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#36 夕暮れに溶けるように
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「麗さま!」
生きていたのね。
私の涙腺が緩みました。
金の髪を潮風に揺らし、船員のような白いセーラー襟の上下に身を包んだ麗さまが、船首の先に立っていたからです。
オッドアイを挑戦的にギラつかせてこちらを見るその姿は、とても怪我人には見えませんでした。
紘次郎も私も壮絶な迫力に驚いてしまい、瞬きを忘れて動けません。
「教えてやるよ。この男はジョージじゃない。
母親が帰化した英国人で、見た目が外国人に見えるから今回みたいな囮捜査に駆りだされるんだ。」
水上警察の渡光之介だよ。」
光之助はわざと眉を上げ、肩をすくめてみせました。
「一度も英国に行ったことはないんだけどね。」
「警察だと・・・⁉ 謀ったな!」
珍しく怒りを露にした紘次郎は、恐ろしい声を上げました。
ここまで感情を剥きだしにする紘次郎を見たことはありません。
「追い詰めた、と言ってほしいな。君は逃げ足が早いからね。
ここまでしないと捕まえられなかったんだよ。」
「チッ!」
苦々しく舌打ちして海に飛びこもうとした紘次郎を、麗さまが飛びかかって引き留めて甲板に組み伏せました。
そして次々に船員たちが荒々しく紘次郎を押さえつけ、ジョージに扮した光之助が高らかに宣言しました。
「松平紘次郎、連続投資詐欺と徳川みつき監禁の疑いで逮捕する。」
紘次郎は縄をかけられながらも暴れて、発狂したように叫びました。
「完璧な計画だったのに・・・どこで狂ったんだ? どこで・・・。」
「みつき!」
麗さまが走り寄ってきて、わたしを抱きしめました。
いつもの薔薇の匂いに包まれて、私はさまざまな感情が溢れだしました。
でも、麗さまはうららに刺されているはずです!
私は麗さまのお腹に触れないように少し背をそらせました。
「麗さま、ご無事で良かったです! お腹の傷は大丈夫なのですか?」
「止血点を圧迫していたから出血が多く見えたかもしれないけど、止血できたから大丈夫。
出血性ショックで意識がなくなったのは誤算だったけどね。
みつきが勇気を出して海に飛びこんでくれなかったら、あのまま海に沈んでいたかもしれないね。」
「ありがとう」と言いながら、麗さまは私を抱く手に力を入れました。
「紘次郎が追いかけてくるということも、ぜんぶ分かっていらしたの?」
「彼のみつきへの執着を見ていたら、ある程度の予測はできるよ。
というか、僕なら追いかけると思ったんだ。
みつきへの気持ちが行き過ぎてしまうことだけは、僕たちは似ているのかもしれないね。」
紘次郎が吠えました。
「お前らに分かるか・・・。
どんなに努力して結果を残しても、家の地位だけで判断されるこの世の仕組みがクソなんだよ。
どんな手を使おうとも、私が主人公の世界を作ることの何が悪い⁉
私の人生も、みつきも私のモノだ‼」
「こころが無いんだよ。」
私の隣に立ち、手をギュッと握りながら麗さまが答えました。
「世界が終わりを迎える時には、自分だけ生き残っていても意味がない。
愛して愛されるこころがなければ、どんな努力もただのエゴだ。
私はそれをみつきから教わった。」
麗さまの手から温かい体温が伝わってきて、私は胸がいっぱいになりました。
愛されているということは触れられないし目には見えないけれども、どれだけ素敵で力強くこころの支えになるものなのか。
紘次郎は急に大人しくなりました。
船員の格好をした水上警察に連れられてもう一台のヨットに移動させられる姿に、私は胸が張り裂けそうです。
かつて、兄のように慕っていた紘次郎からもあたたかい温もりを感じたことがあったから。
自転車で二人乗りをした日のこと、演劇の練習をした日のことが次々に切なく思い出されて、紘次郎の小さくなる背中を見送ると私は船上でむせび泣きました。
さようなら。
二度と戻らない昨日ーーー。
※
海の上で見る夕日は遮るものがなく、全てが黄金色に染まっています。
空と海の境界線がクッキリと際立ち幼いころに遊んだ影絵の記憶を呼び起こすような、不思議な錯覚を覚える光景です。
岸へと向かうヨットはさざ波をかき分けて、港を目指して走ります。
私と麗さまは手を繋ぎながら、少しでも体力を温存するために甲板に寝そべっていました。
麗さまが空を見ながら囁きました。
「ねえみつき、今の私の瞳は何色に見える?」
「黄金色・・・両眼ともオレンジ色に見えます。」
「やはり、そうか。みつきも全身がオレンジ色に染まっているもの。
生まれつきの色が違っていても、沈む太陽のまえでは皆、同じ色になるのだね。」
「同じだと、嬉しいのですか?」
「うん。安心する。
もっと早くこのことに気づいていたら、母さんやうららを傷つけることもなかったのかもしれない。」
私にその言葉の真意ははかりかねましたが、麗さまはご自身で何かを納得されたようでした。
「麗さま、私は麗さまにお伝えしたいことがございます。」
「なんだい?」
「二度と、私に心中しようだなんて口にしないでください。」
「心中? そんなこと、言ったかな?」
うそぶいた麗さまが、心中してと請われた時よりも愛おしい。
私が憧れていた【おねえさま】だった人は、華麗に私を抱き起こして甘く耳元で囁きました。
「じゃあ、二人が老いて動けなくなったら同じ墓に入ろうか。」
「それは・・・あまりにもこの場の配慮に欠けています!」
麗さまは楽しそうに笑いながら、私の服に顔をうずめました。
「では、みつきを愛していると言いたいときは、どう言えばいいの?」
「何も口にせず・・・ただ一度だけ口づけを。」
私たちはオレンジに染まる頬を寄せ合い口づけを交わしました。
ひとつに溶けあう身体が夕暮れと同化して、いつまでも幸せが続いていくような予兆を感じました。
今夜、世界は私たちふたりだけのものです。
<終>
生きていたのね。
私の涙腺が緩みました。
金の髪を潮風に揺らし、船員のような白いセーラー襟の上下に身を包んだ麗さまが、船首の先に立っていたからです。
オッドアイを挑戦的にギラつかせてこちらを見るその姿は、とても怪我人には見えませんでした。
紘次郎も私も壮絶な迫力に驚いてしまい、瞬きを忘れて動けません。
「教えてやるよ。この男はジョージじゃない。
母親が帰化した英国人で、見た目が外国人に見えるから今回みたいな囮捜査に駆りだされるんだ。」
水上警察の渡光之介だよ。」
光之助はわざと眉を上げ、肩をすくめてみせました。
「一度も英国に行ったことはないんだけどね。」
「警察だと・・・⁉ 謀ったな!」
珍しく怒りを露にした紘次郎は、恐ろしい声を上げました。
ここまで感情を剥きだしにする紘次郎を見たことはありません。
「追い詰めた、と言ってほしいな。君は逃げ足が早いからね。
ここまでしないと捕まえられなかったんだよ。」
「チッ!」
苦々しく舌打ちして海に飛びこもうとした紘次郎を、麗さまが飛びかかって引き留めて甲板に組み伏せました。
そして次々に船員たちが荒々しく紘次郎を押さえつけ、ジョージに扮した光之助が高らかに宣言しました。
「松平紘次郎、連続投資詐欺と徳川みつき監禁の疑いで逮捕する。」
紘次郎は縄をかけられながらも暴れて、発狂したように叫びました。
「完璧な計画だったのに・・・どこで狂ったんだ? どこで・・・。」
「みつき!」
麗さまが走り寄ってきて、わたしを抱きしめました。
いつもの薔薇の匂いに包まれて、私はさまざまな感情が溢れだしました。
でも、麗さまはうららに刺されているはずです!
私は麗さまのお腹に触れないように少し背をそらせました。
「麗さま、ご無事で良かったです! お腹の傷は大丈夫なのですか?」
「止血点を圧迫していたから出血が多く見えたかもしれないけど、止血できたから大丈夫。
出血性ショックで意識がなくなったのは誤算だったけどね。
みつきが勇気を出して海に飛びこんでくれなかったら、あのまま海に沈んでいたかもしれないね。」
「ありがとう」と言いながら、麗さまは私を抱く手に力を入れました。
「紘次郎が追いかけてくるということも、ぜんぶ分かっていらしたの?」
「彼のみつきへの執着を見ていたら、ある程度の予測はできるよ。
というか、僕なら追いかけると思ったんだ。
みつきへの気持ちが行き過ぎてしまうことだけは、僕たちは似ているのかもしれないね。」
紘次郎が吠えました。
「お前らに分かるか・・・。
どんなに努力して結果を残しても、家の地位だけで判断されるこの世の仕組みがクソなんだよ。
どんな手を使おうとも、私が主人公の世界を作ることの何が悪い⁉
私の人生も、みつきも私のモノだ‼」
「こころが無いんだよ。」
私の隣に立ち、手をギュッと握りながら麗さまが答えました。
「世界が終わりを迎える時には、自分だけ生き残っていても意味がない。
愛して愛されるこころがなければ、どんな努力もただのエゴだ。
私はそれをみつきから教わった。」
麗さまの手から温かい体温が伝わってきて、私は胸がいっぱいになりました。
愛されているということは触れられないし目には見えないけれども、どれだけ素敵で力強くこころの支えになるものなのか。
紘次郎は急に大人しくなりました。
船員の格好をした水上警察に連れられてもう一台のヨットに移動させられる姿に、私は胸が張り裂けそうです。
かつて、兄のように慕っていた紘次郎からもあたたかい温もりを感じたことがあったから。
自転車で二人乗りをした日のこと、演劇の練習をした日のことが次々に切なく思い出されて、紘次郎の小さくなる背中を見送ると私は船上でむせび泣きました。
さようなら。
二度と戻らない昨日ーーー。
※
海の上で見る夕日は遮るものがなく、全てが黄金色に染まっています。
空と海の境界線がクッキリと際立ち幼いころに遊んだ影絵の記憶を呼び起こすような、不思議な錯覚を覚える光景です。
岸へと向かうヨットはさざ波をかき分けて、港を目指して走ります。
私と麗さまは手を繋ぎながら、少しでも体力を温存するために甲板に寝そべっていました。
麗さまが空を見ながら囁きました。
「ねえみつき、今の私の瞳は何色に見える?」
「黄金色・・・両眼ともオレンジ色に見えます。」
「やはり、そうか。みつきも全身がオレンジ色に染まっているもの。
生まれつきの色が違っていても、沈む太陽のまえでは皆、同じ色になるのだね。」
「同じだと、嬉しいのですか?」
「うん。安心する。
もっと早くこのことに気づいていたら、母さんやうららを傷つけることもなかったのかもしれない。」
私にその言葉の真意ははかりかねましたが、麗さまはご自身で何かを納得されたようでした。
「麗さま、私は麗さまにお伝えしたいことがございます。」
「なんだい?」
「二度と、私に心中しようだなんて口にしないでください。」
「心中? そんなこと、言ったかな?」
うそぶいた麗さまが、心中してと請われた時よりも愛おしい。
私が憧れていた【おねえさま】だった人は、華麗に私を抱き起こして甘く耳元で囁きました。
「じゃあ、二人が老いて動けなくなったら同じ墓に入ろうか。」
「それは・・・あまりにもこの場の配慮に欠けています!」
麗さまは楽しそうに笑いながら、私の服に顔をうずめました。
「では、みつきを愛していると言いたいときは、どう言えばいいの?」
「何も口にせず・・・ただ一度だけ口づけを。」
私たちはオレンジに染まる頬を寄せ合い口づけを交わしました。
ひとつに溶けあう身体が夕暮れと同化して、いつまでも幸せが続いていくような予兆を感じました。
今夜、世界は私たちふたりだけのものです。
<終>
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