貴方が残してくれたもの

相沢蒼依

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virgin suicide :守りたい

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***

 今日は、ちょっとだけ残業した俺たち。山上先輩の家に向かうべく、ふたり仲良く並んで、一緒に歩いていた。
 
 防犯カメラの画像のこと正直、気になるんだけど何故だか上手く、話をはぐらかされる。一体、どうして――?

「ねえ、山上先輩……」

「ちょっとお前の左手、貸せよ」

 話しかけると変な切り返しをした、 山上先輩のペースにもっていかれる。
 
 渋々左手を出すと、いきなり薬指を口に含み、ガリッと歯を立てられた。

「ちょっと! 何してるんですかっ。痛い、痛い~っ!!」

 食い千切りそうな勢いでガブガブと、これでもかってくらい噛みついている……。この人の突飛な行動、時々理解不能なんだよ。

「これで、よし!」

(何が、これでよしだよ。痛すぎる)

 左手首をブンブン振って、止まっていた血流を、何とか回復させた。

「何なんですか、もう……」

 涙目になりながら噛まれた薬指を見てみると、根元にくっきりと、山上先輩の歯形が付いているではないか。

「エンゲージリングの代わりだ。次は水野の番。ほれ、噛んでくれ」

 そう言って無理矢理、俺の口に左手薬指を、ぐいっと突っ込んできた。仕方なくそれを噛む俺に、顔を引きつらせながら、山上先輩が怒鳴り散らす。

「もっとしっかり噛めよ! ふたりの赤い糸が、ちゃんと結ばれないぞ」

 ワケの分からない脅迫に、うへぇと顔を歪ませて、本気になって噛んでやるしかない。

「痛い、痛いぞ水野。よし、これくらいで、いいだろう!」

 噛まれて喜ぶの、この人くらいしかいないだろうな……
 
 俺が付けた歯形を、しげしげと満足げに眺めて、ニッコリと微笑む。

「ずっと一緒に、いれたらいいな……」

 幸せそうな顔をして、そんなこと言うもんだから、俺も思わず山上先輩が付けた歯形を、改めて眺めてみる。
 
 赤い糸、繋がっているのかな? ――男同士だけど。

「なあ、水野……」

 言いながら俺の首に、ぎゅっと腕を絡めてきた。

「苦しいです、山上先輩」

 加減して欲しい――そう言おうとしたら、

「悪い。今日のお泊まり会、明後日にさ、延期していいか?」

 唐突な提案にびっくりして、声が出せずにいると、

「僕のファンが、後をつけてるみたいなんだ。ま、一人だから、大丈夫だとは思うんだが……」

 難しい顔をして、じっと俺を見つめる。
 
 ファンって何なんだ? イケメン刑事だから、ストーカーに追っかけられてるってこと?

「ここからお前の駿足で、自宅に到着するのって、どれくらい?」

「多分……、10分かからないと思いますけど」

「自宅に着いたら、俺のスマホにワン切りしてくれ。ちゃんと帰ったか、確認したいから」

 その言葉に俺の顔が曇るのを、不思議そうに見つめた。

「僕の心配を、無視するのか?」

「……そうじゃなくて。山上先輩のスマホにかけたら俺の変な名前、画面に出るんだろうなって……」

「何だよ、今更。事実なんだからいいだろう。僕のなんだし」

 笑いながら、さっき噛んだ薬指に自分の左手薬指を、ぎゅっと絡ませる。

「とりあえず、僕の命令は絶対だからな。きちんとワン切りすること!」

「……分かりました」

 絡められている薬指に、きゅっと力を入れた。

「カウントゼロで、水野は右を行け。僕は反対に走るから。……後ろを振り返るなよ。3、2、1、0!」

 突如始まったカウントに、一瞬出遅れた俺。
 
 ――絡んだ薬指を、解きたくなかったから……
 
 それでも言われたことは、ちゃんと忠実に守った。全力疾走することと、後ろを振り返らないこと。走りながら、いろいろ考えてみた。
 
 最近の山上先輩の周囲が、何となくだけど、おかしい気がする。山上先輩の行動はいつもと変わっていないけど、関さんと一緒にいることが増えた。
 
 そして今日の机の上の防犯カメラに、ファンの追っかけ――確かにちょっと変わったところはあるけど、俺が見る限り、恨まれるようなことをしているようには感じない。
 
 これはやっぱり、本人に聞いてみるのが一番だよね。だって、心配なんだから……

「ふう……。久しぶりに走ると、やっぱ気持ち良いなぁ」

 かいた汗を拭いながら自宅の鍵を開け、急いで中に入る。ポケットからスマホを取り出し、急いで山上先輩にかけた。
 
 ワン切りしなきゃいけないのは分かっていたけど、どうしても無事かどうか、知りたくてたまらない。
 
 そして直ぐに繋がった、テレフォンライン――

『はい、山上です。只今電話に出られません。メッセージをどうぞ』

 耳に聞こえる愛しいハスキーボイスが、きゅっと胸を締め付ける。

「水野です。無事に家に到着しました。あの、山上先輩大丈夫ですか? お願いだから、連絡下さい。俺……」

 言葉を続ける前に、ぷつりと切られてしまった。ツーツーという無機質な音が俺の不安に、どんどん拍車をかける。
 
 スマホを握りしめたまま、玄関にどれくらい、立ち尽くしていただろうか。

「どうして……連絡、こないんだ?」
 
 今から捜しに行ったら、叱られるだろうか――

 不安過ぎて胸が押し潰されそうになり、玄関のドアに手をかけた瞬間、突如鳴り出すスマホ。

「もしもしっ!」

「心配かけてごめんな、水野……」
 
 マッハで出た俺に、電話をかけてきた人物は、苦笑いしながら話をしてくれた。

「山上先輩、良かった……。無事だったんですね。あの」

『……行き先はどうする? 達哉』
 
 山上先輩のスマホを通して聞こえてきた声に、二の句が告げない。この声は、関さん……
 
 関さん、プライベートだと山上先輩のことを、下の名前で呼ぶんだ。

「関ん家で話しよう。ごめん、水野……連絡遅れてさ。あちこち走り回って、逃げてる最中に偶然、関の車が通りかかって、乗せてもらったんだ」

 これから、関さんの家に行くんだ……

 俺はぎゅっとスマホを握りしめ、自分の中にあるどす黒いモノが出ないように、必死に戦った。

「……山上先輩が無事で良かった、です。良かった……」

『自分が足手まといになってる自覚、水野くんはあるのか?』

 唐突に投げられた、関さんからの台詞。
 
(俺が足手まとい? 一体どういうことなんだろう?)

 眉根を寄せて、向こうで交わされる会話に耳を傾けた。

「関、足手まといになってるのは、実は僕なの。水野はめっちゃ、足が速いんだぜ、だからあいつ等から逃げ切れたんだ。予想より、2分も早かったからな」

 まるで自分のことのように話す山上先輩に、胸が切なくなる。この人はいつも俺が欲しい言葉を、すんなりと言ってくれるんだ。
 
 ――揺らいでる心を正してくれる、唯一無二の人――

「行かないで、下さい……」

「どうした、水野?」

「俺……山上先輩に傍にいて、欲しいです……」

 普段なかなか言えないワガママを、つい口走ってしまった。

 関さんの家に行くのは今回のこととか、仕事絡みで話し合うためだろうと、頭の中では考えついたけれど。いい様のない不安とか、どす黒いモノとかいろんなのが、残念なくらいごちゃごちゃになって、自分じゃ制御しきれなくて……

「泣いてるのか?」

 俺を気遣ってくれる優しいハスキーボイスに、涙腺が今にも決壊しそうだ。

「……泣いて、ませんっ!」

 鼻声で言うと、少しだけ笑う声がして――

「関、ここで降ろしてくれ。詳しい話は明日朝一番で、ちゃんと報告するから」

 車が停車する音と、ドアが開く音。

「水野、待ってろよ。全力疾走でお前ん家に、急いで向かうから。だからさ……風呂、沸かしておけよな」

 ドアを閉める音と、走り出す車のエンジン音。

「それまで……僕が着くまで泣くな。政隆」

「うっ……分かりました……」

 俺の声を確認してから、唐突に切られた山上先輩のテレフォンライン。

「山上先輩、ごめんなさい……」

 決壊した涙は堰をきって止めどなく、どんどん溢れ出す。その場にしゃがみ込んで、スマホを胸に抱きしめてしまった。

 関さんが言うように俺は、やっぱり足手まといだ。肝心なところで見事に足を引っ張って、山上先輩にたくさん迷惑をかけてる。

 しかも大事なときに、自分の気持ちを制御出来ずに、あんなワガママまで言ってしまった。

「もっと、強くなりたい……。大事な山上先輩を、守れるくらいに……」

 危機に直面している貴方を、支えて守れる力が俺は欲しい。

「……山上先輩のために、頑張らなきゃ……」
 
 うだうだ泣いていても、何も解決しないんだ。
 
 ――もう泣かない、強くなる!
 
 そう心に決めて立ち上がり、涙をごしごし拭って家の中に入った。
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