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第6章 心の傷
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「まあレイピアちゃん、その服はどうしたの?」
ソアラはずぶ濡れになっているレイピアに驚いた様子で目を見開く。そしておっとりとした動作でレイピアをタオルにくるませた。
レイピアは先ほどよりは幾分か緩めたものの、いまだに不機嫌に歪んでいる顔で口を開く。
「集中豪雨です」
まあ、いつの間に降ったのかしらと驚いた声をあげたソアラは明らかに嘘だとわかるようなレイピアの言葉を信じたようだった。どこまでも純粋で人を疑うということを知らないらしい。
すぐにソアラはいそいそと洋服が入った衣装箱を開けて、何着か洋服を持ってきてくれた。
どの洋服もとてもかわいらしいのだが、やけにひらひらとした部分が多く露出の高いものだった。色は赤や黄色といった原色がつかわれていて普段レイピアが着ないようなものばかり。
これをソアラが着ているのかというとそうではないように思える。ソアラの今着ている服はベージュ色の簡素なドレスだったから。
「あの…これ……」
そのひらひらとしたドレスをつまみ上げてレイピアは困惑した声を出す。
「こういうのは嫌だった? 私が若いときに着ていたドレスなのだけど。これなんてとてもかわいいと思うわ」
若い頃に着ていたらしい。
ソアラの手にあるドレスは背中の部分が大きく露出しているものだ。
ソアラがこんな露出の高いものを着ているのはとても想像もつかなかったが、もしかしたらステージ用の衣装として着ていたのかもしれない。それなら納得がいく。
レイピアはしばらく考え込むと、断ることにした。
「ごめんなさい。こういう服はちょっと…」
ソアラは残念そうな顔をしたものの、気を悪くすることなくすぐに次の服を持ってきてくれた。今度はレイピアが普段着ているような動きやすさを重視したシャツとスラックスだった。
他にも何着か着替え用にともたせてもらう。
「今ここで着替えて行ったらいいわ。私は向こうをむいているから」
くるりと背を向けるソアラ。
着替えるレイピアに気をつかってくれたのだ。お礼を言って、濡れて重たくなった服を脱ぎ始めた。
「あ、そうだわ。濡れたお洋服は…」
ソアラは言い忘れに気づいてレイピアの方を振り返るが、言葉を最後まで告げることができなかった。
あっ、と言葉を飲み込んで目を見開いた。その視線の先にはレイピアの白い背中があり、その綺麗な肌には似つかわしくない大きな刺し傷の跡があったからだ。
レイピアは慌てて渡された服を着てそれを隠す。
「ご、ごめんなさい…レイピアちゃん。だからさっきの服を嫌がったのね」
何て言葉を言っていいのかわからずに、戸惑うようにしてソアラに声を掛けられる。
「ええ、まあ…」
ぎゅっと服を握りしめてレイピアは俯いた。
ソアラは悲しげに目を細めると、意を決したように口を開いた。
「もしよかったら…私にその傷ができた理由を話してくれないかしら? もしよかったらでいいから…ね?」
気遣うようなソアラの言葉にレイピアは顔を上げた。
まるで母親にどうしたの? とやさしく尋ねられているようだった。
「どうして、ソアラさんってそんなにお母様に似ているんだろう」
レイピアは今にも泣き出してしまいそうな表情をつくって弱々しく笑う。
スキルや団員達の前で張っていた虚勢がソアラの前だといとも簡単に崩れてしまうのだ。
昨日もそうだ。盗賊団のアジトに1人で乗り込んでしまい、本当は恐くてたまらなかったけど精一杯弱みを見せまいと強がっていた。それなのにソアラを目の前にすると砂でつくられた城のように一瞬で壊れてしまう。ただの泣き虫で弱虫な本当の自分に戻ってしまう。
幼かった頃の、寂しがり屋だった少女へ。
レイピアは目に涙をいっぱい浮かべた。
「聞いて…くれますか?」
「ええ。辛い事は全部吐き出してしまうと良いわ」
母親が生きていたら、胸に抱えていた辛い出来事を全部聞いてもらいたかった。そして「辛かったのね」と言って抱きしめて欲しかった。
ソアラは今、母親の代わりにその思いを聞いてくれると言ってくれて、それがたまらなく嬉しかった。
レイピアは覚悟を決めると、ゆっくりと話し始めた。
***
それは2年前の、レイピアが家を飛び出した頃のこと。
世間知らずのお嬢様だった自分が1人旅をすることにとても不安を抱いていた。途方に暮れている時に1人の青年に出会ったのだ。
彼の名前はユーザ。
ユーザは最初、レイピアが領主の娘だと知って戸惑いを見せたが一緒に組んで冒険をしてくれることになり、色んなことを教えてくれた。
剣の扱い方、簡単な食事の作り方、冒険の基本。世間知らずだったレイピアには何でもこなすユーザがとても魅力的に見えた。そして毎日が楽しかった。
2人が恋人の間柄になるのにそう時間はかからなかった。
レイピアはユーザを愛していたし、そして彼もまた自分を愛してくれているものだと思っていた。
いつしか2人は結婚の約束をするような仲になった。冒険者を辞めて結婚して、小さな家に住んで暮らそうと語り合った。
2人は最後の冒険として盗賊退治をすることになった。簡単な冒険に思われたし、実際盗賊達もすぐに捕まえることができた。
しかし―――。
「盗賊達を捕まえて、いざ冒険者ギルドに戻ろうとしたときに彼が私にした仕打ちがこれなんです」
レイピアは目を伏せたまま、背中の傷を指し示した。
短剣のようなもので一突きした跡。一生残るであろうその傷は見ていて痛々しいものだった。
「私は当時冒険者ギルドの保険に入っていました。それに入っていると冒険中に怪我や死亡をしたときにお金の保証をしてくれるんです」
レイピアは保険金の受け取りをユーザにしていた。
一番信頼していたのは彼だったし、彼以外に頼る人もいなかったから。
そんなレイピアにユーザがした仕打ち、それはレイピアに怪我を負わせ、あたかも盗賊に斬りつけられたかのようにギルドに報告をしたことだった。
保険金を受け取った後、ユーザは病院で治療を受けているレイピアを置いてどこかへ消えてしまった。
「彼はきっと私を殺すつもりだったんです。けど…バカね、剣の腕は確かなはずなのに間違って背中を刺すなんて。心臓を狙っていれば確実に殺せたというのにね。もっとお金だってもらえたはずなのに」
レイピアは頬を伝う涙を拭うこともせずにくすくすと笑い続けた。
それは失敗を犯したユーザに対しての笑いなのか、それとも裏切られた自分に対する笑いなのか、そこからは伺い知ることはできなかった。
結婚の約束までしていた男に裏切られたレイピア。
ソアラはなぜ一昨日のレイピアが「約束」についてひどく不快感をあらわにしたのか理解できた。
そしてその心の傷の深さも―――。
「レイピアちゃんは、まだその人を愛しているの?」
ためらいがちに聞かれた言葉にレイピアはゆっくりと首を振った。
「愛してない。…憎いの、でも復讐とかそんなことは考えてない。今はただ忘れたいだけ」
レイピアの何も感情を映さない硝子のような瞳に、たまらずソアラはそっと引き寄せて抱きしめると頭をやさしく撫でた。
母親が娘にするように。
ふんわりと甘い匂いのする香水も、やわらかい腕の温もりもずっとレイピアが求めていたものだった。
「辛かったのね…」
レイピアは耳に響くその言葉を受けていっそう涙がこぼれた。声を押し殺してそれからしばらく泣きつづけた。
「お母様…」
ソアラの腕にすがりついたまま、うわごとのようにつぶやく。
その時のレイピアはソアラと自分の母親を重ねていたのだろう。けれどソアラはそれを知りながらあえて受け入れていた。
傷ついた心を一生懸命隠して気丈に振舞うレイピアが小さな女の子のように見えたからだ。
***
「ありがとう…。とてもスッキリしました」
ようやく涙も止まり、ソアラの体にうずめていた顔を上げるとレイピアは晴れやかな笑顔を向けた。それを見たソアラも満足げな表情を浮かべて微笑んだ。
「ねえ、ソアラさん。このことは誰にも言わないでくださいね」
「スキルにも…?」
「もちろん。だって同情をかけられるなんてごめんだわ」
スキルにはこんな自分を知られたくなかった。
まだ知り合って間もないけれど、彼の性格からいってレイピアの過去を馬鹿にしたりはしないだろう。だが、同情されることも弱みを知られることも嫌だった。それは屈辱以外のなにものでもないから。
「そう。あなたがそう言うのならスキルには言わないわ。2人だけの秘密ね」
ソアラは人差し指を唇に当てて悪戯っぽく笑った。
その笑顔はとてもスキルに似ていてやっぱり親子だな、とレイピアに思わせるものだった。
「まあレイピアちゃん、その服はどうしたの?」
ソアラはずぶ濡れになっているレイピアに驚いた様子で目を見開く。そしておっとりとした動作でレイピアをタオルにくるませた。
レイピアは先ほどよりは幾分か緩めたものの、いまだに不機嫌に歪んでいる顔で口を開く。
「集中豪雨です」
まあ、いつの間に降ったのかしらと驚いた声をあげたソアラは明らかに嘘だとわかるようなレイピアの言葉を信じたようだった。どこまでも純粋で人を疑うということを知らないらしい。
すぐにソアラはいそいそと洋服が入った衣装箱を開けて、何着か洋服を持ってきてくれた。
どの洋服もとてもかわいらしいのだが、やけにひらひらとした部分が多く露出の高いものだった。色は赤や黄色といった原色がつかわれていて普段レイピアが着ないようなものばかり。
これをソアラが着ているのかというとそうではないように思える。ソアラの今着ている服はベージュ色の簡素なドレスだったから。
「あの…これ……」
そのひらひらとしたドレスをつまみ上げてレイピアは困惑した声を出す。
「こういうのは嫌だった? 私が若いときに着ていたドレスなのだけど。これなんてとてもかわいいと思うわ」
若い頃に着ていたらしい。
ソアラの手にあるドレスは背中の部分が大きく露出しているものだ。
ソアラがこんな露出の高いものを着ているのはとても想像もつかなかったが、もしかしたらステージ用の衣装として着ていたのかもしれない。それなら納得がいく。
レイピアはしばらく考え込むと、断ることにした。
「ごめんなさい。こういう服はちょっと…」
ソアラは残念そうな顔をしたものの、気を悪くすることなくすぐに次の服を持ってきてくれた。今度はレイピアが普段着ているような動きやすさを重視したシャツとスラックスだった。
他にも何着か着替え用にともたせてもらう。
「今ここで着替えて行ったらいいわ。私は向こうをむいているから」
くるりと背を向けるソアラ。
着替えるレイピアに気をつかってくれたのだ。お礼を言って、濡れて重たくなった服を脱ぎ始めた。
「あ、そうだわ。濡れたお洋服は…」
ソアラは言い忘れに気づいてレイピアの方を振り返るが、言葉を最後まで告げることができなかった。
あっ、と言葉を飲み込んで目を見開いた。その視線の先にはレイピアの白い背中があり、その綺麗な肌には似つかわしくない大きな刺し傷の跡があったからだ。
レイピアは慌てて渡された服を着てそれを隠す。
「ご、ごめんなさい…レイピアちゃん。だからさっきの服を嫌がったのね」
何て言葉を言っていいのかわからずに、戸惑うようにしてソアラに声を掛けられる。
「ええ、まあ…」
ぎゅっと服を握りしめてレイピアは俯いた。
ソアラは悲しげに目を細めると、意を決したように口を開いた。
「もしよかったら…私にその傷ができた理由を話してくれないかしら? もしよかったらでいいから…ね?」
気遣うようなソアラの言葉にレイピアは顔を上げた。
まるで母親にどうしたの? とやさしく尋ねられているようだった。
「どうして、ソアラさんってそんなにお母様に似ているんだろう」
レイピアは今にも泣き出してしまいそうな表情をつくって弱々しく笑う。
スキルや団員達の前で張っていた虚勢がソアラの前だといとも簡単に崩れてしまうのだ。
昨日もそうだ。盗賊団のアジトに1人で乗り込んでしまい、本当は恐くてたまらなかったけど精一杯弱みを見せまいと強がっていた。それなのにソアラを目の前にすると砂でつくられた城のように一瞬で壊れてしまう。ただの泣き虫で弱虫な本当の自分に戻ってしまう。
幼かった頃の、寂しがり屋だった少女へ。
レイピアは目に涙をいっぱい浮かべた。
「聞いて…くれますか?」
「ええ。辛い事は全部吐き出してしまうと良いわ」
母親が生きていたら、胸に抱えていた辛い出来事を全部聞いてもらいたかった。そして「辛かったのね」と言って抱きしめて欲しかった。
ソアラは今、母親の代わりにその思いを聞いてくれると言ってくれて、それがたまらなく嬉しかった。
レイピアは覚悟を決めると、ゆっくりと話し始めた。
***
それは2年前の、レイピアが家を飛び出した頃のこと。
世間知らずのお嬢様だった自分が1人旅をすることにとても不安を抱いていた。途方に暮れている時に1人の青年に出会ったのだ。
彼の名前はユーザ。
ユーザは最初、レイピアが領主の娘だと知って戸惑いを見せたが一緒に組んで冒険をしてくれることになり、色んなことを教えてくれた。
剣の扱い方、簡単な食事の作り方、冒険の基本。世間知らずだったレイピアには何でもこなすユーザがとても魅力的に見えた。そして毎日が楽しかった。
2人が恋人の間柄になるのにそう時間はかからなかった。
レイピアはユーザを愛していたし、そして彼もまた自分を愛してくれているものだと思っていた。
いつしか2人は結婚の約束をするような仲になった。冒険者を辞めて結婚して、小さな家に住んで暮らそうと語り合った。
2人は最後の冒険として盗賊退治をすることになった。簡単な冒険に思われたし、実際盗賊達もすぐに捕まえることができた。
しかし―――。
「盗賊達を捕まえて、いざ冒険者ギルドに戻ろうとしたときに彼が私にした仕打ちがこれなんです」
レイピアは目を伏せたまま、背中の傷を指し示した。
短剣のようなもので一突きした跡。一生残るであろうその傷は見ていて痛々しいものだった。
「私は当時冒険者ギルドの保険に入っていました。それに入っていると冒険中に怪我や死亡をしたときにお金の保証をしてくれるんです」
レイピアは保険金の受け取りをユーザにしていた。
一番信頼していたのは彼だったし、彼以外に頼る人もいなかったから。
そんなレイピアにユーザがした仕打ち、それはレイピアに怪我を負わせ、あたかも盗賊に斬りつけられたかのようにギルドに報告をしたことだった。
保険金を受け取った後、ユーザは病院で治療を受けているレイピアを置いてどこかへ消えてしまった。
「彼はきっと私を殺すつもりだったんです。けど…バカね、剣の腕は確かなはずなのに間違って背中を刺すなんて。心臓を狙っていれば確実に殺せたというのにね。もっとお金だってもらえたはずなのに」
レイピアは頬を伝う涙を拭うこともせずにくすくすと笑い続けた。
それは失敗を犯したユーザに対しての笑いなのか、それとも裏切られた自分に対する笑いなのか、そこからは伺い知ることはできなかった。
結婚の約束までしていた男に裏切られたレイピア。
ソアラはなぜ一昨日のレイピアが「約束」についてひどく不快感をあらわにしたのか理解できた。
そしてその心の傷の深さも―――。
「レイピアちゃんは、まだその人を愛しているの?」
ためらいがちに聞かれた言葉にレイピアはゆっくりと首を振った。
「愛してない。…憎いの、でも復讐とかそんなことは考えてない。今はただ忘れたいだけ」
レイピアの何も感情を映さない硝子のような瞳に、たまらずソアラはそっと引き寄せて抱きしめると頭をやさしく撫でた。
母親が娘にするように。
ふんわりと甘い匂いのする香水も、やわらかい腕の温もりもずっとレイピアが求めていたものだった。
「辛かったのね…」
レイピアは耳に響くその言葉を受けていっそう涙がこぼれた。声を押し殺してそれからしばらく泣きつづけた。
「お母様…」
ソアラの腕にすがりついたまま、うわごとのようにつぶやく。
その時のレイピアはソアラと自分の母親を重ねていたのだろう。けれどソアラはそれを知りながらあえて受け入れていた。
傷ついた心を一生懸命隠して気丈に振舞うレイピアが小さな女の子のように見えたからだ。
***
「ありがとう…。とてもスッキリしました」
ようやく涙も止まり、ソアラの体にうずめていた顔を上げるとレイピアは晴れやかな笑顔を向けた。それを見たソアラも満足げな表情を浮かべて微笑んだ。
「ねえ、ソアラさん。このことは誰にも言わないでくださいね」
「スキルにも…?」
「もちろん。だって同情をかけられるなんてごめんだわ」
スキルにはこんな自分を知られたくなかった。
まだ知り合って間もないけれど、彼の性格からいってレイピアの過去を馬鹿にしたりはしないだろう。だが、同情されることも弱みを知られることも嫌だった。それは屈辱以外のなにものでもないから。
「そう。あなたがそう言うのならスキルには言わないわ。2人だけの秘密ね」
ソアラは人差し指を唇に当てて悪戯っぽく笑った。
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