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第4章 取り引き
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翌日。
朝から晩にかけて行われた3回に渡る公演はいずれも拍手喝采で幕を閉じた。
夜の公演が終わったのは9時であった。サーカスを見終わった観客達は子供も大人も、誰もが満足そうな表情をしてぞろぞろと出口の方に流れて行き、9時30分をまわったころには誰1人としてテント内からいなくなった。
団員の1人である男がテント内に忘れ物はないかどうかチェックをしているところで、1人の女に声を掛けられた。
「スキルさんにお会いしたいのですが」
凛とした声のその女性は帽子を深々と被っていて顔がよく見えなかったが、唇の形の良いことから男は美人だな、と想像した。
帽子からこぼれ落ちるように背中を流れる銀色の髪の毛は澄んだ月を思わせるように美しかった。
もしも町中で見かける機会があったなら間違いなく声をかけているだろう。最も、自分では相手にもされないだろうが…。
「若…いや、スキルさんに何の用事です?」
そう問いかけながらも男には何となくこの女性の用件に想像がついていた。
この女性も花形スターであるスキルの追っかけの1人であると思ったのだ。こんな風にスキルに会いたがる女性は珍しくない、たくさんいるのだ。
ところが次に女性が言った言葉は驚くべき内容だった。
「スキルさんに借りた上着をお返ししたいのです」
男は女性が手に持っていた上着に目を向ける。その上着はスキルが昨日領主宅のパーティーに忍び込むために着ていたものである。
ごくりと息を飲み込む。
嫌な予感が頭をよぎる。
男は悠然と佇むその女性と上着を交互にまじまじと見つめると、腹を決めたらしく奥のテント街へと案内した。
奥のテントには公演を終えたばかりでまだ着替えも終えていないスキルの姿があった。
照り付けられたスポットライトと激しい運動のせいで、背中にびっしょりと汗をかいて一刻も早く着替えをしたいと思っていた。そんなところに団員の1人の男が慌てた様子でテントに入ってきた。
「どうした?」
男のただならぬ様子にスキルは眉をひそめた。
「そ、それが……」
男が言葉を言い終えるより前にスキルはテントの入り口に立つ女性に目が向いた。
女性は被っていた帽子を脱ぐ。その見知った顔に驚いて目を開き、絶句しているスキルに彼女はとびきりの艶やかな笑みを向けた。
「ごきげんいかが? ランスさん」
まぎれもなくその顔はスキルがピンクダイヤモンドを奪った領主の娘のものだった。
レイピアがスキルの居場所を見つけられたのには訳がある。
彼はタキシードとハンカチーフ以外何も証拠らしいものは残していかなかったし、それらは彼の居場所を見つける証拠になるわけもなかった。けれどレイピアはあらかじめピンクダイヤが盗まれたときのために、罠をしかけておいたのだ。
ダイヤに仕掛けた罠は盗賊にあっさりと見抜かれるかもしれないと思ったのだが、意外にも気づかれなかったためすんなりとスキルの場所を見つけることができた。
スキルの本名を知ったのもサーカスの宣伝用に配られていたビラからだった。
案の定盗賊のスキルは驚いていたため、レイピアとしてはとても気持ちが良いものだった。
「ふふ、びっくりした? でも私もびっくりしたわ。あなたがサーカス団の次期団長だったなんてね」
「なぜここに…?」
スキルはレイピアの姿に動揺していたが、すぐに冷静さを取り戻してポーカーフェイスに戻る。
「ダイヤに仕掛けをしておいたの」
その言葉にスキルは懐に入れていたピンクダイヤモンドを取り出し、食い入るようにして見つめた。そして鎖の部分に何か小さな金属のようなものがくっついているのに気がついた。鎖と同色の金色をしているため、今まで全く気がつかなかったのだ。
スキルの手元をじっと見つめていたレイピアは満足そうに頷く。
「そう、それ。それはね、オリハルコンといって特殊な金属なの。冒険者の間では喉から手が出るほど欲しい一品なんだけど、盗賊さんならもちろん知ってるわよね? それでこっちのはオリハルコンを探す探知機」
これでもうわかったでしょう? と言うようにレイピアは右手に持っていた探知機を、スキルの方に見せびらかすようにして掲げてみせた。
ちょうど探知機の画面中央部分で光が点滅している。
オリハルコンとは金属の中で1番の硬度を誇るものとして武器などに用いられる。
見つけるのも困難な非常に貴重な金属であるため、一般に出回っていることはほとんどない。ましてやホットリープのような田舎ならばなおさら。
つまりあらかじめピンクダイヤの鎖にオリハルコンさえくっつけておけば後は探知機を使って探すことが容易にできるのである。
レイピアが説明を終えると、それまで黙って聞いていたスキルは体を屈めるようにして笑いだした。
その様子にレイピアは怪訝な表情を浮かべる。
スキルからはすでに先程の動揺など微塵も感じられなくなっていたから。むしろ余裕すら伺えるものに変わっていた。
「君は本当にただのお嬢様じゃないようだな。だが賢くはない」
賢くないとはっきり面と向かって言われ、レイピアは顔を派手にしかめ口を尖らせる。
「それはどういう意味かしら?」
「言葉の通りさ。敵陣にたった1人で乗り込んでどうしようっていうんだい?」
スキルの余裕を伺わせる態度はそのせいだった。
レイピア1人で何ができるのか、そう思っているのだろう。
「もちろん、ダイヤを返してもらうためよ!」
無謀なことは充分わかっていた。それが危険だということも。けれどそれ以上に母の形見であるピンクダイヤモンドを取り返さなくては、という思いの方が強かった。
レイピアは腰に差していた短剣をすっと引き抜くが、スキルは慌てる素振りも見せずにダイヤをわざとらしいくらいゆっくりと懐に収めると、肩をすくめてみせた。
「君の腕じゃ無理だ。俺からこれを取り返すことはできないな」
ピンクダイヤモンドの入った懐を指し、ニヤリと笑った。明らかな挑発だ。
馬鹿にして!
そう感じたレイピアはカッとなった。
「そんなのやってみなくちゃわからないわっ!」
「リグ!」
レイピアがスキルに飛びかかる前に、スキルは大声で人を呼んだ。その声にテントの前で控えていたリグが、すぐさまテントの中に入ってきた。
目の端に男の姿を捕らえてレイピアの怒りがわなわなと込み上げた。
「ひ、卑怯者っ!!」
レイピアの言葉にスキルは心外だな、と言わんばかりに片眉を上げてみせた。
「卑怯だって? こうなるのを覚悟の上で来たんだろう」
リグによって両腕をあっさり捕らわれ、レイピアは怒りに顔を真っ赤にして暴れた。しかし拘束はいっそう強くなるばかりでその腕が解放されることはなかった。
「卑怯者っ! これだから盗賊なんて!!」
スキルはレイピアの顎を片手でくい、と持ち上げると注意深く観察するようにその顔を覗き込んだ。
「なんなのよっ!?」
「黙っていれば美人なのに、勿体無いな」
「うるさいわね、放っておいて!」
気性の激しい犬のように、まるで今にも噛み付きかねないレイピアの様子にスキルは肩をすくめると椅子に腰掛ける。
「卑怯者卑怯者卑怯者―――っ!!」
これだから盗賊なんて最低だわ、と叫ぶ。
見た目は清純なお嬢様の口から零れ落ちる数々の悪態。
その様子を眺めていたスキルはおもしろそうに目を細めて手をひらひらと振った。それがよけいにレイピアの怒りを煽ったのは言うまでもない。
「そういえばあなたって最初から卑怯だったわ!」
「うん? 何のこと。もしかして眠り薬を飲ませたことかな?」
「そうよ!」
自分で言って、その場面を思い出したのかレイピアが顔を真っ赤にする。それは怒りのためでもあるし別の理由もあるように思えた。
「私としても眠っている女性の胸元に手をかけることは非常に心苦しいことだったのですよ。それに許可もなく口づけをしてしまったことも。ああ、罪深き私をお許しください」
体を折って謝罪の意を示す。口調はランスのものだったが、その表情はどこか楽しげである。レイピアが怒るのを承知でわざとそんなことをしているのだ。
ぐつぐつと腸が煮えくり返りそうな気分でスキルを睨みつけた。
「この女性はどうするんです?」
状況がよくつかめていないらしく、このまま捕らえた腕を掴んだままでいいのかと困惑した表情のリグはスキルに尋ねた。
「そうだな、とりあえずテントに入れておけ。気性の激しいじゃじゃ馬娘だから縄で縛って転がしておくといい」
捕らわれてしまい、これから自分がどうなってしまうのか全く想像のつかないレイピアは顔を青くしたが、すぐにスキルのあんまりな言い方に顔を赤くして怒りに身を震わせた。
じゃじゃ馬娘ですって!?
テントに連れて行かれる間際まで、青いギラギラとした瞳で射殺さんばかりにスキルを睨み続けた。
翌日。
朝から晩にかけて行われた3回に渡る公演はいずれも拍手喝采で幕を閉じた。
夜の公演が終わったのは9時であった。サーカスを見終わった観客達は子供も大人も、誰もが満足そうな表情をしてぞろぞろと出口の方に流れて行き、9時30分をまわったころには誰1人としてテント内からいなくなった。
団員の1人である男がテント内に忘れ物はないかどうかチェックをしているところで、1人の女に声を掛けられた。
「スキルさんにお会いしたいのですが」
凛とした声のその女性は帽子を深々と被っていて顔がよく見えなかったが、唇の形の良いことから男は美人だな、と想像した。
帽子からこぼれ落ちるように背中を流れる銀色の髪の毛は澄んだ月を思わせるように美しかった。
もしも町中で見かける機会があったなら間違いなく声をかけているだろう。最も、自分では相手にもされないだろうが…。
「若…いや、スキルさんに何の用事です?」
そう問いかけながらも男には何となくこの女性の用件に想像がついていた。
この女性も花形スターであるスキルの追っかけの1人であると思ったのだ。こんな風にスキルに会いたがる女性は珍しくない、たくさんいるのだ。
ところが次に女性が言った言葉は驚くべき内容だった。
「スキルさんに借りた上着をお返ししたいのです」
男は女性が手に持っていた上着に目を向ける。その上着はスキルが昨日領主宅のパーティーに忍び込むために着ていたものである。
ごくりと息を飲み込む。
嫌な予感が頭をよぎる。
男は悠然と佇むその女性と上着を交互にまじまじと見つめると、腹を決めたらしく奥のテント街へと案内した。
奥のテントには公演を終えたばかりでまだ着替えも終えていないスキルの姿があった。
照り付けられたスポットライトと激しい運動のせいで、背中にびっしょりと汗をかいて一刻も早く着替えをしたいと思っていた。そんなところに団員の1人の男が慌てた様子でテントに入ってきた。
「どうした?」
男のただならぬ様子にスキルは眉をひそめた。
「そ、それが……」
男が言葉を言い終えるより前にスキルはテントの入り口に立つ女性に目が向いた。
女性は被っていた帽子を脱ぐ。その見知った顔に驚いて目を開き、絶句しているスキルに彼女はとびきりの艶やかな笑みを向けた。
「ごきげんいかが? ランスさん」
まぎれもなくその顔はスキルがピンクダイヤモンドを奪った領主の娘のものだった。
レイピアがスキルの居場所を見つけられたのには訳がある。
彼はタキシードとハンカチーフ以外何も証拠らしいものは残していかなかったし、それらは彼の居場所を見つける証拠になるわけもなかった。けれどレイピアはあらかじめピンクダイヤが盗まれたときのために、罠をしかけておいたのだ。
ダイヤに仕掛けた罠は盗賊にあっさりと見抜かれるかもしれないと思ったのだが、意外にも気づかれなかったためすんなりとスキルの場所を見つけることができた。
スキルの本名を知ったのもサーカスの宣伝用に配られていたビラからだった。
案の定盗賊のスキルは驚いていたため、レイピアとしてはとても気持ちが良いものだった。
「ふふ、びっくりした? でも私もびっくりしたわ。あなたがサーカス団の次期団長だったなんてね」
「なぜここに…?」
スキルはレイピアの姿に動揺していたが、すぐに冷静さを取り戻してポーカーフェイスに戻る。
「ダイヤに仕掛けをしておいたの」
その言葉にスキルは懐に入れていたピンクダイヤモンドを取り出し、食い入るようにして見つめた。そして鎖の部分に何か小さな金属のようなものがくっついているのに気がついた。鎖と同色の金色をしているため、今まで全く気がつかなかったのだ。
スキルの手元をじっと見つめていたレイピアは満足そうに頷く。
「そう、それ。それはね、オリハルコンといって特殊な金属なの。冒険者の間では喉から手が出るほど欲しい一品なんだけど、盗賊さんならもちろん知ってるわよね? それでこっちのはオリハルコンを探す探知機」
これでもうわかったでしょう? と言うようにレイピアは右手に持っていた探知機を、スキルの方に見せびらかすようにして掲げてみせた。
ちょうど探知機の画面中央部分で光が点滅している。
オリハルコンとは金属の中で1番の硬度を誇るものとして武器などに用いられる。
見つけるのも困難な非常に貴重な金属であるため、一般に出回っていることはほとんどない。ましてやホットリープのような田舎ならばなおさら。
つまりあらかじめピンクダイヤの鎖にオリハルコンさえくっつけておけば後は探知機を使って探すことが容易にできるのである。
レイピアが説明を終えると、それまで黙って聞いていたスキルは体を屈めるようにして笑いだした。
その様子にレイピアは怪訝な表情を浮かべる。
スキルからはすでに先程の動揺など微塵も感じられなくなっていたから。むしろ余裕すら伺えるものに変わっていた。
「君は本当にただのお嬢様じゃないようだな。だが賢くはない」
賢くないとはっきり面と向かって言われ、レイピアは顔を派手にしかめ口を尖らせる。
「それはどういう意味かしら?」
「言葉の通りさ。敵陣にたった1人で乗り込んでどうしようっていうんだい?」
スキルの余裕を伺わせる態度はそのせいだった。
レイピア1人で何ができるのか、そう思っているのだろう。
「もちろん、ダイヤを返してもらうためよ!」
無謀なことは充分わかっていた。それが危険だということも。けれどそれ以上に母の形見であるピンクダイヤモンドを取り返さなくては、という思いの方が強かった。
レイピアは腰に差していた短剣をすっと引き抜くが、スキルは慌てる素振りも見せずにダイヤをわざとらしいくらいゆっくりと懐に収めると、肩をすくめてみせた。
「君の腕じゃ無理だ。俺からこれを取り返すことはできないな」
ピンクダイヤモンドの入った懐を指し、ニヤリと笑った。明らかな挑発だ。
馬鹿にして!
そう感じたレイピアはカッとなった。
「そんなのやってみなくちゃわからないわっ!」
「リグ!」
レイピアがスキルに飛びかかる前に、スキルは大声で人を呼んだ。その声にテントの前で控えていたリグが、すぐさまテントの中に入ってきた。
目の端に男の姿を捕らえてレイピアの怒りがわなわなと込み上げた。
「ひ、卑怯者っ!!」
レイピアの言葉にスキルは心外だな、と言わんばかりに片眉を上げてみせた。
「卑怯だって? こうなるのを覚悟の上で来たんだろう」
リグによって両腕をあっさり捕らわれ、レイピアは怒りに顔を真っ赤にして暴れた。しかし拘束はいっそう強くなるばかりでその腕が解放されることはなかった。
「卑怯者っ! これだから盗賊なんて!!」
スキルはレイピアの顎を片手でくい、と持ち上げると注意深く観察するようにその顔を覗き込んだ。
「なんなのよっ!?」
「黙っていれば美人なのに、勿体無いな」
「うるさいわね、放っておいて!」
気性の激しい犬のように、まるで今にも噛み付きかねないレイピアの様子にスキルは肩をすくめると椅子に腰掛ける。
「卑怯者卑怯者卑怯者―――っ!!」
これだから盗賊なんて最低だわ、と叫ぶ。
見た目は清純なお嬢様の口から零れ落ちる数々の悪態。
その様子を眺めていたスキルはおもしろそうに目を細めて手をひらひらと振った。それがよけいにレイピアの怒りを煽ったのは言うまでもない。
「そういえばあなたって最初から卑怯だったわ!」
「うん? 何のこと。もしかして眠り薬を飲ませたことかな?」
「そうよ!」
自分で言って、その場面を思い出したのかレイピアが顔を真っ赤にする。それは怒りのためでもあるし別の理由もあるように思えた。
「私としても眠っている女性の胸元に手をかけることは非常に心苦しいことだったのですよ。それに許可もなく口づけをしてしまったことも。ああ、罪深き私をお許しください」
体を折って謝罪の意を示す。口調はランスのものだったが、その表情はどこか楽しげである。レイピアが怒るのを承知でわざとそんなことをしているのだ。
ぐつぐつと腸が煮えくり返りそうな気分でスキルを睨みつけた。
「この女性はどうするんです?」
状況がよくつかめていないらしく、このまま捕らえた腕を掴んだままでいいのかと困惑した表情のリグはスキルに尋ねた。
「そうだな、とりあえずテントに入れておけ。気性の激しいじゃじゃ馬娘だから縄で縛って転がしておくといい」
捕らわれてしまい、これから自分がどうなってしまうのか全く想像のつかないレイピアは顔を青くしたが、すぐにスキルのあんまりな言い方に顔を赤くして怒りに身を震わせた。
じゃじゃ馬娘ですって!?
テントに連れて行かれる間際まで、青いギラギラとした瞳で射殺さんばかりにスキルを睨み続けた。
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