アナタに恋はじめました

相沢蒼依

文字の大きさ
上 下
8 / 20

第2章:魅惑的な先輩――5

しおりを挟む
「有坂くん、イヤな予感しない?」

 同意する言葉をボソッと耳打ちされたので、有坂は激しく首を上下した。会計課に顔を出した飯島の態度は、明らかに兵藤を小バカにするものだったので、それの復讐をしに行くような気がしてならない。

「俺ら同期の中で、あんなふうに仲の悪いヤツなんていないから、ちょっと珍しいかも」

「呆れた……。何かあったら私たちにも、火の粉が飛んでくるかもしれないんだよ。嫌がらせされたら、どうしよう」

 肩を竦めてオドオドしている青山とは対照的に、目の前にいる兵藤は怒りに満ち溢れていた。飯島からの火の粉より、目の前にいる兵藤から火の粉が飛んでくるんじゃないかと、有坂はこっそり予想してしまった。

「お前たち、覚えておけよ。シンクにあの不気味な湯飲みが放置されていたら、ここに来てアイツに注意すること。給湯室は公共の場なんだから、ああやってゴミを置きっぱなしにしておくなんて、もってのほかだからな」

 兵藤は得意げに右手人差し指を立てて、懇切丁寧に説明してから、ガンガンガンと扉をノックした。そのノックがあまりにも激しいため、借金の取り立てに来た人みたいに見えた。

 わざとらしくバーンと音を鳴らして扉を開け放つ兵藤の行動に、後ろにいた有坂と青山は恐れおののき、ひぃっと声をあげて、ちょっとだけ退いた。

「飯島テメェ、またしても不気味な湯飲みを給湯室に置きっぱなしにするなんて、ええ加減にしろ!」

 これでもかという大きな怒鳴り声をあげた背中から、恐々と営業二課の様子を覗くと、皆さん慣れていらっしゃるのか、知らん顔して自分の仕事に勤しんでいる姿に驚くしかなかった。同じように覗き込んでいた青山が、隣で「すごっ」と呟く。

「はあぁ! 芸術をまーったく理解していないヤツは、そういう表現しかできないのな」

「何やと!?」

 ボサボサ気味の短髪をなびかせて、太い眉毛を上げながら腰に手を当てた飯島が、わざわざ出迎えるようにやって来た。その顔は明らかに、兵藤を卑しめてやろうという感じだった。

「年度末が変わったから、湯飲みも新調したんだ。前使っていたのと絵柄が違うだろ。ラビッホさんからフェガーくんに衣替えしたというのに」

「ケッ! 不気味さに、拍車がかかっただけやないか」

「ラビッホさんって、全国限定販売三百個のヤツですか!?」

 飯島のセリフに、有坂が思わず声をあげてしまった。それに反応して振り返った兵藤の顔が、何を言ってんだお前はという視線を投げかけたせいで、うっと息を飲み込む。

 そんな兵藤を長い腕で押しのけ、ずいっと有坂の前に立ちはだかってきた飯島が、親しげにバシバシッと肩を叩いてきた。

「なぁなぁ『桃瀬ねたマンガ日和 』好きなのか?」

「そこまで好きとかじゃなく……。えっと、いち読者という感じでしょうか。ハハハ!」

 それはたまたま、有坂が愛読している週刊誌に連載されていたマンガで、正直なところ暇つぶしに流し読みしている程度だった。全国限定販売三百個の件についても、こんなのが売れるんだろうかと逆に心配したので、偶然覚えていたネタだったりする。

「いち読者でもいいって! このマンガの話ができるヤツが、会社に入ってくるとはなぁ。兵藤、俺んトコの新人とコイツをチェンジしようぜ。楽しく仕事がしたいし」

「ダメに決まっとるやろう、何を言ってるんやアホ。コイツは俺のもんや!」

 有坂の肩に置かれている飯島の手を、兵藤は勢いよくバシッと叩き落とし、守るように片腕で抱きしめた。

 傍で見ている青山は「きゃあ、羨ましい」なんてはしゃぐし、兵藤のとった行動にさすがの営業二課の人たちも、ジロジロと自分らに視線を飛ばし始める。

 予期せぬ接触に困惑し、有坂は傍にある兵藤の顔を見つめた。

 身長が少ししか違わないからすぐ傍に眉目秀麗な顔があって、間近で見れば見るほどその端麗さに釘付けになる。しかも抱きしめられて、はじめて分かった。細身に見える兵藤の体は、意外なほどにガッチリしていた。

(この人、ジムとかに通って、こんな体形を作っているのかな?)

「どんなに頼まれても、有坂は渡さへん。それと、シンクに不気味な湯飲みを置きっぱなしにすんな、分かったな!」

 回れ右をすべく、くるりとターンをして有坂の肩を抱き寄せたまま、その場を後にする。離れたくても、肩を強く掴まれているので、されるがままの状態をキープするしかなかった。

「飯島には、あれくらい強気で言ってやらなきゃダメだからな。分かったか?」

「分かりました。頑張ります!」

「はぁ、分かりました。あの……そろそろ放してもらえませんか?」

 元気よく答えた青山のあとに、弱々しく口を開いた。兵藤にこれ以上、こんな形で守ってもらう必要はない。しかも自分との体格差に、こっそり落ち込んでしまった。

(――同じ男なのに顔だけじゃなく、すべてにおいて差がありすぎだ)

「あ、許してな。怒りにまかせてつい……」

 肩を掴んでいた自分の手と、有坂の顔を見比べながら済まなそうに謝られても、有坂の中では正直なところ微妙だった。

「いえ……助かりました。飯島さんって迫力があって、ちょっとビビっちゃったので」

「アイツの迫力ねぇ。ムダに図々しいだけやと思うがな。青山さんはどう思った?」

「有坂くんの言う通り、迫力はあると思いますが――」

 妙な雰囲気を拭うためなのか、青山に話しかけて会話を広げる兵藤の背中を、複雑な心境を抱えながら、ぼんやり眺めた。

 見た目も中身も良すぎる人が先輩というのは、自然と自分と比較してしまって、いちいち劣等感に苛まれそうな気がする。しかも同性にあんなふうに守られてしまうなんて、情けないにもほどがある。

 しかもよくよく考えたら、大平課長と噂になってる人だからこそ、誤って今日のくだりで噂になったりしたら、絶対に彼女ができないだろう。

「おい、有坂?」

 考え込んでるところに不意に話しかけられたので、有坂が慌てて顔を上げたら、兵藤の右腕が自分に向かって伸びていた。ハッとしてその腕から逃れるように後退し、右側の壁に寄り添う。

 空を切った兵藤の手が力なく下ろされるのを、ただ黙って見つめるしかない。

「何か驚かせたか? 済まないな」

「やっ、俺の方こそすみません。助けてくださったのに、お礼も言えずにぼんやりしてしまって。何でしょうか?」

 どこか悲愴な表情を浮かべる兵藤に申し訳なくて、何度も頭を下げつつ、ニッコリと愛想笑いした。

(今の行動は、誰だってキズついてしまうものだ。しかもそれを先輩に発動してしまうなんて、これから仕事を教えてもらう立場なのに、絶対にやっちゃいけないだろ……)

「あー……何でもない。早くオフィスに戻って、仕事の流れ教えるな」

 視線をあちこちに彷徨わせながら手早く言い放つと、さっさと身を翻し、足早に歩く兵藤の後ろを、青山とふたりで追いかける。

「ね、有坂くん何かあったの? 兵藤さんが、変に気を遣ってるように見えるんだけど」

「よく分からない。出逢い頭から突っかかってきたり、最初っから何かおかしいんだよな、あの人」

 魅惑的な先輩なれど、青山と比べて自分に対する態度は、どこかおかしいとしか表現ができない。今に至っては、お互いに謝ってばかり。そのせいで翻弄されて、普通に接することができなかった。

(顔合わせだって今日が初めてだし、いきなり嫌われるというもの変な話だよな――)

 ぐるぐる考えても埒が明かないので、新人らしく大人しく振舞おうと、有坂は心に決めたのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

大学生はバックヤードで

リリーブルー
BL
大学生がクラブのバックヤードにつれこまれ初体験にあえぐ。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

4人の兄に溺愛されてます

まつも☆きらら
BL
中学1年生の梨夢は5人兄弟の末っ子。4人の兄にとにかく溺愛されている。兄たちが大好きな梨夢だが、心配性な兄たちは時に過保護になりすぎて。

処理中です...