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しあわせのかたち
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「前回来たときよりも雲の少ない、綺麗な夕焼けを見渡すことのできる、この景色をだな、日が落ちるまで眺めないなんて、絶対に損するぞ」
「だけど……」
どんなに忙しくても、小林がそれを感じさせないのは、いつもほほ笑みながら、仕事をしているから。そしてもうひとつ、目尻にできた笑い皺が人の良さを表していて、同時に竜馬の苦情を塞ぐ、最強のアイテムになっている。
「次に来たときには、同じ景色が2度と見られない。だからこそ今この瞬間の絶景を、一緒に見たいと思っちゃ駄目なのか?」
目の前の景色には一切目をくれず、自分の顔を見続ける小林に、竜馬は痛々しいほど、しょんぼりした表情を浮かべた。すると頭を撫でていた手が移動し、竜馬の頬に触れる。
直に感じる手のぬくもりにほっとし、ちょっとだけ落ち込んだ気持ちが浮上した。
「だって小林さん、結構疲れてるでしょ。それなのに俺って」
「こうしてふたりで景色を見ながら、おまえに触れていたら、疲れなんてどこかに飛んでいく。余計な心配をするな」
「無理してない?」
呟くような竜馬のささやきを合図に、小林は口元に笑みを湛え、顔を前に向ける。
今まさに、太陽が海に吸い込まれようとしている。沈みかけた太陽が、ふたりの影を作っているのが、ちょっぴり嬉しかった。並んで立っている自分たちよりも、ぴったりとふたりの影がくっついていて、竜馬はほほ笑まずにはいられない。
そんな重なる影を、こっそり振り返って確認してから、隣にいる小林に視線を移した。
「無理していたのは、結婚したときくらいさ。今はまったく無理をしていない。安心しろ」
小林から語られる過去の話に、眉をひそめた。本当はとても知りたかったことだったが、終わった出来事を根掘り葉掘り聞いて、小林の心の傷を深めてしまうのではないかと、竜馬が躊躇ったため、ずっと聞けずにいた。
「……前の会社に勤めてたとき、同僚とデキていたんだが、別れ話が拗れてしまってな。同僚が泣きながら、社長に暴露したんだ。小林に襲われたってさ」
「そんなの酷い……」
つらい話をしているはずなのに、柔らかい笑みを浮かべたまま喋る横顔を、竜馬は心中複雑な気持ちでじっと見つめた。
生暖かい風が、整えられている小林の黒髪を乱すように、時折吹きすさぶ。
「その後、社長を交えて話し合いをしたけど、結局俺は会社を辞めて就活し、今のところに勤めることができた。だがそこに行きつくまでに、ほとほと疲れ果ててしまったんだ。ゲイである自分に……」
返事の代わりに、竜馬の頬に添えられている小林の手のひらに、優しく手を重ねてあげた。
「俺がゲイじゃなく普通だったなら、相手を見つける苦労をしなくて済むし、いい年した男がひとりでいることにも、両親に突っ込まれずに済むだろうと考えて、結婚相談所に駆け込んだわけさ」
「それで結婚したんですね」
「ああ。カミさんはいい人だった。俺には勿体ないくらい、いい奥さんでいい母親だった」
過去形で語っていく言葉は、竜馬にとって安心するものなのに、なぜだか素直に喜べない。
「一緒に生活していると、隠し事はできないものだよな。ちょっとした言動で、それを見抜かれてしまった」
「奥さんは小林さんを愛していたから、自分に気のないことが、わかったのかもしれませんね」
好きになった相手に、恋人がいた竜馬にとって、事あるごとに彼から素っ気ない態度をとられて、胸がキリキリと痛んだ経緯がある。だから小林の妻と自分自身を、無意識に重ねてしまった。
「どうしても、愛するという感情になれなかった。無理をした弊害がその証拠さ。離婚して当然なんだよ」
頬に添えていた手をやんわりと引っ込め、スラックスのポケットに入れた小林を、竜馬はじっと見つめる。吐き捨てるように、小林が告げたというのに、ほほ笑んだままでいる横顔に向かって、なんて声をかけたらいいかわからず、言葉が空を切った。
「偽らずに生きていこうとした俺の前に、おまえがひょっこり現れた。はじめて見たときに思ったのは、卑猥なことして、その整った顔を歪ませてやりたいなって」
「うわぁ、そんな目で俺を見ていたんですか」
両手で体を抱きしめ、大袈裟なくらいに竜馬が怯えてみせると、小林は嬉しそうに瞳を細め、軽く体当たりした。そのお蔭で、そこはかとなく漂っていた、重苦しい空気が一掃する。
「おまえが大学を中退した理由、あとから教えてくれたろ。同性に好意を抱いたけど、トラブって辞めたんですってさ。俺の境遇に似てると思ったら、目が離せなくなった。気になって、目で追うようになって、そして好きになった」
「俺としては、その理由を話した時点で、小林さんにアプローチしてほしかったのに。これって、俺が先に好きになったという事実が、明るみになっただけじゃないですか」
「でも結果オーライだろ。恋人同士になったんだから。ま、その証として、これを受け取っておけ」
スラックスに入れっぱなしになっている、小林の右手の拳が、竜馬の顔の前に音もなく差し出された。その下に両手をセットすると、とても小さいなにかが、煌きながら落ちる。
「だけど……」
どんなに忙しくても、小林がそれを感じさせないのは、いつもほほ笑みながら、仕事をしているから。そしてもうひとつ、目尻にできた笑い皺が人の良さを表していて、同時に竜馬の苦情を塞ぐ、最強のアイテムになっている。
「次に来たときには、同じ景色が2度と見られない。だからこそ今この瞬間の絶景を、一緒に見たいと思っちゃ駄目なのか?」
目の前の景色には一切目をくれず、自分の顔を見続ける小林に、竜馬は痛々しいほど、しょんぼりした表情を浮かべた。すると頭を撫でていた手が移動し、竜馬の頬に触れる。
直に感じる手のぬくもりにほっとし、ちょっとだけ落ち込んだ気持ちが浮上した。
「だって小林さん、結構疲れてるでしょ。それなのに俺って」
「こうしてふたりで景色を見ながら、おまえに触れていたら、疲れなんてどこかに飛んでいく。余計な心配をするな」
「無理してない?」
呟くような竜馬のささやきを合図に、小林は口元に笑みを湛え、顔を前に向ける。
今まさに、太陽が海に吸い込まれようとしている。沈みかけた太陽が、ふたりの影を作っているのが、ちょっぴり嬉しかった。並んで立っている自分たちよりも、ぴったりとふたりの影がくっついていて、竜馬はほほ笑まずにはいられない。
そんな重なる影を、こっそり振り返って確認してから、隣にいる小林に視線を移した。
「無理していたのは、結婚したときくらいさ。今はまったく無理をしていない。安心しろ」
小林から語られる過去の話に、眉をひそめた。本当はとても知りたかったことだったが、終わった出来事を根掘り葉掘り聞いて、小林の心の傷を深めてしまうのではないかと、竜馬が躊躇ったため、ずっと聞けずにいた。
「……前の会社に勤めてたとき、同僚とデキていたんだが、別れ話が拗れてしまってな。同僚が泣きながら、社長に暴露したんだ。小林に襲われたってさ」
「そんなの酷い……」
つらい話をしているはずなのに、柔らかい笑みを浮かべたまま喋る横顔を、竜馬は心中複雑な気持ちでじっと見つめた。
生暖かい風が、整えられている小林の黒髪を乱すように、時折吹きすさぶ。
「その後、社長を交えて話し合いをしたけど、結局俺は会社を辞めて就活し、今のところに勤めることができた。だがそこに行きつくまでに、ほとほと疲れ果ててしまったんだ。ゲイである自分に……」
返事の代わりに、竜馬の頬に添えられている小林の手のひらに、優しく手を重ねてあげた。
「俺がゲイじゃなく普通だったなら、相手を見つける苦労をしなくて済むし、いい年した男がひとりでいることにも、両親に突っ込まれずに済むだろうと考えて、結婚相談所に駆け込んだわけさ」
「それで結婚したんですね」
「ああ。カミさんはいい人だった。俺には勿体ないくらい、いい奥さんでいい母親だった」
過去形で語っていく言葉は、竜馬にとって安心するものなのに、なぜだか素直に喜べない。
「一緒に生活していると、隠し事はできないものだよな。ちょっとした言動で、それを見抜かれてしまった」
「奥さんは小林さんを愛していたから、自分に気のないことが、わかったのかもしれませんね」
好きになった相手に、恋人がいた竜馬にとって、事あるごとに彼から素っ気ない態度をとられて、胸がキリキリと痛んだ経緯がある。だから小林の妻と自分自身を、無意識に重ねてしまった。
「どうしても、愛するという感情になれなかった。無理をした弊害がその証拠さ。離婚して当然なんだよ」
頬に添えていた手をやんわりと引っ込め、スラックスのポケットに入れた小林を、竜馬はじっと見つめる。吐き捨てるように、小林が告げたというのに、ほほ笑んだままでいる横顔に向かって、なんて声をかけたらいいかわからず、言葉が空を切った。
「偽らずに生きていこうとした俺の前に、おまえがひょっこり現れた。はじめて見たときに思ったのは、卑猥なことして、その整った顔を歪ませてやりたいなって」
「うわぁ、そんな目で俺を見ていたんですか」
両手で体を抱きしめ、大袈裟なくらいに竜馬が怯えてみせると、小林は嬉しそうに瞳を細め、軽く体当たりした。そのお蔭で、そこはかとなく漂っていた、重苦しい空気が一掃する。
「おまえが大学を中退した理由、あとから教えてくれたろ。同性に好意を抱いたけど、トラブって辞めたんですってさ。俺の境遇に似てると思ったら、目が離せなくなった。気になって、目で追うようになって、そして好きになった」
「俺としては、その理由を話した時点で、小林さんにアプローチしてほしかったのに。これって、俺が先に好きになったという事実が、明るみになっただけじゃないですか」
「でも結果オーライだろ。恋人同士になったんだから。ま、その証として、これを受け取っておけ」
スラックスに入れっぱなしになっている、小林の右手の拳が、竜馬の顔の前に音もなく差し出された。その下に両手をセットすると、とても小さいなにかが、煌きながら落ちる。
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