かめは蝶の夢を見る~影武者女中は365日後、公爵令嬢に変身したいのです!

ゆきんこ

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第八章 かめ、ついに出仕する

これが恋といふもの

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 東宮御所とうぐうごしょは皇居の東方とうほう一角いっかくに位置していて、敷地内の4対ある門の一つ【春門】から入ると、いくつも曲がりくねった道の先にあるの。
 東京にこんな場所があったのかと驚くくらいの緑地帯りょくちたいが広がっていて、その奥の浮世から隔離かくりされた森の中には、最新の建築技術のすいが集められた二階建ての御所が鎮座ちんざしていたわ。

 それは家というよりも立派な美術館のようなたたずまいで、【御所】というものを初めて見たあたしは、想像をはるかに凌駕りょうがする美しくて大きな建造物に圧倒された。

 おそらく、普通の一軒家が50軒はすっぽり入る気がする。
 ここには一体、何百人の使用人がいて、何時間奉仕きんむをしているのかしら。

 思わずこの景観を維持するための労力を考えた、心の貧しいあたしを責めないで!
 
 運転手の車田くるまださんに別れをしみながら降車し、御車寄くるまよせから内部に入ると、【鶴戯つるぎ】という大きな屏風びょうぶを展示した玄関があって、幅の広い吹き抜けの階段が出迎えてくれた。
 その天井の高さに気圧けおされながら階段を登ると、【日月邂逅】という太陽と月がモチーフの壁画が素敵な広間ロビーに出るの。

 公爵家も広いけど、上には上があるものなのね!
 ポカーンと乾くまで口を開けて待っていると、ほどなくして官吏かんりの制服を着た男性が現れた。

「はじめまして、菊子様。
 あたくしは従侍長じじゅうちょう赤坂あかさかでございます。」

 明らかに男性なのに女性のように柔らかく話す赤坂は、クネクネとお辞儀をした。
「本日より典侍てんじになられる菊子様のサポートをさせていただきますので、お見知りおきを!」

「あの、しん・・・じゃなくて、犬養いぬかいさんたちがあたしの教育係では?」

 あたしは想定外の言葉に動揺したわ。
 犬養三兄弟いぬかいさんきょうだいは、公爵家で迎えの車に荷物を運んでくれたのを最後に見ていない。

「ああ、公爵家では当主とのご縁があり教育係をさせていただいたみたいですが、彼らは髪結いの仕事が本業なのですわ。
 部署ぶしょが違うので、女官職にょかんしょくうけたまわった菊子様には、今後一切関わらないはずです。」

「そう・・・なんですか。」

 胸にポッカリ穴が開いたような気持ちがした。
 新一しんいちが部屋を出る前に言ったひと言が、まだ耳の奥に一滴ひとしずく残っている。

 『俺ではお前を幸せにできない』

 何よ、何よ。
 これじゃあ、告白する前にフラれたみたいじゃない。

 というか、あたしも別に新一しんいちのことを好きだなんて言ってないし。
 勝手にあっちが勘違いして予防線張ってるし。

 モヤモヤする! モヤモヤする!

 後から聞いた話なんだけど、新一しんいち復讐ふくしゅうすることばかり妄想していたあたしは、侍従長に各部屋を案内されている間、下を向いてブツブツと独り言を言っていたみたい。

 侍従長の第一印象は最悪だったわね。

 わーん。
 これもみんな新一しんいちのせいよ!
 
 ※

「で、ここが東宮とうぐう様の執務室しつむしつですわ。
 菊子様が到着され次第、ご案内するようにおおせつかっております。」 

 東宮とうぐうということは、ここに大蒼たいせいが居るのね。
 あたしは気を引き締めた。

 侍従長がノックを4回すると、聞きなれたハスキーボイスが返事した。
 
「かめ・・・菊子さん⁉」

 あたしを認めるや否や、着物姿の大蒼たいせいが勢いよく肘掛ひじかけ椅子から立ち上がった。
 でも、その勢いが良すぎて太腿ふとももを机の引き出しに強打しぶつけたみたい。

 足を押さえながら美しい顔に苦悶くもんの表情を浮かべる大蒼たいせい
「大丈夫?」と声をかけると、涙目で恥ずかしそうに顔を赤らめた。

「今の、見なかったことにして‼」

 あー、もう。
 とうとい・・・。(泣き)
 
 みんなも、ドジっこ色男イケメン想定外の行動ながれだまには気を付けてよね。
 即死よ即死。
 
 誰か、無意識にあざとい色男イケメンを取り締まる法律の整備をして!
 
「赤坂、あとで呼ぶからいったん人払ひとばらいをしてくれ。」

 一礼いちれいして侍従長が扉を閉めた途端、大蒼たいせいはあたしの手をうやうやしく引き寄せると、手の甲に口づけた。
「待っていたよ。」

 どどど、どんだけ~!
 待って、いきなり接吻キスは逮捕案件だからね!

「な、習っていないわ。
 皇室では、あいさつ代わりに手に接吻キスするの⁉」

「かめにだけだよ。
 本当はね、その可愛らしいくちびるに挨拶をしたいのだけど、手の甲で我慢しているんだ。」

 ぐっはぁ‼

 キラキラした純粋な言葉の追加攻撃に、あたしはあらゆる思考をストップさせた。

 っ、夢・・・? 
 これは夢なの?

 あたしの女中人生に、こんな展開が待っているなんて。
 
 貧乏でも芋虫でも、腐らずに生きていて良かった!

「あの、初めて来たけど東宮御所ここは素敵なところね。
 都会にあるとは思えないほど、緑も豊かでお城みたいな住まいだし。
 こんなところで働けるなんて、嬉しいわ。」

「良かった。気に入ってくれて。」

 あたしの手を握ったまま、大蒼たいせいははにかんだ。

「素敵なだけじゃなく面倒なことも多いんだ。
 正式な皇妃として参内さんだいして心が折れたら可哀想だから、何かしら皇室に関わっておけば少しは慣れるかなと思って・・・。」

 大蒼たいせいって優しい!
 大蒼たいせいでテニスのボールを作ったら、体に当たっても痛くないわね。

「あたしのために?ありがとう。」

「お礼なんて言わないで。
 勉強のためというのは口実で、少しでも早くかめと一緒に居る時間を作りたくて、画策かくさくしてしまったんだ。
 自分勝手でごめん。こんなわたくし幻滅げんめつする?」

 幻滅げんめつどころか、加点しかできないわ。
 あたしは直球ストレートの剛速球を胸のストライクゾーンに投げ込まれたかのように身もだえた。

「今はここにある書類に全部に目を通して判を押さなくてはならないんだ。
 急いで片づけてから奥の御所を案内するから、ここで待っていてくれる?」

 ええ、いいわよ。来年の今日まで待てるわ!
 って言いたくなったけど、いやいや、頭がおかしいと思われるからやめましょう。

 あたしは淑女レディー、あたしは公爵令嬢レディー

 仕事のお邪魔にならないよう、あたしは静かに近くにある長椅子ソファーに腰掛けた。
 公爵家で会った時の紳士の雰囲気とは違い、黙々と仕事をしている大蒼たいせいおとこらしい。

 黙って見ていると強い意志を感じるその黒い瞳に、吸い込まれそうになるわ。

 やっぱりあたし、大蒼たいせいに恋をしているのかな?
 ちょっとした言動にドキドキしたり、仕草にキュンキュンするのは、恋をしているからよね?

 でもそう意識すると、いつも頭のすみ新一しんいち端麗たんれいな顔が出てくるの。
 新一しんいちは憎たらしいけど、本当にあたしをドキドキさせる天才。

 それは恋と呼べるのかしら?

 大蒼たいせいを見ているのに、何故か新一しんいちについて自問自答していると、あたしはいつのまにか寝てしまった。
 
 ※

 夢の中に居たあたしは、大きくて温かいものに包まれていた。

 何だろう、これ。
 寝台ベッドにしては温かすぎるけど、柔かくて心地ここちが良い。

 包まれているものに頬をスリスリしながら寝返りを打つと、頭を優しく触れられる感触かんじがあった。

 くすぐったい!

 ハッと目を覚ますと大蒼たいせい太腿ふとももが目の前にッ!
 なんと、あたしは大蒼たいせい膝枕ひざまくらされて寝ていたのよ。

「重かったでしょ、ごめんなさい!」

 跳ね起きたあたしは長椅子ソファーの上に正座した。

「眠る姿が可愛すぎて・・・、ちょっかいを出してごめんね。」
 大蒼たいせいほどかれていたあたしの髪を、手櫛てぐしいた。
 
「さらさらだね。った髪もいいけど、自然な髪の君も素敵だ。」

 半年前まではしらみだらけだったことは、墓場まで持って行こう!

「あの、奥の御所を案内してくれるんでしょ?」
 あたしは必死に止まった思考を回転させた。

「明日でもいいよ。かめの体調の方が大事なんだ。それに・・・。」

 あたしのおでこにかかる前髪をよけて、大蒼たいせいがあたしを甘く見つめた。

「君の寝顔を、ここでずっと見ていたい。」

「いつまで?」
「朝までずっと。」

 そ、それは賛同できないわ!
 だって夕餉ゆうしょくはどうするの?

 あたしは慌てて立ち上がった。

「ありがたい申し出だけど、どうしても無理という時以外は、人間は三食しっかりと食べるのが理想的だと思うの。
 貴方は特に大切なお身体なのだから、健康管理は大事にしてねッ‼」 

 大蒼たいせいは額に手を当て、うつむいた。

 まずいわ。
 もしかして傷つけてしまったのかしら?

 それとも、食いしんぼうすぎて呆れたとか?

 おろおろするあたしに、大蒼たいせいは満面の笑顔を見せた。
「君の寝顔も素敵だけど食べる姿も可愛いから、どちらにしようか悩んでしまったんだ。」

 ああああ・・・神様。
 これが、これが恋といふものなのですね。

 


 

 



 
 

 

  
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