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第九章 陰謀うずまき、かめ走る

不埒なキスの行方

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 自分から接吻キスを仕掛けるなんて・・・!

 戸惑って下唇したくちびるんでいると、新一しんいちがおもむろに目を閉じた。
 美しく長い睫毛まつげ間近まぢかに見ながら、あたしはゴクンとつばを飲みこんだ。

 ええい、よ!

 背伸びして新一しんいちの唇にあたしの唇を合わせた途端とたん新一しんいちの肩がビクッと動き、すぐにあたしの肩をつかんで引き離したの。

 あたしは驚いて、新一しんいちと見つめ合った

「・・・。」

 自分の唇を抑えた新一しんいちは赤い頬をさらに赤くして、明らかに狼狽うろたえているようだった。

 わーん、あたし・・・間違えた⁉

 そうよ、新一しんいちはいつも淑女レディーと品格について教えてくれていたのに、自分から殿方の唇にキスをするなんて、不埒ふらちな行為だったんだわ!

 もうダメ! 恥ずかしくて死にそうよ‼

 あたしはきびすを返すと、一目散に走ってその場から逃げた。

 ※

 紅葉並木もみじなみきを走り抜け東宮御所とうぐうごしょの前まで来ると、橋の上であたしは足を止めた。
 そして、池の水面みなもに映る自分の残像ざんぞうに思い切り叫んだ。

「あたしのおバカーーー‼」

 ヘタこいた。完全に。

 水の流れをしばらく見ていると、頭がえてきて余計に自己嫌悪におちいるわ。
 
 途中までは、あんなにいい雰囲気だったのに・・・。
 考えれば考えるほど深い闇の中に落ちていくようで、あたしは思い切って身投げしようかと橋の欄干らんかんに足をかけた。

 でも足が短すぎて、簡単には手すり部分を乗り越えられないの!
 クッソ。芋虫いもむしには身投げもできないなんて。

「おい、早まるな!」

 あたしは背後から聞こえた男の声に飛び上がって、危うく手すりを乗り越えそうになったの。
 もう! 急に声をかけたら危ないじゃない!

 声の主は新二しんじだった。
 グラリと落ちそうになるあたしの肩を素早く引き寄せて、欄干らんかんの柱の横に座らせてくれたの。

 怖かった。

 新二しんじが居なかったら、本当に秋の冷たい水の中に飛び込んでいたかもしれないわ。

 新二しんじはしゃがみ込むと、息を切らしてあたしに目線を合わせた。
「もしかして、兄上に何かされた?」

 いいえ、あたしが何かしたほうよ。
 悪いけど加害者なの。

「違うの。
 あたしは・・・大蒼たいせいにも新一しんいちにもふさわしくない女だわ。」

 訳も言わずに泣きじゃくるあたしに、新二しんじは優しくこう言った。

「俺じゃダメか?」
 顔を上げると、新二しんじも目を赤くして目に涙を溜めていた。

「俺は兄上の秘密を知ってる。あんたを助けたいんだ。」

 秘密?

新一しんいちがおかみの隠し子だということなら、大蒼たいせいから聞いたわ。」
「それだけじゃないんだ。」

 新二しんじは鼻をすすると、空をあおいだ。
 あたしもつられて夜空を見ると、月が黒い雲に隠れておぼろげにかすんだわ。

葛丸かつらまると兄上が、あんたを利用して東宮とうぐうを暗殺しようとしているんだよ。」

 ※

 暗殺?
 どういうこと!?

「先日、内閣ないかく総辞職したおれて新しい政権ができたのは知っているか?」

 もちろんよ。
 忙しい大蒼たいせいのために時事問題じじもんだいや新聞の記事を読み聞かせるというのも典侍てんじの職務だもの。

世論よろんの声に後押しされて、ついに25歳以上の男性全てが有権者になるという法律が議会で決まったんだ。
 だが、そうなると華族の立場が弱くなる。
 時代とともに身分制度のわくが弱体化して、華族はその存在意義が問われているんだ。」

 あたしは、旧公爵邸に忍び込んだ時に庭で盗み聞いた旦那様と葛丸かつらまる様の会話を思い出した。
 あの時は勉強不足でよく分からなかったけど、旦那様は華族の危機をとても杞憂きゆうしていらしたわ。

葛丸かつらまるは兄上の血筋ちすじを利用し、皇太子として取り立てることで華族の立場を強化しようとしているのさ。」

 わーん。葛丸かつらまる様って残念色男イケメン
 悪いことに使う頭があるならいことに使った方が、長期的にはプラスになっているものなのに。

 でも、その話とあたしがどうつながるの?

「兄上はかめを色じかけでとりこにして、東宮とうぐうとつがせた後に暗殺させる気なんだ。」

 色じかけ?

 あたしの脳裏のうりに菊子様の言葉がよみがえった。
「髪結いに気を付けて」という謎の言葉は、こういうことだったのかしら⁉

「あたし・・・分からない。
 それじゃあ、菊子様の失踪しっそうもあたしの影武者みがわりも、最初から何もかも嘘で仕組まれていたことだったの?」

「ああ。許せないよな・・・。」

 許せないし、苦しい。

 新一しんいち柔和やわらかな表情や手触り、あたしを呼ぶあの声も全部がニセモノだったなんて。
 涙と嗚咽おえつで、呼吸ができない。

 好きだったのにッ・・・。

 新二しんじが優しくあたしの背中をさすりながら、耳元でささやいた。

「かめには、俺が居るよ。」

 そして、あたしのあごをクイッと持ち上げると、唇に接吻キスをした・・・。

 と思ったら、新二しんじの口からあたしの口の中に、液体が流れ込んできたの。
 ワワッ、何よこれ!

 ピッタリと唇を密着させているから吐き出す訳にはいかなくて、思わず注がれたモノを飲み干してから、あたしはゲホゲホとせきこんだ。

「何を飲ませたの?」
「えらいね、全部飲んでくれて♪」

 口をぬぐいながら新二しんじはずんだ声を出した。

「俺だけを好きになる媚薬びやくだよ。
 もうかめは、俺のことしか見えなくなるんだ。」

 狂ってる。
 あたしは朦朧もうろうとする意識と戦いながら、新二しんじにらんだ。
 
 でも、どうしよう。
 新二しんじの言う通り、何だか頭がボーッとして、身体のしんが熱くなってきたわ。

「ただ俺たちの未来にも、東宮とうぐうは確かに邪魔なんだ。」

 新二しんじは粉末の入ったびんをあたしの手に持たせると、耳たぶを甘噛あまがみした。

 あッ!
 新二しんじに噛まれて、嬉しい・・・!

 でも、それを気持ち悪いと思う自分も居て、あたしは目まいがした。

東宮とうぐうは水風呂に入る習慣があるだろう?その時にこの入浴剤を浴槽の水に混ぜてほしい。
 かめにならできるよね。」
「これは・・・何?」

葛丸かつらまるが輸入した、経皮吸収される毒。         
 苦しまずにけるらしいよ。」

 あたしは力を振り絞って、瓶と新二しんじの手を振り払った。
 
「あれ・・・? まだ媚薬びやくが効いていないのかな。」

 新二しんじは強引にあたしを抱きしめると、そのまま木陰こかげに引き倒した。

「確かめてみるか!」

 きゃああ!
 やめて、誰か助けて!!
 
「俺は本気なんだ。
 本当にかめを幸せにするつもりなんだ。
 そのためには、多少の犠牲もいとわない。」

 その時、気がついたの。
 新二しんじの身体から、確かに松の精油の匂いがしたわ。

 あたしは震える声を絞り出しながら聞いた。
「あなた・・・覆面の男は、もしかして新二しんじなの?」

 あたしを組み伏せようとする新二しんじの動きが止まった。

「あたしを好きだから東宮とうぐうを殺そうだなんて、大嘘おおうそよ。
 あなたも大蒼たいせいに恨みがあるのね。」

「かめのくせに、変に勘はいいね。」
 新二しんじ声色こわいろが低く変化した。

犬養いぬかいの家も、俺たちが生まれる前は没落ぼつらくした伯爵家だった。
 髪結いになんて、なりたくてなったわけじゃない。
 生まれた家の違いというだけで、どうして華族だけが全てを皇室に捧げなきゃならないんだ。
 俺たちは新しい世界、新しい華族を作る。」

 あたしの両腕を麻縄で縛り上げると、新二しんじはあたしのほほをペロリとめた。

 うう。
 快感なのが悔しい。

「そのために、かめは絶対服従の俺の手足になってもらう。
 いいよね。」

 あたしの着物のえりを乱暴にはだけた瞬間、新二しんじが横に吹き飛んだ。

 何が起きたの?

 目を凝らしてよく見ると、闇夜に男が着流しのすそひるがえして立っていた。

新一しんいち!」

 その端正な顔からは色が消え、えとした表情は見るものをすくませる。

 あたしを助けにきてくれたの?
 でも、葛丸かつらまる新一しんいちは仲間だって言ってたのに・・・。

 新二しんじは、蹴られた横腹よこっぱらを抱えながら地面に横たわると、脂汗あぶらあせを流した。

「兄上・・・。
 な、何を怒っているんだ?
 俺たちは同志じゃないか。」

「かめに手を出すな。」

「あんたがいつまでもかめを手に入れられないからだろ?                     俺があんたの役目を肩代わりしようとしているのに!
 それとも、本当に演技じゃなく、この女に惚れたの?」

 新一しんいちくらい目で新二しんじを見下ろすと、何も言わずに顎先あごさきに鋭い足蹴りを振り下ろした。

 新二しんじは苦しそうにうめくと、気を失ってその場にのびた。

「残念ながら、俺とお前は違う明日を見ていたようだ。」

 新一しんいちの後ろから大蒼たいせいが顔を出した。

「かめ! 怖かったよね。
 気をしっかり持って。」

 大蒼たいせいは動けないあたしに駆け寄ると縄を外し、自分の羽織はおりであたしの身体をくるんでくれた。

 助かったの・・・?
 でも、どうしてこの場に新一しんいち大蒼たいせいそろって居るの?

 頭の中に蜘蛛の巣がかかっていて、考えが整理できない。

 大蒼たいせいにお姫様抱っこされたあたしに、新一しんいちが優しく声をかけた。

「怖い思いをさせて悪かったな。
 だが、これで葛丸かつらまるを捕まえる証拠がそろった。」

「捕まえる?
 新一しんいちは、葛丸かつらまる様の仲間じゃないの?」

だましていてゴメン。」

 新一しんいち神妙しんみょうおももちで目を伏せた。

「本当の俺の役職は、
 東宮とうぐう付きの秘密警察ひみつけいさつなんだ。」
 
 


 

 

 
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