夢で逢えたら

貴方に逢えたから

５

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　敦士はいい案が思い浮かばないまま退勤し、重い足取りで自宅マンションに向かった。

　自分より先に帰っている恋人が、いつも笑顔で出迎えてくれる。しかしながら今朝のことがあったせいで、帰っていない可能性があった。

　日常と化している、玄関での抱擁がないかもしれないことを考えただけで、敦士の気持ちがより一層暗くなる。

「はあぁ、自分で蒔いた種なのにな。こんなふうに後悔するなら、あのとき全部飲み込んでしまえば良かった……」

　ぶつぶつ独り言を呟きながら、インターフォンを押した。間髪おかずに、扉が勢いよく開かれる。

「わっ！」

　敦士がそのことに驚いて後退りをすると、逃がさない感じで躰に抱きつく恋人の姿が、目の前にあった。

「おかえり、敦士」

「た、ただいま……」

「今日は早かったんだな」

　柔らかく微笑む高橋の表情は、見慣れたいつものものだった。そのお蔭で、敦士の落ち込んでいた気分が幾分か和らいだ。

「急ぎの仕事があったんですが、半分だけ投げ出して帰ってきちゃいました。その分、明日頑張ろうと思って」

「だったら敦士が明日とびきり頑張れるように、美味しい夕飯を作らなきゃいけないな」

　抱きついていた片腕が、優しく敦士の背中を撫で擦る。不安なことがあったり、精神的に落ち着かない様子のときにしてくれる恋人の所作が、いつも以上に心地よく身に染みた。

「作ってる最中なら、手伝いますよ」

「急ぎの仕事を投げ出すくらいに、おまえは疲れてるんだ。大人しく風呂に入って、リラックスしてくれ。その間に作り終えてやる」

　背中を撫でていた高橋の手が、家の中に誘うものに変わった。敦士は素直にそれに従い、リビングに足を踏み入れると、鼻に香ってくる料理の匂いに、自然と口の中に涎が溢れる。

「もしかして、今夜はカレーですか？」

「ああ、もう少し煮込めば完成する。積もる話があるから、先に風呂に入ってくれ」

　高橋の積もる話という言葉に反応して、敦士がその場に立ち尽くしたら、事前に用意してあったのか、ソファに置いてあった自分の部屋着や下着を、押しつけるように手渡されてしまった。

「健吾さん……」

「悪いな、もう少し気持ちの整理をしたくて。おまえに言うには、いろいろ酷なことがありすぎるから」

　高橋は形のいい眉毛をへの字にして、済まなそうに告げた。敦士はその姿に申し訳なさを感じながら、持っていたカバンを足元に置き、手渡された衣類を両手で抱きしめる。

　手にした衣類から、なぜだか温かみが伝わってきた。

（もしかしたら健吾さんはさっきまで、これを抱きしめていたかもしれない。それだけ彼を追い込んでしまっていたんだ……）

「僕も今朝はすみませんでした。健吾さんの口から、知らない男性の名前が出てきたのを聞いて、ひどく妬いてしまったんです。『はるくん』って」

「あ……」

　敦士が秘めていた気持ちをたどたどしく言った途端に、目の前にある顔があからさまに狼狽えた。瞳は潤みながら小刻みに揺れ動き、なにかを告げようとする口元は、空気を吸う金魚のように見えた。

「彼は、健吾さんの好きだった人なんですね」

　敦士が思いきって訊ねてみたら、揺れ動いていた両目が自分を見るために注視される。その視線だけで高橋が変に誤魔化さずに、真実を教えようとしているのが分かった。

「俺の片想いだった。気がついたら、好きになっていた。以前の俺は恋愛なんて、脳の誤作動から起きているとすら思っていた。自分が恋をするまで、なにも知らなかったんだ」

「ふふっ、恋愛が脳の誤作動から起きてるなんて、健吾さんらしい考えですね」

「バカにしていたところがあるんだぞ」

　上目遣いで自分を見つめる高橋の瞳が、嬉しげに細められる。

「僕はそういう考え方ができないので、むしろ新鮮に感じます」

　敦士はつられて笑いかけると、高橋に頭をくちゃくちゃと撫でられた。手荒なのにどこか優しい感じもあって、されるがままでいてしまう。

「面白がる暇があるなら、とっとと風呂に入ってこい。ほら！」

　目元を赤く染めた恋人が無理やり腕を掴んで、バスルームに引っ張った。

　敦士は自分の発言のどこに照れる要素があるのか分からない状態で、仕方なくシャワーを浴びたのだった。