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第七章 かめ、浅草を闊歩する
浅草デート
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その日は高気圧が発達して、からりと晴れた初夏になった。
雲ひとつない青空に煌めくダイヤモンドのような太陽の陽射しを浴びると、身体のすみずみまで浄化されたようで浮き立つ心が躍りだす。
肌がじわりと汗ばむくらいまで気温が上がった午後。
いつものように皇妃教育を終えたあたしは、新一と浅草に繰り出した。
この半年間は、ほぼ公爵邸から出ることなく毎日を過ごしていたから、久しぶりの活気がある街並みがあたしの目にはまぶしく映った。
江戸時代から浅草は娯楽施設の宝庫!
特に浅草寺西側の六区には、曲芸館や活動写真館、浅草オペラ館などの興行小屋があるし、その周辺には動植物園を有する【花見やしき】も観覧できて、一日中居ても遊びきれないほどの人気の観光地なの。
浅草デートなんて素敵ね! ・・・ですって?
チッチッチ、これはデートじゃないわよ。
菊子様捜索のおしごとなのッ!
なぜ浅草なのかというと、あたしが葛丸様に直談判したからよ。
春が過ぎても一向に菊子様の行方はつかめず、ついに寝台の残り香が消え失せたことに業を煮やしたあたしは、鼻息荒く葛丸様の書斎に突撃した。
「あたしを、捜索隊に入れてください。
菊子様が行きそうな場所は、完全に把握しています!」
そして、菊子様のお気に入り場所を一覧表にした、20枚に渡る【捜索ご提案書】を机に叩きつけたわ。
葛丸様は呆気にとられていたけど、すぐに快諾してくださったの。
「ただし、新一を連れて行きなさい。」
あら、付き添いが居なくても浅草くらい歩けるのに。
そう言うと、葛丸様は静かに微笑んだ。
「お前を独りにしてしまうと、暴飲暴食が心配だからな。」
このあたしが、そんな風に見えます?
心外だわ~。
※
平日だというのに浅草の人通りは多く、賑わっている。
あたしは花柄ワンピースのすそを持ってフリフリしながら、目を輝かせた。
新しく出来たハイカラなカフェや、建設途中の高くそびえ立つ展望台。
少し来なかっただけでガラリと様変わりした街並みに、前後左右キョロキョロと目移りしちゃう!
指をくわえながら歩いていると、急に新一に腕を引っぱられた。
「車道側を歩くな。轢かれるぞ。」
新一って心配性ねえ。
確かに車の往来は多いけど、ここは歩道なのに・・・。
新一がそのままあたしの上腕を持って歩こうとしたから、あたしは慌ててその手を振りほどいた。
その持ち方はおかしいわよ。
まるで、刑務所に連行される囚人みたいじゃない!
「それは失礼した。では・・・。」
新一は優雅に一礼すると、ステッキを持った反対の腕を少し曲げて、腰に手を当てた。
「お嬢様、どうぞ私の腕におつかまり下さい。」
カンカン帽に白いスラックス、よく磨かれた革靴、そして首には蝶ネクタイ。
今日の新一はモダンボーイ。
最新の流行服に身を包んだ新一は軽快で、いつもより柔らかい空気をまとっているようだ。
からかわれているとは思いながらも、しっかりとその腕に掴まってしまったあたしを責めないで!
※
菊子様は活動写真が大のお気に入りで、行きつけの施設があった。
あたしたちはまず、その【幻燈キネマ館】から聞き込みに行くことにしたわ。
「この綺麗な女の人ね。よく来るから覚えているよ。」
写真を見せた途端、受付に座っている(あたしよりも)でっぷりと肥えた女が、老眼鏡を外して目を細めた。
なんと!
いきなりの有力情報を頂きました‼
「最後にいつ来たかは覚えていますか?」
「記憶違いでなけりゃ、今日も来てたかもしれないねえ。」
そう言いながら、女は菊子様の写真を指で軽く弾いたの。
ええッ、今日?
まさかの嬉しい邂逅よ!
「まあ、百聞は一見にしかずなんて言うし、中に入って確かめたら?」
そして、女はふてぶてしい顔でその分厚い手のひらを、ニュッとあたしの目の前に突き出した。
「はい、2名様で160銭ね。」
ウッ、高い・・・!
けどまあ、仕方ないわよね。
そう思ったのもつかの間、館内に入ってすぐに、あたしは女に担がれたことに気がついたのだ。
だって、その時上映していた作品が【ペンギン男の人生】という喜劇だったの!
恋愛劇しか観ないお嬢様がここに居るはずがないわ・・・。
クッソ、銭ゲバめ・・・!
観覧料を払わなければ、かけ蕎麦が8杯は食べられたのに!
あたしはがっかりしてすぐに館内から出ようとしたのだけど、新一に引き留められた。
「どうせならゆっくり観覧しないか? あの女の話が嘘とは限らないじゃないか。」
「でも、暗くて人の顔なんて判別できないわ。」
「上映が終わる頃合いを見計らえば照明が点く。
出待ちをして確認したらいい。
せっかく金を出して入ったんだし、とりあえず終わるまでは気長に待とう。」
ふむ。一理あるわね。
あたしと新一は出口近くの席に並んで座った。
巨大な映写幕には、音や声が入っていない白黒の動画が映し出されていた。
その動画に口達者な弁士が、面白おかしく解説してくれるのが活動写真の醍醐味なんだけど、今日は隣に新一が居るからあたしはこみ上げる笑いを抑えていたのよ。
だって素を出すと、すぐに品がないとか色気がないだとか言われるんだもの。
いちいち目ざといし口うるさいし、まるで意地の悪い姑みたいだわ。
(あたしに姑が居たことはないけどね。)
突然、隣の新一が爆笑したので、あたしは目が点になった。
な に ご と?
しかも手を叩いて映写幕を指さしている。
そ れ は マ ナ ー 違 反 で は?
「ちょっと新一。
いつもの品位はどうしたのよ!」
「品位? この名作を前にして、そんなモンはとりあえずどこかに捨て置け。
いいか、ペンギン男は、笑うために観るんだぞ。
笑いたかったら思う存分笑うがいい。」
笑い過ぎて涙目の新一が、理解に苦しむ言い分を真面目な顔であたしに説いた。
はっはーん。
新一はこの作品の信者だったのね。
それにしても、こんなに屈託のない感情をさらけ出すなんて、舞踏会のダンス以来だわ。
でも、ちょうど良かった。
あたしもペンギン男が好きだから、思うがままに笑いたかったの。
あたしたちは一緒に心ゆくまで笑い、時には感情が乱れて涙した。
新一が涙を拭くために貸してくれたハンカチーフに、鼻水までつけてしまったことはナイショよ。
上映が終わる前、観客が移動する前に立ち上がろうとした時、新一の手とあたしの手がぶつかった。
「こんなに暑いのに、ずいぶん手が冷たいんだな。」
「たぶん、ジッとしていたせいね。もともと冷え性なの。」
「手を貸して。」
新一はあたしの右手を握ると、自分のポケットの中に一緒にしまった。
ウワァ!
公衆の面前で恥ずかしいじゃない‼
「気にするな。暗いから誰も見てない。」
あたしは気にするわよ!
人の騒めきと衣擦れが聞こえる暗い室内で、異性と隠れて手をつなぐのって、かなり興奮する。
もはやあたしの全神経は新一とつながっている右手に集中してしまい、せっかくの喜劇の内容はまるで入ってこなかった。
結局、出口で一人ひとりの顔を確認する間、新一のポケットの中にあたしの手が収まっていたのだけど、手に汗をかくのが気になって、捜索には全く集中できなかった。
わーん、菊子様ごめんなさい!!
これは全部、無意識にあざとい残念色男が悪いのよ!
その時、あたしの鼻が思わぬ匂いを吸い込んだ。
これは松の精油の・・・?
通り過ぎた後ろ姿を見て、あたしは離れていた記憶細胞が瞬時にくっつくのを感じた。
みみみ・見つけたわ!
あれは菊子様よッ‼
雲ひとつない青空に煌めくダイヤモンドのような太陽の陽射しを浴びると、身体のすみずみまで浄化されたようで浮き立つ心が躍りだす。
肌がじわりと汗ばむくらいまで気温が上がった午後。
いつものように皇妃教育を終えたあたしは、新一と浅草に繰り出した。
この半年間は、ほぼ公爵邸から出ることなく毎日を過ごしていたから、久しぶりの活気がある街並みがあたしの目にはまぶしく映った。
江戸時代から浅草は娯楽施設の宝庫!
特に浅草寺西側の六区には、曲芸館や活動写真館、浅草オペラ館などの興行小屋があるし、その周辺には動植物園を有する【花見やしき】も観覧できて、一日中居ても遊びきれないほどの人気の観光地なの。
浅草デートなんて素敵ね! ・・・ですって?
チッチッチ、これはデートじゃないわよ。
菊子様捜索のおしごとなのッ!
なぜ浅草なのかというと、あたしが葛丸様に直談判したからよ。
春が過ぎても一向に菊子様の行方はつかめず、ついに寝台の残り香が消え失せたことに業を煮やしたあたしは、鼻息荒く葛丸様の書斎に突撃した。
「あたしを、捜索隊に入れてください。
菊子様が行きそうな場所は、完全に把握しています!」
そして、菊子様のお気に入り場所を一覧表にした、20枚に渡る【捜索ご提案書】を机に叩きつけたわ。
葛丸様は呆気にとられていたけど、すぐに快諾してくださったの。
「ただし、新一を連れて行きなさい。」
あら、付き添いが居なくても浅草くらい歩けるのに。
そう言うと、葛丸様は静かに微笑んだ。
「お前を独りにしてしまうと、暴飲暴食が心配だからな。」
このあたしが、そんな風に見えます?
心外だわ~。
※
平日だというのに浅草の人通りは多く、賑わっている。
あたしは花柄ワンピースのすそを持ってフリフリしながら、目を輝かせた。
新しく出来たハイカラなカフェや、建設途中の高くそびえ立つ展望台。
少し来なかっただけでガラリと様変わりした街並みに、前後左右キョロキョロと目移りしちゃう!
指をくわえながら歩いていると、急に新一に腕を引っぱられた。
「車道側を歩くな。轢かれるぞ。」
新一って心配性ねえ。
確かに車の往来は多いけど、ここは歩道なのに・・・。
新一がそのままあたしの上腕を持って歩こうとしたから、あたしは慌ててその手を振りほどいた。
その持ち方はおかしいわよ。
まるで、刑務所に連行される囚人みたいじゃない!
「それは失礼した。では・・・。」
新一は優雅に一礼すると、ステッキを持った反対の腕を少し曲げて、腰に手を当てた。
「お嬢様、どうぞ私の腕におつかまり下さい。」
カンカン帽に白いスラックス、よく磨かれた革靴、そして首には蝶ネクタイ。
今日の新一はモダンボーイ。
最新の流行服に身を包んだ新一は軽快で、いつもより柔らかい空気をまとっているようだ。
からかわれているとは思いながらも、しっかりとその腕に掴まってしまったあたしを責めないで!
※
菊子様は活動写真が大のお気に入りで、行きつけの施設があった。
あたしたちはまず、その【幻燈キネマ館】から聞き込みに行くことにしたわ。
「この綺麗な女の人ね。よく来るから覚えているよ。」
写真を見せた途端、受付に座っている(あたしよりも)でっぷりと肥えた女が、老眼鏡を外して目を細めた。
なんと!
いきなりの有力情報を頂きました‼
「最後にいつ来たかは覚えていますか?」
「記憶違いでなけりゃ、今日も来てたかもしれないねえ。」
そう言いながら、女は菊子様の写真を指で軽く弾いたの。
ええッ、今日?
まさかの嬉しい邂逅よ!
「まあ、百聞は一見にしかずなんて言うし、中に入って確かめたら?」
そして、女はふてぶてしい顔でその分厚い手のひらを、ニュッとあたしの目の前に突き出した。
「はい、2名様で160銭ね。」
ウッ、高い・・・!
けどまあ、仕方ないわよね。
そう思ったのもつかの間、館内に入ってすぐに、あたしは女に担がれたことに気がついたのだ。
だって、その時上映していた作品が【ペンギン男の人生】という喜劇だったの!
恋愛劇しか観ないお嬢様がここに居るはずがないわ・・・。
クッソ、銭ゲバめ・・・!
観覧料を払わなければ、かけ蕎麦が8杯は食べられたのに!
あたしはがっかりしてすぐに館内から出ようとしたのだけど、新一に引き留められた。
「どうせならゆっくり観覧しないか? あの女の話が嘘とは限らないじゃないか。」
「でも、暗くて人の顔なんて判別できないわ。」
「上映が終わる頃合いを見計らえば照明が点く。
出待ちをして確認したらいい。
せっかく金を出して入ったんだし、とりあえず終わるまでは気長に待とう。」
ふむ。一理あるわね。
あたしと新一は出口近くの席に並んで座った。
巨大な映写幕には、音や声が入っていない白黒の動画が映し出されていた。
その動画に口達者な弁士が、面白おかしく解説してくれるのが活動写真の醍醐味なんだけど、今日は隣に新一が居るからあたしはこみ上げる笑いを抑えていたのよ。
だって素を出すと、すぐに品がないとか色気がないだとか言われるんだもの。
いちいち目ざといし口うるさいし、まるで意地の悪い姑みたいだわ。
(あたしに姑が居たことはないけどね。)
突然、隣の新一が爆笑したので、あたしは目が点になった。
な に ご と?
しかも手を叩いて映写幕を指さしている。
そ れ は マ ナ ー 違 反 で は?
「ちょっと新一。
いつもの品位はどうしたのよ!」
「品位? この名作を前にして、そんなモンはとりあえずどこかに捨て置け。
いいか、ペンギン男は、笑うために観るんだぞ。
笑いたかったら思う存分笑うがいい。」
笑い過ぎて涙目の新一が、理解に苦しむ言い分を真面目な顔であたしに説いた。
はっはーん。
新一はこの作品の信者だったのね。
それにしても、こんなに屈託のない感情をさらけ出すなんて、舞踏会のダンス以来だわ。
でも、ちょうど良かった。
あたしもペンギン男が好きだから、思うがままに笑いたかったの。
あたしたちは一緒に心ゆくまで笑い、時には感情が乱れて涙した。
新一が涙を拭くために貸してくれたハンカチーフに、鼻水までつけてしまったことはナイショよ。
上映が終わる前、観客が移動する前に立ち上がろうとした時、新一の手とあたしの手がぶつかった。
「こんなに暑いのに、ずいぶん手が冷たいんだな。」
「たぶん、ジッとしていたせいね。もともと冷え性なの。」
「手を貸して。」
新一はあたしの右手を握ると、自分のポケットの中に一緒にしまった。
ウワァ!
公衆の面前で恥ずかしいじゃない‼
「気にするな。暗いから誰も見てない。」
あたしは気にするわよ!
人の騒めきと衣擦れが聞こえる暗い室内で、異性と隠れて手をつなぐのって、かなり興奮する。
もはやあたしの全神経は新一とつながっている右手に集中してしまい、せっかくの喜劇の内容はまるで入ってこなかった。
結局、出口で一人ひとりの顔を確認する間、新一のポケットの中にあたしの手が収まっていたのだけど、手に汗をかくのが気になって、捜索には全く集中できなかった。
わーん、菊子様ごめんなさい!!
これは全部、無意識にあざとい残念色男が悪いのよ!
その時、あたしの鼻が思わぬ匂いを吸い込んだ。
これは松の精油の・・・?
通り過ぎた後ろ姿を見て、あたしは離れていた記憶細胞が瞬時にくっつくのを感じた。
みみみ・見つけたわ!
あれは菊子様よッ‼
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