塔の魔術師と騎士の献身

倉くらの

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エギルはじめてのお使い

前編

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「ぼく、お使いに行くです!!」

 ある日のことだ。エギルが目をきらきらと輝かせながらそう宣言した。

「お使いとは、一体どうしてまたそんな話になったんだ」

 俺は首を傾げながら、小さな使い魔に問いかけた。

「はい。はじめてのお使いをすると一人前になれるって読んだ本に書いてあったです!」

 また何かの絵本を読んで、影響を受けたらしい。この塔には膨大な数の本があって、その中には絵本もある。エギルはそれらの本を引っ張り出してきては読み漁っている。立派なうさぎ使い魔になりたいと日々励んでいるエギルは絵本の中に書かれてあるそうした情報に敏感だ。

 あまり難しい文字は読めないので、最近はフレンの膝の上で読み聞かせてもらいながら絵本を一緒に眺めるのがエギルのお気に入りだ。

 俺達の住む塔には商人が定期的に必需品を運んでくれているので、基本買い物というのは必要ない。フレンと共に家事を担っているエギルだったが、実は一匹だけで買い物に出たことが無い。

 エギルの宣言に動揺を表したのは俺ではなく、フレンだった。

「エギルが街へ行く……それは、少し心配だ。小さなエギルが街を歩いていたら誘拐されてしまうかもしれない。俺もついて行ったら駄目だろうか……?」

 俺に対して過保護なところのあるフレンだが、それはエギルに対しても同様だ。エギルについて行ってもいいかと問いかけている。しかし、それでは意味がないだろうと思う。黙ったまま紅茶を飲みつつ奴らの会話に耳を傾ける。
 エギルもそう考えたのか、ぷるぷると頭を振った。

「フレンさま。ぼく、大丈夫です! ちゃんとお買い物してくるです!」

 やる気に満ちた瞳でフレンを見上げている。ここで駄目だと告げたならエギルの自信もやる気も打ち砕いてしまうだろうことが分かっているのだろう。フレンはもうそれ以上何も言わなかった。ただ困ったように俺に目線を向けてくる。

「まあ、いいんじゃないのか。やりたいようにやらせてみるのも。エギルはただの兎というわけではない。仮にもこの俺の使い魔なのだからな」

「そう…ですね。エーティア様がそうおっしゃるのなら」

 フレンは心配でたまらないという顔をしながらも俺の言葉を受けて、エギルのお使いの支度を手伝い始めた。
 エギルが買ってくるものは相談し合った結果、夕食に使う食材――ニンジンに決めたらしい。

「にんじんいっぽん」と大きく書いたメモ帳を首から下げたポーチにいそいそとしまうエギル。フレンがどこからか手に入れてエギルにプレゼントしたらしいそのポーチはうさぎの顔の形をしていて、うさぎの毛に似たふわふわの生地で作られている。金もその中に入れてもらったようだ。

「これだけは必ず守って欲しい。知らない人に付いて行ってはいけない。街へ行ったら他の店に寄り道などせずに市場に行って、ここまで戻ってくる。いいかい?」

「はい、フレンさま!」

 フレンの教えをこくこく頷きながら聞いている。

「エギル……せめて街の入り口まで送って行こう」

「フレンさま。ぼく、走るの早くていっぱい距離も行けるですよ。ここからぼくだけで行くです」

「そう…か」

 やれやれ。フレンの奴、本当に心配性だな。紅茶のカップをソーサーの上に置いて、椅子から立ち上がる。

「これを身に着けていくといい」

 エギルの首にペンダントを下げてやる。その先端には青い石が付いている。

「わあぁ、綺麗です!」

 エギルは目をキラキラさせて、小さな前足で青い石を掴んで眺めた。

「どうしても困ったことがあったら、その石を掴んで助けを呼ぶといい」

 魔力の籠ったその石に助けを求めると、俺のところにエギルの声が届くようになっている。だが、何が起こるかとはエギルに説明しなかった。あくまでもこれは緊急時のものなのでそれを頼りにされるのでは意味が無いのだ。

「はい、エーティアさま」

 俺が石を渡したことで、エギルが誘拐の危機から身を守られたことを知り、フレンの顔が明らかにほっとしたものになる。心配性な奴め。

「行ってくるです!!」

 せめて塔の外まで見送りに行くというフレンと共にエギルは出て行った。
 五分ほどしてフレンが戻って来た。その後は何となくそわそわと落ち着かない様子で部屋の掃除をしているのを俺は横目で眺めていた。




 夕方になり、食事の支度を始める頃になってもエギルは戻って来なかった。

「遅いですね……エギルに何かあったのではないでしょうか」

 窓の外を眺めてため息をつくフレン。

「確かに少し遅い……。あいつが約束を破って寄り道をしているとは思えないしな」

 エギルの足ならばもうとっくに市場に行って、戻って来ているはずだ。
 素直なエギルが、寄り道をしてはいけないというフレンとの約束を破るとも思えない。

「青い石を使った気配もない……か」

 エギルからの助けを求める声はこちらに届いていない。何かがあったという訳ではないのか?
 だったら何故こんなに遅いのか。

「外を見てきます」

 窓から離れたフレンが階下へと降りて行こうとしたところで、外からわんわんと泣く声が聞こえて来た。次第に塔へと近づいて来る。

「うえぇぇぇん…うわぁぁぁん」

 まるで小さな子供が泣きじゃくっているのかのような大声だ。この声は間違いない、エギルのものだ。

「エギル!?」

 血相を変えたフレンが階段を駆け下りて行き、俺もその後に続いた。外へと続く扉を開けると泣きながら駆けてきたエギルが飛び込んできて、そのままフレンめがけてジャンプした。流石の反応速度でフレンがその小さな体を抱き上げる。

「フレンじゃまぁァァアぁん!!!」

 喉を震わせて胸にしがみ付き、泣きながらうにゃむにゃと叫んでいる。恐らくフレンの洋服はエギルの涙でびしょびしょになっていることだろう。まあ、この男はそんなこと気にしないのだろうが。
 エギルの首に下げていた青い石のペンダントは無くなっていた。

「エギル…、一体どうしたんだ」

 フレンが背を撫で続けながらエギルが落ち着くのを待つ。大泣きしていたエギルも少しずつ落ち着きを取り戻していく。

「はひゅはひゅ、ごめんなさい。ぼく、ぼく、ペンダントを無くしちゃったでずぅ」

 言葉にしたことで、そこでまた悲しみが込み上げて来たらしい。エギルがうわぁぁんと再度泣き出した。



 エギルの話は途中で泣き出したりして度々止まってしまうので、俺が聞いた話をまとめよう。

 街に辿り着いたエギルは市場を探してキョロキョロしながら歩いていた。しばらく歩いていると、可愛らしい店が見えてきたので、一旦立ち止まって窓の外から店内を眺めたという。

 色とりどりのキャンディが並んでいる店で、うっとりしながらそれを見た。中でも気になったのは青い色をした透き通った丸いキャンディで、どんな味がするのかとずっと考えていた。その辺りで「寄り道はしてはいけない」というフレンの言葉を思い出して、我に返ったエギルは再び歩き出したという。

 またしばらく歩いていくと今度は子供達がきゃあきゃあ言いながら何かを手に持って店から出てきたので、気になったエギルは再び窓の外から店内を眺めた。

 そこでは店員が客の前で何かを作っているらしい。じっとその様子を見ていると生クリームやフルーツをたくさん乗せてくるくると巻いたものが出来上がった。「甘い」「美味しい」と言いながら食べ歩きをしている子供達を見ていいなぁとエギルは思った。そこで「寄り道をしてはいけない」という言葉を再び思い出して、慌てて市場へ向かった。


 ……というかエギルの奴、店の前で立ち止まり過ぎではないのか……?
 まあ、いい。話を続けよう。

 市場への道が分からなかったので、エギルは近くにいた男に声を掛けた。声を掛けたものの、男は元気がなく暗い顔をしていたので、何だか気になった。
 そこでエギルは「どうしたですか?」と尋ねてみた。

 その者が言うにはとても困ったことが起きているという。元気が無いのはそのせいだと思ったので「それは大変ですねぇ……」とエギルは隣に腰をかけて一緒になってしょんぼりした。
 ペンダントのことをふと思い出したエギルは「ぼくが困った時はこのペンダントが助けてくれるです」と青い石を掲げて見せた。それを聞いていた男は「ちょっとそのペンダント見せてくれる?」と興味を示して来た。

 だが、そのペンダントは俺からもらったものだったので「エーティア様に聞いてみないと分かりません」と答えた。それから「今はお使いの途中なので、家に帰ってからエーティア様に聞いてみるです」とも続けた。しょんぼりした男が気になっていたので、何か手伝いが出来たらいいなと思ったそうだ。

 すると男は「三十秒ぐらい目をつぶっていて」と言ってきた。
 何で目をつぶるのだろう? と不思議に思いながらもエギルは素直に目を閉じて三十秒数えた。

 数え終わって目を開けた時には男の姿も、胸から下げたペンダントも無くなっていたという。

 慌てて近くを探して回ったが、男もペンダントも見つからなかった。そしてどうしても見つからないことが分かって、泣きながら帰って来たというわけだ。当然ながらニンジンを買うどころでは無かった。



 話を全て聞き終わった俺は少々呆れ返った。何故こうも素直に相手の言うことをハイハイと聞いてしまうのかと。少しは疑ってかかれば良いというのに。

「エギル、その男の特徴を教えて欲しい」

 話を聞き終えたフレンは静かな声でエギルに問い掛ける。

「えっと、えっと、背は大きかったです」

「年の頃は?」

「あう……、分からないです」

 困ったように耳を垂らす。俺達が兎を見て具体的な年齢を当てられないように、エギルには人間の年齢が分からないのだ。

「そうか。服の色は覚えているか?」

「えーとえーと、ほとんど水色だったです!」

「なるほど。ところどころ汚れてはいなかったかい?」

「そういえば、茶色い汚れがところどころあったです!」

「上から下まで同じ色の服で、汚れていたということはつなぎの服ということでしょうか。そうなると農業、または工業に関わる労働者という可能性がありますね」

 エギルの拙すぎる説明からフレンはある可能性を導き出して行く。俺はふむ、と顎をひと撫でした。

「金に困った労働者だとしたら、行き着く先は質屋か」

「しかしエーティア様、あの石は希少な『ケレスライト』ではありませんか? 普通の質屋で買い取りが出来るとはとても思えません。一般人が持ち込めば盗品だとすぐに判明し、あっという間に捕まるでしょう」

「ほお、そうなのか?」

 ケレスライトは希少なものだと知ってはいたが、質屋で取り扱い出来ないようなものとは知らなかった。

「ええ。あの大きさで言うと一億はくだらないかと」

「一億ってすごいですか?」

 エギルが首を傾げる。

「俺にも金の価値はよく分からないが、一生分のニンジンを買ってもどっさりお釣りが来るぐらいじゃないのか?」

 俺の説明に、エギルは足をぶるぶると震わせ出した。

「ふわぁ……。そんな大切な石を無くしてエギルは悪い子です。ふえぇ」

「安心して欲しい、エギル。石は必ず見つけてくる」

 エギルにそう宣言したフレンは、俺に向き直る。

「エーティア様、お傍を離れる許可をいただけますか。これから街へ行き狼藉者を捕らえて参ります」

 何となくフレンがそう言い出すだろうなということは分かっていた。だが俺は首を横に振る。

「そこまでしなくてもいい。今回のことはいい勉強料だ。相手の言うことを素直に聞きすぎるエギルにも非はあったのだから。次に気を付ければいい」

 しかし珍しくもフレンは引き下がらなかった。

「エーティア様、俺はそう思いません。素直なエギルが買い物の出来ない世の中こそが間違っているのです。住民が安心して暮らせる平和な世を作ること、それが騎士団に入った俺の理由です。今は騎士団を辞していてもその志は変わっていません。このまま狼藉者を野放しにすることは出来ません」

 揺るぎのない強く真っ直ぐな視線で射抜かれる。こうなったら絶対に俺の言うことを聞かないというのはこれまでの経験から分かる。

 ふう、とため息をつく。

「仕方がない。俺も同行するとしよう」

「エーティア様が!? しかし……」

「それが条件だ。青い石から何かしらの思念が飛んでくる可能性があるしな。それにお前は護衛役だというのに俺から離れていいのか? 離れている間に塔に別の狼藉者が乗り込んでくるかもしれないぞ。この体の中にある魔術球を狙ってだ。俺は抵抗出来ないままその狼藉者に酷い目に遭わされるかもしれない」

「……それは困ります」

 わざとらしく弱々しく怯えたふりをすれば、フレンが食い付いて来た。

「そうだろう。そうならないように近くにいて俺を守っていればいい」

 唇の端をにんまりと持ち上げる。実際のところ、狼藉者が来たところで返り討ちにしてやる自信はあるが、フレンがどうやって石を盗んだ者を見つけようとするのか興味があるので街に付いて行きたいというのが本音だ。
 まあ、つまり俺は今とても退屈しているのだ。こんな状態で置いて行かれたら気になって仕方がない。

「分かりました、共に参りましょう。しかしせめてフードを被っていただけますか。あなたは美しいのでとても目立ちます。少し治安の良くない場所を行く可能性もありますので」

 フードの付いたマントをすっぽりと被せられる。前述の通り俺を襲って来ようとしても返り討ちにしてやるのだが、まあいいだろう。知らん奴にジロジロと見られるのは気分のいいものではないからな。



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