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3.誰よりも苛立つ奴
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フェリクス・ルートベルクは俺を何よりも苛立たせる存在だ。
初めて奴に会ったのは、両親を失い孤児となって路上で暮らしていた俺がルートベルクの屋敷に引き取られた時のことだった。
部屋でフェリクスに引き合わされた時、息をするのも忘れるぐらいに見入ってしまったことを今でも覚えている。
窓際に佇むあいつは、恐ろしく綺麗だった。
日に透ける白に見間違えるほどの淡いプラチナブロンドの髪も、白く滑らかな頬も、引き結ばれた薄い唇も全てが夢を見ていると思うほどに。こんなに綺麗なものがこの世にあったのかと感嘆した。
しかし、俺の方に向いたアイスブルーの瞳はその色と同じく温度を感じさせないものだった。
ああ、こいつもまた他の貴族の奴らと同様なのだ。俺を見下し、踏みつける奴らと。
こちらばかりが強く意識しているという状態に耐えきれず、ふいと視線を逸らした。
汚い孤児。それが屋敷の者達の俺に対する評価だった。だったら何故引き取ったんだとルートベルク夫妻に理由を尋ねてみたら実に馬鹿馬鹿しい答えが返って来た。慈善事業の一環だと。つまり奴らは俺を外聞のために利用しているに過ぎなかったのだ。
身なりを完璧に整え、言葉遣いを改めてみたところで彼らの評価は一切変わらなかった。相変わらず汚い孤児だと罵られる毎日。ひと時孤児だったというだけで何故こんな扱いを受けなければならないのか。
汚い孤児、フェリクスにもまたそう思われているのだと考えたら、胸の中が黒く淀んでいく心地がした。
偉そうな口調の、偉そうな奴、フェリクス。
あいつの口が開くのは俺に命令を下す時だけ。
魔獣から窮地を救っても、どんなにその身を守るために苦心しても、命令を忠実にこなしても俺に心を開かない。俺達の間には常に見えない分厚い壁がそびえ立っていた。その口調も表情も柔らかく解けることは無い。
たった一度だけでも良かったんだ。
アイスブルーの瞳を柔らかく細めて、こちらに笑いかけてくれたら。プライベートな会話を交わすことができたら。
それだけで良かったのに。
奴が俺にしたことと言えば、将来を奪うことだった。
本当ならば俺は騎士などではなく料理人になりたかったのだ。料理は幸せだった頃の象徴だ。俺の作った料理を両親が食べ、幸せそうに笑う姿。その思い出を追いかけていつかは屋敷を出て料理の道へと進む、それが夢だった。
しかし士官学校へ半ば強制的に入れられたことによってその道は閉ざされることになる。俺をその道へ引き込んだのはフェリクスの意思だという。
「拾った孤児にまさかこれほどの剣の才能があるなんて」
拾った孤児を立派な騎士へ育て上げる夫妻というストーリーが彼らの頭の中に出来上がったわけだ。高潔な貴族を演じたいらしいルートベルク夫妻は俺が魔獣を倒したということやそれ以外の活躍に対して鼻が高かったようだ。
騎士になどならない、料理人として働くのだと訴えたら、お前を雇う店を片っ端から潰してやると脅しかけられる。ルートベルクのような力のある貴族に脅されて、俺のような平民を雇う勇気のある店などあるわけもない。料理人への夢はあっさりと踏みつぶされる。どこまでも腐った考えの持ち主だ。俺は否応なしに騎士団へ入るしか無くなった。
フェリクスの俺を見る瞳は年月を経ても相変わらず温度を感じさせないものだから、好かれているわけではないことは分かる。それどころか取り巻き連中を使って嫌がらせをしてくるから嫌われているのは間違いない。
直接自分で手を下して来ないところがまた何とも陰険な感じだ。
涼しい顔の下で、俺が嫌がらせを受ける様子を見てせせら笑っているのだと思うと腹立たしい。
俺も奴を嫌っているからお互い様だ。
時折あいつを見ると無性に苛立ちが込み上げてくるのだ。
奴の冷静な表情が崩れるのを見たくてたまらなくなる。
これまでの腹いせなのか、それとも別の感情から来るものなのか、もはや自分でも分からない。
あいつを体の下に組み敷いて、薄く開いた唇に自身のものを重ねてやったらどんな表情をするのだろう。流石に冷静ではいられなくなるのではないか。
そんな馬鹿馬鹿しく歪んだ考えが何度も頭を占める日があって、思いっきり頭を振って冷静さを取り戻す。
互いに嫌い合っているという状態はハッキリしているのに、嫌がらせのためなのかお気に入りのおもちゃを失うのが嫌なのか分からないが、フェリクスは俺を自分の元から手放そうとはしなかった。
「シド、ずっと僕の傍にいろ」
俺が欲しくてたまらない甘い言葉を淡々と放ち、嫌がらせの束縛のために使う。何という残酷な奴。
「はい」
俺は気持ちを押し殺し、温度を下げた視線を向けながら返事をする。
騎士団へ入った時、これでもう屋敷からもフェリクスからも解放されると思った。
あいつを見ていると日に日に募っていく苛立ちからこれでようやく……。そう思っていたはずなのに、何とフェリクスは黒狼騎士団へと入団してきたのだ。あいつは白鷲騎士団へ入団すると思っていたのに。王宮や式典の警護など華やかな仕事の多い白鷲騎士団に比べて、黒狼騎士団は魔獣退治や国境付近の見回りなど王宮の外の危険な仕事が中心だ。温室育ちのあいつに務まるはずもない。四つある騎士団の中で最も過酷な場所なのに。
俺への嫌がらせだとしてもいくらなんでもそこまでするわけがない…だろ。だったら何故なのか。理由が分からない。
騎士団へ入ったフェリクスは案の定この仕事に向いてないのは明らかだった。体力が無いせいで人一倍上官から扱かれている。
鎧だってまともに身に付けられない。俺は素早さを活かすために自ら鎧を纏うことを止めて胸当てだけに変更したが、フェリクスは体が付いて行かないから纏えなかった。
そんな状態なのは、もちろんあいつだけだ。
すぐに俺に何とかしてくれと命令してくるのかと思いきや、先日ハッキリと「もう俺に関わるな」という言葉を突き付けたためか、これまでのように俺を呼びつけてくることは一切無くなった。
立っているだけで華やかで人の目を惹きつける奴だというのに、あの日を境に見るからに自信を無くした様子でおどおどし出し、ひたすら気配を消そうとしている雰囲気が伝わってくる。
それはまるで雪豹が白兎に変わってしまったぐらいのものだ。
元々何を考えているのかよく分からない奴だったが、今の状態は更にその上をいく。突然の豹変に頭が混乱する。
俺の言葉を気にして? そんな、まさかな。
傍にいた時は姿を見ては苛々し、離れてもなおフェリクスの存在が気になって仕方がなくて苛々してくる。
そんな時だ。あいつとミハイルが会話している声が聞こえてきたのは。
咄嗟に廊下の壁に張り付くようにして立つ。俺は一体何をしているんだろう。自分の行動が不可解だ。何だかこの間と立場が逆だな……。
「フェリクス。君、大丈夫? 騎士団の連中に嫌がらせを受けているんじゃないの」
ミハイルとフェリクスに繋がりがあったことに驚くが、それ以上に嫌がらせを受けているという言葉が気になる。
見ていると苛々する奴だが、だからといって嫌がらせをされているあいつを見て胸のすく思いになるわけじゃない。むしろ……苛立ちは増すばかりだ。一体誰があいつに嫌がらせを?
「僕が注意しよう」
ミハイルは根のいい奴だ。それに正義感も強い。フェリクスの置かれている状況を見過ごせないのだろう。それは分かるのだが……ミハイルが間に入るべきことじゃないだろ。音が出ないようつま先で床をトントンと踏む。
この件はあいつが自分で何とかするべきじゃないのか。家の力でも何でも使って嫌がらせしてくる連中を黙らせてやればいいのだ。こういう時にこそ貴族の立場を使えばいい。俺の夢を踏みつぶしたルートベルク夫妻のように。
「いいんだ、ミハイル。これは僕が自分で何とかするべきことだから」
人に何でもやってもらうことに慣れているフェリクスだったが、意外にもミハイルの提案を断った。だがその口調はいつもとは違い自信というものが消えていて……その力のない声音を聞くだけで胸の辺りがもやもやとしてくる。
「そうかい? 僕で力になれることがあるならいつでも言ってくれよ」
「……ありがとう。君はとても親切なんだな。だから、きっとシドも……」
俺の名が出ていたような気もするが、最後の方の言葉はくぐもっていてよく聞こえなかった。
身を乗り出して細部まで聞こうとしたところで、ミハイルのものらしき足音がこちらに向かって近づいてくるので動きをピタリと止める。
訓練所から出てきたミハイルは俺の姿に気付くなり「わっ」と驚きの声をあげようとしたので、急いで口を塞ぐ。中のフェリクスに気付かれぬようミハイルに顎でついて来いと指示を出した。
「この騎士団では立ち聞きが流行しているのかなぁ」
中庭まで行ったところで立ち止まると、ミハイルが軽口を叩いてくる。それを無視して「いつからあいつと親しくなったんだ」と問いかける。
俺の言葉にミハイルはニヤニヤと目元を緩めた。
「ふうん、気になる?」
「あぁ?」
「君って実に分かりやすいよね。安心しなよ。いくらフェリクスが魅力的だとしても友人の想い人に手を出したりしない。それに僕にはちゃんと好きな子がいるんだから」
こいつのこういう全てを分かっていますっていうところが地味に腹立つ。黙り込んだ俺の心中を察したように言葉を続ける。
「何で分かるんだって思ってるだろ。何年友人やってると思ってるの。君のフェリクスに向ける感情は分かりやすいよ。……けっこう拗らせているみたいだけど。まぁ、そんな僕も彼のことは上手く読めなかったけれどねぇ。あの子感情を表に出さないから分かりづらいんだよ。シドぐらい分かりやすいと良かったんだけどねぇ」
「何だよ、あの子の感情って」
あの子とは……フェリクスのことか?
眉を顰める。あいつがどんな感情でいるっていうんだ。
「それは君自身で気付くべきだと思うよ。その曇り切った目を見開いて、ようくあの子自身を見てごらん。いけ好かない貴族や君がよく言っている『クソみたいなルートベルク家』っていう概念を取っ払って『フェリクス』という子をね。僕から助言できるのはそれぐらいだ」
くそ。妙に気になることを言いやがる。
「これ以上関わるなと言った相手にか? それに……あいつだってあの日以来俺を避けている」
これまでしつこいぐらいに俺を呼びつけてきた奴が、あの日を境に不自然なほど俺を避けまくっているのだ。俺の言葉など意に介すこともなくいつも通り呼びつけてくるだろうと思っていたのに、実際は違っていた。視線は逸らされるわ背を向けられるわでまともにあいつを見ることなど出来る訳もない。つま先でトントンと床を踏む。
「はぁ。いざ離れられたら寂しくなっちゃったんだ? 傍にいても苦しいのに、離れても苦しいんだ。結局苦しいなら傍にいたら良かったのに」
ミハイルが呆れたようにため息をつく。
「冗談じゃない。俺はマゾヒストじゃねえ」
これ以上あいつの傍にいたら自分でも何するか分からないぐらい頭がおかしくなりそうだったから離れたのだ。
「そんなこと言って、離れてても目で追ってるくせにねぇ。素直になりなよ。まあ、それはともかく僕がフェリクスを助けるのはいたいけで可哀想な子が見ていられないからだ。そこには何の下心もないから安心して」
いたいけ? 可哀想?
感情など持ち合わせていませんというフェリクスが?
どこをどう見たらそうなるのか。こいつの感性はさっぱり分からない。
初めて奴に会ったのは、両親を失い孤児となって路上で暮らしていた俺がルートベルクの屋敷に引き取られた時のことだった。
部屋でフェリクスに引き合わされた時、息をするのも忘れるぐらいに見入ってしまったことを今でも覚えている。
窓際に佇むあいつは、恐ろしく綺麗だった。
日に透ける白に見間違えるほどの淡いプラチナブロンドの髪も、白く滑らかな頬も、引き結ばれた薄い唇も全てが夢を見ていると思うほどに。こんなに綺麗なものがこの世にあったのかと感嘆した。
しかし、俺の方に向いたアイスブルーの瞳はその色と同じく温度を感じさせないものだった。
ああ、こいつもまた他の貴族の奴らと同様なのだ。俺を見下し、踏みつける奴らと。
こちらばかりが強く意識しているという状態に耐えきれず、ふいと視線を逸らした。
汚い孤児。それが屋敷の者達の俺に対する評価だった。だったら何故引き取ったんだとルートベルク夫妻に理由を尋ねてみたら実に馬鹿馬鹿しい答えが返って来た。慈善事業の一環だと。つまり奴らは俺を外聞のために利用しているに過ぎなかったのだ。
身なりを完璧に整え、言葉遣いを改めてみたところで彼らの評価は一切変わらなかった。相変わらず汚い孤児だと罵られる毎日。ひと時孤児だったというだけで何故こんな扱いを受けなければならないのか。
汚い孤児、フェリクスにもまたそう思われているのだと考えたら、胸の中が黒く淀んでいく心地がした。
偉そうな口調の、偉そうな奴、フェリクス。
あいつの口が開くのは俺に命令を下す時だけ。
魔獣から窮地を救っても、どんなにその身を守るために苦心しても、命令を忠実にこなしても俺に心を開かない。俺達の間には常に見えない分厚い壁がそびえ立っていた。その口調も表情も柔らかく解けることは無い。
たった一度だけでも良かったんだ。
アイスブルーの瞳を柔らかく細めて、こちらに笑いかけてくれたら。プライベートな会話を交わすことができたら。
それだけで良かったのに。
奴が俺にしたことと言えば、将来を奪うことだった。
本当ならば俺は騎士などではなく料理人になりたかったのだ。料理は幸せだった頃の象徴だ。俺の作った料理を両親が食べ、幸せそうに笑う姿。その思い出を追いかけていつかは屋敷を出て料理の道へと進む、それが夢だった。
しかし士官学校へ半ば強制的に入れられたことによってその道は閉ざされることになる。俺をその道へ引き込んだのはフェリクスの意思だという。
「拾った孤児にまさかこれほどの剣の才能があるなんて」
拾った孤児を立派な騎士へ育て上げる夫妻というストーリーが彼らの頭の中に出来上がったわけだ。高潔な貴族を演じたいらしいルートベルク夫妻は俺が魔獣を倒したということやそれ以外の活躍に対して鼻が高かったようだ。
騎士になどならない、料理人として働くのだと訴えたら、お前を雇う店を片っ端から潰してやると脅しかけられる。ルートベルクのような力のある貴族に脅されて、俺のような平民を雇う勇気のある店などあるわけもない。料理人への夢はあっさりと踏みつぶされる。どこまでも腐った考えの持ち主だ。俺は否応なしに騎士団へ入るしか無くなった。
フェリクスの俺を見る瞳は年月を経ても相変わらず温度を感じさせないものだから、好かれているわけではないことは分かる。それどころか取り巻き連中を使って嫌がらせをしてくるから嫌われているのは間違いない。
直接自分で手を下して来ないところがまた何とも陰険な感じだ。
涼しい顔の下で、俺が嫌がらせを受ける様子を見てせせら笑っているのだと思うと腹立たしい。
俺も奴を嫌っているからお互い様だ。
時折あいつを見ると無性に苛立ちが込み上げてくるのだ。
奴の冷静な表情が崩れるのを見たくてたまらなくなる。
これまでの腹いせなのか、それとも別の感情から来るものなのか、もはや自分でも分からない。
あいつを体の下に組み敷いて、薄く開いた唇に自身のものを重ねてやったらどんな表情をするのだろう。流石に冷静ではいられなくなるのではないか。
そんな馬鹿馬鹿しく歪んだ考えが何度も頭を占める日があって、思いっきり頭を振って冷静さを取り戻す。
互いに嫌い合っているという状態はハッキリしているのに、嫌がらせのためなのかお気に入りのおもちゃを失うのが嫌なのか分からないが、フェリクスは俺を自分の元から手放そうとはしなかった。
「シド、ずっと僕の傍にいろ」
俺が欲しくてたまらない甘い言葉を淡々と放ち、嫌がらせの束縛のために使う。何という残酷な奴。
「はい」
俺は気持ちを押し殺し、温度を下げた視線を向けながら返事をする。
騎士団へ入った時、これでもう屋敷からもフェリクスからも解放されると思った。
あいつを見ていると日に日に募っていく苛立ちからこれでようやく……。そう思っていたはずなのに、何とフェリクスは黒狼騎士団へと入団してきたのだ。あいつは白鷲騎士団へ入団すると思っていたのに。王宮や式典の警護など華やかな仕事の多い白鷲騎士団に比べて、黒狼騎士団は魔獣退治や国境付近の見回りなど王宮の外の危険な仕事が中心だ。温室育ちのあいつに務まるはずもない。四つある騎士団の中で最も過酷な場所なのに。
俺への嫌がらせだとしてもいくらなんでもそこまでするわけがない…だろ。だったら何故なのか。理由が分からない。
騎士団へ入ったフェリクスは案の定この仕事に向いてないのは明らかだった。体力が無いせいで人一倍上官から扱かれている。
鎧だってまともに身に付けられない。俺は素早さを活かすために自ら鎧を纏うことを止めて胸当てだけに変更したが、フェリクスは体が付いて行かないから纏えなかった。
そんな状態なのは、もちろんあいつだけだ。
すぐに俺に何とかしてくれと命令してくるのかと思いきや、先日ハッキリと「もう俺に関わるな」という言葉を突き付けたためか、これまでのように俺を呼びつけてくることは一切無くなった。
立っているだけで華やかで人の目を惹きつける奴だというのに、あの日を境に見るからに自信を無くした様子でおどおどし出し、ひたすら気配を消そうとしている雰囲気が伝わってくる。
それはまるで雪豹が白兎に変わってしまったぐらいのものだ。
元々何を考えているのかよく分からない奴だったが、今の状態は更にその上をいく。突然の豹変に頭が混乱する。
俺の言葉を気にして? そんな、まさかな。
傍にいた時は姿を見ては苛々し、離れてもなおフェリクスの存在が気になって仕方がなくて苛々してくる。
そんな時だ。あいつとミハイルが会話している声が聞こえてきたのは。
咄嗟に廊下の壁に張り付くようにして立つ。俺は一体何をしているんだろう。自分の行動が不可解だ。何だかこの間と立場が逆だな……。
「フェリクス。君、大丈夫? 騎士団の連中に嫌がらせを受けているんじゃないの」
ミハイルとフェリクスに繋がりがあったことに驚くが、それ以上に嫌がらせを受けているという言葉が気になる。
見ていると苛々する奴だが、だからといって嫌がらせをされているあいつを見て胸のすく思いになるわけじゃない。むしろ……苛立ちは増すばかりだ。一体誰があいつに嫌がらせを?
「僕が注意しよう」
ミハイルは根のいい奴だ。それに正義感も強い。フェリクスの置かれている状況を見過ごせないのだろう。それは分かるのだが……ミハイルが間に入るべきことじゃないだろ。音が出ないようつま先で床をトントンと踏む。
この件はあいつが自分で何とかするべきじゃないのか。家の力でも何でも使って嫌がらせしてくる連中を黙らせてやればいいのだ。こういう時にこそ貴族の立場を使えばいい。俺の夢を踏みつぶしたルートベルク夫妻のように。
「いいんだ、ミハイル。これは僕が自分で何とかするべきことだから」
人に何でもやってもらうことに慣れているフェリクスだったが、意外にもミハイルの提案を断った。だがその口調はいつもとは違い自信というものが消えていて……その力のない声音を聞くだけで胸の辺りがもやもやとしてくる。
「そうかい? 僕で力になれることがあるならいつでも言ってくれよ」
「……ありがとう。君はとても親切なんだな。だから、きっとシドも……」
俺の名が出ていたような気もするが、最後の方の言葉はくぐもっていてよく聞こえなかった。
身を乗り出して細部まで聞こうとしたところで、ミハイルのものらしき足音がこちらに向かって近づいてくるので動きをピタリと止める。
訓練所から出てきたミハイルは俺の姿に気付くなり「わっ」と驚きの声をあげようとしたので、急いで口を塞ぐ。中のフェリクスに気付かれぬようミハイルに顎でついて来いと指示を出した。
「この騎士団では立ち聞きが流行しているのかなぁ」
中庭まで行ったところで立ち止まると、ミハイルが軽口を叩いてくる。それを無視して「いつからあいつと親しくなったんだ」と問いかける。
俺の言葉にミハイルはニヤニヤと目元を緩めた。
「ふうん、気になる?」
「あぁ?」
「君って実に分かりやすいよね。安心しなよ。いくらフェリクスが魅力的だとしても友人の想い人に手を出したりしない。それに僕にはちゃんと好きな子がいるんだから」
こいつのこういう全てを分かっていますっていうところが地味に腹立つ。黙り込んだ俺の心中を察したように言葉を続ける。
「何で分かるんだって思ってるだろ。何年友人やってると思ってるの。君のフェリクスに向ける感情は分かりやすいよ。……けっこう拗らせているみたいだけど。まぁ、そんな僕も彼のことは上手く読めなかったけれどねぇ。あの子感情を表に出さないから分かりづらいんだよ。シドぐらい分かりやすいと良かったんだけどねぇ」
「何だよ、あの子の感情って」
あの子とは……フェリクスのことか?
眉を顰める。あいつがどんな感情でいるっていうんだ。
「それは君自身で気付くべきだと思うよ。その曇り切った目を見開いて、ようくあの子自身を見てごらん。いけ好かない貴族や君がよく言っている『クソみたいなルートベルク家』っていう概念を取っ払って『フェリクス』という子をね。僕から助言できるのはそれぐらいだ」
くそ。妙に気になることを言いやがる。
「これ以上関わるなと言った相手にか? それに……あいつだってあの日以来俺を避けている」
これまでしつこいぐらいに俺を呼びつけてきた奴が、あの日を境に不自然なほど俺を避けまくっているのだ。俺の言葉など意に介すこともなくいつも通り呼びつけてくるだろうと思っていたのに、実際は違っていた。視線は逸らされるわ背を向けられるわでまともにあいつを見ることなど出来る訳もない。つま先でトントンと床を踏む。
「はぁ。いざ離れられたら寂しくなっちゃったんだ? 傍にいても苦しいのに、離れても苦しいんだ。結局苦しいなら傍にいたら良かったのに」
ミハイルが呆れたようにため息をつく。
「冗談じゃない。俺はマゾヒストじゃねえ」
これ以上あいつの傍にいたら自分でも何するか分からないぐらい頭がおかしくなりそうだったから離れたのだ。
「そんなこと言って、離れてても目で追ってるくせにねぇ。素直になりなよ。まあ、それはともかく僕がフェリクスを助けるのはいたいけで可哀想な子が見ていられないからだ。そこには何の下心もないから安心して」
いたいけ? 可哀想?
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