貴方が残してくれたもの

相沢蒼依

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virgin suicide :欲望の夜

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 大きな事件もなく、平和な日常が一週間経ったある日。

「水野、今日も残業?」

 斜め向かいにいる上田先輩に、優しく声をかけられた。

「ん~、とりあえず今やってるのを、きちんと終わらせたら、帰ろうかなぁと思ってます」

「それは丁度良かった。お前の歓迎会しようって、他の奴らと話してたんだよ」

「ホントですか?」

 山上先輩の書類と格闘すること、一週間。実は分からないことがあって、山上先輩不在時に、こっそりと他の人に聞いて、対処していたのだ。

 その関係もあり、いつの間にか仲良くさせていただいてる、ちゃっかり者の俺。

「新人が僕を差し置いて、呑みに行くなんて、マジで十年早い……」
 
 隣で、山上先輩がボソリと呟く。

 実際、この人の傍にいるだけで疲労困憊なので、楽しい宴会の席に本人がいないのは、正直有難い――

「坊っちゃん、しょうがないじゃないですか。今夜は当直なんですから。またの機会に、行きましょう?」

 上田先輩が宥めるように言う。

 しかしこのまま行ったら、明日はどんな仕返しが待っているのやら。意地悪なこと人のことだ、間違いなく倍になって、返ってくるだろうな。

 ――それだけは避けたいかも……
 
 歓迎会と倍返しの仕事を、両天秤にかけた結果、簡単に答えが導き出される。ここは山上先輩の顔を、後輩として立てた方がいいだろう。
 
 そう考えて立ち上がり、上田先輩に向かって、

「やっぱり、俺――」
 
 そう口ごもると、上田先輩が慌てて俺の両肩を掴んで、強引に出口に向かって押し出そうとした。あまりの急展開に、足が前に進まない。

 何なんだよ、これは!?

「そいつに……勝手に触るなっ!」
 
 俺の耳元で、バシッと叩く音がした。

 掴まれてた手が呆気なく解放され、体が急に軽くなる。上田先輩がビックリした顔のまま、山上先輩を見ていた。
 
 俺自身も、何が起こったのか分からない。早い展開に頭がついていかなくて、その場に佇むしかできなかった。

「おいおい。自分が行けないからって、こんな風に叩くことはないだろうよ?」

「そんなんじゃない。僕は……」
 
 上田先輩の強行手段もおかしいが、山上先輩の行動もおかしい。

 ――おかしいけど。
 
 俺は自分のデスクに向かって、分厚いファイルを両手でむんずと掴み、隣にいる山上先輩の頭に目掛けて、迷うことなく勢いよく振り下ろす。
 
 バコンッ!
 
 捜査一課に響く異音で、辺りは水を打った様に、シーンと静まり返った。

「先に手を出しておいて、どうして謝らないんですかっ。男らしくないですよ、山上先輩!」

 俺が怒りながら言い放つとデカ長をはじめ、周りの刑事たちが次々と椅子から、慌てて立ち上がる。
 
 これから乱闘でも、始まるのではないか――

 そういう空気が流れているのを、ひしひしと肌で感じた。

「水野……」

 山上先輩が、じっと俺を見る。それはそれは、悲しそうな目をして。
 
 間違いなく怒られると思ってた俺は、ファイルを胸の前にぎゅっと握りしめ、いつもの口撃に、身構えていたのだけれど――いつまで経っても口を開かず、下唇を噛みしめる姿がそこにあった。
 
 山上先輩のらしくない態度に、何だか胸がしぼられる様に痛くなる。
 
 何この……置いてきぼりをくらったような、子供みたいな目は。まるで俺が子供を叱った、お母さんみたいじゃないか。

「……上田さん、すみませんでしたっ」
 
 謝りながらきちんと一礼して、逃げるように出口に向かった山上先輩に、三係一同唖然としたのだった。
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