盗賊と領主の娘

倉くらの

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第10章 2年前の、あの日

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 森の中を素早く歩くのは至難の業である。
 雨上がりなどは特に最悪で、歩くたびに泥が靴の裏に張り付いてくる。草木も湿っていてそこを通るたびに容赦なく服がしっとりと水を含んでいく。

 踵の高くなった靴は長時間歩くために作られたものではない、ましてや森の中をそのような靴で歩くなど論外である。すでにレイピアの足にはいくつものまめが出きてつぶれてしまっている。
 スカートで歩き回っていたため、剥き出しになった部分は草で切れていくつもの傷ができていたし、そのスカートですら泥まみれで見るも無惨な状態。

 ほとんど泣きたい気持ちでレイピアは森の中を歩いていた。
 前を歩く褐色肌の男はレイピアのそんな様子などおかまいなしに、こちらを振り返ることもなくどんどん進んでいく。
 休憩をしたいなんて言ったら呆れられて置いて行かれそうなので、言えるはずもなく必死になって後を追いかける。

 男の名前はユーザと言い、冒険者をしていてそれで生計を立てていると語った。
 それ以外のことは一切語らず、レイピアもあえて尋ねなかった。誰にでも語りたくないことの1つや2つはあるだろうし、自分もまた何が原因で家を飛び出したのか語りたくはなかったから。

 昨日あの後すぐに雨が降り出したにも関わらず、ユーザはホットリープの街を後にした。
 行き先はどこかわからない。
 わからないけれど、黙々と後を追った。
 夜通し歩いていることになる。徹夜をしたことなど初めてで、頭はふらふらして足が痛くてたまらないけれど、何とか気力をふりしぼって歩いた。

 一歩歩くたびにナイフで切られるような激痛が走る。
 ぬるぬると変な感じがする。恐らくまめがつぶれたところから血が出ているのだ。レイピアには傷の具合を確かめる勇気がなくてそのまま我慢して歩いた。

 それから1時間ほど歩き、森が開けたところまで来るとユーザは腰を下ろした。まだまだ森を抜けるまでは時間がかかるのだろう。
 ようやく休憩できる! そう思ってレイピアもそこから少し離れた位置にへたり込む。
 木々の隙間から見える太陽が真上に来ていることから、昼を取るために休憩したのだ。

「あの…私達これからどこへ行くの?」

 おずおずと尋ねたレイピアにユーザは乾燥した干し肉を何枚か放ってよこした。

「セレイラの街に行ってお前の冒険者登録をする。まずはそれだな」

 冒険者になりたいと思っていたレイピアにはユーザの申し出はとてもありがたいものだった。

 セレイラの街。
 そこがどんなところかわからず、あれこれ想像しながらレイピアは頷いて固い干し肉を頬張る。干し肉など初めて食べたのでそれが何の肉なのか良くわからないし、塩気ばかりが気になってあまり美味しいとは言えないが、お腹は空いていたので食べることができた。

「それからどうするの?」

「さあ、どうするかなぁ」

 ユーザはくく、と喉を鳴らして笑った。
 ひどく不安を煽る笑いだと思った。そんな不安そうにユーザを見つめるレイピアに気がついたのか、彼はくしゃりとレイピアの髪の毛を撫でた。

「そう心配するな、悪いようにはしない」

 たった一言。
 その言葉を聞いただけでレイピアは自分でも驚くほど胸が軽くなった。この人を信じてもいいんだ、そう思った。
 やがて干し肉をすべて食べ終わったユーザは木の根元に寝転がって、うとうとと居眠りを始めた。

 ユーザに何かお礼がしたいと思った。
 お礼としてお金を払うのは少し違う気がする、それよりももっと誠意のこもったもの――――例えば彼のために何かをすること。

(そうだ、果実を取ってプレゼントしよう!)

 ここに来る途中、赤い果実がなっている木を見かけた。雰囲気からいって甘いお菓子の類は好みそうにないが、果実のような自然の甘さのものなら彼も食べるだろうと思った。
 今のレイピアにできる精一杯のお礼だった。
 思い立ったらすぐに行動に移す。

 ユーザからなるべく離れないようにして森の中を歩き回る。
 意外とあっさり果実のなる木は見つかった。真っ赤な大粒の実をたくさんつけている低木。今まで1度も見たことがない果実だ。
 レイピアの手に届く範囲だったのでその果実を1粒摘むと口の中に放り込んでみる。
 口の中にふわりと甘い味とほどよい酸味が広がる。

 自分の手で摘んだ果実は屋敷にいるときに食べたどんな果実よりもおいしく感じられて、ついつい調子に乗って何個も口にする。
 そして手に持っている皮袋においしそうな果実を選んで放り込む。
 喜んでくれるといいな、と思いながら。

「さて、と。これくらいでいいかな…」

 ついつい袋いっぱいに果実を放り込んでしまっていて、気がつくと時間がだいぶ経っていて慌てて元の場所に戻る。

 ところが、戻って来てみるとユーザの姿はそこにはなかった。辺りを見回しても静まり返っていて人の気配がしない。
 置いていかれてしまったのだ。
 いや、もしかしたら本気で連れて行ってくれる気など最初からなかったのかもしれない。

 嫌な考えが頭をぐるぐると回ると、悲しくてみるみるうちにレイピアの目に涙が浮かんだ。それでも何とか唇を噛み締めて堪えると荷物を抱え込んで走った。男に追いつくために。

 どうか追いついて!
 祈るような気持ちでレイピアは走った。
 足が痛んだがそんなこと気にしている余裕はなかった。目まいがして気分が悪いけれどそんなことも気にしてはいられなかった。


 肩で大きく息をしながら、目に入る汗を手の甲で拭う。全力で走った甲斐があって、なんとかユーザの後姿を見つけることができた。

「なんだ? 帰ったんじゃないのか」

 レイピアの方を振り返ったユーザは驚いたように目を見開いた。姿の見えなくなったレイピアが家に帰ったと思い込んでいたのだろう。

 よかった、置いていかれたわけじゃなかったんだ。
 安心すると一気に今まで溜まっていた疲れが押し寄せ、レイピアの体はぐらりと傾いた。地面に倒れた時に手にしていた果実の入った皮袋をぽとっと落としてしまったが、そんなことを気にする余裕もなく意識を手放した。



 ひどく両足が痛んだ。
 焼けるような熱さと痛みが両足を襲い、レイピアの意識は無理矢理覚醒していった。ゆっくりと目を開けると最初に目に飛び込んできたのは、呆れかえったようなユーザの顔だった。

「…あ!」

 慌ててレイピアは起き上がる。しかし途端にひどい目まいを覚え、よろけたところをユーザによって抱きかかえられた。
 不安で不安でたまらなかった心に差し伸べられた手。
 初めてこの男にやさしくされたような気がして、嬉しさと安心感から今まで溜め込んでいた涙がボロボロと溢れ出した。

「よ、よかった…よかった! お、置いていかれたかと思っ…うわああぁぁぁん」

 レイピアは小さい子供みたいに声を上げて泣いた。その間、ユーザはじっとレイピアを支えたままでいた。

 やがて涙を出し尽くしたレイピアは思い出したように果実を入れた袋を探す。しかしそれは無惨にも地面の上でつぶれていた。

「果実…つぶれちゃった…」

 落胆の色を見せうなだれるレイピア。

「それを取りに行ってたのか?」

「うん。あなたにお礼がしたくて必死になって取っていたらいつの間にか時間がいっぱい経ってて…あなたは居なくなってるし、森は暗いし」

 思い出して、また不安になったのかひっく、としゃくりあげる。



「馬鹿な女…。何で他人のためにそこまでする必要がある?」

 ユーザは理解できない、そう言いたげな目でレイピアを見た。

「ユーザ…」

「…言えよ、どうせ何か魂胆があるんだろ?」

 タイガーイエローの瞳が暗く陰り、レイピアは胸ぐらを掴まれて持ち上げられる。

「何をたくらんでいる?」

 ぎり、と喉を締め付けられるが何とかかすれた声をしぼり出す。

「違うわ…そんなんじゃない。だって、嬉しかったんだもの。来いよって言ってくれたユーザの言葉が。私、行くところがなくって心細かったから…だから、お礼をしようと思ったの。つぶれちゃったけど」

「お前の言ってることはよくわからねえ…。理解不能だ」

 首を締め付けていた手が緩む。
 ユーザはひどく混乱した頭を落ち着かせるために右手で額を押さえると、そのまま倒れこむようにレイピアにもたれかかった。
 苦しみをこらえるような―――まるで子供が痛みを必死でこらえているみたいな傷ついた表情をしている。

「両親ですら何の見返りもなしにそんなことしないし、子供すら平気で捨てる。ましてや他人なんて…そう、思ってた…なのに…どうしてお前は…」

「ユーザ……」

 レイピアがどこかユーザに対して感じていた微かな安らぎの正体を今理解した。
 冷たく家族を顧みることのない父親をもったレイピア。

 両親に捨てられたユーザ。
 痛みの程度は遥かに違っていたけれど、2人はお互いに同じ痛みを持っていて、そしてお互い心の奥底で親に対して愛情を求めている。
 似ているのだ。
 似ているからこそ最初に会ったときに安らぎを感じた。

 そっとユーザを包み込むようにして背中の方に手をまわした。顔をあげた彼と目が合う。

「俺が…怖くないのか? 正体すらわからない奴だぞ」

「最初は少しだけ怖かったけど。でも、今は平気。ユーザは私を助けてくれた人、私にとっては光みたいな人なの」

 はにかむようにして笑う。

「変な女…。最初に見た人間を親だと思い込んでついてくるヒナみたいな奴」

 そう言ってレイピアを見つめるユーザの瞳は氷のような冷たさではなく、微かではあるがやわらかいものへと変わっていた。
 ユーザはレイピアから体を離すと袋からつぶれてしまった果実を取り出し、それを口の中に放り込んだ。目を見開くレイピアの前でゆっくりと味わうように咀嚼してから飲み込む。

「ふん、まあまあだな。今度は枝の先端からじゃなく幹に近い方に生っているものを取れ。その方が甘い」

 出来の悪い教え子を諭すように言った。
 急にやさしくなった態度にレイピアは戸惑いを覚えながら男を見上げた。

「…悪かったな。お前お嬢様だったんだよな」

「え?」

 ユーザは傷だらけになったレイピアの足元に視線を落とした。草木によって傷つけられた足は血が滲んでいて痛々しい。

「無理して歩いてたんだろ? 今度からは痛くて歩けないとか、ちゃんと思ったことを言え」

「うん。ありがとう…ユーザ」



 セレイラの街に無事に着いたレイピア達は、冒険者登録をしてそれから2ヵ月の間に3、4回ほど冒険に出た。

 ユーザはレイピアに剣の扱い方や料理の作り方などありとあらゆる生活技術を教え込み、驚くべき吸収力でレイピアは成長していった。

 そして時が経つにつれて2人の距離も縮まっていった。

 幸せ。
 その2ヵ月を表現するのにこの言葉ほどふさわしいものはないだろう。

 レイピアはユーザを愛していたし、そして彼もまた自分を愛してくれているのだと思った。
 彼はそのことを言葉にすることは決してなかったけれど、驚くほどやさしくなった瞳がそう語っている。これから先も、この幸せな日々が続いていくのだと信じて疑うことはなかった。





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