10 / 38
#10 唇の感触
しおりを挟む
私はおねえさまへの手紙を書いては書き直し、書き直しては破り捨てていました。
「どうしましょう。」
頭にグルグルと浮かぶのは昼休みのこと。
ようこの予言通り、青山先生が私を演劇の主役に指名してきたのです。
しかも【白雪姫】だなんて。
ようこは飛び上がって喜びましたが、私は胃痛で女学院を早退してしまいました。
「ハァ・・・。」
「悩みごとですか?」
30回目のため息を吐いたあと、いつの間にか紘次郎が私の部屋の入り口に立っていました。
「あら、ノックくらいしてくださいな。あなた、大学はどうしたの?」
「ノックはしたのですけど、気づかなかったようですよ。大学の講義はちゃんと受けてきました。
今からみつきさまのお勉強の時間です。」
紘次郎が蓋を開けた懐中時計をのぞきこむと、針は夕方の四時をさしていました。
時間が溶けたように感じて、私はもう一度ため息を吐きました。
紘次郎は私の欅材の文机の横に、いつものように椅子を置いて座りました。
「女中のひな子に聞きましたよ。昼間に学校を早退したと。
帰ってきてから、ずっとこのように手紙を書いていたのですね。」
書きかけの手紙とゴミ箱の中の破り捨てた手紙とを見比べながら、紘次郎は少し眉根を寄せました。
「また猿渡さまへの手紙ですか・・・。」
五色家におねえさまに会いに行った夜、私はおねえさまとの交際を紘次郎に打ち明けました。
客間で睡眠薬入りのお茶で眠らされたあと、紘次郎は自転車ごと車で先に帰らされたようで、公爵邸の使用人たちの間では大騒ぎになったそうです。
私が帰宅をすると玄関で仁王立ちをしていた紘次郎にこう言われました。
「きちんとした説明をしなければ、父上に話す」と。
それで、しぶしぶ【秘密のシスタア】との文通の話をしたのです。
もしかしたら、この行為を紘次郎に理解されないかもしれないと思っていたのですが、紘次郎は私たちの関係には何も言いませんでした。
ただ、五色家の女中をお金で買収したつもりが、結局は彼女の手のひらで転がされていたようで無駄骨だったと、紘次郎は悔しがっておりました。
なので、紘次郎におねえさまの話をするのはタブーではないのです。
むしろ、ようこ以外に気安く【純愛】の相談ができる相手が増えたことに、私は安堵しておりました。
「実はね、文芸大会で主役の【白雪姫】を演じることになってしまったの。
おねえさまに来てもらいたかったけど私が壇上に立つ姿を見られるなんて恥ずかしいから、お招きするべきかを迷っているの。」
「白雪姫? まさかお受けしたのですか?
まったく、気弱なみつきさまらしくもない。」
「担任の先生からのご推薦よ。断るわけにはいかないわ。」
苦しいため息を吐いて頬づえをついた私と同じように、紘次郎が机に肘をついて私の横顔をのぞきこみました。
「みつきさまの白雪姫なら私も観てみたいな。
きらびやかなドレスはきっとお似合いです。」
「あなたまで、私をからかう気?
今回は学年全員で演劇をするのよ。
声は小さく、人前に立つとあがって吃って震えてしまう私が主役だなんて、せっかくの演し物に泥を塗ってしまうに決まっているわ。」
「ならば練習をしましょう。努力もしないで決めつけるのはもっとも失礼な行為です。私が相手役になりますよ。」
文机に置いていた台本を手にとって、紘次郎はパラパラと頁をめくりました。
「では、白雪姫が毒リンゴで眠っている場面から。
みつきさまは寝台に仰向けに寝て、目を閉じてください。」
「はい、プロフェッサー殿。」
昔遊んだ【ごっこ遊び】の気分で、私も紘次郎の提案に乗ることにしました。
私は寝台に横になると、組んだ手をお腹に乗せて目を閉じました。
※
『この棺桶の美しい女性は、いったい誰だろう。』
玲瓏な声で、紘次郎が王子さまの台詞をとつとつと読み上げます。
目を閉じていると、着物に袴の紘次郎が白い燕尾服の王子さまに脳内変換されるのが不思議です。
緊張するかと思っていましたが、紘次郎相手だと笑ってしまいそうになりこらえるのが必死でした。
「お姫様、ニヤニヤしてはいけません。」
紘次郎に小声でたしなめられて、私はスンと気持ちを鎮めました。
『胸が苦しい。目を開けておくれ愛しい人。』
紘次郎の大きな手が私のあごに触る感じがします。
(くすぐったいわ!)
我慢できずにそうっと薄目を開けた私の眼前に、紘次郎の顔がせまってきました。
私が次の台詞を言おうと思ったその時、唇にあたたかいものが触れた気がしたのです。
「ええっ!」
私はガバッと飛び起きました。
「みつきさま、次の台詞は『ありがとう王子さま』ですよ。」
「あの・・・いま、紘次郎の唇が私の唇に触れなかったかしら⁉」
「失礼。ギリギリで止めようとしたのですが、もしかして当たってしまいましたか?」
慌てる私とは対照的に、のんきな紘次郎。
そんな態度に私は拍子抜けしてしまいました。
(ただ、演技をしてぶつかってしまっただけなら、事故ということ?
これはキスとは言わないのかしら。)
気心がしれた紘次郎相手に唇が触れたと騒ぎ続けるのも、なんだか間違えている気持ちになります。
私たちはその後、何もなかったかのように演技の練習を続けました。
「では文芸大会の日まで、勉強のあとに毎日演技の練習をいたしましょうね。」
そう言って紘次郎が部屋のドアを閉めたあと、私は唇を触りながら文机に突っ伏しました。
どうにも頭の中がグチャグチャして、よけいにおねえさまへの手紙が書けなくなってしまいました。
「どうしましょう。」
頭にグルグルと浮かぶのは昼休みのこと。
ようこの予言通り、青山先生が私を演劇の主役に指名してきたのです。
しかも【白雪姫】だなんて。
ようこは飛び上がって喜びましたが、私は胃痛で女学院を早退してしまいました。
「ハァ・・・。」
「悩みごとですか?」
30回目のため息を吐いたあと、いつの間にか紘次郎が私の部屋の入り口に立っていました。
「あら、ノックくらいしてくださいな。あなた、大学はどうしたの?」
「ノックはしたのですけど、気づかなかったようですよ。大学の講義はちゃんと受けてきました。
今からみつきさまのお勉強の時間です。」
紘次郎が蓋を開けた懐中時計をのぞきこむと、針は夕方の四時をさしていました。
時間が溶けたように感じて、私はもう一度ため息を吐きました。
紘次郎は私の欅材の文机の横に、いつものように椅子を置いて座りました。
「女中のひな子に聞きましたよ。昼間に学校を早退したと。
帰ってきてから、ずっとこのように手紙を書いていたのですね。」
書きかけの手紙とゴミ箱の中の破り捨てた手紙とを見比べながら、紘次郎は少し眉根を寄せました。
「また猿渡さまへの手紙ですか・・・。」
五色家におねえさまに会いに行った夜、私はおねえさまとの交際を紘次郎に打ち明けました。
客間で睡眠薬入りのお茶で眠らされたあと、紘次郎は自転車ごと車で先に帰らされたようで、公爵邸の使用人たちの間では大騒ぎになったそうです。
私が帰宅をすると玄関で仁王立ちをしていた紘次郎にこう言われました。
「きちんとした説明をしなければ、父上に話す」と。
それで、しぶしぶ【秘密のシスタア】との文通の話をしたのです。
もしかしたら、この行為を紘次郎に理解されないかもしれないと思っていたのですが、紘次郎は私たちの関係には何も言いませんでした。
ただ、五色家の女中をお金で買収したつもりが、結局は彼女の手のひらで転がされていたようで無駄骨だったと、紘次郎は悔しがっておりました。
なので、紘次郎におねえさまの話をするのはタブーではないのです。
むしろ、ようこ以外に気安く【純愛】の相談ができる相手が増えたことに、私は安堵しておりました。
「実はね、文芸大会で主役の【白雪姫】を演じることになってしまったの。
おねえさまに来てもらいたかったけど私が壇上に立つ姿を見られるなんて恥ずかしいから、お招きするべきかを迷っているの。」
「白雪姫? まさかお受けしたのですか?
まったく、気弱なみつきさまらしくもない。」
「担任の先生からのご推薦よ。断るわけにはいかないわ。」
苦しいため息を吐いて頬づえをついた私と同じように、紘次郎が机に肘をついて私の横顔をのぞきこみました。
「みつきさまの白雪姫なら私も観てみたいな。
きらびやかなドレスはきっとお似合いです。」
「あなたまで、私をからかう気?
今回は学年全員で演劇をするのよ。
声は小さく、人前に立つとあがって吃って震えてしまう私が主役だなんて、せっかくの演し物に泥を塗ってしまうに決まっているわ。」
「ならば練習をしましょう。努力もしないで決めつけるのはもっとも失礼な行為です。私が相手役になりますよ。」
文机に置いていた台本を手にとって、紘次郎はパラパラと頁をめくりました。
「では、白雪姫が毒リンゴで眠っている場面から。
みつきさまは寝台に仰向けに寝て、目を閉じてください。」
「はい、プロフェッサー殿。」
昔遊んだ【ごっこ遊び】の気分で、私も紘次郎の提案に乗ることにしました。
私は寝台に横になると、組んだ手をお腹に乗せて目を閉じました。
※
『この棺桶の美しい女性は、いったい誰だろう。』
玲瓏な声で、紘次郎が王子さまの台詞をとつとつと読み上げます。
目を閉じていると、着物に袴の紘次郎が白い燕尾服の王子さまに脳内変換されるのが不思議です。
緊張するかと思っていましたが、紘次郎相手だと笑ってしまいそうになりこらえるのが必死でした。
「お姫様、ニヤニヤしてはいけません。」
紘次郎に小声でたしなめられて、私はスンと気持ちを鎮めました。
『胸が苦しい。目を開けておくれ愛しい人。』
紘次郎の大きな手が私のあごに触る感じがします。
(くすぐったいわ!)
我慢できずにそうっと薄目を開けた私の眼前に、紘次郎の顔がせまってきました。
私が次の台詞を言おうと思ったその時、唇にあたたかいものが触れた気がしたのです。
「ええっ!」
私はガバッと飛び起きました。
「みつきさま、次の台詞は『ありがとう王子さま』ですよ。」
「あの・・・いま、紘次郎の唇が私の唇に触れなかったかしら⁉」
「失礼。ギリギリで止めようとしたのですが、もしかして当たってしまいましたか?」
慌てる私とは対照的に、のんきな紘次郎。
そんな態度に私は拍子抜けしてしまいました。
(ただ、演技をしてぶつかってしまっただけなら、事故ということ?
これはキスとは言わないのかしら。)
気心がしれた紘次郎相手に唇が触れたと騒ぎ続けるのも、なんだか間違えている気持ちになります。
私たちはその後、何もなかったかのように演技の練習を続けました。
「では文芸大会の日まで、勉強のあとに毎日演技の練習をいたしましょうね。」
そう言って紘次郎が部屋のドアを閉めたあと、私は唇を触りながら文机に突っ伏しました。
どうにも頭の中がグチャグチャして、よけいにおねえさまへの手紙が書けなくなってしまいました。
0
お気に入りに追加
11
あなたにおすすめの小説
隠れドS上司をうっかり襲ったら、独占愛で縛られました
加地アヤメ
恋愛
商品企画部で働く三十歳の春陽は、周囲の怒涛の結婚ラッシュに財布と心を痛める日々。結婚相手どころか何年も恋人すらいない自分は、このまま一生独り身かも――と盛大に凹んでいたある日、酔った勢いでクールな上司・千木良を押し倒してしまった!? 幸か不幸か何も覚えていない春陽に、全てなかったことにしてくれた千木良。だけど、不意打ちのように甘やかしてくる彼の思わせぶりな言動に、どうしようもなく心と体が疼いてしまい……。「どうやら私は、かなり独占欲が強い、嫉妬深い男のようだよ」クールな隠れドS上司をうっかりその気にさせてしまったアラサー女子の、甘すぎる受難!
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
侯爵令嬢の好きな人
篠咲 有桜
恋愛
錦戸玲奈(28)は至って真面目に生きていた。しかし、ある時世界規模で流行った伝染病にかかり人生は呆気なく終わる。
次に目を覚ました時には10年前にのめり込んだ乙女ゲームの世界。物語も人間関係もキャラも全くと言っていいほど覚えていないそのゲームで玲奈はお邪魔キャラであるアイシャに転生。今度こそ人生謳歌して楽しく恋愛などして生きていきたい。そう決意する。
追記:すみません、後出しで、こちら百合です
【完結】物置小屋の魔法使いの娘~父の再婚相手と義妹に家を追い出され、婚約者には捨てられた。でも、私は……
buchi
恋愛
大公爵家の父が再婚して新しくやって来たのは、義母と義妹。当たり前のようにダーナの部屋を取り上げ、義妹のマチルダのものに。そして社交界への出入りを禁止し、館の隣の物置小屋に移動するよう命じた。ダーナは亡くなった母の血を受け継いで魔法が使えた。これまでは使う必要がなかった。だけど、汚い小屋に閉じ込められた時は、使用人がいるので自粛していた魔法力を存分に使った。魔法力のことは、母と母と同じ国から嫁いできた王妃様だけが知る秘密だった。
みすぼらしい物置小屋はパラダイスに。だけど、ある晩、王太子殿下のフィルがダーナを心配になってやって来て……
愛することをやめたら、怒る必要もなくなりました。今さら私を愛する振りなんて、していただかなくても大丈夫です。
石河 翠
恋愛
貴族令嬢でありながら、家族に虐げられて育ったアイビー。彼女は社交界でも人気者の恋多き侯爵エリックに望まれて、彼の妻となった。
ひとなみに愛される生活を夢見たものの、彼が欲していたのは、夫に従順で、家の中を取り仕切る女主人のみ。先妻の子どもと仲良くできない彼女をエリックは疎み、なじる。
それでもエリックを愛し、結婚生活にしがみついていたアイビーだが、彼の子どもに言われたたった一言で心が折れてしまう。ところが、愛することを止めてしまえばその生活は以前よりも穏やかで心地いいものになっていて……。
愛することをやめた途端に愛を囁くようになったヒーローと、その愛をやんわりと拒むヒロインのお話。
この作品は他サイトにも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID 179331)をお借りしております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる