盗賊と領主の娘

倉くらの

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第7章 無謀なお嬢様

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 次にレイピアが目を覚ましたのはベッドの中だった。
 右手に何の感覚もなかったため、腕がくっついているのか不安になってそっと毛布の中を覗き込んだ。
 右手はちゃんとくっついていた。包帯でぐるぐる巻きになっていたが。
 おそらく縫ったのだろう、麻酔が効いているために腕に感覚がないのだ。

 いつの間に……?

 疑問が頭に浮かぶが、すぐに考えるのをやめる。
 頭がひどくぼんやりしていて考えるのが億劫だった。そのぼんやりとした瞳で天井を見上げると、銅製のランプが目に映った。風に揺られるテントと共にそのランプもゆらゆらと揺れる。

「レイピアさん、入りますよ」

 ためらいがちに声がかかる。聞きなれたその声はリグのものだった。
 レイピアは毛布を被って眠っているふりをした。あんなことがあった後だったから顔を合わせづらかった。中を覗き込んでくる気配があるが、レイピアが眠っていると思ったためすぐに出て行ってしまった。起きているか確認に来たのだろう。
 リグがいなくなると、再びぼんやりしはじめ、いつの間にか眠ってしまった。



 痛い―――。
 腕がちぎれそうなほど痛い。

「う……」

 強烈な腕の痛みを覚えてレイピアは再び目を覚ました。麻酔が切れたのだろう。先ほどまで何の痛みも感じなかったのに、今は腕がちぎれるくらいに痛かった。そして体も熱っぽい。

 怪我が原因かしら……?

 動く左手を額にのせてみると、案の定熱かった。これからもっと熱が出るかもしれない。

「今…何時だろう……」

 あれからどれくらい時間が経ったのだろうか。薄暗く、ランプが火を灯していることから夜なのは間違いない。
 カラカラに乾いた喉を押さえてぼんやりとした目で時計を探す。その時ふいにすぐ側から声がかかる。

「7時だ」

 不機嫌そうなその声の主はスキルだった。
 驚いて声の方を向くと、彼はすぐ側の椅子に腰を掛けていた。
 慌てて毛布を被ってしまおうと思ったが、腕に痛みを覚え派手に顔をしかめた。

「あまり動かすな。10針も縫ったんだ」

「10針……」

 跡が残るわね…と思いながらレイピアは包帯に巻かれた腕を見た。怪我の具合を聞いてますます気が遠くなりそうだった。
 すぐにテント内は重い沈黙に支配された。
 スキルは不機嫌な顔をしたまま、じっと腰掛けてレイピアを見つめている。いや、睨んでいるといった方が正しいかもしれない。
 レイピアが気まずさを覚え始めた頃、ようやくスキルが沈黙を破った。

「どうしてあんなことをした?」

 怒りを含んだような声とその迫力にレイピアはぐ、と息を詰まらせる。
 しかしつん、とそっぽを向いて唇を引き結んだ。

「君は常々びっくりするようなことをすると思っていたけれど、これはあまりにも無謀で馬鹿な行動だ。じゃじゃ馬がすぎるぞ! そもそも意識を失う直前に言った裏切り者ってどういうことだ?」

「その言葉のままよ。あなたが卑怯なことするからじゃない! 団員を使って私を追い出そうとするなんて!」

「な…んだって!?」

 スキルは一瞬レイピアの言葉が理解できないという顔をした。そんなことをした覚えはないし、指示したこともないからだ。
 しかしレイピアはスキルの驚きが図星を言われてうろたえているものだと解釈した。
 顔に怒りの色を浮かべて睨みつける。

「約束を守る気なんてなかったくせに、何が『俺は約束を破らない』よ、笑っちゃうわ。所詮盗賊の約束なんてそんなものなのね」

 言いたいことを全部言うと、レイピアはぜえぜえと熱のために荒い息を吐いた。

「ちょっと待て、一体何のことを言っているんだ」

「とぼけないで! 聞いたんだから。あなたとシャンナリーが話しているところを」

 スキルは少しの間考え込んで、ハッとする。もしかしたらレイピアが言っているのは朝のことかもしれない。
 …しかしスキルはちゃんとシャンナリーに「やめろ」と伝えたはずだ。

「俺とシャンナリーの会話のことを言っているのなら誤解だ。俺はそんな指示なんて出していない。シャンナリーにもやめろと言った」

「うそばっかり、だから盗賊なんて大嫌いよ!」

「おい、落ち着け…」

 レイピアがスキルに向けて右腕を振り下ろそうとしたため、慌ててその腕を押さえ込む。

「触らないでっ! 大うそつきの約束破り! あっちへ行って!」

 そこまで言ってスキルを突き飛ばしてから、ハッとした。スキルが傷ついた顔をしてレイピアを見つめていたからだ。
 なぜ彼がそんな顔をするのかわからなかった。
 嘘をついていたくせに……何故?
 思わずズキンと胸が痛む。

「そうか。俺の言うことは信じられない…か。それなら勝手にするといい」

 スキルはかぶりを振って椅子から立ち上がると、レイピアから背を向けて出て行ってしまった。


 あっさりと取り残されたレイピアは呆気にとられた。
 スキルがもっと言い訳をしてくると思っていたからだ。
 最後の言葉はまるで別れの言葉のようだった。見捨てられてしまったような、そんな気分になる。

「な、なによ…もっと否定しなさいよ…」

 違うなら、違うとハッキリ言えばいいのに。
 熱があると人は弱くなるのかもしれない。レイピアはまさにそれだった。
 自分からあっちへ行けと言ったにも関わらず、いざスキルが出て行くと途端に寂しさを覚えた。
 変だ。
 今日はずっと心の中がぐるぐるとして、自分でもどうしていいのか分からない。

「う……っ」

 熱と腕の痛みと心の痛みのせいで涙がポロポロと溢れて止まらなかった。枕に顔をうずめて傷みをこらえて泣いた。

「なによ…なんなのよ…」

 ヒクヒクとしゃくりあげ、顔を横向きにした。目からこぼれ落ちた涙は重力に逆らいきれずに横に伝って布団に流れ落ちた。



 しばらくすると急にテントの幕が開き、レイピアは目を見開いた。
 先ほど出て行ったはずのスキルが戻ってきたからである。泣き顔を見られまいと彼から背を向けるようにして寝返りをうった。ごしごしと慌てて袖で拭う。

「ど、どうして…?」

「俺も言い過ぎたと思って…それに君が泣いていると思った」

「な、泣いてなん…かっ」

 そう言いつつも、震える声は泣いていたことを物語っている。ふっとスキルが微笑んだ気配が肩越しに伝わった。
 スキルはゆっくりとレイピアに近づくと、そっと体を自分の方に向かせた。しかしレイピアは涙でべしょべしょになった顔を見せまいと必死に毛布で隠して抵抗した。

「意地っ張り。泣くのはそんなにも恥ずかしいこと?」

「あなたに見られるのが嫌な…だけよっ」

「俺のこと信じてくれようとしていたから…だから裏切られたと思ってあんなにも怒っていた。そう考えてもいいのかい?」

 そんなことはない、そういう意味を込めて固い声で告げる。

「初めから信じてなんかいないわ」

「…そうだった、君は素直じゃなかったね」

 スキルがふーっと大げさにため息をつく。それからポケットから薬を取り出すとレイピアの方に差し出した。

「痛み止めだ」

 しかし毛布を被ったまま、受けとることを拒絶した。

「いらない! 私のことなんて放っておけばいいのよ」

 ありがとう、とたった一言。
 レイピアのためを思って薬を持ってきてくれたスキルに本当はそう言って受けとるべきなのに。
 自分の心と正反対の言葉を口にしてしまった。
 先ほどのわだかまりを引きずって出た言葉だった。素直になど到底なれそうもない。

 スキルにはそれがわかっていたから、腹を立てることはしなかった。ただ、行動を起こしただけ。

 水と一緒に痛み止めを口に含む。
 次に顔を覆っていた毛布を強引にひっぱり上げると、レイピアに口づけ薬を流し込んだ。左手はレイピアの頬を、右手は覆い被さるようにベッドについて逃げられないようにして。

「むー…っ!?」

 突然降り注いできた口づけに驚き、レイピアは動かせる左手をフル回転させてスキルの背中を叩きつづけた。けれど薬を飲み込むまでスキルは唇を離そうとしなかった。

 重ね合わせた唇がやけに熱いのは熱のせいだろうか……。
 熱のせいなのか何なのか頭がくらくらとして思考が閉ざされてしまい、とうとう抵抗をやめて薬を飲み込んだところで、ようやく解放された。

「な、なにを……っ!」

 手の甲で口をぬぐい、熱のために赤くなっている顔をさらに真っ赤にして、レイピアは抗議の声を上げた。

「こうでもしないと君は薬を飲んでくれなそうだったから」

「信じられないわ。あなた…恋人がいるくせにこんなことをするの」

「恋人?」

 スキルが首を傾げたので、とぼけるつもりなの、と謎の胸のむかむかがまた込み上げてきた。

「シャンナリーよ。あ、あなた達は体の関係があると聞いたわ」

「…ああ。彼女とは合意の上の関係で、別に恋人同士というわけでもない」

 さらりとそんなことを言う。くわっと目を吊り上げる。
 全くもってレイピアには理解できない考え方だ!

「不誠実だわ。最低ね。私にはとても理解できない」

「これもまた愛の形の1つだよ。君が大切な恋人のために唇を守り続けていたのなら申し訳ないと思うよ」

 意外にもスキルは謝罪の言葉を口にした。だからレイピアの怒りはしゅるしゅると収まってしまい、唸ってそっぽを向くだけだった。でもちくりと嫌味を言ってやるのは忘れない。

「本当に好きになった相手ができたら、今までの不誠実な振る舞いを後悔するわよ」

「可愛い女の子は好きだよ。愛がないわけじゃない」

「違うわ。それは本当の愛なんかじゃないわ。私が言っているのは、ただ1人だけの本気の相手に向ける愛のこと」

 自分で言っておきながら、果たして後悔するのはどちらなのだろうとレイピアは考えていた。

 レイピアが愛だと思っていたものは、結局相手に裏切られて幻のように消えてしまった。結局のところ自分にも本当の愛なんて分かっていないのかもしれない。
 思いが深ければ深いほどダメージを負って、後悔して。好きになんてならなければ良かったと…。

 だったら彼のような割り切った恋愛の形の方が楽なのかもしれない。
 裏切られたって、傷が浅くて済んでしまうのだから……。
 それでもやはり、自分にはそんな割り切った恋愛ができるとはとても思えなかった。
 ううん、恋愛自体もう御免だと思う。傷つくのは嫌だ。

「さて。色々と話はあるがそれは明日にしよう。ただ、これだけは言っておきたい。俺は約束を破ってなんかいないから…おやすみ」

 レイピアは毛布をかぶったまま、何も答えなかった。
 スキルもそれ以上もとめなかった。
 じっとベッドの中で息をひそめていると、彼が立ち上がった気配とテントから出て行く気配が伝わってきた。

 彼の言葉が本当なのか嘘なのか、レイピアには判別がつかなかった。
 本当のような気もする…けれど心のどこかでまたユーザのときみたいに裏切られるかもしれないという不安があった。

 裏切られるのは恐い、だから信じるのも恐いのだ。
 ちくちくと痛む心、そして腕の痛み。
 レイピアはなかなか寝付けずにいた。




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