恋の撃鉄(ハンマー)―挨拶からはじまる恋―

相沢蒼依

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挨拶からはじまる恋

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「先輩おはようございます。元気ですか?」

「先輩お疲れ様です。元気ですか?」

「先輩、出張に行ってたんですか? 久しぶりですね、元気ですか?」

 顔見知りの新人と逢うたびに、毎回声をかけられる。正直なところ、そのことに内心ウンザリしていた。

(コイツ、顔を突き合わせるたびに、毎度毎度俺の元気度を測って、いったいなにを考えているのやら――)

 自身の仕事に余裕のあるときや、体調がいいときに限って簡単にやり過ごすことのできる、後輩からの挨拶は、いつしか俺のメンタルの上下を知るためのバロメーターになってしまった。

「いつも言ってるだろ、元気だって。ほかのヤツにも、そういう声がけをしてるのか?」

「いいえ、他の人にはしてません。する必要がないですし」

「は?」

(部署の違う先輩の俺に、わざわざ挨拶してるってことなのかよ?)

 あっけらかんとした感じで答えられたせいで、まともな返事ができなかった。

 アホ面丸出しの俺に、新人はイケメンを輝かせるような笑みを、目の前で見せながら口を開く。

「そうですね。お互い別の部署にいるから、仕事の話をしたくても無理そうですし、先輩から近寄りがたいオーラがバンバン出ているせいで、僕から話しかけるきっかけが、どうしても思いつかなかったんです」

「近寄りがたいオーラなんて、出してるつもりはない」

「思いっきり出してますよ。今も眉間に深い皺を三本も刻んで、すっごくおっかない雰囲気を醸してます」

「む……」

 新入社員のくせして、見るからに仕立ての良さそうなスーツを身に着け、銀縁眼鏡の奥から覗く瞳が、おもしろいものでも見るように細められた。妙に余裕のあるその態度が、実に気にくわない。

「先輩は僕に訊ねてくれないですよね、元気かって」

「必要なしと判断しているからな」

 新人の顔を見ただけで、元気なのがわかりすぎる。それゆえに、みずから訊ねる必要なし!

「訊ねてくれたら、そこから会話が生まれるのに。いつでもいいので、訊ねてくれませんか?」

「はっ! そういう営業は、ぜひとも客としてくれ。俺はすっげぇ忙しいんだ」

 ひらひらと右手を振りながら、新人に素っ気なく背中を向ける。いつもこのパターンで、くだらないやり取りを終えていた。どうやら本日のメンタルは、すこぶる調子がいいらしい。

 歩き出して右手をおろしかけたタイミングで、いきなり手首を強く掴まれる。その手から伝わってくるぬくもりは、あきらかにおかしいと感じさせるものだった。

「おいおまえ、熱があるんじゃないのか?」

(コイツは、熱があるのを隠していた。ひとえに俺に心配してほしくて「元気かって」訊ねてほしかったなんて、不器用にもほどがあるだろ)

 慌てて立ち止まって振り返り、背の高いアイツを見あげる。窓から差し込む光のせいで、眼鏡のレンズが反射し、見慣れたまなざしを見ることができない。だからこそ、よく観察してみる。頬に若干の赤みがあるように見受けられた。

「僕、今だけ限定で熱が出てます」

 なんでもないと言わんばかりに、肩を竦めてへらっと笑いながら告げるセリフに、眉根を寄せてしまった。

「あのなぁ、ふざけたことを言うな。もっと自分を大事にしろよ」

「あと何回先輩に「元気ですか?」って訊ねたら、僕のことを気にしてくれますか?」

「気にする、だと?」

 自分にかまってほしい言葉にしては、なんだかおかしなものだという、妙な引っかかりを覚えた。

「僕、先輩のことが好きなんです!」

 告げられた瞬間、掴まれている手首が、痛いくらいに握りしめられた。新人に苦情を述べるべく、痛みの原因に視線を落としてから、目の前の顔を見あげると、不意に大きな影が俺を覆い隠す。

『好きとかわけのわからないことを言ってないで、この手を放せ!』

 そう文句を言いたかったのに、熱くて柔らかい唇に、自分の唇を塞がれたせいで、なにも言えなかった。思いっきりキスされたことを認識した途端に、背筋がぞわっと粟立つ勢いをそのままに、俺の左手がアイツの頬を反射的に叩く。

 パーンと廊下に響く音が、平手打ちの強度を示した。振りかぶったてのひらが、痺れるようにじんじん痛む。

「あ……」

 頬を叩かれた新人は、目を見開いたまま固まった。

 さっきのことが見られていないか、急いで周囲を見渡し、しっかりチェックしてから、新人の襟首を手荒に掴み寄せ、傍にある【空き】と表示されている大会議室に引っ張り込んだ。

「おい、いきなりなにをしやがる、この馬鹿野郎!! あんなの誰かに見られたら、ふたりそろって変な目で見られる行為なんだぞ。わかってるのか?」

「すみません。先輩の手首を掴んだら、その逞しさについムラッとしてしまい、どうしても理性が抑えられなくなりました」

 新人が痛む頬を擦りつつ、躰を小さくしながら心底済まなそうな感じで謝罪したのに、告げられたセリフの途中から、なんとも言えないおぞましいものになったせいで、じわじわと後退せざるを得ない状況に変わった。
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