19 / 74
ゲイバーアンビシャスへの再来前日譚
2
しおりを挟む
***
たった数年で街並みが変わるはずはないのに、高橋の目に映る景色は青年と別れてから、どれも色褪せて見えた。
そこまで通い慣れているはずがないのに、すんなりと店までの道のりを迷いなく歩くことができるのは、あのとき青年に優しくされた記憶があるせいなのか――あるいは、生まれてはじめて切ない別れを経験したからなのかは分からない。
最後に交わした会話を思い出しつつ、自分と青年を見えない糸で繋いでいる店の存在が気になった。
(この不景気の煽りを受けて、潰れていなきゃいいが――)
そんなことを考えながら、元恋人が経営する店に向かうべく、古ビルのコンクリート製の階段を靴音を立てながら上る。
2階のフロアの一番手前にある、漆黒に塗られた扉の前に立ちつくし、金色の文字で『Ambitious』と表記された看板があることを確認した。ちゃんと店が存続していることに、高橋は思わず微笑んでしまった。
久しぶりの来訪に、あまりいい顔をしないだろうなと予想し、扉を開けて足を踏み入れる。勢いよく扉を開けた振動で、ドアベルが盛大に店内に鳴り響いた。
「いらっしゃ~い、本日第一号のお客様っ!」
そんなドアベルの音に負けない声を出した大柄な背中が、高橋の目に留まった。
「…………」
開店準備が間に合っていなかったのか、こちらに背中を向けたまま、忙しなく動く姿を黙って見つめる。
背後からの反応もないことを訝り、動かしていた手を止めて恐るおそる振り返った瞬間に、忍の小さな瞳が自分を捉えた。
「ウゲッ! 健吾っ、なにしに来たんだよ?」
己の目で確認するなり、甲高い声が素の声に戻った。しばらくぶりに聞いたその声に、高橋は懐かしさを覚える。
「なにしにって、客として来たんだけど」
5席あるカウンターの左端に堂々と腰かけて、困惑の表情を滲ませている元恋人を、微笑み混じりにじっと眺めてやった。
「あ~もぅ! いつもならしない失敗をしたり、準備に戸惑ったりしたのは、疫病神のアンタが来ることを表していたのね。ムカつくわ!」
筋肉質のごつい躰を覆い隠すようなワインレッドのワンピースを翻しながら、他にも何かぶつぶつ文句を言い続ける。ほどなくしておしぼりと小鉢を手にして戻ってくるなり、乱雑にそれらを置いていった。
「ハイボールを頼む」
「はいはい!」
「綺麗なメイクができるというのに、どうしてそんな中途半端な顔を晒して、わざわざ笑いをとっているんだか。もったいない」
店の開業当初はそれなりのメイクをして、顔だけは女になりきっていたはず。だが青年を紹介するために来店したときには、崩れた状態と称してもいいくらいのメイクを施していた。
元恋人のあまりの変貌ぶりに、そのとき訊ねられなかったことを、高橋は思いきって口にしてみたのだった。
「こんな顔を晒して悪かったわね。仕事のかけ持ちが忙しくて、メイクまで手が回んなくなっちゃったのよ。それに、笑いをとってるつもりはないんだからね」
忍は相変わらずプリプリした表情を崩さずに、カウンターで頬杖をついた高橋を食い入るように見つめる。
「セミロングのかつら、ちょっとだけズレてるぞ」
「嘘っ!?」
「嘘だ」
頭に手をやり、どこかに向かいかける慌てた横顔を見ながら、高橋は本当のことを言ってやった。
「本当にアンタ、昔から変わらないのね。誰のせいで、私がこんなふうになったと思ってんのよ」
睨み殺すような眼差しから逃れるべく、高橋は目の前から視線を外し、渡されたおしぼりで両手を拭う。
「私の恋心を思う存分に利用して、好き勝手やって飽きたらポイ。そんなことをされたら、誰だって人間不信になるわよ!」
「……尻から太ももにかけてのラインの色っぽさは、忍が一番だった」
「ふんっ! 今更持ち上げたって騙されないわよ」
内に秘めた怒りを示しているのか胸の前に腕を組み、鼻の穴を広げた状態で見下ろしてくる視線に合わせた。
「傷つけて悪かったな」
高橋の告げたセリフを聞いた瞬間、忍の小さな瞳がこれでもかと大きく見開かれた。
「健吾、なにを言ってんだよ。おまえはそんな奴じゃないだろ」
組んでいた腕が力なく解かれて、躰の脇に控える。珍しいものを発見したような驚きを表す忍に向かって、高橋は糸のように目を細めながら、唇に苦笑いを浮かべた。
たった数年で街並みが変わるはずはないのに、高橋の目に映る景色は青年と別れてから、どれも色褪せて見えた。
そこまで通い慣れているはずがないのに、すんなりと店までの道のりを迷いなく歩くことができるのは、あのとき青年に優しくされた記憶があるせいなのか――あるいは、生まれてはじめて切ない別れを経験したからなのかは分からない。
最後に交わした会話を思い出しつつ、自分と青年を見えない糸で繋いでいる店の存在が気になった。
(この不景気の煽りを受けて、潰れていなきゃいいが――)
そんなことを考えながら、元恋人が経営する店に向かうべく、古ビルのコンクリート製の階段を靴音を立てながら上る。
2階のフロアの一番手前にある、漆黒に塗られた扉の前に立ちつくし、金色の文字で『Ambitious』と表記された看板があることを確認した。ちゃんと店が存続していることに、高橋は思わず微笑んでしまった。
久しぶりの来訪に、あまりいい顔をしないだろうなと予想し、扉を開けて足を踏み入れる。勢いよく扉を開けた振動で、ドアベルが盛大に店内に鳴り響いた。
「いらっしゃ~い、本日第一号のお客様っ!」
そんなドアベルの音に負けない声を出した大柄な背中が、高橋の目に留まった。
「…………」
開店準備が間に合っていなかったのか、こちらに背中を向けたまま、忙しなく動く姿を黙って見つめる。
背後からの反応もないことを訝り、動かしていた手を止めて恐るおそる振り返った瞬間に、忍の小さな瞳が自分を捉えた。
「ウゲッ! 健吾っ、なにしに来たんだよ?」
己の目で確認するなり、甲高い声が素の声に戻った。しばらくぶりに聞いたその声に、高橋は懐かしさを覚える。
「なにしにって、客として来たんだけど」
5席あるカウンターの左端に堂々と腰かけて、困惑の表情を滲ませている元恋人を、微笑み混じりにじっと眺めてやった。
「あ~もぅ! いつもならしない失敗をしたり、準備に戸惑ったりしたのは、疫病神のアンタが来ることを表していたのね。ムカつくわ!」
筋肉質のごつい躰を覆い隠すようなワインレッドのワンピースを翻しながら、他にも何かぶつぶつ文句を言い続ける。ほどなくしておしぼりと小鉢を手にして戻ってくるなり、乱雑にそれらを置いていった。
「ハイボールを頼む」
「はいはい!」
「綺麗なメイクができるというのに、どうしてそんな中途半端な顔を晒して、わざわざ笑いをとっているんだか。もったいない」
店の開業当初はそれなりのメイクをして、顔だけは女になりきっていたはず。だが青年を紹介するために来店したときには、崩れた状態と称してもいいくらいのメイクを施していた。
元恋人のあまりの変貌ぶりに、そのとき訊ねられなかったことを、高橋は思いきって口にしてみたのだった。
「こんな顔を晒して悪かったわね。仕事のかけ持ちが忙しくて、メイクまで手が回んなくなっちゃったのよ。それに、笑いをとってるつもりはないんだからね」
忍は相変わらずプリプリした表情を崩さずに、カウンターで頬杖をついた高橋を食い入るように見つめる。
「セミロングのかつら、ちょっとだけズレてるぞ」
「嘘っ!?」
「嘘だ」
頭に手をやり、どこかに向かいかける慌てた横顔を見ながら、高橋は本当のことを言ってやった。
「本当にアンタ、昔から変わらないのね。誰のせいで、私がこんなふうになったと思ってんのよ」
睨み殺すような眼差しから逃れるべく、高橋は目の前から視線を外し、渡されたおしぼりで両手を拭う。
「私の恋心を思う存分に利用して、好き勝手やって飽きたらポイ。そんなことをされたら、誰だって人間不信になるわよ!」
「……尻から太ももにかけてのラインの色っぽさは、忍が一番だった」
「ふんっ! 今更持ち上げたって騙されないわよ」
内に秘めた怒りを示しているのか胸の前に腕を組み、鼻の穴を広げた状態で見下ろしてくる視線に合わせた。
「傷つけて悪かったな」
高橋の告げたセリフを聞いた瞬間、忍の小さな瞳がこれでもかと大きく見開かれた。
「健吾、なにを言ってんだよ。おまえはそんな奴じゃないだろ」
組んでいた腕が力なく解かれて、躰の脇に控える。珍しいものを発見したような驚きを表す忍に向かって、高橋は糸のように目を細めながら、唇に苦笑いを浮かべた。
0
お気に入りに追加
50
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
寮生活のイジメ【社会人版】
ポコたん
BL
田舎から出てきた真面目な社会人が先輩社員に性的イジメされそのあと仕返しをする創作BL小説
【この小説は性行為・同性愛・SM・イジメ的要素が含まれます。理解のある方のみこの先にお進みください。】
全四話
毎週日曜日の正午に一話ずつ公開
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
美しき父親の誘惑に、今宵も息子は抗えない
すいかちゃん
BL
大学生の数馬には、人には言えない秘密があった。それは、実の父親から身体の関係を強いられている事だ。次第に心まで父親に取り込まれそうになった数馬は、彼女を作り父親との関係にピリオドを打とうとする。だが、父の誘惑は止まる事はなかった。
実の親子による禁断の関係です。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
なんども濡れ衣で責められるので、いい加減諦めて崖から身を投げてみた
下菊みこと
恋愛
悪役令嬢の最後の抵抗は吉と出るか凶と出るか。
ご都合主義のハッピーエンドのSSです。
でも周りは全くハッピーじゃないです。
小説家になろう様でも投稿しています。
某国の皇子、冒険者となる
くー
BL
俺が転生したのは、とある帝国という国の皇子だった。
転生してから10年、19歳になった俺は、兄の反対を無視して従者とともに城を抜け出すことにした。
俺の本当の望み、冒険者になる夢を叶えるために……
異世界転生主人公がみんなから愛され、冒険を繰り広げ、成長していく物語です。
主人公は魔法使いとして、仲間と力をあわせて魔物や敵と戦います。
※ BL要素は控えめです。
2020年1月30日(木)完結しました。
貧乏冒険者で底辺配信者の生きる希望もないおっさんバズる~庭のFランク(実際はSSSランク)ダンジョンで活動すること15年、最強になりました~
喰寝丸太
ファンタジー
おっさんは経済的に、そして冒険者としても底辺だった。
庭にダンジョンができたが最初のザコがスライムということでFランクダンジョン認定された。
そして18年。
おっさんの実力が白日の下に。
FランクダンジョンはSSSランクだった。
最初のザコ敵はアイアンスライム。
特徴は大量の経験値を持っていて硬い、そして逃げる。
追い詰められると不壊と言われるダンジョンの壁すら溶かす酸を出す。
そんなダンジョンでの15年の月日はおっさんを最強にさせた。
世間から隠されていた最強の化け物がいま世に出る。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる