かめは蝶の夢を見る~影武者女中は365日後、公爵令嬢に変身したいのです!

ゆきんこ

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第七章 かめ、浅草を闊歩する

もつれる糸と捜査線

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「ききき、きくこおじょーさまァ⁉」

 不用意ふよういな言葉をき出すと、あたしの大声は裏返ってしまい、周囲まわりの人々が次々に振り返った。
 でも、肝心かんじんの振り向いてほしい相手はというと、一度足を止めたのだけど隣の連れにうながされて小走りに駆けだしたの。

 逃げるなんて怪しすぎる!

「待って!」
 すぐに追いかけようとしたあたしは、新一しんいちの手を引っ張った。

 あ、ゴメン。
 手をつないでいたのよね。

「あれが菊子様なのか?」
 新一しんいちは疑問の念があるようだ。

 確かに今の女性は、公爵令嬢には見えない。
 出で立ちはまさに流行のモダンガ―ルだ。
                 
「帽子に隠れていたから顔はほんの一瞬しか見ていないわ。
 でも、大丈夫よ。信じて。」

「ふむ。信者ストーカーの目は誤魔化ごまかせないか。」

 妙な納得の仕方をした新一しんいちと、そんな新一しんいちに納得がいかないあたし。
 ムム・・・まあいいわ。

 あたしたちは怪しい2人を追いかけて、全速力で走り出した。
 
「あの人が脇を通った時に、あたしが作った松の精油が香ったの。
 それに見て。小指を立てて左右に手を振りながら走るさまは、間違いなくあたしの菊子様よ!」

 人が多い浅草の街を人波をかいくぐって駆け抜ける。
 怪しい2人も人が邪魔で思うように逃げられず、あたしたちはすぐに彼女らを見つけた。

 ハア、ハア。あたしは脚に力を込めて地を蹴った。
 毎日、毎日、屋敷内を1時間走っていたのが役に立ったわ!

 ついに声をかけられる距離まで近づいた時、あたりに耳をつんざくブレーキ音が響いたの。

 「危ない!」新一しんいちに制止されたあたしは足を止めた。
 幌付ほろつきのタクシーがあたしたちを分断ぶんだんするように乱暴に横付よこづけされて、それに2人が乗り込んだのよ。

 キャア! 嘘でしょ?
 車が歩道に乗り上げるなんて!
  
 「どうしよう!」

 騒然とする人々を嘲笑あざわらうかのようにタクシーは急発進して、大通りを颯爽さっそうと走り去る。黒くけむる車の排気はいきガスを見送りながら、あたしはパニックになった。

 せっかく菊子様を見つけたのに・・・!

「これで追いかけるぞ。後ろに乗れ。」

 声に振り向くと、大型二輪車ハーレー新一しんいちまたがっている姿だった。
「えっ? そんなの、いつの間に用意したのよ。」

「今、借りた。」

 大型二輪車ハーレーの持ち主の男は、新一しんいちに渡された紙幣しへいの枚数を数えてにやけている。
 時は金なりとはよく言うけれど、ホントに世の中って金なのね~。

 あたしが後部座席シートまたがると、新一しんいちがあたしの手をグイッと自分の腰に誘導した。

 キャッ! 腰がたくましい‼

「振り落とされないように、ここにしっかりつかまって。足も、ブラブラさせずにステップから降ろすな。
 何かあったら声は聞こえにくいから、肩を叩いてから喋ってくれ。」

 あたしは言われた通りに新一しんいちの腰に腕を回してしっかりとしがみつく。
 こんなときなのに、密着した頬に新一しんいちの背中の温かさが感じられて、よだれをつけてしまわないか気がかりだわ。

 新一しんいちがフットペダルを数回蹴り上げると、爆音とともにエンジンがかかり細かな振動が四肢ししを揺らした。
 そしてスロットルを回して二輪車バイクが車道を走り出した時、あたしは本音を吐露とろした。
二輪車バイクに同乗するのは初めてなの。よろしくね。」

「俺も人を乗せるのは初めてだ。よろしく。」

 ※

 大型二輪車ハーレーは流星のように大通りを駆け抜けた。
 牛車や馬車、自転車や自動車が忙しく走り回る道路の、隙間をぬって上手くすり抜けていく。

新一しんいち、いま、何で走っているの⁉」

 あたしは精一杯大きい声で聞いたけど、風に流されて新一しんいちの耳には届いていない。
 二輪車バイクって四輪車クルマに乗るよりも風をまともに受けるせいか、めちゃくちゃ速く感じるのよ・・・。

 公道は確か二十五哩40キロで走るきまりなのに、追いかけているタクシーもこの大型二輪車もグングン周りの車を追い抜いているから、それ以上は疾走とばしている。
 (あとで聞いたら五十哩80キロも出していたそうよ!)

 ついに大型二輪車ハーレーがタクシーに並走したタイミングで、新一が脇に抱えていたステッキを思い切りタクシーの右前輪に突き刺した。
 タクシーはハンドルを制御できずに右に流れて勢いよく回転スピンし、反対車線に飛び出すと後ろを向いて止まったの。

 対向車が居たらと思うとゾッとしたわ。

手荒ひどすぎるわ! 菊子様が乗ってらっしゃるのに‼」

 新一しんいちはブレーキをかけると、冷たく微笑んだ。
「止まる気がないものを止めるには足枷あしかせが必要だ。」

 ドエスめ。
 新一しんいちで冷凍庫を作ったらどうかしら。よく冷えて売れそう。

 あたしが新一しんいちに抗議している間に、タクシーのドアが開いて小柄な影が飛び出した。
 あっ、大変! 逃げちゃうわ‼

 影が路地に逃げ込んだのを確認すると、二輪車バイクから飛び降りたあたしは夢中で追いかけた。

 ※
 
「待ってください!」
 袋小路まで影を追いつめたあたしは、悲痛な叫びを上げた。

 肩でそろえられた髪を揺らして逃げていた女性が、気まずそうに振り向いた。

「ごめんなさい・・・。」

 間違いない。

 目の前に居るこの人は徳川公爵家令嬢とくがわこうしゃくけれいじょうでありあたしのし、菊子様だ。どんなに髪型や服装が変わっても、おしたいしている女神は目を奪われるほど美しい。
  
 もう逃げた理由とか、駆け落ちしたとかはどうでも良くなった。
 あたしは半年間の鬱積うっせきしていた気持ちを巴投ともえなげして、菊子様をでたの。

 美少女って、最強よ。

「会いとうございました・・・!」

 ほとばしる涙と嗚咽おえつであたしはその場に崩れ落ちた。
 そんなあたしに菊子様はそっと寄り添い、頭を撫でてくれたの。

「かめ、泣かないで。」
 
「ずっと、安否あんぴが分からず心配でした・・・。でも、菊子様がお変わりなくて何よりです。」

 と菊子様をこの腕に抱きしめたあたしは、色んな言葉を思い浮かべては頭の消しゴムで消した。
 この再会にはいかなる言葉も無粋ぶすいで、ただ、菊子様の実体を感じているこの一瞬がいとおしいから。

 事情は分からなくても、菊子様が今、この場に居ることがなによりの喜びなのよ。

「かめ、あなたはずい分変わったわね。」

 あたしの涙をハンカチーフでぬぐいながら、菊子様がそう言った。
「今はとても素敵な淑女レディーね。もしかしたら、恋でもしているの?」

 こ、恋?
 その単語にあたしはドキッとした。

 確かに恋は人を美しくするというけれど、最近ときめいたといえば・・・。

 ・・・うーん・・・。ときめきがありすぎて悩むあたしを責めないで!
 色男イケメンが多いのが悪いのよ‼
 
「お嬢様の影武者を葛丸かつらまる様に任じられて、皇室お抱えの髪結いびようしに改造されている最中なんです。」

「お兄様が、かめを?」

 菊子様は途端に顔色を変えた。明らかに動揺されているようだ。

「私・・・そんなの聞いていないわ。
 てっきり、かめは公爵家うちを解雇されたあと報奨金おかねを貰って、髪結いびようしの専門学校に通っていると思っていたのに。」

 どういうこと?
 菊子様は使用人が全員解雇されるのを知っていた?

「ああ、ああ・・・かめ。
 本当にごめんなさい。大好きなあなたを巻き込むつもりはなかったの。」

 菊子様の混乱ぶりがよく分かる。あたしから離れた菊子様は、身震みぶるいを抑えるように自分を抱えた。

「菊子様、落ち着いて。
 一体、何を言ってらっしゃるの? 菊子様はエドと駆け落ちしたんですよね?」

 菊子様は悪そうにうつむくと、やがて決心したように顔をあげた。


 詳細はわたくしの口からは絶対に言えないの。
 でも、あなたを守るために一つだけ言います。
 髪結いびようしは信用してはなりません。」

 その瞬間、菊子様の美しい顔が苦悶くもんゆがんだ。
 あたしは後ろから何者かに鼻と口を布で塞がれ、悶絶もんぜつした。

 やだ、変な匂い・・・。

 目の前が真っ暗になる前にずっと探し続けていた金色の腕毛が見えた気がしたけど、あたしは最後の晩餐ばんさんに菊子様の像を脳裏のうりに焼き付けながら倒れた。

 ※

 気がついたあたしは、路地で目を覚ました。

「大丈夫か?」

 新一しんいちの声に立ち上がろうとすると軽いめまいがして、よろけてしまう。
 薬を盛られたみたい。

「菊子様は?」

「俺が近くの交番に通報してからここに来た時には、お前だけが倒れていた。
 薄々うすうす気づいてはいたが、菊子様の逃亡を手伝っているやからが複数人いるようだな。」

 悔しがる新一しんいち
 あたしは菊子様の残した言葉が頭に引っかかって、新一しんいちと目を合わせられなかったの。

 『髪結いしんいちを信用するな』って、どういう意味?
 菊子様は何を隠していらっしゃるの?







 

 

 
 

 


 
 
 
 

  
 
 

   
 
 

 

 
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