「その想いは愛だった」騎士×元貴族騎士

倉くらの

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15.ルートベルクの名

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 川沿いの家を中心に高台にある黒狼騎士団の詰め所へと避難を呼びかけて回る。だけど、想像していた通り住民達は難色を示した。洪水なんて起こるわけがないと口々に言う。一軒一軒この調子で回っていたらとても間に合わない。

 そこでこの辺り一帯を取りまとめる商家の男の家を訪ねた。状況を説明するがここでも反応は芳しくなかった。

「おいおい、さっきは家に閉じこもっていろと言っていたくせに、今度は避難しろだって? こんな大雨の中をか? かえって危ないだろう」

「それは十分承知の上だ。だが、このまま留まっていたら川の堤防は間もなく崩れ、この辺り一帯が流される可能性がある。それでは遅いんだ」

 男は僕達に視線を向け、黒を基調とした制服の襟に騎士団のバッジが付いてないことを確認すると呆れた声を上げた。

「何だ、お前達騎士団のひよっこ共じゃねえか。お前らが相手じゃ話にならん。少なくともバッジ三つ以上の奴を連れて来て説明しろ。そうでなければ俺達は動かないぞ」

 騎士団内の階級はバッジの数で表されている。借入団の状態の僕達にはまだ一つもバッジは付いていない。正式に入団した際に初めて一つ目のバッジがもらえるのだ。

 三つ以上ということは上位騎士に当たる。当然そんな人物はズクロス討伐に向かっていて、この場にいるはずもない。
 男は僕達に手を振って帰るよう促してくる。

 これ以上は無理だとラル達が諦めた顔つきになる。
 駄目だ、ここで諦めたらいくつもの命が失われるかもしれない。

 捨てたはずの家名を名乗ることに抵抗はあるが、仕方がない。この際利用できるものはなんでもさせてもらう。
 僕はスッと息を吐いた後、あんなに嫌いだった貴族の仮面を身に纏う。温度を下げた冷徹な瞳で男を見据えたのだ。

「ならばフェリクス・ルートベルクの名に置いて命令する。ただちに住民達を連れてこの場を去れ。この命に逆らうことはルートベルクを敵に回すことと見なす」

 家名を出したことにより、男はヒュッと息を呑んだ。当然だ、この辺りに住んでいてルートベルク家の名を知らない者はいない。
 古くよりこの辺りには経済的な支援を与えて来たから、当然商売をするこの男もその恩恵を受けたはずだ。ルートベルクを敵に回すということはそれを打ち切るという意味でもある。
 それどころか男が二度と商売できないように仕向けることも造作ない。それだけの力がルートベルクにはある。逆らうことを許さないという態度と言葉をちらつかせると男の顔が青ざめて行く。

「ルートベルクのご子息様だったとは……。そういえば、髪色もお顔立ちも御父上に似てらっしゃる。黒狼騎士団の制服を纏っているので気が付きませんでした。大変申し訳ありません!」

 男の謝罪の言葉を手で制する。

「故あって今は黒狼騎士団に所属している。今はこうして会話をしている時間すら惜しい。すぐに住民を連れて動くように」

 僕の言葉に男は「はい!」と背筋を伸ばした。

 勝手に家名を出したことで今後家から何かしらの介入が起こる可能性はある。今度こそ僕は家に戻されてしまうかもしれない。しかし、自分の出来ることをしたのだから、その果てにどうなろうと後悔はない。


 最も影響力のある男を動かしたことが功を奏した。男の声掛けによって渋っていた住民達が次々と避難を始めたのだ。

「お前、なかなかやるじゃん。あんなに頑固そうな親父だったのにな。俺達を馬鹿にしてたくせに、貴族だと分かるとあっさりと手の平返してやがる。今のは正直スカッとしたわ」

 一部始終を後ろから見ていたラルに声を掛けられる。

「貴族の家名って威張り散らすだけじゃなくて、あんな風にも使えるんだな」

「ああ。あんな風に使えるなら、この家名もそう悪くないかもしれない」

 僕が貴族として生まれたことにも意味はあったのかもしれない。
 ニヤッと笑うラルにつられるように微笑んだ。
 困難を一つ共に乗り越えたお陰なのか、ラルの態度が柔らかくなった気がする。少しは認めてもらえたのかもしれない。



 川沿い一帯の住民達が騎士団の詰め所へと避難を終えた頃、何とか耐えていた川の堤防はとうとう決壊した。

 決壊した場所から一気に水が流れ込み、轟音を巻き上げながらいとも簡単に家が押し流されていくのを、詰め所の屋上から眺める。
 下からは家を失った住民達の嘆きの悲鳴が聞こえる。

「まさか……」

「本当に洪水が起こるなんて」

 皆、洪水が本当に起こるか半信半疑だったに違いない。
 こんなことが起こらないのが一番良かった。だけど、失われる可能性のあった多くの命を守ることができて良かった。



 長い夜が明けて、大雨が止んで堤防を越えてきた水も落ち着いた頃、再び街の見張り塔の鐘が鳴り響いた。仮眠を取っていた僕はラルによって叩き起こされる。

「おいおい、今度は何だよ。これ以上何があるってんだ」

 雨が止んだからこれ以上洪水の被害が広がる心配もないし、逃げてしまったズクロスが戻ってくることもない。それなのに再び鐘が鳴った。
 状況を確認するためにラルと共に詰め所の屋上に上がり、そこで目にしたのは瓦礫の山となった川沿いを暴れまわる大トカゲの姿だった。大きいその姿は遠目からでもハッキリと分かる。

「何で、あいつが外に出てるんだよ!?」

 それは幼い頃と、先日森で対峙したあの大トカゲで間違いない。

「もしかしたら……あいつを捕らえていた檻が今回の件で流されたのかもしれない」

 大トカゲがどこで捕らわれていたのか僕達は知らない。だけど川沿いの地域に飼育所があった可能性は大いにある。洪水によって建物が壊れ、出てきてしまったのだ。あの辺りの住民は避難しているから今はまだ大丈夫そうだ。だけど……。

「このまま放っておいたら別の地域に行く可能性があるな。俺達で捕まえるしかねえか。ああ、せめてシドがいれば良かったのになぁ」

「う……ぅ」

 大トカゲを遠くから見ただけでも、恐怖に身が竦む。額を冷たい汗が流れて行くのが分かる。

「あのトカゲのことが怖いのか? そういえば森でもぶるってたよな」

 今更隠しても仕方がないので正直にラルに伝える。

「そうだ……。あいつが、怖い。あいつを前にすると動けないんだ」

「ふーん。川沿いの時の冷静なお前とは別人みたいだな」

 ラルは背を向けて歩き出す。

「責めないのか? 情けないって」

 てっきり彼にはもっと責められると思っていた。なのに、彼は何も言わず僕を置いて行こうとするから、去っていく背中に問いかける。肩越しに振り向いたラルの表情にはもう僕への敵意は一切無かった。

「情けない奴じゃないことは川の件で分かったからな。本当に苦手なんだろ。まあ、そういうことの一つや二つはあるよな。お前はここで住民の面倒でも見てろよ。俺が行ってくる」

 ラルの言葉に胸がじんと温かくなる。それと共にかつて聞いた団長の言葉を思い出す。『誰だって死ぬのも、傷つくのも恐い。だが、それ以上に大切な者を失う方が恐ろしい』そうだ、僕はまだここで立ち止まるわけにはいかなかった。シドとだって約束したんだ。街は任せてくれと。ここで大トカゲを見過ごして、そしてラルや他の誰かが犠牲になったら悔やんでも悔やみきれない。

「ラル、僕も行く」

 顔を上げてきっぱりと告げると、ラルが大きく頷いたのが見えた。
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