アナタに恋はじめました

相沢蒼依

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第3章:懇篤(コントク)な先輩――②

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 エレベーターが降り始めて、五秒くらい経った頃だろうか。天井に付いてる電気が一瞬だけ点滅し、ガシャンという重たい金属音が聞こえてから、いきなり停止した。

「何や、故障か!?」

 眉根を寄せた兵藤が慌てて電話マークのボタンを連打すると、ガタガタという音とともにエレベーター全体が揺れ始めた。

「じっ、地震!?」

 適度な横揺れを躰に感じたので壁際に身を寄せたら、妙に冷静な兵藤がさっきと同じ姿勢のまま、電話マークのボタンを押し続ける。

「ひっ、兵藤さん……怖く、ないんですか?」

 とても小さな揺れだったが、エレベーターが落ちる可能性だってある。それなのに冷静でいられる兵藤に、有坂は驚きを隠せなかった。

「あ? こんなんでエレベーターは、どうにかならんて。それに俺、閉じ込められたのはこれで二度目やしな。おっ、地震が止んだ」

(――閉じ込められる、のか……)

「前回はいきなりの停電でな。ひとりで乗ってたから、ちょっとだけ心細かったんやけど、そんな長時間でもなかったし、きっと大丈夫だっ――」

「無理無理無理っ! こんな場所に閉じ込められるなんて、絶対に無理です! 嫌だっ……」

「有坂、そんなに震えてどうした? 具合でも悪いんか?」

 長いまつげを何度も瞬かせながら、不思議そうな顔で近づく兵藤に、有坂は思わずしがみ付いてしまった。

「こここ怖い……。こんな狭い場所に……ぅ、ずっといなきゃならないなんて、絶対に耐えられない、です……」

「もしかしてお前、閉所恐怖症か? さっきまで何ともなかったのに」

 兵藤はしがみ付いた有坂をなだめるように、何度も背中を優しく擦った。スーツ越しにじわりと温もりが伝わってきたお蔭で、有坂の乱れていた呼吸が少しずつ楽になっていく。

「い、つもは、確実に扉が開くから……。安心して、エレベーターに乗っていられるけど。こうして閉じ込められると、昔のことを思い出してしまって」

(くそっ、すごく情けない。こんなことくらいで動揺して、兵藤さんに抱きつくしかできないなんて。しかも地震がやんだというのに、未だにエレベーターが動く気配すらないのは、どうしてだろう?)

「何を思い出すんや?」

「……小学校低学年のとき、休み時間に友達とかくれんぼしたら、隠れた物置の扉が開かなくなったんです」

 閉ざされた真っ暗闇の物置の中で、泣き叫びながら扉を何度も叩いた。それなのに誰にも気づいてもらえず、恐怖で躰がさらに震えたのを覚えている。妙に重たい空気を感じてしまったせいで、オバケでも出てくるんじゃないかと怯えまくった。

 結局友達は有坂を見つけられずに、その後十五分足らずで担任が見つけ出してくれたのだが、閉じ込められてる間は永遠のように時間が長く感じられた。

「その記憶な、上書きしてやろうか?」

「上書き、ですか?」

 言われた意味が分からなくて兵藤の顔を見つめると、どこかいたずらっ子みたいな表情を浮かべて、じっと見つめ返してきた。

「そうや。有坂の中にある、閉じ込められて怖かったっていう記憶を、俺がすぐさま駆けつけて、カッコよく助けたっていう話にすればええだけやろ」

(――正直、カッコよくは必要ないだろうよ)

「ほらほらエレベーターが起動する前に、さっさと扉の前に行って泣き叫んでこい。ええっと、お前の通ってた小学校って標準語だよな?」

「はぁ、そうですけど……」

「仕事で使うときにはスラスラ出てくるのに、プライベートになると変に意識して、思いっきり噛んでしまうのやけど、とにかく頑張るわ。俺のことは気にしなくてええから、はよ扉の前にスタンバイしろ!」

 整っている顔を微妙に歪ませて指示する兵藤の姿に、いつ怒られてもおかしくないなと思いながら、有坂は渋々扉の前に立った。

「ほら遠慮せずに恐怖におののいた顔で、扉を叩いて助けを呼べ! そうやないと俺に声は届かへんぞ、助けられんやろ」

 この時点で有坂の中では閉じ込められている恐怖よりも、兵藤に怒られるかもしれないという恐怖が勝っていた。

(だけどここは、閉所恐怖症を出さないといけないだろう。無理矢理にでも……)

 有坂は両目をぎゅっと閉じながら、暗くて狭い空間に閉じ込められていると必死に妄想した。そして深呼吸をした後に、大きな声で叫ぶ。

「た、助けてください! 誰か~~~! お願いですから、早くここから出してくださいっ!!」

 大声をあげながら、両手で扉を何度も叩いてみせる。無論、向こう側からは何も反応がないのは当然なのだが。

「いつも可愛がっている低学年の男の子の声が、俺の耳に偶然届いた。いてもたってもいられなくなり、グラウンドでしていた野球を止めて、手にバットを持ったまま、声のしたほうに駆け出した」

「は?」

 いきなり語り出した兵藤を不審に思って振り返ると、えらく真面目な顔して、その場で駆け足をしていた。

「駆け出した先にあった物置に到着した俺は、思いきって声をかけてみる。「おーい、誰かいるのかぁ?」俺の問いかけに、物置から返事が聞こえてきた。ほら有坂、何か喋れ」

「へっ!? 何かって、えっと……「こ、ここに閉じ込められていまーす」みたいな?」

(一体、何が始まっているんだ。ワケが分からない――しかも標準語のアクセントが、所々おかしい)

「「おおっ、その声はタクミじゃないか。可哀想にこんなところで、ひとりきりに閉じ込められて。俺が今、助けてやるからな。待ってろよ!」そして手に持っていたバットを使って、物置の扉を壊していく俺。何度か叩いている内に扉が勝手に開き、中から飛び出してきた小さなタクミは、俺の顔を見て喜びながら飛びつく」

「…………」

 兵藤は解説通りにエアーのバットを使って、見えない扉を壊したらしい。そして瞳を細めて、かいてもいない汗をカッコよく拭い、有坂に向かって満面の笑顔をふりまいた。

「何をやってるんだ、狭い物置から無事に解放されたんだぞ。喜び勇んで、飛びつきに来い!」

「……そこまでやらなきゃ、ダメなんでしょうか」

「ダメに決まってるやろう、記憶の改ざんせな。遠慮せずに、ほら!」

(そういえばこの人、上書きがどうとか言ってたっけ。えー、これで上書きできるのか!?)

 半分怒った顔の兵藤に、半ばやけくそになって抱きついた有坂。

 :懇篤(こんとく)――懇切丁寧で心がこもっていること。なんていう言葉が思い浮かんだのだけれど、兵藤のものはかなりズレがあると感じずにはいられなかった。
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