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第五章 かめ、運命の邂逅
胸騒ぎの茶話会へ
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蔵書室でポカポカした陽気に当てられた昼下がりり。
あたしはいつも通り、ウツラウツラと睡魔と戦っていた。
冬から春に移る今の時期は、寝ても寝ても寝足りないのよね。
椅子に座ってジッと勉強していると、お尻から根が生えてきてそのうち草になるんじゃないかしらって妄想をするのだけど、みんなはどう?
ふあぁ。
欠伸を噛み殺しながら新聞に目を通していると、ある記事の見出しにあたしは釘づけになった。
【●●男爵、ご乱心! 皇太子さまに牙を剥くご法度に世間騒然。】
これだ!
大蒼が捕まえたという旧公爵邸で見た着物の男。
それが意外にも、華族の人間だったのよ。
その男は男爵家の元当主で、実際には経済力がないのに無理にきらびやかな体面を強いられていたため、生活に困窮した挙句にお家没落の憂き目を見たんだって。
ご先祖様が大名出身か公家出身かというだけでも蓄えている資産が大きく変わるから、一概に【華族だから金持ち】と一括りにはできないのよね。
男は皇室にかなり強い恨みを持っていて、皇太子様を襲った後に自害するつもりだったと新聞には書かれているわ。
最初に華族を制定したのは明治政府だから、皇室を恨むのは筋違いという気もするのだけど、自暴自棄になると視野が狭くなるものよね。
あたしはどんなに貧しくても一度も公爵家を恨んだことはないから、幸せな環境だったのかもしれない。
あれから、菊子様やエドの手がかりがないかと苦手な新聞に毎日のように目を通していたのだけど、今のところは着物の男のことしか分からなかった。
やっぱり屋敷の外に出て、地道に自分の足で探すしかないかもしれないわ。
また、新一に迷惑をかけることになるのは心苦しいけれど・・・。
新聞記事を折りたたんでサイドテーブルに置いたタイミングで、新三郎が声をかけてきた。
「菊子様。
横峯公爵家より、招待状が届いております。
3月3日の桃の節句に茶話会を催されるそうですよ。」
あたしは間発入れずに答えた。
「お断りして!」
「中身を確認されなくてもよろしいのですか?」
だって、茶話会といえば女のマウントの取り合いの場といっても過言ではない。
そんな恐ろしい所に、ヒエラルキーの底辺に居るあたしが参加したら、どうなると思う?
想像するだけで恐ろしいわ。
彼女たちの関心事は、他の令嬢たちとドレスやヘアメイクが被らないこと。
あたしも菊子様主催の茶話会を取り仕切ったことがあるのだけど、令嬢の女中たちからの情報交換を求む手紙や電話が昼夜問わずひっきりなしに届いて、気が狂いそうだったわ。
みんな好きなのよね、人の見た目と噂話が。
「困りましたね。
当日は東宮様がお見えになるので、皇妃候補の令嬢たちを招待するという計らいのようなんです。」
「東宮って、皇太子様が?」
「はい。
前回の舞踏会で、残念ながら東宮様が皇妃候補の皆様にお会いできなかったので、横峯侯爵様がご配慮下さったようです。」
皇太子参戦ッ・・・⁉
確かに興味をそそられるし、アツイ茶話会になりそう。
「でも、あたしは菊子様の影武者。
万が一、未来の夫になる皇太子様にあたしが菊子様ではないことがバレてしまったり、当人が帰って来た時に相違がありすぎるとマズイんじゃない?」
いつもは無表情で寡黙な新三郎が、少し悪戯な顔をしてあたしに健康的な白い歯を見せた。
「それなら私に秘策があります。」
「秘策って?」
「ずばり、マスクでございます!」
「マスクって・・・、あの感染予防に使う布切れよね?」
昨今、巷ではスペイン風邪の世界的な流行で、口と鼻を覆うマスクなるものが販売されていた。
それと今回の茶話会と、どういう関係が?
「人の印象は目元で決まると言われていて、鼻から下をマスクで覆ってしまえば、実際の顔は分からないものなのです。
さらに言えば、私たちのメイク術さえあれば、目元だけなら90%はかめを菊子様に寄せることが出来ます!」
へえっ。
まるで詐欺のようだけども、それができたらスゴイわね。
ぜひあたしも、夢の髪結い師になるために学んでおきたいわッ!
と、最初はあたしも乗り気でメイクに挑んだのだけど、それは普通のお化粧ではなかったの。
元のあたしの顔を消すという作業から始まって、かなり大変な施術だった。
自眉毛を剃るように薄くして白いドーランを塗り込み、額に下ろした前髪でそれを隠して、目の上に新しい眉毛を描いたり、顎周りにはわざと黒い粉を叩いて小顔にみせたり、それはそれは膨大な労力と時間が、あたしの顔の三分の一に使われたわ。
「いかがでしょうか。ご覧下さい。」
手鏡を渡されたあたしは、驚きを隠せなかった。
推しが、目の前に居るわ!
「スゴイわ! これなら、あたしでも茶話会に行けそう!!
ありがとう新三郎。当日が楽しみになってきたわ。」
新三郎は手鏡越しに不思議な顔であたしに言った。
「もっと、自信を持って良いのに。
私は、素顔のかめも可愛らしいと思います。」
ズッキューン!!
新三郎よ。お主、やりよるな・・・。
見えない銃弾に貫かれたあたしは、お手洗いに行くとうそぶいて席を立ち、心が落ち着くまで部屋には帰れなかったわ。
新ニといい、新三郎といい、最近何なの・・・?
頭のネジが外れているんじゃないの⁉
そんなに褒められたって、何もあげないんだからね!
ドキドキ注意報を発令します!
※
茶話会当日。
冬靴から春靴に履き替えて玄関を出ると、外は青い草木がようやく芽吹き始め、春の訪れを感じる季節になった。
三月は別名【雛月】と呼ばれ、日本全国で三日にはひな祭りをする。
厄災時の身代わりになる、人型の人形を華やかに飾りつけて穢れを祓い、健やかな成長と健康を願う子供のための行事よ。
公爵家では江戸時代から受け継がれている『御殿飾り』という雛飾りを毎年飾っているの。
京の『御殿(御所)』のなかに天皇・皇后を模した男雛と女雛を中心に配置して、周りには宮女や衛士、右大臣や左大臣といったお人形を添えて飾るのよ。
それはそれは大きくてきらびやかで、貴族の生活のひとコマというものを緻密に表現しているわ。
あたしと菊子お嬢様はこのお雛飾りが大好きで、よく妄想の皇室恋愛劇を即興で作って遊んでいたのよね。
まさか、自分たちが数年後、その恋愛劇の主人公になるなんて思ってもみなかったのだけど。
あたしは来賓室に厳かに飾られた男雛を思い出しながら思った。
舞踏会の日には会えなかったけど、皇太子様ってどんなお顔をしているのかしら。
会えない分、妄想だけが先行して期待値はかなり高め。
昔の雛人形の容姿といえば、引き目・鉤鼻・細面。
この遺伝子を皇太子が受け継いでいるなら、かなりの色男なんだけどね。
でも、そのとなりにあたしを配置してみると・・・。
わーん、釣り合わないにもほどがある!
やっぱり、何としてでも菊子様を探し出して隣に配置するべきね‼
あたしが菊子様捜索への気持ちに炎を燃やしていると、1台の大きな水色の車が颯爽と玄関に横付けされた。
それは【ベリエ】という屋根なし自動車で、自動車好きな葛丸様がフランスから取り寄せた高級自動車だ。
菊子様を見送る時には見たことはあるけれど、実際に乗車するのはこれが初めてだったわ。
白い手袋をはめた運転手が降りてきて、後部座席のドアを開いた。
あたしが緊張しながら乗った後、少し遅れて新一も乗り込んできた。
でも、あたしを見て一瞬、奇妙な表情をしたの。
ん?
それから横峯侯爵邸に着くまで、何かを堪えているように窓の方を向いて、黙って座っている新一。
詐欺メイクをしているのは朝から知っているから、他の事案ね。
もしかしたら車が苦手で具合が悪いのかしら?
車ってね、三半規管が弱いと目がまわって酔うらしいのよ。
大変よね、不健康だと。
あたしは新一に憐みの気持ちを抱きながら、そっとしておいたわ。
そして、侯爵邸に到着した時に、やっと新一が口を開いた。
「菊子様、帰りは車内でお履物は脱がなくても結構ですよ。」
え?
驚いて振り返ると、新一と運転手が腹を抱えて爆笑していたのよ。
あたしは、公爵家からハイヒールを手に持ったまま後部座席に乗っていたのだけど、マズかったのかしら。
チーン。
いじめないでよ、2人とも!
初めて乗ったんだから、仕方ないじゃない!
人の初めてを笑う奴らは、豆腐の角に頭ぶつけて地獄に堕ちてしまえ!!
あたしはいつも通り、ウツラウツラと睡魔と戦っていた。
冬から春に移る今の時期は、寝ても寝ても寝足りないのよね。
椅子に座ってジッと勉強していると、お尻から根が生えてきてそのうち草になるんじゃないかしらって妄想をするのだけど、みんなはどう?
ふあぁ。
欠伸を噛み殺しながら新聞に目を通していると、ある記事の見出しにあたしは釘づけになった。
【●●男爵、ご乱心! 皇太子さまに牙を剥くご法度に世間騒然。】
これだ!
大蒼が捕まえたという旧公爵邸で見た着物の男。
それが意外にも、華族の人間だったのよ。
その男は男爵家の元当主で、実際には経済力がないのに無理にきらびやかな体面を強いられていたため、生活に困窮した挙句にお家没落の憂き目を見たんだって。
ご先祖様が大名出身か公家出身かというだけでも蓄えている資産が大きく変わるから、一概に【華族だから金持ち】と一括りにはできないのよね。
男は皇室にかなり強い恨みを持っていて、皇太子様を襲った後に自害するつもりだったと新聞には書かれているわ。
最初に華族を制定したのは明治政府だから、皇室を恨むのは筋違いという気もするのだけど、自暴自棄になると視野が狭くなるものよね。
あたしはどんなに貧しくても一度も公爵家を恨んだことはないから、幸せな環境だったのかもしれない。
あれから、菊子様やエドの手がかりがないかと苦手な新聞に毎日のように目を通していたのだけど、今のところは着物の男のことしか分からなかった。
やっぱり屋敷の外に出て、地道に自分の足で探すしかないかもしれないわ。
また、新一に迷惑をかけることになるのは心苦しいけれど・・・。
新聞記事を折りたたんでサイドテーブルに置いたタイミングで、新三郎が声をかけてきた。
「菊子様。
横峯公爵家より、招待状が届いております。
3月3日の桃の節句に茶話会を催されるそうですよ。」
あたしは間発入れずに答えた。
「お断りして!」
「中身を確認されなくてもよろしいのですか?」
だって、茶話会といえば女のマウントの取り合いの場といっても過言ではない。
そんな恐ろしい所に、ヒエラルキーの底辺に居るあたしが参加したら、どうなると思う?
想像するだけで恐ろしいわ。
彼女たちの関心事は、他の令嬢たちとドレスやヘアメイクが被らないこと。
あたしも菊子様主催の茶話会を取り仕切ったことがあるのだけど、令嬢の女中たちからの情報交換を求む手紙や電話が昼夜問わずひっきりなしに届いて、気が狂いそうだったわ。
みんな好きなのよね、人の見た目と噂話が。
「困りましたね。
当日は東宮様がお見えになるので、皇妃候補の令嬢たちを招待するという計らいのようなんです。」
「東宮って、皇太子様が?」
「はい。
前回の舞踏会で、残念ながら東宮様が皇妃候補の皆様にお会いできなかったので、横峯侯爵様がご配慮下さったようです。」
皇太子参戦ッ・・・⁉
確かに興味をそそられるし、アツイ茶話会になりそう。
「でも、あたしは菊子様の影武者。
万が一、未来の夫になる皇太子様にあたしが菊子様ではないことがバレてしまったり、当人が帰って来た時に相違がありすぎるとマズイんじゃない?」
いつもは無表情で寡黙な新三郎が、少し悪戯な顔をしてあたしに健康的な白い歯を見せた。
「それなら私に秘策があります。」
「秘策って?」
「ずばり、マスクでございます!」
「マスクって・・・、あの感染予防に使う布切れよね?」
昨今、巷ではスペイン風邪の世界的な流行で、口と鼻を覆うマスクなるものが販売されていた。
それと今回の茶話会と、どういう関係が?
「人の印象は目元で決まると言われていて、鼻から下をマスクで覆ってしまえば、実際の顔は分からないものなのです。
さらに言えば、私たちのメイク術さえあれば、目元だけなら90%はかめを菊子様に寄せることが出来ます!」
へえっ。
まるで詐欺のようだけども、それができたらスゴイわね。
ぜひあたしも、夢の髪結い師になるために学んでおきたいわッ!
と、最初はあたしも乗り気でメイクに挑んだのだけど、それは普通のお化粧ではなかったの。
元のあたしの顔を消すという作業から始まって、かなり大変な施術だった。
自眉毛を剃るように薄くして白いドーランを塗り込み、額に下ろした前髪でそれを隠して、目の上に新しい眉毛を描いたり、顎周りにはわざと黒い粉を叩いて小顔にみせたり、それはそれは膨大な労力と時間が、あたしの顔の三分の一に使われたわ。
「いかがでしょうか。ご覧下さい。」
手鏡を渡されたあたしは、驚きを隠せなかった。
推しが、目の前に居るわ!
「スゴイわ! これなら、あたしでも茶話会に行けそう!!
ありがとう新三郎。当日が楽しみになってきたわ。」
新三郎は手鏡越しに不思議な顔であたしに言った。
「もっと、自信を持って良いのに。
私は、素顔のかめも可愛らしいと思います。」
ズッキューン!!
新三郎よ。お主、やりよるな・・・。
見えない銃弾に貫かれたあたしは、お手洗いに行くとうそぶいて席を立ち、心が落ち着くまで部屋には帰れなかったわ。
新ニといい、新三郎といい、最近何なの・・・?
頭のネジが外れているんじゃないの⁉
そんなに褒められたって、何もあげないんだからね!
ドキドキ注意報を発令します!
※
茶話会当日。
冬靴から春靴に履き替えて玄関を出ると、外は青い草木がようやく芽吹き始め、春の訪れを感じる季節になった。
三月は別名【雛月】と呼ばれ、日本全国で三日にはひな祭りをする。
厄災時の身代わりになる、人型の人形を華やかに飾りつけて穢れを祓い、健やかな成長と健康を願う子供のための行事よ。
公爵家では江戸時代から受け継がれている『御殿飾り』という雛飾りを毎年飾っているの。
京の『御殿(御所)』のなかに天皇・皇后を模した男雛と女雛を中心に配置して、周りには宮女や衛士、右大臣や左大臣といったお人形を添えて飾るのよ。
それはそれは大きくてきらびやかで、貴族の生活のひとコマというものを緻密に表現しているわ。
あたしと菊子お嬢様はこのお雛飾りが大好きで、よく妄想の皇室恋愛劇を即興で作って遊んでいたのよね。
まさか、自分たちが数年後、その恋愛劇の主人公になるなんて思ってもみなかったのだけど。
あたしは来賓室に厳かに飾られた男雛を思い出しながら思った。
舞踏会の日には会えなかったけど、皇太子様ってどんなお顔をしているのかしら。
会えない分、妄想だけが先行して期待値はかなり高め。
昔の雛人形の容姿といえば、引き目・鉤鼻・細面。
この遺伝子を皇太子が受け継いでいるなら、かなりの色男なんだけどね。
でも、そのとなりにあたしを配置してみると・・・。
わーん、釣り合わないにもほどがある!
やっぱり、何としてでも菊子様を探し出して隣に配置するべきね‼
あたしが菊子様捜索への気持ちに炎を燃やしていると、1台の大きな水色の車が颯爽と玄関に横付けされた。
それは【ベリエ】という屋根なし自動車で、自動車好きな葛丸様がフランスから取り寄せた高級自動車だ。
菊子様を見送る時には見たことはあるけれど、実際に乗車するのはこれが初めてだったわ。
白い手袋をはめた運転手が降りてきて、後部座席のドアを開いた。
あたしが緊張しながら乗った後、少し遅れて新一も乗り込んできた。
でも、あたしを見て一瞬、奇妙な表情をしたの。
ん?
それから横峯侯爵邸に着くまで、何かを堪えているように窓の方を向いて、黙って座っている新一。
詐欺メイクをしているのは朝から知っているから、他の事案ね。
もしかしたら車が苦手で具合が悪いのかしら?
車ってね、三半規管が弱いと目がまわって酔うらしいのよ。
大変よね、不健康だと。
あたしは新一に憐みの気持ちを抱きながら、そっとしておいたわ。
そして、侯爵邸に到着した時に、やっと新一が口を開いた。
「菊子様、帰りは車内でお履物は脱がなくても結構ですよ。」
え?
驚いて振り返ると、新一と運転手が腹を抱えて爆笑していたのよ。
あたしは、公爵家からハイヒールを手に持ったまま後部座席に乗っていたのだけど、マズかったのかしら。
チーン。
いじめないでよ、2人とも!
初めて乗ったんだから、仕方ないじゃない!
人の初めてを笑う奴らは、豆腐の角に頭ぶつけて地獄に堕ちてしまえ!!
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