で笑う。
「そんなこと本当にできるとでも思っているのか? 血に染まったその手が今さら洗い流せるとでも思って…っがぁ!?」
ぞぶり。
オリバの腹に突き刺していた剣を抜いて再び突き刺した。致命傷になる位置、心臓へ。
ユーザの動きにためらいは微塵も感じられなかった。
「喋りすぎだ」
吐き捨てるように言い放ったその口調は驚くほど冷たくて、もはや何の感情もこもっていない。かつての仲間に対しての思いも、もはや存在しない。
「がはっ。馬鹿なことを…。所詮悪人は悪人でしかないのさ。幸せなんか訪れやしない。……、……っ」
最後の方の言葉はよく聞き取れなかったが、オリバがユーザの耳元に顔を寄せて何かをつぶやいた。それが彼の最期の力だったのだろう。ニヤリと背筋がぞっとするような笑みを浮かべて絶命した。
呆然としたように立ち尽くすユーザは口元に手を当て、顔を蒼白にしている。
「ユー…ザ?」
レイピアが手を伸ばすとユーザはそれを乱暴に振り払い、手にしていた剣の柄を思い切り握り締めた。
「くそっ…。何だと? ……ちくしょうっ! ウアアァァァァ!!」
突然ユーザは血に濡れた剣を闇雲に振り払い、近くにいた男を斬り捨てた。
抵抗らしい抵抗を見せない男達を2人、3人と次々にその手にかける。人を斬ったために刃こぼれが生じているにも関わらず力まかせに剣を振るう。その切れ味の悪さから一撃で絶命できない者が苦しみにのたうち回った。
転がった瓶から漂う酒の臭いとむせかえるような血の臭いが入り混じる。
地獄絵図のような光景だった。
なぜこんなことになったのだろう?
オリバは最後に何を言ったのだろう?
レイピアはユーザを止めることもできず、ただ恐怖に震えてその場に立ち尽くすことしかできなかった。
***
雷鳴と共に雨が降り出す。
滝のような雨は返り血に染まった2人の体を洗い流すが、心に残った苦々しさだけは洗い流すことができなかった。
セレイラへ帰る道のり、レイピアもユーザも何も喋らなかった。
何も映さない虚ろになったユーザの瞳を見て、掛ける言葉が見当たらなかったのだ。
あの後、生き残っていた何人かの盗賊達を柱に縛り付けて、レイピア達はギルドへ報告するために帰ることにした。
生き残った、とは言っても剣による傷を受けていて重症を負っている者達ばかりだったが。
セレイラの街まであと少しという場所に差し掛かった。
ふいにレイピアの髪の毛が掴まれ、ザクリという音と共に雨の中に散った。背中まで伸ばした銀色の美しい髪の毛が肩の辺りまで切られたのだ。
「な、何を…?」
頭が真っ白になりながら振り返って見ると、ユーザは短剣を手にしていて、その短剣の切っ先をレイピアに向けた。
驚愕に目を見開く。
「ユーザ…どうして?」
なぜ彼がこんなことをするのか。
信じられない思いで見つめるが、ユーザは何も答えなかった。代わりに暗い闇の中にタイガーイエローの瞳だけがギラギラと光っていた。
振り上げられた短剣を見て、とっさに左に避ける。
少しだけ右腕が切れ細い糸のように血が流れた。
殺…され…る?
本能的にそう感じた。
逃げなくては、殺されると。
レイピアは背中を向けて逃げ出した。
雨を含んだ服は何倍にも重くなってレイピアの動きを阻むが、それでも必死に逃げた。ユーザが追いかけてくる気配が背中越しに感じられる。
「嘘だ…何でこんなことに……」
これは夢?
悪い夢でも見ているのだろうか……?
銀の指輪を見る。間違いなくその指輪はレイピアの左薬指で静かに輝いていた。どこからが現実でどこからが悪夢なのかレイピアには判別がつかなかった。
照れたように結婚を申し込んできたユーザ。
あれは、何だったのだろう。
あれすらも夢だったのだろうか。
わからない。
何もかもわからなくなってしまったけれど、ただひたすら走った。逃げるために。
しかしレイピアの足ではユーザから逃げきれるはずもなかった。
突然後ろから突き飛ばされたような衝撃が走り、雨でどろどろになった地面に勢い良く倒れこんだ。遅れて背中に痛みが生じる。
「アア…っ」
背中に突きたてられた短剣を肩越しに見つめて、悲鳴を上げた。傷口からは真っ赤な血が雨と共に地面へと流れ込んでいる。
「悪いな、レイピア」
レイピアが力を振り絞って顔を上げると、口元に薄笑いを浮かべているユーザの顔が見えた。
その笑みはどんな鋭い短剣よりもレイピアの心をずたずたに傷つけた。暗くてよく見えないけれど、きっとユーザの瞳は氷のように冷えきっているのだろう。
やがて彼は踵を返してゆっくりと歩き出した。
「ユ…ザ……」
なぜ? どうして?
そう言いたいのに声は出なくて、右手を伸ばす。けれどその手は歩き出したユーザには届かない。
「………」
背中を向けたままユーザは足を止めて何かをつぶやいた。
「聞こえ…な……い」
滝のような雨はユーザの言葉をかき消し、やがて姿すらも消し去った。
凍るように冷たい雨の中、レイピアは動くこともできずその場にうずくまってゆっくりと目を閉じた。
これは悪い夢なんだ…。
次に目が覚めた時にはきっとこの悪夢は終わっているのだ。
「悪い夢でも見たのか?」そう言って笑うユーザの姿がある。そしていつもの日常が始まる。
そう信じたい……。
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※なろう様、ノベマ!様でも掲載中です。
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