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落ちてたまるか
I fall in love:乱される気持ち③
しおりを挟む「失礼します。って、誰もいないみたいだな。そこ座って待ってろよ」
たまに授業をサボり保健室に入り浸ってたので、物の配置は分かっている。消毒液に脱脂綿、ピンセットと絆創膏を平たい銀のトレーに載せていった。
「ほら、手を出せって」
先に座っている水野の向かい側に椅子を引き寄せて、左手を差し出してみる。そんな俺を見ながら、あからさまに困惑の表情を浮かべた。
「自分でやるからいいよ」
「片手で上手に、絆創膏が貼れるのか? いいから遠慮しないで、怪我した手を寄こせって」
強引に水野の手首を掴み、怪我をしている部分に消毒液を吹きかけ脱脂綿で拭う。出血のわりには傷が浅かったが、傷口が大きく縦に裂けていた。
痛そうな顔をしている水野の様子を時折眺めながら、きちんと傷の消毒をしてやる。
「悪ぃ……保健室にある絆創膏じゃ塞ぎきれないから、ガーゼ当てておくわ」
立ち上がって棚からガーゼと包帯を取り出し、傷口にガーゼを当て、クルクルと包帯を丁寧に巻いて、きちんと固定した。
「――ツン、包帯巻くの上手だね……」
治療中ずっと無口だった水野が、唐突に口を開く。
「そんなことを言っても、何も出ないからな。つぅか、ただグルグル巻きにしてるだけだから、あとで誰かに縛ってもらえよ。はい、出来上がり」
そう言って立ち上がりかけた瞬間、余った包帯が左手から落ちて、ころころと足元に転がる。屈んで取ろうとしたら、一瞬早く水野の右手が包帯を掴んでいた。
「あ、サンキュ」
水野の手から包帯を受け取ろうと手を出したら、包帯ごとその手を掴まれ、ぐいっと引き寄せられる体。
「ありがとう、ツン」
耳元で囁いてから、俺の頬にキスをした。
隙を見せた俺が悪い。悪いの分かってるけど、いきなりは――
「ちょっ! 水野、何しやがるっ……!」
「お礼のチュウ、だけど?」
チュウのとこがやけにエロく感じるのは、俺がおかしくなってるからか!?
包帯を奪取し、慌てて距離をとった。また、何かされるかもしれない。
「おっ、男に向かって、そんなことすんなよ。気持ち悪いっ!」
「真っ赤な顔して、弁解されてもねぇ」
「おっ、俺は怒っているんだ。だから、顔が赤くなってるワケで……」
「お取り込み中のところ、本当にすまんなぁ。ちょっと話、聞かせてくれるかぁ?」
保健室の扉を勢いよく開けながら話しかけ、中に入ってくるデカ長さんの姿に、ふたり揃って固まってしまった。
真っ赤になって怒っている俺と、涼しげな顔をしている水野を見て、途端にきょとんとする。
「少年、どうした? 顔が真っ赤になっているが?」
そう言われ余計に恥ずかしくなり、俺はデカ長さんに背を向ける。
「別に、何でもないです。はい……」
(うわぁ……第三者に言われると変に意識して、顔が異常に熱くなるのが分かるじゃないか)
そんな赤ら顔の俺を一瞥して、左肩をポンポン優しく叩きながら、何事もなかったようにすれ違う水野。
「俺、さっきの続きしてきます。怪我してツンに治療してもらって、中途半端に投げ出してきちゃったので」
包帯で巻かれた左手をヒラヒラと見せつけ、保健室を出て行った。水野が出て行った瞬間、安堵のため息をついた。アイツといると変な緊張感で、いつもの自分じゃいられなくなる。
「あのバカに、何かされたか?」
いつもとは違う鋭い眼差しが、俺を射ぬく。
――どうしよう、追い詰められた犯人の気持ちだ。俺自身が、悪いことをしたワケじゃないのに。
「えっと、何かされたというか……。治療のお礼に、頬にキスされただけです……」
語尾の事象がどうにも恥ずかしくて、声がどんどん小さくなった。俺、今どんな顔して話してるんだろう。
「まったく! 未成年の男子たぶらかして、何やってんだ。まぁアイツは襲われたい人間らしいから、しっかり拒否っとけば大丈夫だろうさ」
肩を竦め呆れながら、何気にすごいことを言うデカ長さんに対して、俺は激しく驚いた。
上司だから、知ってるのか?
「デカ長さんは、知っているんですか? 水野がゲイだってこと……」
「ああ、偶然職場で見ちまってな。水野を問い質したら、愛し合ってますって、はっきり宣言されちまって、俺はお邪魔しましたとか言って、退散したんだよ」
「職場でって、同じ刑事同士……あっ!」
図書室で水野が言っていた、先輩がどうのこうのって――
「何か、聞いてるのかね?」
「詳しくでは、ないんですが……先輩と俺の目つきや雰囲気が、似てるという話をしてました」
「ふぅん、山上の話をしたんだ。まあ確かに似てるっちゃ、似てるかもな。パーツよりも質がな」
言いながら俺の顔を、じぃっと見つめる。
「質……?」
「ああ、そうだなぁ。目力の強さに、漂う芯の強さみたいな雰囲気。アイツ、背はデカいけど、ふわふわというかナヨナヨというか、掴み所のないヤツだろ。だから、そういう強いモノを持つ男に、惹かれるのかもなぁ」
さすがデカ長さん。目つきの悪さを目力に変えるとは、水野のヤツ見習えばいいのに。
デカ長さんの言葉に思わず、苦笑いをしてしまった。
「山上は水野が刑事になる、きっかけを作った男で」
さっきまでの鋭い眼差しを解いて、いつもの優しい顔になる。それだけで、場の空気が一気に変わるから不思議だ。
「一年前のとある事件で、水野を庇って死んじまった不幸なヤツさ……自分のせいで山上が死んだのを悔やみ、辞表を出したりして、そりゃあ当時は大騒ぎしていたよ」
どこか遠くを見て、懐かしそうに話す。
だからなのか――その言葉で、何となく分かった気がした。
「水野のヤツ、自分の目の前で人が傷つくのが嫌で、必死になって仕事してる……」
「フッ。さすがに、物分かりのいい少年だ。だから水野は何度か自身の生命を擲ち、危ない橋を渡ってんだよ。そんなことをさせたくて、山上は死んだんじゃないのによ。死ななきゃバカは、治らないのかもな」
今度はデカ長さんが、苦笑いをする。
水野がこんなんだから、バカ呼ばわりされてるのか。
「残された人の苦しみ……一番分かっているなら尚更、何をすればいいのか、分かって欲しいですよね」
「ああ。だから少年、アイツを頼むな」
そう言って優しく、頭を撫でてくれる。
デカ長さんどうして、俺に水野を頼むんだ?
「たっ、頼まれても困ります! 俺、水野とはそういう関係になれないですからっ」
「そんな顔で力説されても、全然説得力ないぞ」
――どんな顔してるんだ、俺!?
「世の中、エッフェル塔に恋するヤツや、そこら辺の橋に想いを寄せるヤツだっている。好きになったのが、たまたま男だっただけじゃないか。俺は咎めんよ」
俺は口をあんぐりしたまま、何も言えなくなった。何故にエッフェル塔が、例え話に出てくるんだ? もしかして長年刑事すると、一般常識がネジ曲がるのだろうか? 水野といいデカ長さんといい、何か感覚が変……
「それはさておき、少年に恨みを持つヤツいるか? 友人関係に女性関係……なんか思い当たる人間を洗いたいんだが」
「さっきもそれ聞かれたんですけど、思い当たる人物が見当たらないです。俺、成績あんま良くないから妬まれることはないし、女性関係に至っては、かれこれ一年ばかり音沙汰ないから……」
俺の言うことをこの間と同じようにメモし、顎を触りながら考えるデカ長さん。
「一年前に付き合ってた彼女とは、穏便に別れられたのかい?」
「穏便というか、自然消滅に近いです。急に成績悪くなって、塾通いと家庭教師もつけられて会う暇、全然なくなっちゃって。俺、マメじゃなかったから、メールも返してなかったし」
「あ~……。見るからに器用じゃなさそうだしな、そりゃ女が逃げるわ。今ならその経験を生かして、上手くやれるか?」
「さあ、どうでしょうね……」
頭をポリポリ掻きながら、その答えに戸惑う。
――今ならその経験を生かして上手くやれるか? って、誰と上手くやるんだよ。水野みたいな変なヤツとなら間違いなく、上手くいかないだろうな。ありえねぇ……
内心呆れてる俺に深く追求せず、細く優しい目でデカ長さんは見つめていたのだった。
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