4 / 4
第4話 コレヒサ、死す
しおりを挟む
「おぉ。アウル。だいぶ上手くなったな。あと3年もすればワシの絶頂期を遥かに超えられるじゃろう」
11歳になったノアは、ダンジョン第21階層まで来ていた。いつも見本を見せていたコレヒサは、今日は後ろで見守っている。
さっきまで斧を振り回していたオークは、バタリと倒れた。ノアがオークの斧を避けながら、首を切り落としたのだ。わずか20秒の出来事だった。
「ありがとうございます。コレヒサさん」
ノアがお礼を言うと、コレヒサはニコニコと頭を撫でた。恥ずかしいから辞めてほしいと言っても聞いてもらえない。いつものことだ。老人に拾われてから日常になったこと。
「それじゃ、戻ろうかの」
「もうですか……?」
「お前はこれ以上老人を働かせる気か」
カラカラとコレヒサは笑った。
嫌な予感に渋い顔をするノアを引きずるようにしてコレヒサは家に戻った。
コレヒサの家は、ダンジョンから西の方角に30分ほど歩いた山の奥にある。幸いにも資源に恵まれた山だ。
魔獣は食べられないこともないが、食べすぎると体に魔力が溜まってしまい魔力中毒を起こすので普段は山の鹿などを獲ったり木の実や野菜をとったりして生活していた。あとはひたすら、ノアの稽古。コレヒサは老人のわりにアホみたいに強く、剣術から体術、あとは効率的な狩り方やコツまで徹底的に叩き込まれた。主に実践で。
「コレヒサさん。いつもはもういくつかクエストを受けるでしょう?」
「なぁ、アウルよ。ワシは今いくつだと思う?」
今日のクエストでもらったお金を貯金箱に入れつつ、ノアは想定外の質問に目をパチリとさせた。貯金箱、と言ってもただの籠だが。ここは山奥だから、盗むような人もいない。
「70歳くらいでしょうか……?」
「ハハッ。全然違うぞ。102歳だ」
「ひゃ、102歳……!?」
驚きのあまり、ノアが椅子から勢いよく立ち上がる。ガシャン、と机の上の貯金箱が揺れた。
「あぁ。今年で102歳だ。それでアウル、お前は普通の冒険者の寿命を知ってるか?」
「60歳くらいですか?」
「だいたい35歳だと言われておる」
なんだかんだ言って、ノアは貴族とコレヒサとの生活以外をあまり知らない。貴族だとだいたい65歳~70歳までは生きると言われている。あまりに低い年齢に、今度は椅子に逆戻りした。力が抜けてしまったのだ。
「ワシは彼らの3倍近く生きとるわけだな」
「そんなに……」
絶句したノアに、コレヒサはぽんと肩を叩いた。ノアの隣の随分使い込まれた椅子に、よっこらしょと座る。
「アウル。ワシはこの先長くない。明日にでも死んでしまうかもしれん。分かるんだ、自分で」
「そんなの、気のせいですよ……」
「ノア」
本当の名前を呼ばれ、肩がびくつく。その小さい肩をコレヒサはさすった。さっきまで一緒にダンジョンに潜っていた老人の手は、前よりかなり冷たくなったような気がした。
「その名前は嫌いです」
「じゃあアウル。あんたは強い。まだ11歳だが、これから1人でやっていけるだろう。3年間、ワシはそういう風にお前を育てた。ワシの人生最後の、大仕事だ」
「でもまだ……」
「確かにワシも色々言いたいことはある。まずワシについて。ワシは、勇者だ」
「はぁ!?」
突然の事実に、ノアは素っ頓狂な声と共に顔を上げた。今まで落ち込んでいたのも忘れて。
「いや、元勇者と言った方が正しいかもしれん。勇者としてこの世に召喚されたが、しばらくして元の世界へと帰った。意識していたわけではないが、あるときふっと、向こうに意識が戻ったんだ。しかし、87歳で向こうで死んでから、今度はその歳のままこっちに来てしまったのだ」
「はぁ」
「それで今度はこっちで102歳まで生きた。一体何がどうなっとるのか、ワシにも分からん。この先のことも。だけどな」
コレヒサは一度深く息をついた。
「お前に出会った。ワシはお前に出会ったのは、必然的な運命だと感じとる。それだけは分かる。矛盾してるがな。たまたまギルドでアウルを拾った理由も、可哀想だから、というのだけではない」
「じゃあ、何のために……?」
「それは秘密だ。それでアウル。お前に1つ聞きたいことがあるんじゃ。ワシの人生最後に聞きたいことじゃ」
「何ですか……?」
コレヒサはノアの顔を覗き込んだ。今までにない優しい眼差しに、ノアは唾を飲み込む。
「アウル……いや、ノアは何がしたいんだ?」
「それはどういった……」
ノアが混乱する。そんなことを聞かれると思っていなかった。
「ワシはお前が貴族出身だということも分かっとるし、訳アリだということも分かっとる。そもそも最初に着ていたのも貴族の服だったしな。家でも出たんじゃろう?」
言い当てられ、ノアは黙って頷いた。
「何で出たんじゃ? わざわざ貴族の家を。しかも過酷な冒険者になって。何のために? ワシはずっと、そこが気になっとった……というか、分かっとる。でも、最終確認がしたいんじゃ」
「何のため……」
いじめられ続ける生活にうんざりしたから、というのが初めの理由だ。だけどそんなこと、コレヒサは大体分かっているだろう。
「自由に、なりたかったんです。知らない世界を、知りたかった」
数分考えたのち、ノアは答えた。そうだ。自分は昔から、あの狭い貴族社会から抜け出したかった。
「知らない世界はどうじゃった?」
「生きにくそう、でした。貴族以上に。たまに路上で子供が餓死しているし、よく物乞いがいます。家がない人々もたくさんいます。華やかな貴族の陰に、こんな生活があったんだな、と……」
「じゃろうな」
今までのいじめられていた生活が嫌になって家出したことが申し訳なくなるくらいには、一般市民の生活はそれは酷いものだった。
「まぁワシとしてはな。お前には死んでほしくない。でもお前の成し遂げたいことはしてほしい」
「はい」
「これ以上のことを聞くつもりはないが、決して死んだりするなよ」
「バレてるんですか?」
「あぁ。3年も一緒にいれば、分かる」
コレヒサは頷いた。
「きっとワシには止められん。お前だって自分のしたいことに半分気づいてないじゃろう。いつか、ワシが死んでから確信するじゃろうが。だけど自分の命を投げ打つことだけはするな、というのがワシの1番お前に言いたいことだ」
コレヒサは、気づいていた。ノアのしたいことに。
ノアには、ずっと隠し持っているものがある。
『復讐心』だ。
昔、ノアの日記を盗み見たことがあった。そこに書かれていたのは、ここでの生活と、それから。
今までノアが受けた虐待全てについてだった。
自分では死んでいたのではないかと思うほど、酷い罰たち。それをノアは淡々と綴っていた。
それから、貴族での生活を仔細に書き、その下に一般市民の生活を書いていた。
まるで歪んだ貴族社会と、救いのない一般人との比較をするかのような。
きっと彼は、憎んでいる。この世界を。
自分では推し量れないほどに。ノア自身も、分かっていないほどに。
だから、
――王族貴族全員を貶めて、もっとみんなが楽に生きられるようにできればいいのに。
なんて書くのだ。
コレヒサだって、多少王族や貴族に物申したいことはあった。勇者というのは非常にアンバランスな職業で、貴族としてもてなされるが、その実ダンジョンの攻略を先陣切って進めていくだけである。他の冒険者と同じように。
つまり、2つの生活が見えるのだ。
その差に苦しめられたこともあったが、コレヒサは見た見ぬフリをした。そうするしかなかった。
けれどノアには、あの子には強い意志と気力がある。あの子はきっと……
国を滅ぼしてしまうだろう。
これは単なる勘でしかない。
さっきからの自分の訳の分からない言葉に首を傾げている少年にそんなことができるとも思えない。
だのにコレヒサは確信していた。彼なら変えられるだろうと。この世界を。何度も生を得たコレヒサには分かっていた。
それに、ノアがきっとあの子に出会ったなら。
2人がもし出会うことができたら、世界は変わっていくだろう。
それを望んで、ノアを叩き上げたまである。
自分のできなかったことを、ノアにしてほしかったから。
あぁ、でもそれよりも。
思考に霧がかかってきた。さっきまでかくしゃくとしたいたのに。突然だった。だんだん脈が遅くなっていく感覚がする。
できればこの先ずっと、ノアとあの子のことを見守っていたかったのに……
「なぁ、アウル。ワシは眠くなってきた」
「コレヒサさん……?」
「いーい人生だったよ。2人も助けることができて。こんなに長生きして。こんなに満足できて。こんなにもいい人生はない」
目の前のノアが霞む。まるで猫みたいな、黒髪と黄色の目が心配するようにこっちを見ていた。最初に拾ったときは、シャー、と威嚇しそうだったのに。今は優しい目をしている。
さっきまで何で動けたんだろうというほど、体が言うことを聞かない。
声もだんだん聞こえなくなってきた。
「コレヒサさん、コレヒサさん!?」
ガタガタと肩を揺さぶられた。でもその感覚も次第になくなっていって……
「あったかい飯を腹いっぱい食って、あったかい布団で寝て。清潔な家で、優しい奥さんと子供と、幸せに暮らすんじゃぞ……」
この子に理想を押し付けたくはない。ただ幸せに生きてほしい。望むのはそれだけだ。
ノアという名前を嫌がるから、『アウル』と、苦労続きだったこの子が苦労しないように、不幸を感じたことのあるこの子に福が来るように、強くなるように、賢くなるように名付けてまでしまった。
きっとこの子を深く深く愛していたのだろうと、ついぞ本物の子供を持つことのなかったコレヒサはそっと思った。
日本に戻っても結婚できなかったし、1人静かに死んでここに来た。
今は自分を愛して看取ってくれる人がいる。自分が愛して、心から幸せを願える人が看取ってくれる。
「お前に会ってからは、幸せな人生じゃった……そうじゃ、2つ名を、授けよう」
それでもきっと、この子は満足しない。幸せな生活だけには、満足できない。
「2つ名? そんなのどうでもいいから、早く。横になろう? ゆっくりして、美味しいものでも食べたら……」
「昔、聞いたことがあったんじゃ。勇者に2つ名を考えてもらえたものは、強くなれると。魔力を持つものを許されるのは、魔族と勇者だけじゃ。勇者が、2つ名を、与えたら、魔力も、分け与えることができる。勇者は、死んでしまうが」
「何言ってんだよ! そんなのいらないから、安静に……」
「《アンノウン・デストロイヤー》」
「は!?」
「静かに国を蝕んでいけ、アウル。未知の破壊者になるのだ」
コレヒサは手を伸ばした。ほとんど力のない手を、ノアの額に向ける。ほぼ無意識だった。ただそうするべきだと分かった。2つ名の話は、正しかったのかもしれない。
最も、英語を知らないノアに伝わるかは分からないが。
コレヒサの指先がノアの額にぶつかった瞬間、光が弾けた。奇妙な、形容しがたい色のその光は、ノアに注ぎ込まれていく。
「幸せだったよ」
老人の、最期の言葉だった。
――人間は、死んでも数分は聴覚は生きていると言う。
「コレヒサさん。俺は貴方に出会えて良かった。俺も……幸せでした」
コレヒサが意識を失って少し。
涙混じりのノアの声は、届いていただろうか。
11歳になったノアは、ダンジョン第21階層まで来ていた。いつも見本を見せていたコレヒサは、今日は後ろで見守っている。
さっきまで斧を振り回していたオークは、バタリと倒れた。ノアがオークの斧を避けながら、首を切り落としたのだ。わずか20秒の出来事だった。
「ありがとうございます。コレヒサさん」
ノアがお礼を言うと、コレヒサはニコニコと頭を撫でた。恥ずかしいから辞めてほしいと言っても聞いてもらえない。いつものことだ。老人に拾われてから日常になったこと。
「それじゃ、戻ろうかの」
「もうですか……?」
「お前はこれ以上老人を働かせる気か」
カラカラとコレヒサは笑った。
嫌な予感に渋い顔をするノアを引きずるようにしてコレヒサは家に戻った。
コレヒサの家は、ダンジョンから西の方角に30分ほど歩いた山の奥にある。幸いにも資源に恵まれた山だ。
魔獣は食べられないこともないが、食べすぎると体に魔力が溜まってしまい魔力中毒を起こすので普段は山の鹿などを獲ったり木の実や野菜をとったりして生活していた。あとはひたすら、ノアの稽古。コレヒサは老人のわりにアホみたいに強く、剣術から体術、あとは効率的な狩り方やコツまで徹底的に叩き込まれた。主に実践で。
「コレヒサさん。いつもはもういくつかクエストを受けるでしょう?」
「なぁ、アウルよ。ワシは今いくつだと思う?」
今日のクエストでもらったお金を貯金箱に入れつつ、ノアは想定外の質問に目をパチリとさせた。貯金箱、と言ってもただの籠だが。ここは山奥だから、盗むような人もいない。
「70歳くらいでしょうか……?」
「ハハッ。全然違うぞ。102歳だ」
「ひゃ、102歳……!?」
驚きのあまり、ノアが椅子から勢いよく立ち上がる。ガシャン、と机の上の貯金箱が揺れた。
「あぁ。今年で102歳だ。それでアウル、お前は普通の冒険者の寿命を知ってるか?」
「60歳くらいですか?」
「だいたい35歳だと言われておる」
なんだかんだ言って、ノアは貴族とコレヒサとの生活以外をあまり知らない。貴族だとだいたい65歳~70歳までは生きると言われている。あまりに低い年齢に、今度は椅子に逆戻りした。力が抜けてしまったのだ。
「ワシは彼らの3倍近く生きとるわけだな」
「そんなに……」
絶句したノアに、コレヒサはぽんと肩を叩いた。ノアの隣の随分使い込まれた椅子に、よっこらしょと座る。
「アウル。ワシはこの先長くない。明日にでも死んでしまうかもしれん。分かるんだ、自分で」
「そんなの、気のせいですよ……」
「ノア」
本当の名前を呼ばれ、肩がびくつく。その小さい肩をコレヒサはさすった。さっきまで一緒にダンジョンに潜っていた老人の手は、前よりかなり冷たくなったような気がした。
「その名前は嫌いです」
「じゃあアウル。あんたは強い。まだ11歳だが、これから1人でやっていけるだろう。3年間、ワシはそういう風にお前を育てた。ワシの人生最後の、大仕事だ」
「でもまだ……」
「確かにワシも色々言いたいことはある。まずワシについて。ワシは、勇者だ」
「はぁ!?」
突然の事実に、ノアは素っ頓狂な声と共に顔を上げた。今まで落ち込んでいたのも忘れて。
「いや、元勇者と言った方が正しいかもしれん。勇者としてこの世に召喚されたが、しばらくして元の世界へと帰った。意識していたわけではないが、あるときふっと、向こうに意識が戻ったんだ。しかし、87歳で向こうで死んでから、今度はその歳のままこっちに来てしまったのだ」
「はぁ」
「それで今度はこっちで102歳まで生きた。一体何がどうなっとるのか、ワシにも分からん。この先のことも。だけどな」
コレヒサは一度深く息をついた。
「お前に出会った。ワシはお前に出会ったのは、必然的な運命だと感じとる。それだけは分かる。矛盾してるがな。たまたまギルドでアウルを拾った理由も、可哀想だから、というのだけではない」
「じゃあ、何のために……?」
「それは秘密だ。それでアウル。お前に1つ聞きたいことがあるんじゃ。ワシの人生最後に聞きたいことじゃ」
「何ですか……?」
コレヒサはノアの顔を覗き込んだ。今までにない優しい眼差しに、ノアは唾を飲み込む。
「アウル……いや、ノアは何がしたいんだ?」
「それはどういった……」
ノアが混乱する。そんなことを聞かれると思っていなかった。
「ワシはお前が貴族出身だということも分かっとるし、訳アリだということも分かっとる。そもそも最初に着ていたのも貴族の服だったしな。家でも出たんじゃろう?」
言い当てられ、ノアは黙って頷いた。
「何で出たんじゃ? わざわざ貴族の家を。しかも過酷な冒険者になって。何のために? ワシはずっと、そこが気になっとった……というか、分かっとる。でも、最終確認がしたいんじゃ」
「何のため……」
いじめられ続ける生活にうんざりしたから、というのが初めの理由だ。だけどそんなこと、コレヒサは大体分かっているだろう。
「自由に、なりたかったんです。知らない世界を、知りたかった」
数分考えたのち、ノアは答えた。そうだ。自分は昔から、あの狭い貴族社会から抜け出したかった。
「知らない世界はどうじゃった?」
「生きにくそう、でした。貴族以上に。たまに路上で子供が餓死しているし、よく物乞いがいます。家がない人々もたくさんいます。華やかな貴族の陰に、こんな生活があったんだな、と……」
「じゃろうな」
今までのいじめられていた生活が嫌になって家出したことが申し訳なくなるくらいには、一般市民の生活はそれは酷いものだった。
「まぁワシとしてはな。お前には死んでほしくない。でもお前の成し遂げたいことはしてほしい」
「はい」
「これ以上のことを聞くつもりはないが、決して死んだりするなよ」
「バレてるんですか?」
「あぁ。3年も一緒にいれば、分かる」
コレヒサは頷いた。
「きっとワシには止められん。お前だって自分のしたいことに半分気づいてないじゃろう。いつか、ワシが死んでから確信するじゃろうが。だけど自分の命を投げ打つことだけはするな、というのがワシの1番お前に言いたいことだ」
コレヒサは、気づいていた。ノアのしたいことに。
ノアには、ずっと隠し持っているものがある。
『復讐心』だ。
昔、ノアの日記を盗み見たことがあった。そこに書かれていたのは、ここでの生活と、それから。
今までノアが受けた虐待全てについてだった。
自分では死んでいたのではないかと思うほど、酷い罰たち。それをノアは淡々と綴っていた。
それから、貴族での生活を仔細に書き、その下に一般市民の生活を書いていた。
まるで歪んだ貴族社会と、救いのない一般人との比較をするかのような。
きっと彼は、憎んでいる。この世界を。
自分では推し量れないほどに。ノア自身も、分かっていないほどに。
だから、
――王族貴族全員を貶めて、もっとみんなが楽に生きられるようにできればいいのに。
なんて書くのだ。
コレヒサだって、多少王族や貴族に物申したいことはあった。勇者というのは非常にアンバランスな職業で、貴族としてもてなされるが、その実ダンジョンの攻略を先陣切って進めていくだけである。他の冒険者と同じように。
つまり、2つの生活が見えるのだ。
その差に苦しめられたこともあったが、コレヒサは見た見ぬフリをした。そうするしかなかった。
けれどノアには、あの子には強い意志と気力がある。あの子はきっと……
国を滅ぼしてしまうだろう。
これは単なる勘でしかない。
さっきからの自分の訳の分からない言葉に首を傾げている少年にそんなことができるとも思えない。
だのにコレヒサは確信していた。彼なら変えられるだろうと。この世界を。何度も生を得たコレヒサには分かっていた。
それに、ノアがきっとあの子に出会ったなら。
2人がもし出会うことができたら、世界は変わっていくだろう。
それを望んで、ノアを叩き上げたまである。
自分のできなかったことを、ノアにしてほしかったから。
あぁ、でもそれよりも。
思考に霧がかかってきた。さっきまでかくしゃくとしたいたのに。突然だった。だんだん脈が遅くなっていく感覚がする。
できればこの先ずっと、ノアとあの子のことを見守っていたかったのに……
「なぁ、アウル。ワシは眠くなってきた」
「コレヒサさん……?」
「いーい人生だったよ。2人も助けることができて。こんなに長生きして。こんなに満足できて。こんなにもいい人生はない」
目の前のノアが霞む。まるで猫みたいな、黒髪と黄色の目が心配するようにこっちを見ていた。最初に拾ったときは、シャー、と威嚇しそうだったのに。今は優しい目をしている。
さっきまで何で動けたんだろうというほど、体が言うことを聞かない。
声もだんだん聞こえなくなってきた。
「コレヒサさん、コレヒサさん!?」
ガタガタと肩を揺さぶられた。でもその感覚も次第になくなっていって……
「あったかい飯を腹いっぱい食って、あったかい布団で寝て。清潔な家で、優しい奥さんと子供と、幸せに暮らすんじゃぞ……」
この子に理想を押し付けたくはない。ただ幸せに生きてほしい。望むのはそれだけだ。
ノアという名前を嫌がるから、『アウル』と、苦労続きだったこの子が苦労しないように、不幸を感じたことのあるこの子に福が来るように、強くなるように、賢くなるように名付けてまでしまった。
きっとこの子を深く深く愛していたのだろうと、ついぞ本物の子供を持つことのなかったコレヒサはそっと思った。
日本に戻っても結婚できなかったし、1人静かに死んでここに来た。
今は自分を愛して看取ってくれる人がいる。自分が愛して、心から幸せを願える人が看取ってくれる。
「お前に会ってからは、幸せな人生じゃった……そうじゃ、2つ名を、授けよう」
それでもきっと、この子は満足しない。幸せな生活だけには、満足できない。
「2つ名? そんなのどうでもいいから、早く。横になろう? ゆっくりして、美味しいものでも食べたら……」
「昔、聞いたことがあったんじゃ。勇者に2つ名を考えてもらえたものは、強くなれると。魔力を持つものを許されるのは、魔族と勇者だけじゃ。勇者が、2つ名を、与えたら、魔力も、分け与えることができる。勇者は、死んでしまうが」
「何言ってんだよ! そんなのいらないから、安静に……」
「《アンノウン・デストロイヤー》」
「は!?」
「静かに国を蝕んでいけ、アウル。未知の破壊者になるのだ」
コレヒサは手を伸ばした。ほとんど力のない手を、ノアの額に向ける。ほぼ無意識だった。ただそうするべきだと分かった。2つ名の話は、正しかったのかもしれない。
最も、英語を知らないノアに伝わるかは分からないが。
コレヒサの指先がノアの額にぶつかった瞬間、光が弾けた。奇妙な、形容しがたい色のその光は、ノアに注ぎ込まれていく。
「幸せだったよ」
老人の、最期の言葉だった。
――人間は、死んでも数分は聴覚は生きていると言う。
「コレヒサさん。俺は貴方に出会えて良かった。俺も……幸せでした」
コレヒサが意識を失って少し。
涙混じりのノアの声は、届いていただろうか。
0
お気に入りに追加
18
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(1件)
あなたにおすすめの小説
追憶の刃ーーかつて時空を飛ばされた殺人鬼は、記憶を失くし、200年後の世界で学生として生きるーー
ノリオ
ファンタジー
今から約200年前。
ある一人の男が、この世界に存在する数多の人間を片っ端から大虐殺するという大事件が起こった。
犠牲となった人数は千にも万にも及び、その規模たるや史上最大・空前絶後であることは、誰の目にも明らかだった。
世界中の強者が権力者が、彼を殺そうと一心奮起し、それは壮絶な戦いを生んだ。
彼自身だけでなく国同士の戦争にまで発展したそれは、世界中を死体で埋め尽くすほどの大惨事を引き起こし、血と恐怖に塗れたその惨状は、正に地獄と呼ぶにふさわしい有様だった。
世界は瀕死だったーー。
世界は終わりかけていたーー。
世界は彼を憎んだーー。
まるで『鬼』のように残虐で、
まるで『神』のように強くて、
まるで『鬼神』のような彼に、
人々は恐れることしか出来なかった。
抗わず、悲しんで、諦めて、絶望していた。
世界はもう終わりだと、誰もが思った。
ーー英雄は、そんな時に現れた。
勇気ある5人の戦士は彼と戦い、致命傷を負いながらも、時空間魔法で彼をこの時代から追放することに成功した。
彼は強い憎しみと未練を残したまま、英雄たちの手によって別の次元へと強制送還され、新たな1日を送り始める。
しかしーー送られた先で、彼には記憶がなかった。 彼は一人の女の子に拾われ、自らの復讐心を忘れたまま、政府の管理する学校へと通うことになる。
神速の成長チート! ~無能だと追い出されましたが、逆転レベルアップで最強異世界ライフ始めました~
雪華慧太
ファンタジー
高校生の裕樹はある日、意地の悪いクラスメートたちと異世界に勇者として召喚された。勇者に相応しい力を与えられたクラスメートとは違い、裕樹が持っていたのは自分のレベルを一つ下げるという使えないにも程があるスキル。皆に嘲笑われ、さらには国王の命令で命を狙われる。絶体絶命の状況の中、唯一のスキルを使った裕樹はなんとレベル1からレベル0に。絶望する裕樹だったが、実はそれがあり得ない程の神速成長チートの始まりだった! その力を使って裕樹は様々な職業を極め、異世界最強に上り詰めると共に、極めた生産職で快適な異世界ライフを目指していく。
『殺す』スキルを授かったけど使えなかったので追放されました。お願いなので静かに暮らさせてください。
晴行
ファンタジー
ぼっち高校生、冷泉刹華(れいぜい=せつか)は突然クラスごと異世界への召喚に巻き込まれる。スキル付与の儀式で物騒な名前のスキルを授かるも、試したところ大した能力ではないと判明。いじめをするようなクラスメイトに「ビビらせんな」と邪険にされ、そして聖女に「スキル使えないならいらないからどっか行け」と拷問されわずかな金やアイテムすら与えられずに放り出され、着の身着のままで異世界をさまよう羽目になる。しかし路頭に迷う彼はまだ気がついていなかった。自らのスキルのあまりのチートさゆえ、世界のすべてを『殺す』権利を手に入れてしまったことを。不思議なことに自然と集まってくる可愛い女の子たちを襲う、残酷な運命を『殺し』、理不尽に偉ぶった奴らや強大な敵、クラスメイト達を蚊を払うようにあしらう。おかしいな、俺は独りで静かに暮らしたいだけなんだがと思いながら――。
冤罪をかけられ、彼女まで寝取られた俺。潔白が証明され、皆は後悔しても戻れない事を知ったらしい
一本橋
恋愛
痴漢という犯罪者のレッテルを張られた鈴木正俊は、周りの信用を失った。
しかし、その実態は私人逮捕による冤罪だった。
家族をはじめ、友人やクラスメイトまでもが見限り、ひとり孤独へとなってしまう。
そんな正俊を慰めようと現れた彼女だったが、そこへ私人逮捕の首謀者である“山本”の姿が。
そこで、唯一の頼みだった彼女にさえも裏切られていたことを知ることになる。
……絶望し、身を投げようとする正俊だったが、そこに学校一の美少女と呼ばれている幼馴染みが現れて──
異世界帰りの勇者は現代社会に戦いを挑む
大沢 雅紀
ファンタジー
ブラック企業に勤めている山田太郎は、自らの境遇に腐ることなく働いて金をためていた。しかし、やっと挙げた結婚式で裏切られてしまう。失意の太郎だったが、異世界に勇者として召喚されてしまった。
一年後、魔王を倒した太郎は、異世界で身に着けた力とアイテムをもって帰還する。そして自らを嵌めたクラスメイトと、彼らを育んた日本に対して戦いを挑むのだった。
クラス転移して授かった外れスキルの『無能』が理由で召喚国から奈落ダンジョンへ追放されたが、実は無能は最強のチートスキルでした
コレゼン
ファンタジー
小日向 悠(コヒナタ ユウ)は、クラスメイトと一緒に異世界召喚に巻き込まれる。
クラスメイトの幾人かは勇者に剣聖、賢者に聖女というレアスキルを授かるが一方、ユウが授かったのはなんと外れスキルの無能だった。
召喚国の責任者の女性は、役立たずで戦力外のユウを奈落というダンジョンへゴミとして廃棄処分すると告げる。
理不尽に奈落へと追放したクラスメイトと召喚者たちに対して、ユウは復讐を誓う。
ユウは奈落で無能というスキルが実は『すべてを無にする』、最強のチートスキルだということを知り、奈落の規格外の魔物たちを無能によって倒し、規格外の強さを身につけていく。
これは、理不尽に追放された青年が最強のチートスキルを手に入れて、復讐を果たし、世界と己を救う物語である。
クラス転移で無能判定されて追放されたけど、努力してSSランクのチートスキルに進化しました~【生命付与】スキルで異世界を自由に楽しみます~
いちまる
ファンタジー
ある日、クラスごと異世界に召喚されてしまった少年、天羽イオリ。
他のクラスメートが強力なスキルを発現させてゆく中、イオリだけが最低ランクのEランクスキル【生命付与】の持ち主だと鑑定される。
「無能は不要だ」と判断した他の生徒や、召喚した張本人である神官によって、イオリは追放され、川に突き落とされた。
しかしそこで、川底に沈んでいた謎の男の力でスキルを強化するチャンスを得た――。
1千年の努力とともに、イオリのスキルはSSランクへと進化!
自分を拾ってくれた田舎町のアイテムショップで、チートスキルをフル稼働!
「転移者が世界を良くする?」
「知らねえよ、俺は異世界を自由気ままに楽しむんだ!」
追放された少年の第2の人生が、始まる――!
※本作品は他サイト様でも掲載中です。
剣と弓の世界で俺だけ魔法を使える~最強ゆえに余裕がある追放生活~
初雪空
ファンタジー
ランストック伯爵家にいた、ジン。
彼はいつまでも弱く、レベル1のまま。
ある日、兄ギュンターとの決闘に負けたことで追放。
「お前のような弱者は不要だ!」
「はーい!」
ジンは、意外に素直。
貧弱なモヤシと思われていたジンは、この世界で唯一の魔法使い。
それも、直接戦闘ができるほどの……。
ただのジンになった彼は、世界を支配できるほどの力を持ったまま、旅に出た。
問題があるとすれば……。
世界で初めての存在ゆえ、誰も理解できず。
「ファイアーボール!」と言う必要もない。
ただ物質を強化して、逆に消し、あるいは瞬間移動。
そして、ジンも自分を理解させる気がない。
「理解させたら、ランストック伯爵家で飼い殺しだ……」
狙って追放された彼は、今日も自由に過ごす。
この物語はフィクションであり、実在する人物、団体等とは一切関係ないことをご承知おきください。
また、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。
※ カクヨム、小説家になろう、ハーメルンにも連載中
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
おもしろい!
お気に入りに登録しました~
ありがとうございます!!