塔の魔術師と騎士の献身

倉くらの

文字の大きさ
上 下
24 / 88
6話 塔の魔術師と騎士の愛

しおりを挟む
 どれほどの間眠っていたかは分からないが、夜と朝が少なくとも二回は訪れていたように思う。
 その間俺の意識は現実と夢の間をさ迷っていて、現実に戻っている間に何度か回復魔術を試してみたがやはり術は発動しなかった。
 そのため傷の痛みに耐え続けるしかなかった。こんな痛みを感じたのは初めてだ。

 熱が出ているのか体は熱いし、息も苦しい。
 体を小さく丸める。

 意識がある内は心細さのあまり必死で目の前にある布を掴んでいた。恐らくフレンの服のどこかの部分だ。
 フレンは不在の時もあったが、いる時は俺の手を振り払ったりはせずに大人しく傍に控えていてくれるのが分かった。

「大丈夫だ、ここにいる。必ず良くなるからゆっくりお休み」

 時折頭を撫でられて、安心から目を閉じて再び眠りについた。


 次に意識がはっきりとしたのは、頬を舐められている感触を覚えてからだ。
 ぎょっと驚いて目を開けると白い兎がじっとこちらを見ていた。
 あの時モンスターから救い出した白兎が何故かここにいた。
 黒い瞳でじっとこちらを見つめる仕草が本当にエギルそっくりだ。

「ああ、驚いてしまったようだ。飼い主が心配なのは分かるが、寝かせておいてあげなければ」

 フレンが白兎を抱えて自分の膝の上に乗せた。白兎はジタバタと暴れてフレンの膝の上から逃げ出して、再度ベッドの上に乗り上げて来た。

「……こいつは俺の飼っている兎ではない」

 体を起こそうとして、背中に痛みが走って顔をしかめる。

「急に動いては駄目だ。まだ痛みが引いていないのだろう」

 フレンに支えてもらいながら体を起こす。

「そうか……。この子は君の傍を離れようとしないから飼っている兎なのだと思って連れて来てしまった。後で森に帰してあげよう」

「そのうち勝手に戻るだろう。好きにさせておけばいい」

 白兎は俺が意識を取り戻したのを見ると、部屋の隅に行って丸まって眠り始めた。警戒をしているのかエギルのように床にお腹をぺったりつけて寝たりはしない。
 フレンが俺を見て微笑む。

「話せるまで回復して良かった。君はこの数日間ずっと意識が混濁していて会話もままならなかった。身元も分からずご家族に連絡を取ることもできずにいた。……間違っていたら申し訳ないのだが、君は大魔術師エーティア様のお知り合いではないだろうか? 雰囲気はかなり違うのだが……とてもよく似ている。あの方に家族がいるという話を聞いたことはないが、もしかしたらそうなのではないかと思った。だから、万が一このまま意識が戻らなければエーティア様に連絡を入れるところだった」

 過去の俺の話が出てきて、ひやっとする。
 フレンが俺と過去の俺を同一人物だと認識できないのも無理はない。
 大魔術師エーティアがあんなモンスター如きにやられるなんてあり得ないからだ。
 とんだ失態だった。弱体化した我が身が恨めしい。

 しかし今はそんなことを考えている場合ではなく、過去の自分に連絡など入れられたら困るので慌てて首を横に振る。

「俺はエーティアの知り合いではないので連絡の必要はない。こんなことを言ったら驚くだろうが……俺自身がエーティアなんだ」

「っ⁉ エーティア様……⁉」

 フレンの顔が青ざめて、慌ててベッドの脇に跪く。

「申し訳ありません。そうとは知らず数々の無礼をお許しください」

「いや……いいんだ。色々と事情があってな、俺がエーティアだということは内密にして欲しい」

 俺はフレンに未来からやって来た事情を説明することにした。
 どうして過去にやってきたか……という理由はぼかしておく。
 フレンの婚約者が誰なのか調べに来たことを本人に知られるのはあまりにもみっともないことだ。これに関しては口が裂けても言わない。
 詳しくは言えないが『過去の調査』だということにしておいた。嘘ではないしな。

 それから魔術が使えなくなってしまったこと、迎えが来るまで元の世界へ戻れないことを説明した。
 この数日間、アゼリアの迎えは来ていない。
 流石に遅い気がするので、もしかしたら何かあったのかもしれない。

 過去のフレンに自分の正体を明かすことは本来なら良くないことだ。
 何故なら初めて塔にやって来た時のフレンは俺と言葉を交わしたことはほとんどないという状態で、あまり俺に対しても好意的ではなかったと記憶している。これは本人自身でそう言っていた。
 ということは『エーティア』として接点を持つべきではないかもしれない。

 しかし俺はフレンに対して嘘をつきたくもないし、この世界に滞在する以上フレンの協力は必須だ。だから素直に正体を明かすことにした。

 ただし俺とフレンの関係性についての詳細は未来が変わってしまう可能性を考えてあえて伝えていない。具体的に言うと性交して魔力供給をしてもらっているというくだりだ。
 その辺りはぼかした上で協力をお願いした。

「俺が元の世界へ戻るまでの間協力をして欲しい」

 フレンは跪いたまま深く頭を下げた。

「無論です。あなたを無事元の世界へ戻す手伝いをさせてください」

 フレンの協力が得られるならこれ以上心強いことはない。

「そうか、助かるぞ。俺がエーティアということを周りには知られたくないから、俺のことはエルと呼べばいい」

「はい」

「しかし、フレン。その態度では周りに気付かれるぞ。先程のような砕けた口調で構わないのだが? ……ん、待て。そうすると俺も態度を改める必要があるか……」

 普段意識することはないが、フレンは王子だったな。
 そうなると俺のこの『偉そう』な態度も問題だ。しかしだ……今更態度を変えるというのはなかなか難しい。何せ年季が長いからなぁ。

「では、こうしましょう。あなたは身分のある方で、お忍びでアリシュランドへやって来た。しかしその際に事故にあって治療を受けているということに。そういうことならば俺もあなたの態度も不自然ではないと思います。無理をするとどこかで綻びが出てしまうでしょう」

「ふむ、なるほど。それでいこう」

 その時部屋の扉からノックの音がした。
 少ししてから白衣の老人が入ってくる。どうやら医者のようだ。そしてここは医務室らしい。

「おお、良かった。気がつかれましたか」

「ああ。つい先程目を覚まされた。怪我の具合を診て差し上げて欲しい」

「かしこまりました」

 医療器具の乗ったワゴンと共に医者がベッドへと近づいて来る。俺は反射的にフレンの袖口を掴んでその陰に隠れた。とはいえベッド上だったので顔を隠すぐらいのものだったが。

「エル様?」

 驚いたようにフレンがこちらを振り向く。

「嫌だ。診察などいらない」

「そうは言っても傷口を消毒して包帯を替えなければ駄目です。痕が残ってしまったら大変ですので」

「嫌だ」

 ぷいっと顔を背ける。
 医者とはいえ知らない奴に体を触られるかと思うと気分が悪くなってくるのだ。意識がない間はともかく意識がある内に触れられるのは絶対に嫌だ。

 だったらいっそ包帯など替えない方がいい。
 フレンと医者は互いに顔を見合わせて困ったなという顔をする。

「さてはて困りましたな、フレン様。大抵は自分の痛みがなくなるならと医者の言うことを聞く患者さんが多いのですが、この方は痛みよりもご自分の意思を優先させるタイプのようですな。そういう方に従っていただくことはとても難しい」

 医者はフレンの服を握る俺の手元に視線を落として、うんうんと頷いた。

「しかし幸いにもフレン様には心を許しておられるご様子。どうしても離れたくないと見えます。私に代わりフレン様が治療をして差し上げてはいかがですかな? なに、後の処置は簡単なものばかりです。騎士団で手当ての方法を学ばれたあなた様ならば問題ないでしょう」

「俺が……か? 簡単な処置ぐらいならできるしそれは構わないが……エル様、それで構いませんか?」

 フレンの問いにこく、と頷いた。

「……分かりました。それなら俺が手当てをしましょう」

 医者が病室を出て行ったところで、フレンに背中を向ける。
 今俺が着せられている服はワンピースのようなものだった。白い処置用の服だ。それまで身に着けていたローブは血にまみれて使い物にならないのだろう。もしかしたら捨てられてしまったのかもしれない。
 身に着けているものは下着にこのワンピースのような服が一枚だけ。前ボタンを全て外して脱ぎ捨てると下着だけの姿になった。

「その……、これで前を隠していてくれませんか」

 ややぎこちない動作で肌掛けを渡される。振り返ってみると、心なしか視線を外しているフレンの目元が赤い。
 処置し辛くないのだろうか? と思ったが、大人しくフレンの指示に従って体の前側を肌掛けで覆い隠した。すると丁寧な手つきで包帯が外されていく。

「どうして医者の処置を嫌がるのですか?」

「知らない奴に触られたくない」

 一瞬だけ、フレンの手が止まった。

「……俺ならば平気だと……?」

「平気だ。……だけど、お前にとっては迷惑だったか? この数日間、気がつけば俺はずっとお前のことを掴んでいた気がする」

 俺にとっては過去のフレンも今のフレンもどちらも同一人物だと感じる。
 だからついいつものように接してしまうのだが、過去のフレンにとってはそうではない。俺は初対面に近い相手だ。ずっと拘束し続けていて迷惑だったのかもしれないと思い至った。
 少々甘えすぎていたかもしれない。

「頼られて悪い気はしませんので、それは気にしないでください。ただ、エル様は無防備すぎて……心配です。もう少し危機感を持たれるべきです」

「危機感?」

 首を傾げる俺に向けてフレンは困ったように笑う。

「分かりませんか。やはり、心配です。……少し染みますよ」

 背中にガーゼのようなものが当てられて、そこに塗られた薬剤が背中の傷に染みる。

「ひっ……!」

 焼け付くような痛みにぶるぶると体を震わせる。

「すみません、痛むのですね。もう少しだけ我慢していてください」

 傷の処置が終わって新しい包帯を巻かれてからも体の震えは止まらなかった。フレンの首に腕を回してしがみ付く。

「うぅ……う~…痛い」

 本当は口をくっつけて魔力供給をしてもらいたい。
 たぶんそうすれば痛みを和らげることができるが、そんなことができないのも分かっていた。フレンの意思を無視した行為になってしまう。
 だからせめて体をくっつけるぐらいは許してもらえるだろうか。これだけでも少しは痛みが和らぐ気がする。

「……エ、ル、様」

「もう少しだけこうしていて欲しい。痛みが落ち着くんだ。嫌……か?」

「そうでしたか……。構いません。痛みが引くまでこうしていましょう」

 体を固まらせたフレンだったが、もう少しだけとお願いすると体の力を抜いた。
 背中の傷に触れないようにしながら体を抱え直されて、膝の上に乗せられた。

 やはりフレンにくっついていると傷の痛みが我慢できる。過去の世界に来る前はフレンに触ると胸が苦しくなるような気がしていたが、今はとても落ち着く。
 いや、胸は相変わらずドクドクと早鐘を打つのだが、それよりも安心が勝っている状態だ。
 他に誰も頼る者のいない過去の世界だから余計に。

 頬をフレンの体にくっつけて、目を閉じる。
 段々と眠たくなってきた。うとうとと頭が揺れる。


「エル様はどうしてこれほどまで俺に気を許してくださるのか……」

 眠りに落ちる前に、困惑を含んだフレンのつぶやきが聞こえたような気がした。




しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?

音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。 役に立たないから出ていけ? わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます! さようなら! 5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます

まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。 貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。 そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。 ☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。 ☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。

聖女召喚されて『お前なんか聖女じゃない』って断罪されているけど、そんなことよりこの国が私を召喚したせいで滅びそうなのがこわい

金田のん
恋愛
自室で普通にお茶をしていたら、聖女召喚されました。 私と一緒に聖女召喚されたのは、若くてかわいい女の子。 勝手に召喚しといて「平凡顔の年増」とかいう王族の暴言はこの際、置いておこう。 なぜなら、この国・・・・私を召喚したせいで・・・・いまにも滅びそうだから・・・・・。 ※小説家になろうさんにも投稿しています。

何も知らない人間兄は、竜弟の執愛に気付かない

てんつぶ
BL
 連峰の最も高い山の上、竜人ばかりの住む村。  その村の長である家で長男として育てられたノアだったが、肌の色や顔立ちも、体つきまで周囲とはまるで違い、華奢で儚げだ。自分はひょっとして拾われた子なのではないかと悩んでいたが、それを口に出すことすら躊躇っていた。  弟のコネハはノアを村の長にするべく奮闘しているが、ノアは竜体にもなれないし、人を癒す力しかもっていない。ひ弱な自分はその器ではないというのに、日々プレッシャーだけが重くのしかかる。  むしろ身体も大きく力も強く、雄々しく美しい弟ならば何の問題もなく長になれる。長男である自分さえいなければ……そんな感情が膨らみながらも、村から出たことのないノアは今日も一人山の麓を眺めていた。  だがある日、両親の会話を聞き、ノアは竜人ですらなく人間だった事を知ってしまう。人間の自分が長になれる訳もなく、またなって良いはずもない。周囲の竜人に人間だとバレてしまっては、家族の立場が悪くなる――そう自分に言い訳をして、ノアは村をこっそり飛び出して、人間の国へと旅立った。探さないでください、そう書置きをした、はずなのに。  人間嫌いの弟が、まさか自分を追って人間の国へ来てしまい――

【完結】『飯炊き女』と呼ばれている騎士団の寮母ですが、実は最高位の聖女です

葉桜鹿乃
恋愛
ルーシーが『飯炊き女』と、呼ばれてそろそろ3年が経とうとしている。 王宮内に兵舎がある王立騎士団【鷹の爪】の寮母を担っているルーシー。 孤児院の出で、働き口を探してここに配置された事になっているが、実はこの国の最も高貴な存在とされる『金剛の聖女』である。 王宮という国で一番安全な場所で、更には周囲に常に複数人の騎士が控えている場所に、本人と王族、宰相が話し合って所属することになったものの、存在を秘する為に扱いは『飯炊き女』である。 働くのは苦では無いし、顔を隠すための不細工な丸眼鏡にソバカスと眉を太くする化粧、粗末な服。これを襲いに来るような輩は男所帯の騎士団にも居ないし、聖女の力で存在感を常に薄めるようにしている。 何故このような擬態をしているかというと、隣国から聖女を狙って何者かが間者として侵入していると言われているためだ。 隣国は既に瘴気で汚れた土地が多くなり、作物もまともに育たないと聞いて、ルーシーはしばらく隣国に行ってもいいと思っているのだが、長く冷戦状態にある隣国に行かせるのは命が危ないのでは、と躊躇いを見せる国王たちをルーシーは説得する教養もなく……。 そんな折、ある日の月夜に、明日の雨を予見して変装をせずに水汲みをしている時に「見つけた」と言われて振り向いたそこにいたのは、騎士団の中でもルーシーに優しい一人の騎士だった。 ※感想の取り扱いは近況ボードを参照してください。 ※小説家になろう様でも掲載予定です。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

将軍の宝玉

なか
BL
国内外に怖れられる将軍が、いよいよ結婚するらしい。 強面の不器用将軍と箱入り息子の結婚生活のはじまり。 一部修正再アップになります

異世界で8歳児になった僕は半獣さん達と仲良くスローライフを目ざします

み馬
BL
志望校に合格した春、桜の樹の下で意識を失った主人公・斗馬 亮介(とうま りょうすけ)は、気がついたとき、異世界で8歳児の姿にもどっていた。 わけもわからず放心していると、いきなり巨大な黒蛇に襲われるが、水の精霊〈ミュオン・リヒテル・リノアース〉と、半獣属の大熊〈ハイロ〉があらわれて……!? これは、異世界へ転移した8歳児が、しゃべる動物たちとスローライフ?を目ざす、ファンタジーBLです。 おとなサイド(半獣×精霊)のカプありにつき、R15にしておきました。 ※ 設定ゆるめ、造語、出産描写あり。幕開け(前置き)長め。第21話に登場人物紹介を載せましたので、ご参考ください。 ★お試し読みは、第1部(第22〜27話あたり)がオススメです。物語の傾向がわかりやすいかと思います★ ★第11回BL小説大賞エントリー作品★最終結果2773作品中/414位★応援ありがとうございました★

処理中です...