上 下
21 / 38

#21 あなたに堕ちる

しおりを挟む
「エエッ⁉ どうしてですか。」


「もともと、ここは母上の【趣味部屋】だったからね。今は母上は病院にいるし必要ないんだ。
 それにボクも、春が来たら最前線への従軍が決まっている。
 その時には昇進が約束されているから、その前にこの【女々しい離れ】は壊したほうがいいというのが父上の考えだ。」


「ひどいわ・・・お母さまとの思い出を自分で壊せというなんて。」


「思い出か・・・ボクは一生忘れることなんかできないよ。」


 うつむいた麗さまの口元が小刻みに震えました。


「幼いころのボクは、母上の着せ替え人形だったからね。」


 ※


 自嘲的な微笑みは私が知る麗さまらしくはありませんでした。
 でも、私は本当に麗さまについて理解しているのかと問われれば、その自信はありません。


 いつかの白亜岬で謎の令嬢に言われた『なにも知らないくせに』という言葉は、未だに私の胸に烙印のように刻まれています。


「ほら、見てよこのワンピース。可愛いでしょ。」

 
 麗さまは椅子から立ち上がると、衣装箪笥から小さな幼児用の赤いワンピースを出して自分の身体に当てました。


「これは、母上のいちばんのお気に入りでね。よく着せられていたな。」


「お母さまが?」


「母上の機嫌が悪いと何もしていないのに、縄で縛られて折檻せっかんされた。
 そんなときは、先にこのワンピースを着て【うららちゃん】になるんだ。
 そうすると、母上の機嫌が良くなるから。」

 麗さまの明るい声とはかけ離れた告白に、私は言葉を失いました。


「どうして・・・。」


「母上はね、娘が欲しかったんだ。」


 麗さまはとつとつと話を続けました。


「もとから精神疾患の気がある方だったそうだけど、政略結婚とオッドアイの息子の誕生がきっかけで本格的に気が触れてしまったのだろうね。   
 ボクが物心ついたころには、育児放棄にノイローゼ。
 父上が船に乗っているときにヒステリーを起こすと、『産まなきゃよかった』と何時間もこの部屋で折檻せっかんされる。」

 
 オルゴールのメロディが悲しく耳に響きます。


「ボクは幼いなりにそれを回避する方法を必死に考えた。その答えは母上の欲しかった【おんなのこ】になること。
 それがボクの壊れているけど、あたりまえの日常だった。」


 それから麗さまは眼帯を外し白いシャツを脱ぎ捨てて、手近にあった赤い振袖をまといました。


「ボクはこうやって女装することに慣れてるんだ。
 みつきが望むならずっとこの女の格好でいてもいい。」


「え・・・。」


「だから、みつきはボクから逃げないで。」


 麗さまは、煌めくオッドアイでように私を見つめました。
 麗さまの切ないくらいの【孤独】の重さと質を、私などには推し量ることもできません。


「私・・・。」


 喉の奥から絞り出した大きな声は、かすれて飛び出しました。


「麗さまはわかっていないのです!」


 私は麗さまに押し倒すと、着物の襟を左右に引いてはだけました。


 もうどうなっても、どう思われても構わない。
 止められない悪い衝動にまかせて、私は麗さまの首に顔を埋めました。


「み、みつき、待って。」

 
 露わになった煽情的せんじょうてきな白い首筋に噛みつくと、麗さまの呻きが耳元に小さく聞こえます。


「クッ・・・。」


 私は首筋に立てた歯に力を込めました。
 完全なる八つ当たりは、思いがけない行動力になりました。
 

「無理なんてしていません。
 無理なら、そもそも足入れなんてしていません。
 今、分かりました。
 私は【おねえさま】ではなく【麗さま】が好きなの!
 麗さまも、私に気をつかわないでほしい。
 私を好きなら、どうぞ雑にあつかってください!」


 苦しい―。

 
 ひと息に言葉を吐き出した私は、両肩を激しく震わせて嗚咽おえつをもらしました。
 自分の気持ちが伝わっていなかったこと、そもそもの伝え方が間違っていたことへの後悔と自責の念が交互に頭を占めるのです。


「確かに最初は【女性】に見えるから好きになったけど、今は【麗さま】だから好きなの!」
  

 涙が止まらない私に、吐息を荒くした麗さまが耳元で囁きました。


「我慢していたのに・・・悪い子。」


 麗さまは、突然私に口づけをしました。

 芳醇な果実の甘い香りとともに痺れるような感覚が全身にかけめぐりました。
 繰り返されるアップライトオルゴールのメロディが、麻痺した痛みのようにキンキンと響き続けます。

 唇を離した麗さまが、私の浴衣の襟を引き下ろしました。
 

「アッ。」


 思わず肩をすくめて身をひねりましたが、麗さまはもう私の首筋を柔らかな唇で愛撫していました。


「悪い子には、お仕置きするよ。いいよね。」


 麗さまが荒々しく私の首筋に噛みついた瞬間、私の中の何かが弾けてしまいました。


 あの断崖絶壁から飛び降りるように、堕ちていくのは・・・一瞬。
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

隠れドS上司をうっかり襲ったら、独占愛で縛られました

加地アヤメ
恋愛
商品企画部で働く三十歳の春陽は、周囲の怒涛の結婚ラッシュに財布と心を痛める日々。結婚相手どころか何年も恋人すらいない自分は、このまま一生独り身かも――と盛大に凹んでいたある日、酔った勢いでクールな上司・千木良を押し倒してしまった!? 幸か不幸か何も覚えていない春陽に、全てなかったことにしてくれた千木良。だけど、不意打ちのように甘やかしてくる彼の思わせぶりな言動に、どうしようもなく心と体が疼いてしまい……。「どうやら私は、かなり独占欲が強い、嫉妬深い男のようだよ」クールな隠れドS上司をうっかりその気にさせてしまったアラサー女子の、甘すぎる受難!

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました

さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。 王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ 頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。 ゆるい設定です

侯爵令嬢の好きな人

篠咲 有桜
恋愛
錦戸玲奈(28)は至って真面目に生きていた。しかし、ある時世界規模で流行った伝染病にかかり人生は呆気なく終わる。 次に目を覚ました時には10年前にのめり込んだ乙女ゲームの世界。物語も人間関係もキャラも全くと言っていいほど覚えていないそのゲームで玲奈はお邪魔キャラであるアイシャに転生。今度こそ人生謳歌して楽しく恋愛などして生きていきたい。そう決意する。 追記:すみません、後出しで、こちら百合です

愛することをやめたら、怒る必要もなくなりました。今さら私を愛する振りなんて、していただかなくても大丈夫です。

石河 翠
恋愛
貴族令嬢でありながら、家族に虐げられて育ったアイビー。彼女は社交界でも人気者の恋多き侯爵エリックに望まれて、彼の妻となった。 ひとなみに愛される生活を夢見たものの、彼が欲していたのは、夫に従順で、家の中を取り仕切る女主人のみ。先妻の子どもと仲良くできない彼女をエリックは疎み、なじる。 それでもエリックを愛し、結婚生活にしがみついていたアイビーだが、彼の子どもに言われたたった一言で心が折れてしまう。ところが、愛することを止めてしまえばその生活は以前よりも穏やかで心地いいものになっていて……。 愛することをやめた途端に愛を囁くようになったヒーローと、その愛をやんわりと拒むヒロインのお話。 この作品は他サイトにも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID 179331)をお借りしております。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

処理中です...