アナタに恋はじめました

相沢蒼依

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第4章:無骨な先輩――

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 教育係である兵藤との距離をとるのが、かなり難しい――外見は男の有坂が憧れてしまうくらいのイケメンだが、ちょっとだけ一言多い上に、世話好きで暑苦しい一面もある。

 自分が苦手としている兵藤の暑苦しい性格については、ずっとその状態じゃなければ耐えられるかなぁと考えた。

 しかしながらショックだったのは、ふたりきりのエレベーターでよしよしと抱きしめられている最中に、扉が音もなくいきなり開き、偶然というか最悪というか、どこかの部署の女子社員が抱き合ってる姿を見て、軽く悲鳴をあげたことだった。

 フロアに響いたその声に、有坂は顔面蒼白で固まる。そんな自分とは対照的に、落ち着き払った兵藤は有坂の躰からぱっと手を放すなり、エレベーターから出るように手首を掴んで勢いよく引っ張った。

 女子社員が「す、すみませんっ」と顔を真っ赤にして頭を下げたら、すれ違いざまに彼女の肩を叩き、耳元でゴニョゴニョと何かを囁いたので、有坂はここぞとばかりに耳をダンボにして拝聴した。

『……ちゅうことで、これは俺たちふたりだけのヒミツな』

(わざわざ女子社員の顔を覗き込んで笑顔を振りまくとか、確信犯にもほどがあるだろ! 何がふたりだけのヒミツな、だ。俺を入れたら三人になるだろうよ。しかも自分の容姿を武器に口止めするなんて、タチの悪いタラシみたいじゃないか――俺のせいで、誤解させることをしちゃったのに……)

 兵藤は複雑な心境を抱えた有坂を引っ張ったまま、廊下の奥にある非常階段まで連れ歩く。

「エレベーターは暫く動かんから、階段で部署まで行くぞ。たった十数階、余裕やろ?」

「はい。あの……手、放してください」

「済まんな、つい」

 階段を下りかけた兵藤がハッとした顔で、有坂を見上げる。その視線に堪えられなくて、横を向いてやりすごした。

「…………」

「…………」

 互いに口を開くことなく、ひたすら階段を駆け下りていく。耳に聞こえてくるのは非常階段に乾いた靴音が反響した音のみで、居心地の悪さを表しているみたいだった。

 そんな雰囲気を肌で感じていると、目の前にいる兵藤の動きが止まった。必然的に一緒になって、有坂も立ち止まる。

「あのさ有坂って俺のこと、どう思っとるんだろうか?」

「はい?」

 前を向いてなされた質問の意味は、有坂が兵藤にとっていた態度の悪さから、そういうことを訊ねたのが想像ついた。どこか緊張感を含んだ声が、それを示している。

 どう答えたらいいか困っていると、さっきよりもゆっくりな足取りで階段を下り始めた。微妙な表情で、その後ろをとぼとぼとついて行くしかなかった。

(どうしよう……。上手い言葉が見つからないけど、とにかく何か答えなきゃ)

 兵藤について取り繕う言葉じゃなく、自分の気持ちをまとめるために、必死になって考えた。

「……兵藤さんについては、その」

「俺は有坂のことを何ていうか……、まんま嫉妬しとる対象やって言ったら、ビックリするだろうか」

「ビックリというか、どうしてって思いますけど。嫉妬される覚えが、まったくありませんから」

「そうやろうな。俺が勝手に嫉妬しとるだけやし」

 肩を上下に揺すりながら、後方にいる有坂を見た兵藤の笑顔は、どこかサッパリした感じに見えた。笑うと印象的な目がなくなって、心の底から笑ってるように感じられる。そのお蔭で、さっきまで漂っていた殺伐とした雰囲気が一掃した。

(すごい人だ。笑顔ひとつでその場の雰囲気を、こんなふうに和ませられるなんて――)

「俺は本音を言ったぞ。お前もちゃんと言ってくれ、先輩後輩っていうのを気にせんと」

(こういうのって先に言った方が勝ちだ――ズルいよ、兵藤さん)

「えっと……兵藤さんの顔は好きですが、暑苦しい性格は苦手です。こっちに来るなレベルで」

 有坂のセリフを合図にしたようにピタリとその場で立ち止まり、片手で口元を押さえて振り返る。顔半分が手で覆われているのだが、隠しきれていない頬の部分が若干赤くなっているのが分かった。

「俺の顔が好きとか、ワケが分からん」

「だってすごく整ってて、見るからにカッコイイじゃないですか」

「……自分の顔、あまり好きやない。今まであったトラブルの元になっとるし」

 チッと舌打ちして、さっきと同じように階段を下りていく兵藤の背中に、有坂はペロッと舌を出した。モテるのをさりげなくアピールされて、腹が立たないヤツがいたら、見てやりたいと思った。

「誰だって、自分の顔は好きじゃないと思いますよ。俺も自分の顔に、コンプレックス持ってますし」

「コンプレックス? どこがイヤなんや?」

 何を言ってるんだお前はという表情を、ありありと浮かべながら兵藤が振り返った。

「……目尻がダラしなく垂れ下がっているのが、すっごくイヤなんです」

「アホだな有坂。内面からにじみ出る人の良さを、そのタレ目が表しとるっちゅうのに。むしろ、それが嫉妬の対象になっとるくらいやで」

 そんなものに嫉妬している兵藤が全然分からないと思った瞬間、有坂の顔に向かって細長い腕が伸ばされ、両手の指先を使って目尻をグリグリする。

 数段下からじっと見つめる兵藤の顔は、どこか意地悪そうな笑みを浮かべていた。しかも容赦なく押してしてくるので、かなり痛い。

「痛っ、何やってるんですか?」

「有坂が自分の顔を好きになれるように、もっと目尻を下げてやろうと思って。下がるとこまで下がったら、いい加減に諦めがつくやろ?」

「諦めって……。これ以上顔が崩れてモテなくなったら、どうしてくれるんですかっ!」

「そんときはしょうがないから、俺が付きおぅたる。彼女作る気ないし、仲良く友達付き合いしよ」

(――仲良く友達付き合いだと!? そんなの冗談じゃない!)

「俺、言いましたよね。暑苦しい人が苦手だって。だから友達付き合いはできませんっ」

 有坂は負けじと兵藤の顔を両手で掴み、親指を使って目尻をここぞとばかりに上げてやった。

「うおっ! 何するんや、お前は!?」

「何ってお返しですよ。兵藤さんの顔がもっともっとイケメンになるように、目尻を上げてるんです」

「あ? そないなもんする必要ない! 止めてくれ、痛いぞ!」

「だったら先に、兵藤さんが俺の顔から手を引いてくださいよ。こっちだって痛いんです!」

 傍から見たら、非常におかしい場面だろう。先輩後輩が競うように、互いの目尻を上げたり下げたりしている姿は――しかも止めてくれと頼んだのに、お互いこの状態をキープする。

「有坂から放せよ」

「兵藤さんは先輩なんだから、後輩としてお手本が見たいなぁ。ということで放してください」

「何や、それは卑怯な――」

 兵藤が何か言いかけた瞬間、有坂のスーツに入れてたスマホが、バイブで震えだした。

「兵藤さんもしかして、部署からの呼び出しでしょうか?」

「俺のも鳴っとるからな。戻って来ないことを心配して、連絡してくれたのかも」

 同じタイミングで手を放し、いそいそとスマホに出た。結局ここでの決着は、引き分けということになった。
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