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6.二人の訓練
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団長による講評が終わった後、訓練所から飛び出したフェリクスを、俺とミハイルは追った。
正直言って俺達の部隊員達からの冷たい視線に耐えかねてその場から逃げ出したのだと思ったのだ。だが、それは違っていたことがすぐに判明する。
フェリクスが団長に語った内容に言葉を失って立ち尽くす。
幼い頃からこれまでフェリクスが心の内を語るのを聞いたことが無かった。そもそも俺達はまともに会話を交わしたことすらほとんど無いのだ。フェリクスが偉そうに命令し、俺が従うという関係だった。そこに和やかな会話なんて生まれるはずもない。
だからこそ、フェリクスの抱く感情に初めてここに来て触れたのだ。その内に秘められていた苦悩の感情が痛いほどに伝わってきた。
大トカゲが恐いと言った。恐くて動けないのだと。
左肩を押さえていた現在のフェリクスの姿と幼い頃の姿が重なる。あの位置は、そうか、昔噛まれた場所だったのか。今更ながらに思い出す。
大トカゲに噛まれたフェリクスは屋敷に運ばれて、そこからしばらく療養生活を送ることになった。面会は禁止された。あいつの容態を尋ねても詳しいことは何も教えてもらえず、悶々とした日々を過ごすことになる。
そして数週間後、久方ぶりに部屋に呼ばれてフェリクスと対面した時。
ベッドの上で上半身を起こしてこちらを見たあいつは、淡々とした感じで「あの時はご苦労だった」と告げた。その表情には大トカゲへの恐怖はもちろんのこと、俺への感謝の気持ちは微塵も感じられなかった。まるで表情を削ぎ落したガラスの人形を相手にしているみたいだった。
別に感謝が欲しくてあいつを助けたわけじゃない。
それでも……俺は欲しかったのだ。
あいつが感謝の眼差しで俺を見るのを。「ありがとう」と柔らかい声で告げるのを。
その頃からだろう。俺の気持ちはすっかりと捻くれて歪んでしまった。そして、あいつの姿を見るのも、側にいるのも苦しくて、辛くて、離れた。
それなのにどうしてなのか、団長にフェリクスの面倒を見てやれと言われた時、引き受けると言ったミハイルの言葉を遮って自分が面倒を見るという言葉が口を突いて出ていた。
フェリクスはいつになく驚いた顔で俺のことを見た。
久しぶりにまともに顔を合わせて、胸がドクンと脈を打つ。こんな表情をする奴だったろうか。屋敷にいた時の淡々とした表情のフェリクスからはとても考えられないような、人間らしい表情だった。
このところずっと避けられていたから、俺の言葉も拒絶されるかと思いきや、フェリクスはミハイルではなく俺を選んだ。
「シドに……お願い出来るだろうか……」
命令ではなく、お願い。こちらの様子を伺うようなおずおずとした物言い。
胸に言い様のない感情が押し寄せる。フェリクスの前に跪いてその手を取り、何でも言うことを聞いてやりたいような……そんな気持ちに襲われた。
俺はもしかしたら大きな勘違いをしていたのでは? そんな思いに囚われる。
それぐらい今目の前にいるフェリクスと、これまで見て来たフェリクスとでは印象が大きく異なっていたのだ。
愚かだと思う。こんなの、自ら火に飛び込んで焼かれていく虫みたいなものじゃないか。傷つき苦しむのが分かっているのにどうして自分からフェリクスに近づいてしまうのか。
いや、理由なんて本当は分かり切っている。
結局のところ無駄な抵抗だったのだ。俺はフェリクスから離れられない。あいつを想う気持ちを止められないのだ。
ミハイルはそうした俺の気持ちを全部理解していたようで「やっぱりねぇ」とにやにや笑った。くそ。
あいつが「フェリクスが望むなら手取り足取り色々教えてあげる……」と言ったのもこちらを煽るためだったのだ。俺がその後どう行動するかも見越したうえで。あいつの挑発に乗った形になったのはかなり不本意だ。ミハイルに煽られるまでもなく、俺はフェリクスの面倒を見るつもりでいたのだから。
***
本格的に騎士団に配属されたら昼番と夜番を交代で務めていくのだが、まだ仮入団の状態にある俺達の業務は夕方には終わる。業務と言ってもほとんどが演習だ。
他の奴らはその日の業務が終わるや早々に騎士団宿舎へ戻るか、飯を食いに外へ出ていく。「シドもご飯食べに行こうよ」と同じ隊内のラル達に声を掛けられた。ラルは士官学校時代からの友人の一人だ。何度かミハイルも含めて飯を食いに行ったこともある。
ミハイルも、ラルも、ルートベルクの屋敷で息を潜めるように生きて来た俺に居場所を与えてくれた奴らだ。
俺は良くも悪くも目立つ存在らしい。剣術に関して嫉妬、そんな感情をよく向けられた。それからフェリクスだ。俺がフェリクスの側にいることで、あいつに気にかけられているとでも思っているのだろうか。いい気になるなと度々釘をさされた。
あの屋敷でも士官学校でも、俺に嫉妬した連中からいつ陥れられるか分からなかったので常に気を抜けなかった。
だが、ミハイル達はそんな俺を受け入れてくれたのだ。あいつらの側にいる間だけは気を張ることもなく心が安らぐのだ。彼らとの出会いが無ければ、今よりもずっとねじくれて荒んだ性格になっていたかもしれない。だから感謝をしている。
特に用事も無ければ夕飯の誘いに乗って行ったところだが、生憎時間がないので断った。
そんな日々が何度か続いたせいか、最近忙しいの? と首を傾げるラルにざっと経緯を説明する。これからしばらくフェリクスの訓練に付き合うということを。だから食事は共にできないと。
「はぁ? 何でシドがあいつの訓練に付き合わないといけないのさ」
ラルは見るからに不機嫌そうな顔つきになって唇を尖らせた。フェリクスを良く思わない空気というのは俺達の所属する隊内にも漂っていることに気付いていた。ラルもフェリクスに悪感情を抱く一人だったらしい。あいつもまた俺同様に良くも悪くも目立ちすぎるのだ。
「俺の隊から退団者を出すわけにはいかないだろう」
どうしてあいつに付き合うかなんて、俺の心の内を正直に話すつもりは無いからこう答えるしかなかった。自分自身、未だに認めたくないという思いと戦っているのだ。
「だからってシドが付き合うのは可笑しい。だって、シド、あいつのこと嫌ってるじゃないか」
俺が苦々しい気持ちでフェリクスを見つめていたのは周知の事実のようで、フェリクスを嫌っての態度だと思っているらしいラルがそう言った。
確かにそういう思いが無いわけじゃなかった。
こちらに心を向けてくれないくせに、ずっと側に置き続けてくるフェリクスに苛立っていたのだ。側にいられればそれでもいいと達観できるほど俺は大人では無かった。
あいつに触れたいと思うし、キスをして、心は無理ならせめて体だけでも奪ってやりたいという凶暴な感情が時折胸の内に沸き起こる。
馬鹿なことを。
そんな獣のような所業をできるはずもない。頭を振って冷静さを取り戻す。
「俺は俺のやるべきことをやるだけだ」
ラルだけでなく自分自身に言い聞かせるようにつぶやいた。
フェリクスを鍛え上げる、そして正式な騎士団員にする。これが俺の今の目標だ。
フェリクスの訓練に付き合って数日。
正直言ってフェリクスの体力は残念としかいいようのないものではあるが、全く見込みがないわけじゃない。最初の頃よりは少しずつ体力も付いている。
何より俺を驚かせたのは、フェリクスが一切の弱音を吐かなかったことだ。どんなメニューを振っても文句も言わず、必死でこなしていくのだ。
今は俺達以外誰も人のいない訓練所で、刃を潰した剣を使って試合の様な形で打ち合っている。
不思議だな。
こいつの心なんてさっぱり分からないと思っていたはずなのに。いい加減にやっているのか、そうでないかは打ち合えばすぐに分かる。
フェリクスの姿からは「強くなりたい」という真剣な思いが伝わってくるのだ。剣を交わすことによってフェリクスの心と自分の心が少しだけ交わったような気がした。
騎士団に残りたい、残らせたいという共通の目標に向かって歩み始めたお陰で、俺達はここに来て初めて主従ではなく対等の関係になったのだ。
知らず知らずのうちに唇の端が持ち上がっていたことに気付き、慌てて唇を引き結ぶ。楽しい。俺は、心の底から フェリクスとの訓練が楽しいと思い始めていた。
しばらく剣を交わした後、お互いに息を切らせながら向かい合わせになって床に座り込む。冷たい床の感触が心地いい。
フェリクスは俺以上に消耗しきっていて、はぁはぁしながら額の汗を拭っている。汗で張り付く前髪を指で払う仕草ですら芸術的に見えてしまって、しばしぼうっと眺める。俺の視線に気付いたフェリクスがこちらに顔を向けたので慌てて逸らす。
フェリクスの訓練に付き合ってすでに数日経過したが、俺達の間には未だ親しい会話は交わされていない。俺から会話を振ることなんてないし、フェリクスもまた然り。あるのは必要最低限の会話のみだ。
沈黙の時間が続いていて気まずいはずなのに、何故か今日はその沈黙すら心地良く感じる。それは剣を交わし、フェリクスの心に触れられたように感じたからかもしれない。
今日はいつもより訓練に熱が入ったせいで時間も随分遅くなってしまった。
夕飯はまだ食べていない。ものすごく腹が減っていることに気付く。俺が住んでいるのは騎士団の宿舎だ。そこに帰ったところでとっくに食堂は閉まっている。外に食べに行くしかない。
「なあ」
フェリクスに声を掛けようとして、咄嗟に冷汗がどっと背中を流れる。
俺、今何を言おうとしたんだ。
夕飯でも食いに行かないか、とごく自然に口からその言葉が出そうになったのだ。
フェリクスが首を傾げるのが見えて、慌てて首を横に振った。
「いや、何でもない」
「……そうか」
心なしか、フェリクスが少しがっかりしたようにも見えた。そんなまさかな。
そもそも食事に誘ったところで断られるのは分かり切っている。この時間開いているのは酒場ぐらいのものだ。フェリクスが庶民のひしめきあう酒場で食事をする光景なんて想像もできない。
屋敷に戻ればお抱えの料理人の美味い飯が待っているのだ。わざわざ小汚い酒場に来るはずもないだろう。
「よし、今日はここまでにしよう」
俺が告げると、フェリクスも頷いた。
「今日も付き合ってくれて助かった。後は僕が片づけていく」
「ああ。それじゃあな」
訓練所の片づけはフェリクスが毎回していく。交代でやるぞと一度申し出たことはあるが「訓練に付き合ってもらっているからこれぐらいはやる」とフェリクスが言い張った。
帰宅時間が遅くなるのではと思ったが、考えてみればフェリクスは屋敷から馬車でここまで通っているのだろうから問題ないかと思い直す。
この日もフェリクスに後片付けを任せて、先に訓練所を後にして騎士団の敷地内にある宿舎へ帰ることにした。
正直言って俺達の部隊員達からの冷たい視線に耐えかねてその場から逃げ出したのだと思ったのだ。だが、それは違っていたことがすぐに判明する。
フェリクスが団長に語った内容に言葉を失って立ち尽くす。
幼い頃からこれまでフェリクスが心の内を語るのを聞いたことが無かった。そもそも俺達はまともに会話を交わしたことすらほとんど無いのだ。フェリクスが偉そうに命令し、俺が従うという関係だった。そこに和やかな会話なんて生まれるはずもない。
だからこそ、フェリクスの抱く感情に初めてここに来て触れたのだ。その内に秘められていた苦悩の感情が痛いほどに伝わってきた。
大トカゲが恐いと言った。恐くて動けないのだと。
左肩を押さえていた現在のフェリクスの姿と幼い頃の姿が重なる。あの位置は、そうか、昔噛まれた場所だったのか。今更ながらに思い出す。
大トカゲに噛まれたフェリクスは屋敷に運ばれて、そこからしばらく療養生活を送ることになった。面会は禁止された。あいつの容態を尋ねても詳しいことは何も教えてもらえず、悶々とした日々を過ごすことになる。
そして数週間後、久方ぶりに部屋に呼ばれてフェリクスと対面した時。
ベッドの上で上半身を起こしてこちらを見たあいつは、淡々とした感じで「あの時はご苦労だった」と告げた。その表情には大トカゲへの恐怖はもちろんのこと、俺への感謝の気持ちは微塵も感じられなかった。まるで表情を削ぎ落したガラスの人形を相手にしているみたいだった。
別に感謝が欲しくてあいつを助けたわけじゃない。
それでも……俺は欲しかったのだ。
あいつが感謝の眼差しで俺を見るのを。「ありがとう」と柔らかい声で告げるのを。
その頃からだろう。俺の気持ちはすっかりと捻くれて歪んでしまった。そして、あいつの姿を見るのも、側にいるのも苦しくて、辛くて、離れた。
それなのにどうしてなのか、団長にフェリクスの面倒を見てやれと言われた時、引き受けると言ったミハイルの言葉を遮って自分が面倒を見るという言葉が口を突いて出ていた。
フェリクスはいつになく驚いた顔で俺のことを見た。
久しぶりにまともに顔を合わせて、胸がドクンと脈を打つ。こんな表情をする奴だったろうか。屋敷にいた時の淡々とした表情のフェリクスからはとても考えられないような、人間らしい表情だった。
このところずっと避けられていたから、俺の言葉も拒絶されるかと思いきや、フェリクスはミハイルではなく俺を選んだ。
「シドに……お願い出来るだろうか……」
命令ではなく、お願い。こちらの様子を伺うようなおずおずとした物言い。
胸に言い様のない感情が押し寄せる。フェリクスの前に跪いてその手を取り、何でも言うことを聞いてやりたいような……そんな気持ちに襲われた。
俺はもしかしたら大きな勘違いをしていたのでは? そんな思いに囚われる。
それぐらい今目の前にいるフェリクスと、これまで見て来たフェリクスとでは印象が大きく異なっていたのだ。
愚かだと思う。こんなの、自ら火に飛び込んで焼かれていく虫みたいなものじゃないか。傷つき苦しむのが分かっているのにどうして自分からフェリクスに近づいてしまうのか。
いや、理由なんて本当は分かり切っている。
結局のところ無駄な抵抗だったのだ。俺はフェリクスから離れられない。あいつを想う気持ちを止められないのだ。
ミハイルはそうした俺の気持ちを全部理解していたようで「やっぱりねぇ」とにやにや笑った。くそ。
あいつが「フェリクスが望むなら手取り足取り色々教えてあげる……」と言ったのもこちらを煽るためだったのだ。俺がその後どう行動するかも見越したうえで。あいつの挑発に乗った形になったのはかなり不本意だ。ミハイルに煽られるまでもなく、俺はフェリクスの面倒を見るつもりでいたのだから。
***
本格的に騎士団に配属されたら昼番と夜番を交代で務めていくのだが、まだ仮入団の状態にある俺達の業務は夕方には終わる。業務と言ってもほとんどが演習だ。
他の奴らはその日の業務が終わるや早々に騎士団宿舎へ戻るか、飯を食いに外へ出ていく。「シドもご飯食べに行こうよ」と同じ隊内のラル達に声を掛けられた。ラルは士官学校時代からの友人の一人だ。何度かミハイルも含めて飯を食いに行ったこともある。
ミハイルも、ラルも、ルートベルクの屋敷で息を潜めるように生きて来た俺に居場所を与えてくれた奴らだ。
俺は良くも悪くも目立つ存在らしい。剣術に関して嫉妬、そんな感情をよく向けられた。それからフェリクスだ。俺がフェリクスの側にいることで、あいつに気にかけられているとでも思っているのだろうか。いい気になるなと度々釘をさされた。
あの屋敷でも士官学校でも、俺に嫉妬した連中からいつ陥れられるか分からなかったので常に気を抜けなかった。
だが、ミハイル達はそんな俺を受け入れてくれたのだ。あいつらの側にいる間だけは気を張ることもなく心が安らぐのだ。彼らとの出会いが無ければ、今よりもずっとねじくれて荒んだ性格になっていたかもしれない。だから感謝をしている。
特に用事も無ければ夕飯の誘いに乗って行ったところだが、生憎時間がないので断った。
そんな日々が何度か続いたせいか、最近忙しいの? と首を傾げるラルにざっと経緯を説明する。これからしばらくフェリクスの訓練に付き合うということを。だから食事は共にできないと。
「はぁ? 何でシドがあいつの訓練に付き合わないといけないのさ」
ラルは見るからに不機嫌そうな顔つきになって唇を尖らせた。フェリクスを良く思わない空気というのは俺達の所属する隊内にも漂っていることに気付いていた。ラルもフェリクスに悪感情を抱く一人だったらしい。あいつもまた俺同様に良くも悪くも目立ちすぎるのだ。
「俺の隊から退団者を出すわけにはいかないだろう」
どうしてあいつに付き合うかなんて、俺の心の内を正直に話すつもりは無いからこう答えるしかなかった。自分自身、未だに認めたくないという思いと戦っているのだ。
「だからってシドが付き合うのは可笑しい。だって、シド、あいつのこと嫌ってるじゃないか」
俺が苦々しい気持ちでフェリクスを見つめていたのは周知の事実のようで、フェリクスを嫌っての態度だと思っているらしいラルがそう言った。
確かにそういう思いが無いわけじゃなかった。
こちらに心を向けてくれないくせに、ずっと側に置き続けてくるフェリクスに苛立っていたのだ。側にいられればそれでもいいと達観できるほど俺は大人では無かった。
あいつに触れたいと思うし、キスをして、心は無理ならせめて体だけでも奪ってやりたいという凶暴な感情が時折胸の内に沸き起こる。
馬鹿なことを。
そんな獣のような所業をできるはずもない。頭を振って冷静さを取り戻す。
「俺は俺のやるべきことをやるだけだ」
ラルだけでなく自分自身に言い聞かせるようにつぶやいた。
フェリクスを鍛え上げる、そして正式な騎士団員にする。これが俺の今の目標だ。
フェリクスの訓練に付き合って数日。
正直言ってフェリクスの体力は残念としかいいようのないものではあるが、全く見込みがないわけじゃない。最初の頃よりは少しずつ体力も付いている。
何より俺を驚かせたのは、フェリクスが一切の弱音を吐かなかったことだ。どんなメニューを振っても文句も言わず、必死でこなしていくのだ。
今は俺達以外誰も人のいない訓練所で、刃を潰した剣を使って試合の様な形で打ち合っている。
不思議だな。
こいつの心なんてさっぱり分からないと思っていたはずなのに。いい加減にやっているのか、そうでないかは打ち合えばすぐに分かる。
フェリクスの姿からは「強くなりたい」という真剣な思いが伝わってくるのだ。剣を交わすことによってフェリクスの心と自分の心が少しだけ交わったような気がした。
騎士団に残りたい、残らせたいという共通の目標に向かって歩み始めたお陰で、俺達はここに来て初めて主従ではなく対等の関係になったのだ。
知らず知らずのうちに唇の端が持ち上がっていたことに気付き、慌てて唇を引き結ぶ。楽しい。俺は、心の底から フェリクスとの訓練が楽しいと思い始めていた。
しばらく剣を交わした後、お互いに息を切らせながら向かい合わせになって床に座り込む。冷たい床の感触が心地いい。
フェリクスは俺以上に消耗しきっていて、はぁはぁしながら額の汗を拭っている。汗で張り付く前髪を指で払う仕草ですら芸術的に見えてしまって、しばしぼうっと眺める。俺の視線に気付いたフェリクスがこちらに顔を向けたので慌てて逸らす。
フェリクスの訓練に付き合ってすでに数日経過したが、俺達の間には未だ親しい会話は交わされていない。俺から会話を振ることなんてないし、フェリクスもまた然り。あるのは必要最低限の会話のみだ。
沈黙の時間が続いていて気まずいはずなのに、何故か今日はその沈黙すら心地良く感じる。それは剣を交わし、フェリクスの心に触れられたように感じたからかもしれない。
今日はいつもより訓練に熱が入ったせいで時間も随分遅くなってしまった。
夕飯はまだ食べていない。ものすごく腹が減っていることに気付く。俺が住んでいるのは騎士団の宿舎だ。そこに帰ったところでとっくに食堂は閉まっている。外に食べに行くしかない。
「なあ」
フェリクスに声を掛けようとして、咄嗟に冷汗がどっと背中を流れる。
俺、今何を言おうとしたんだ。
夕飯でも食いに行かないか、とごく自然に口からその言葉が出そうになったのだ。
フェリクスが首を傾げるのが見えて、慌てて首を横に振った。
「いや、何でもない」
「……そうか」
心なしか、フェリクスが少しがっかりしたようにも見えた。そんなまさかな。
そもそも食事に誘ったところで断られるのは分かり切っている。この時間開いているのは酒場ぐらいのものだ。フェリクスが庶民のひしめきあう酒場で食事をする光景なんて想像もできない。
屋敷に戻ればお抱えの料理人の美味い飯が待っているのだ。わざわざ小汚い酒場に来るはずもないだろう。
「よし、今日はここまでにしよう」
俺が告げると、フェリクスも頷いた。
「今日も付き合ってくれて助かった。後は僕が片づけていく」
「ああ。それじゃあな」
訓練所の片づけはフェリクスが毎回していく。交代でやるぞと一度申し出たことはあるが「訓練に付き合ってもらっているからこれぐらいはやる」とフェリクスが言い張った。
帰宅時間が遅くなるのではと思ったが、考えてみればフェリクスは屋敷から馬車でここまで通っているのだろうから問題ないかと思い直す。
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