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第二章 かめ、皇妃(プリンセス)教育を受ける

眼鏡男子にときめいて

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 朝餉ちょうしょくを終えると、あたしは新一しんいちに連れられて蔵書室ぞうしょしつに向かった。

 今日の新一しんいちふちの薄い眼鏡をかけているので、ちょっとした知識人インテリに見える。
 あたしが眼鏡男子好きフェチなら、ぐによろめいていたかもね。

 この部屋はいわゆる『個人所有の図書館』で天井近くまである特注の本棚に、あらゆる系列ジャンルの書物が所せましと並んでいる。

 大体が【帝王学】とか【論語】という背表紙タイトルの分厚くて小難しそうな本ばかりだけど、博物館に飾るような国宝級の絵巻物なんかもあるから、あたしはあまりこの部屋に立ちることは許されていなかったのよ。

 字を読むのは苦手だから、無理して入りたいとも思わないけどね。

 鍵を開けた新一しんいちに続いて部屋に入った瞬間、本のインクの匂いが鼻の奥を刺激した。
 いつも思うんだけど、インクって独特な香りよね。

 あたしは何故か、お腹がキュッとなってお手洗いトイレに行きたくなるんだけど、みんなはどうかしら。

 用意された長机の席に着いた途端、新一しんいちが尻上がり気味の口笛を吹いた。
完璧だったな。」

「フン、冗談でしょ。」
 あたしは彼の下品な行為を鼻で笑った。

「こちとら、15年間公爵家に奉仕してきた女中なのよ。
 特に食事の作法は女中が指導することが多いから、知ってて当たり前だわ。」

「華族の女子が習う貴婦人教育は良妻賢母りょうさいけんぼひとしい。
 女中仕事を経験してきた分、そこは合格だ。
 正直、学が無いぶん花嫁教育よりも貴婦人教育が先だと思っていたが、見た目以外は菊子様の影武者になれると豪語しただけある、と言っておくよ。」

「たまには素直に褒めてくれるのね。」

 あたしは家事・育児はお手のものだし、人を立てることやびへつらうことも大の得意よ、えっへん。
 俯瞰ふかんして見るとあたしって、よくよく公爵家の令嬢に相応ふさわしい人材じゃない?

 容姿と体型以外はね・・・。

 新一しんいちは出窓に腰掛けると長い脚を折り曲げて、おもむろに眼鏡を外してつるの先を唇にくわえた。

 絵画を切り取ったような色男イケメン恰好ポーズに胸が勝手にときめいてしまうわ.
 キュンキュン!

 あたしの胸の内を知ってか知らずか、新一はその恰好のままあたしを見ると、ズルい顔でささやいた。

「ただ、お前は食べ過ぎだ。       
 朝から白飯3杯は淑女レディーの食べる量ではない。
 今日から腹筋100回に加えて、減量ダイエットのための食事制限も追加しよう。」

 はうッ、死刑宣告ダイエットですかあッ!?

 あたしの趣味とストレス発散は、ほぼ食べることなの。
 それを簡単に減らせというのね・・・。。

 や、やっぱりあんたになんか、キュンしていないんだから!

 完全に魂の抜けたあたしを無視して、新一しんいちは話を続けた。

「365日しか時間が無いから、手間が省けるのはありがたい。」

 そういうと、新一しんいちは私の横の席に座り、洋紙の帳面ノートを差し出した。

「これが花嫁教育の要約レジュメだ。」

 うながされてページを1枚めくった途端、几帳面きちょうめんな字体がノートをびっしりと埋めつくしていたことに驚いたの。

 見たことが無い文字の羅列られつに、あたしはめまいでクラクラした。

「ウ、ウチのおばあちゃんの遺言ゆいごんで、魂が抜けるから沢山の文字は読むなと言われているのよ。」
「分かりやすいウソをつくな。
 知ってるぞ、お前のばあさんはまだ近所で生きているはずだ。
 字が読めないなら読んでやろうか、お嬢ちゃん?」

 新一しんいちの美しい顔が嫌悪に歪み、あたしは冗談すら言えない環境に涙が出た。

「読むわよ、読めば良いんでしょ!」

 もう、漢字が多すぎて頭が痛いわ!
 めまいに吐きそうになりながらアリの行列のような文字を追うと、この文字列が一週間の時間割を示しているということを理解した。


菊子かめ様の花嫁教育】

 月曜… 習字 / 和歌 / 一般教養

 火曜… 英語 / 憲法 / 皇室史 

 水曜… フランス語 / 礼儀作法

 木曜… 宮内庁制度 / お心得

 金曜… 神宮祭祀宮・宮中祭祀 / 宮中慣習

 土曜… 宮中儀式及び行事 / 宮中儀礼 / 外交


「この時間割、ハードすぎじゃない?」

 あたしは背中を冷や汗が流れるのが分かった。

神道しんどうの祭司の中で一番格式が高く、一番最古の家に嫁ぐのだから、ハードなのはやむを得まい。」
「あの、皇室の方に嫁ぐという話は聞いているのだけど、皇室のどの方に嫁ぐ予定なのかは聞いていないと思うのよね。」

 自分で言ってから思ったけど、これってものすごく重要なことよね。
 皇室の方々は皆さん雲の上のお方だけど、その役職によっても心構えが変わってくるし、対応も変えなきゃならないじゃない。
 
「安心しろ。」
 新一しんいちが眼鏡越しにあたしを見つめる視線は、とてもおだやかだった。
 
「お前が嫁ぐ方は、神道しんどう最古の家における唯一無二の高貴なお方だ。」
「唯一無二の・・・。」

東宮とうぐう鷹仁たかひと様、つまり皇太子様だ。」

「ここここ、皇太子さま―⁉」

 初対面の新一しんいちが、あたしに皇太子様の名前を知っているかと聞いてきたけど、このための伏線フラグだったの?

 名前は知らなくても、東宮とうぐう次期皇位継承者じきこういけいしょうしゃの第一順位に当たる皇子おうじみやだということくらいは、女中のあたしにも分かる称号しょうごうだ。

「つ、つまり、この要約レジュメは一般的な花嫁教育というよりも、皇妃プリンセス教育の内容ということよね。」
「ご名答。」

 涼しい顔で答える新一の態度に胃がキリキリと痛い。
 
 どうりで憲法だの宮中儀礼だのと見なれない漢字が飛びっているわけよね!

 さあ、大変だわ‼
 あたしは一体、ここからどうやって逃げたらいいの⁉

「慌てるな、髪をかきむしるな、荷物をまとめるな、大声出すな。
 まず落ち着いて、ここに座れ。」

 挙動不審なあたしを一旦いったん座らせると、新一しんいちは目の前にフワッとひざまずいた。
 上から見ると、カールしているまつ毛の長さがやたらと目についた。

 全方位どこからみても色男イケメンって、無敵よね。

 そして新一しんいちはあたしの右手のひらを自分の両手で挟み、指圧マッサージを始めた。

「ここは労宮ろうきゅう。気分が落ち着くツボ。」

 ぐいいッと手のひらの中心部に新一の指が入ると、痛さと爽快感が腕を突き抜けた。
 うわ、じんわり痛いわ。

 ツボって整体術で押す経穴けいけつのことよね?
 確かに痛いけど、それが気持ち良くて、なんだか落ち着く。

「痛い・・・けど、気持ちが良いわ。」

 すると新一しんいちは手の甲の親指の付け根をゆっくりと押し、ゆっくりと円を描くように離した。
 あら、ここも気持ちいいわ。

「ここは合谷ごうこく。肩こりや腹痛のツボ。」
 
 手のひらを押されているだけなのに、胃の辺りがポッポと温かくなってきた。
 そして最初は痛いけど、押されているうちに気持良さが上回うわまわっていくのが不思議なのよね。

「落ち着いた?」
「ええ、ありがとう。
 でも不思議ね。手を押されるだけなのに、こんなに気分が落ち着くなんて。」

「ツボは生命エネルギーの出入り口なんだ。
 それぞれが臓器と深い関係にあるから、即効性そっこうせいがある。」
「あんたは何でも知っているのね。」

髪結いびようしは医学にも通じるところがあるからな。
 もし整体術を学びたければ、花嫁教育に加えてやろうか?」

 あたしは笑顔を張りつけたまま、死んだ魚みたいな目で首を横に振った。

 いーえ、結構よ。
 これ以上科目かもくを増やされたら、あたしの大事な三食と寝る時間が削られそうで怖いのよッ!

 心と体がスッキリしたあたしは、新一しんいちに質問した。

新一しんいちは普段は皇室で働いているのよね。東宮とうぐう様はどんなお方なの?」
なぎの海のように穏やかで、とても情け深いお方だ。
 慈愛じあいに満ち溢れていて、常に国民の幸せを気にかけている。」

「良かった。」

 菊子様が帰ってきたら嫁ぐかもしれない人が、怖い人だったら可哀想じゃない。
 菊子様の信者ファンとしては、東宮とうぐう様の真実を見定みさだめる必要があるわよね。

 やっぱりあたし、影武者みがわりになって良かったわ。

「ありがとう、新一しんいち
 ちょっとだけ楽になったわ。」

 ようやくあたしの手を離した新一しんいちが、立ち上がりながら前髪をかきあげた。

「安心しろ。
 俺がお前を守ってやるよ。」

 な、なによその台詞セリフ
 まさかあたしに惚れたとか?

 激しく高鳴る鼓動とツボ押しで血流が良くなったせいで、あたしは耳まで赤くなった。

「お前を太らせる要因の甘味おやつ白飯メシの魔の手から、必ず守ってやる。」

 ああ、この男ってホントに、論ずるに値しないわあ・・・‼
 誰か、今すぐ無駄口むだぐちをきけなくする経穴ツボを教えてッ‼



 

 

 

 
    
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