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「一体何なんだ、このメッセージは!」
神林部長は、デスクを叩いて怒鳴った。
「本当にすみませんでした!」
私は、すっかり恐縮して平謝りする。
早朝のオフィスは、物々しい雰囲気に包まれた。会社に出勤してきた同僚たちが、ただならぬ気配を察して遠慮がちに挨拶する。
「我が社のマスコットキャラクターであるヤミツキ君が、こんな発言をするはずがないだろう! SNSで炎上したらどうするつもりだ!」
神林部長は、まぬけな顔をしたカラスのぬいぐるみを腹話術みたいに喋らせながら、のべつまくなしにまくし立てる。
意地悪そうな目つきで黄色いくちばしをとがらせた、お部屋探しのCMでお馴染みのキャラクターだ。
都会の喧騒に囲まれたマンションのベランダに住みついていて、近ごろ空き部屋に入居者が引っ越してきたので、スマホで条件に合う物件を探しているという設定である。
「誤爆です」
私は、もはや言い訳できないと悟って開き直ってみせる。
説明しよう。
誤爆とは、いわゆるインターネット上で使われる言葉で、間違った相手に誤ってメッセージを送信してしまう行為のことだ。
「そういう問題じゃない! ミスに気づいたのに、どうして上司である俺に報告しなかったんだ! 黙っていればバレないとでも思ったのか?」
SNSを介して不特定多数のユーザーへ情報を発信するヤミツキ君は、うちの会社が作った公式キャラクターだ。
そして私は、架空のアカウントになりすましてコメントをつぶやく中の人だ。会社のホームページを管理したり、ブログを更新したりもしている。
「まあいい、今回だけは大目に見てやろう。ただし、二度目はないと思えよ」
神林部長はそう言って、さりげなく私の肩に腕を回しながら、誰にも聞かれぬように小声でたずねてくる。
「――ところで、セクハラ部長ってのは誰のことだ?」
部長からこっぴどく叱られたあと、私は自分のデスクに戻ってため息をつく。
出勤早々、最悪の気分だった。気を取り直してパソコンへ向かうものの、まるで仕事が手につかない。
するとそんな私の様子を見かねた同僚が、指先でカチカチとマウスをクリックしながら、他人事みたいに話しかけてくる。
「WEB広報担当って大変ですね」
金髪ピアスの派手な外見ながら、ネクタイを閉めてきっちりスーツを着こなした彼は、新人研修を終えて総務部に配属されたばかりの山崎君だ。
「まったくよ。いいねの数も全然伸びないし」
私は、いささか冗談めかして肩をすくめる。
「そもそも、うちの会社は不動産屋なのよ? あなた、新築のマンションや住宅ローンに興味ある? SNSなんかで宣伝しても、どうせ誰も見てやしないってのに」
「少なくとも、俺はフォローしてますけどね」
山崎君は、にっこり明るい笑顔で親指を立ててみせる。
彼なりに応援してくれているのだろうが、かえって馬鹿にされている気がしてならない。
「それに、まるで先輩にそっくりじゃないですか」
「ヤミツキ君が?」
「見かけによらず、意外と可愛いところとか」
「どういう意味よ、それ」
会社のトイレで用を足して手を洗ったあと、化粧ポーチからアイライナーを取ってくるくると芯を出す。
洗面台の鏡に向かって目元を引き、ぎこちない営業スマイルを作ってみせる。
私は目つきが悪い。生まれつきだ。
父親譲りの一重まぶたで、腫れぼったい。つり目がちなのは、たぶん怒りっぽい母親からの遺伝だろう。
弱視のうえに乱視が重なり、高校を卒業するまでずっと眼鏡をかけていた。
思いきってコンタクトレンズに変えてみたのは、親元を離れて大学へ進んでからだ。
慣れないうちはなかなか焦点が合わず、いつも眉間にしわを寄せて目を細めるのが癖だった。
だから何も喋らずに黙っていると、周りの友達から「何か嫌なことがあったの?」と心配されてしまったり。
駅のホームで電車を待っているだけなのに、いきなりお年寄りから「文句があるなら言ってみろ!」と逆上されてしまったり。
社会人になってからというもの、身のほどをわきまえて人前ではなるべく笑顔を絶やすまいと心がけるようになった。
ところが、あの世界的なパンデミックが私の人生を大きく狂わせる。
マスク越しの対応でお客様から苦情が寄せられたらしく、入社早々、営業職から事務職へと異動させられてしまったのだ。
あわよくば一等地の高級マンションを探している御曹司をつかまえて、玉の輿に乗るつもりだったのに。
そしてふと気がつけば、そろそろ三十歳を迎える年齢である。
今のところ、結婚の予定もなければ交際している相手もいない。ありていに言えば、アラサーの独身女だ。
念のために結婚相談所やマッチングアプリを利用しているが、いまだにコンプレックスを克服できなくて、両目を隠した画像をプロフィールに設定している自分がいる。
「――ところで、神林部長は?」
昼休みが明けたあと。午前中のうちに頼まれていた仕事を終えた私は、コピーした資料をまとめて部長のデスクへ出向く。
ところが神林部長は、まだ昼食から戻っていなかった。後輩の山崎君にたずねてみても、心当たりがないのか曖昧に首をかしげるばかり。
神林部長は、過去に離婚歴がある三十代の独身男性だ。
詳しい事情は知らないが、独居暮らしのお母様が大病を患っているそうで、週末になるたびに実家へ帰って介護しているらしい。
高収入・高学歴・高身長と三拍子揃ったイケメンだが、未練がましく結婚指輪をはめていて、まるで女っ気が感じられない。
たまに自分で下手くそなお弁当を作ってくる日もあるが、お昼時はいつも部下を誘っては断られて一人で外食している。
「そろそろクリスマスか」
壁にかけられたカレンダーを見ると、年末年始を控えた最後の月だった。
不動産業界は毎年、桜が舞う入学シーズンになると慌ただしくなる。
だから、一週間の海外旅行と称してプチ整形を済ませるなら、お正月休みを利用するしかない。
「やっぱり二重にしちゃおうかな」
仕事中にもかかわらず、そんなどうでもいいことを考えていたせいだろう。
バインダーから付箋付きのファイルを抜き取ろうとした際に、パンプスのかかとを踏み外して足首をくじいてしまう。
その拍子に部長のデスクに手をついてしまい、パソコンとつながったマウスが滑り落ちて宙ぶらりんになる。
どうやら今日は、とことんツイていないようだ、
車輪付きの回転椅子を押しのけて、床に散らばった紙切れを拾い集める。
「うわっ、何これ……」
机の上でトントンと紙束を揃えて、何気なしにふと顔を上げた時だった。
スタンバイ状態から復帰したパソコンのモニターに、見てはいけないものが映し出される。
それは、基本無料の会員登録をうながす広告だらけのアダルトサイトだった。
しかも、いかにも不自然に翻訳された文章からして、たぶん国内の安全なウェブサイトではない。
いわゆるSM系と呼ばれる特殊なジャンルを取り扱った違法な動画配信サイトだ。
蝶々の仮面をかぶったボンデージ姿のポルノ女優が、鞭を振りかざして緊縛された男性を踏みつけている。あるいは、そういう趣味を持った素人さんなのだろうか?
ドロドロに溶けた真っ赤なろうそくを、四つん這いになった奴隷の背中に垂らしている。見るからに生々しくて、思わず眉をひそめてしまう。
「一体そこで何をしているんだ、伊原君」
するとその時、不意に声をかけられた。神林部長がオフィスへ戻ってきたのだ。
「いいえ、何でもありません!」
マウスのカーソルを動かして閲覧履歴を調べようとしていた私は、とっさにブラウザを最小化させてデスクトップへ戻る。
しかし、画面に表示されたウインドウを閉じれども閉じれども、次から次へといかがわしい広告がポップアップしてくる。
「今日は午後から外回りだ。伊原君もついてこい」
「えっ? 私もですか?」
神林部長は、椅子の背もたれにかかっていた上着を取るなり、荷物をまとめて足早に出ていってしまう。
さして気に留めている様子もなかったので、私はほっと胸をなで下ろした。コートのポケットにスマホをしまい、マフラーを巻いて追いかける。
神林部長は、デスクを叩いて怒鳴った。
「本当にすみませんでした!」
私は、すっかり恐縮して平謝りする。
早朝のオフィスは、物々しい雰囲気に包まれた。会社に出勤してきた同僚たちが、ただならぬ気配を察して遠慮がちに挨拶する。
「我が社のマスコットキャラクターであるヤミツキ君が、こんな発言をするはずがないだろう! SNSで炎上したらどうするつもりだ!」
神林部長は、まぬけな顔をしたカラスのぬいぐるみを腹話術みたいに喋らせながら、のべつまくなしにまくし立てる。
意地悪そうな目つきで黄色いくちばしをとがらせた、お部屋探しのCMでお馴染みのキャラクターだ。
都会の喧騒に囲まれたマンションのベランダに住みついていて、近ごろ空き部屋に入居者が引っ越してきたので、スマホで条件に合う物件を探しているという設定である。
「誤爆です」
私は、もはや言い訳できないと悟って開き直ってみせる。
説明しよう。
誤爆とは、いわゆるインターネット上で使われる言葉で、間違った相手に誤ってメッセージを送信してしまう行為のことだ。
「そういう問題じゃない! ミスに気づいたのに、どうして上司である俺に報告しなかったんだ! 黙っていればバレないとでも思ったのか?」
SNSを介して不特定多数のユーザーへ情報を発信するヤミツキ君は、うちの会社が作った公式キャラクターだ。
そして私は、架空のアカウントになりすましてコメントをつぶやく中の人だ。会社のホームページを管理したり、ブログを更新したりもしている。
「まあいい、今回だけは大目に見てやろう。ただし、二度目はないと思えよ」
神林部長はそう言って、さりげなく私の肩に腕を回しながら、誰にも聞かれぬように小声でたずねてくる。
「――ところで、セクハラ部長ってのは誰のことだ?」
部長からこっぴどく叱られたあと、私は自分のデスクに戻ってため息をつく。
出勤早々、最悪の気分だった。気を取り直してパソコンへ向かうものの、まるで仕事が手につかない。
するとそんな私の様子を見かねた同僚が、指先でカチカチとマウスをクリックしながら、他人事みたいに話しかけてくる。
「WEB広報担当って大変ですね」
金髪ピアスの派手な外見ながら、ネクタイを閉めてきっちりスーツを着こなした彼は、新人研修を終えて総務部に配属されたばかりの山崎君だ。
「まったくよ。いいねの数も全然伸びないし」
私は、いささか冗談めかして肩をすくめる。
「そもそも、うちの会社は不動産屋なのよ? あなた、新築のマンションや住宅ローンに興味ある? SNSなんかで宣伝しても、どうせ誰も見てやしないってのに」
「少なくとも、俺はフォローしてますけどね」
山崎君は、にっこり明るい笑顔で親指を立ててみせる。
彼なりに応援してくれているのだろうが、かえって馬鹿にされている気がしてならない。
「それに、まるで先輩にそっくりじゃないですか」
「ヤミツキ君が?」
「見かけによらず、意外と可愛いところとか」
「どういう意味よ、それ」
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洗面台の鏡に向かって目元を引き、ぎこちない営業スマイルを作ってみせる。
私は目つきが悪い。生まれつきだ。
父親譲りの一重まぶたで、腫れぼったい。つり目がちなのは、たぶん怒りっぽい母親からの遺伝だろう。
弱視のうえに乱視が重なり、高校を卒業するまでずっと眼鏡をかけていた。
思いきってコンタクトレンズに変えてみたのは、親元を離れて大学へ進んでからだ。
慣れないうちはなかなか焦点が合わず、いつも眉間にしわを寄せて目を細めるのが癖だった。
だから何も喋らずに黙っていると、周りの友達から「何か嫌なことがあったの?」と心配されてしまったり。
駅のホームで電車を待っているだけなのに、いきなりお年寄りから「文句があるなら言ってみろ!」と逆上されてしまったり。
社会人になってからというもの、身のほどをわきまえて人前ではなるべく笑顔を絶やすまいと心がけるようになった。
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「――ところで、神林部長は?」
昼休みが明けたあと。午前中のうちに頼まれていた仕事を終えた私は、コピーした資料をまとめて部長のデスクへ出向く。
ところが神林部長は、まだ昼食から戻っていなかった。後輩の山崎君にたずねてみても、心当たりがないのか曖昧に首をかしげるばかり。
神林部長は、過去に離婚歴がある三十代の独身男性だ。
詳しい事情は知らないが、独居暮らしのお母様が大病を患っているそうで、週末になるたびに実家へ帰って介護しているらしい。
高収入・高学歴・高身長と三拍子揃ったイケメンだが、未練がましく結婚指輪をはめていて、まるで女っ気が感じられない。
たまに自分で下手くそなお弁当を作ってくる日もあるが、お昼時はいつも部下を誘っては断られて一人で外食している。
「そろそろクリスマスか」
壁にかけられたカレンダーを見ると、年末年始を控えた最後の月だった。
不動産業界は毎年、桜が舞う入学シーズンになると慌ただしくなる。
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その拍子に部長のデスクに手をついてしまい、パソコンとつながったマウスが滑り落ちて宙ぶらりんになる。
どうやら今日は、とことんツイていないようだ、
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「うわっ、何これ……」
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スタンバイ状態から復帰したパソコンのモニターに、見てはいけないものが映し出される。
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しかも、いかにも不自然に翻訳された文章からして、たぶん国内の安全なウェブサイトではない。
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蝶々の仮面をかぶったボンデージ姿のポルノ女優が、鞭を振りかざして緊縛された男性を踏みつけている。あるいは、そういう趣味を持った素人さんなのだろうか?
ドロドロに溶けた真っ赤なろうそくを、四つん這いになった奴隷の背中に垂らしている。見るからに生々しくて、思わず眉をひそめてしまう。
「一体そこで何をしているんだ、伊原君」
するとその時、不意に声をかけられた。神林部長がオフィスへ戻ってきたのだ。
「いいえ、何でもありません!」
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しかし、画面に表示されたウインドウを閉じれども閉じれども、次から次へといかがわしい広告がポップアップしてくる。
「今日は午後から外回りだ。伊原君もついてこい」
「えっ? 私もですか?」
神林部長は、椅子の背もたれにかかっていた上着を取るなり、荷物をまとめて足早に出ていってしまう。
さして気に留めている様子もなかったので、私はほっと胸をなで下ろした。コートのポケットにスマホをしまい、マフラーを巻いて追いかける。
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