貴方が残してくれたもの

相沢蒼依

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Scarfaceキズアト

Scarface:未来に向かって

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 逃走用の車がない、仲間も待ってはいない。
 
 そして昴さんからも、連絡が一切なかった。

 朝、出ていくときはいつも通り、俺の頭を優しく撫でて、仕事に行ってしまったっけ。

「俺はこれから、どうすればいいんだよ……」

 手に持っていた拳銃を、とりあえず内ポケットに戻し、逃走用の車がある予定の場所で、呆然と佇んでいた。

(見捨てられた……)

 その想いが頭の中を、エンドレスに駆け巡ってしまう。
 
 見捨てられただけじゃない。もしかしたらこの事件を起こした俺を、組の人たちがこれから、始末しに来る可能性だってあるだろう。

「結局俺は、捨てられたのか……違うだろ、自らの手で捨てたんじゃなく、俺自身が喜んで代わりになったんじゃないか。昴さんは悪くない……」

 両目を閉じ、左右の拳をぎゅっと握りしめた。

 右のこめかみにある、母親に付けられたこのキズをひっくるめて、俺を愛してくれた昴さん。
 
 母親に割れたガラス瓶で殴られ、このキズが出来たときよりも、胸が痛くて苦しい――

 愛する人に裏切られる痛みは、慣れることなんて出来やしない。深く愛せば愛すほどに、心についたキズは深海のように、底なしに深くなっていくんだ。

 考え込んでたそのとき、ズボンの中にあるスマホが震え、俺に着信を知らせた。ディスプレイを見ると、昴さんから。

「もしも」

「今すぐそこを離れるんだっ、竜生!」

「は?」

 俺の声を遮り、緊迫感漂う声で告げる昴さんの声に、自ずと緊張感が走る。

「俺が襲撃の時間を誤魔化したんだ、今そっちに仲間が向かってる。消される前に逃げろっ!」

「に、逃げるって言っても、どこに逃げればいいんだよ?」

「所轄にいる内通者のサツに捕まれば、消される可能性もあるからな。とりあえず県外に出ることを考えるんだ」

「わかった!」

 俺は県道沿いの道を逃げるように、必死になって走った。

「昴さんは……大丈夫なのか? 自分の部下に嘘の情報、教えたりして」

 走りながらスマホの向こう側にいる、昴さんに話しかける。
 
 繋がっていると感じただけで、自然と勇気が出た。

 昴さんも何かをしながらなのか、しばらく応答がない状態だったけど、息遣いが聞こえていたので、走りながらそれを聞いていた。

「……悪い。こっちもいろいろやりながらだから話が途切れちまって。俺のことは気にするな。お前は無事に、逃げることだけを考えるんだ」

「うん。あのさ今更なんだけど、聞いていい? 忙しそうなのに悪いけど」

「ちょうど竜生の声、聞きたかったから嬉しいよ。何だ?」

 こんなときなのに、昴さんは俺の欲しい言葉を言ってくれる。

「その前に、ちゃんと仕事の報告しないと。昴さんごめん。俺、相棒じゃなく山上を殺っちまった。これって、失敗したことになるよな……」

 トーンを落として声を出すと、スマホの向こう側から、ふっと笑った感じが伝わってきた。

「昴さん?」

「失敗? いいじゃねぇか。よく山上を殺れたな、偉いぞ竜生」

 昴さんどうして……好きだったヤツを、俺が殺ったというのに――そんな風に、普通に褒められるんだよ。
 
 気持ちがずんと沈んで、途端に足取りが一気に重くなり、とぼとぼ歩き始めた。

「褒められると……逆につらいんだけど。今頃になって、自分のしでかしたことを考えるとさ、体が震えてくるんだ」

「俺の代わりに、よくやってくれたと思っているから褒めてるんだ。胸を張れよ、愛してるんだぜ。お前をさ……」

 胸に響くようなその声が、俺の体に熱を持たせる。目頭がどんどん熱くなった。

 俺は歩くのを止め、澄み渡った空を見上げる。すうっと大きく深呼吸をした。

「俺も……俺も昴さんのこと、愛してるから。今まで一緒にいられて、良かったと思ってる」

「竜生、初めて言ってくれたな。すっごく嬉しいよ、なのにもどかしい」

「もどかしい?」

「ああ、お前がどんな顔して愛してるって言ったのか。この目で見たかったんだ」

 スマホの向こうで、ふわりと笑うような気配を感じた。きっと三白眼の目を、すっと細めながら言ってるんだろう。

 いつもの優しい笑顔を見られない……
 
 ああ、俺も同じだ。本当にもどかしく思うよ。

「俺の顔見たって、絶対つまらないから」

「いや、つまるね。それだけで、イケる気がするからさ」

「何だよ、もう。こんなときに」

 こんなときだから、か……昴さんに、気を遣わせている。
 
 俺は奥歯をぎゅっと噛み締め、再び県道沿いの道を走り出した。

「なあ竜生、提案があるんだけど。提案っていうか、俺のワガママなのかもしれない」

「なんだよ? 昴さんのお願いなら、黙ってきくし」

「警視庁のパトカーが通ったら、飛び出して車を止めるんだ」

「警視庁のパトカーって、どうして?」

 意味が分からず首を傾げた。昴さんのワガママの意図が、さっぱり分からない。

「組の息のかかった所轄じゃない警視庁なら、安全にお前を保護してくれるからだ。車を止めて自首しろ……竜生」

「昴さん――」

「俺はお前に生きてほしい。たとえムショだろうと、生きていてほしいんだ。この世でお前の存在を感じるだけで、俺は……」

 最後は涙声になって、何を言ってるか分からなかった。

「わかった、自首する。だけど俺、刑事を殺したから、死刑になるかもしれないよな」

「少しでも刑を軽くするのに、自首するんだ。大丈夫、お前は死なないから。どっちにしろ俺もムショ行きは確実だし、しばらく逢えなくなるなぁ」

「逢えなくなるけど、俺も昴さんの存在感じるから。体中の全部で感じてるから、絶対忘れないでほしい」

「忘れるワケないだろ、バカッ! お前は俺のっ」

「昴さん、パトカーのサイレンが聞こえる……そろそろお別れだ」

 俺は走るのを止めて、後方を見やる。赤色灯を回したパトカーが連なって、何台も走っていた。

「ボディに、警視庁って書いてある車を止めるんだぞ」

「分かってるって、ホント心配性だよな。最初から最後まで、お節介しまくり」

 鼻をすすりながら笑うと、真似したようにクスクス笑った昴さん。

「お前のことが、好きでたまらないんだ。笑ってお節介、見逃してくれよな」

「ありがとう昴さん、じゃあ行くわ。愛してる……」

「竜生っ!」

 昴さんの声を断ち切るように、無理矢理通話を切った。
 
 滲んだ涙を拭って通り過ぎるパトカーを見ると、間違いなく警視庁の車だった。最後尾にいたパトカーに向かって、タクシーを止めるように右手をスッと上げると、俺の横にピタリと停車する。

「どうしました?」

 助手席にいた警官に尋ねられる。
 
 俺は仕舞っていた、拳銃を取り出しながら言った。

「すぐそこの公園で、山上を殺ったのは俺です。自首したいんですが――」

 離れていても繋がっている。昴さんが俺を求めているなら、きっと繋がっているはずだ。
 
 この世で生きている限り、どんな障害物があっても、繋がっていて欲しいと俺が強く望むから……

 ――死ぬまで切れることのない、俺たちの赤い糸――


 おわり

この後、短編二本をお送りします。
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