ドS上司の意外な一面

相沢蒼依

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act:意外な優しさ

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 ファイルを見直しきちんと修正して鎌田先輩にOKをもらってから、急いで必要な枚数をコピーする。次々とでき上がる書類を見ながら、思わずため息をついてしまった。

『最後までしっかり、資料に目を通して下さい』

 その言葉通りにしっかりと目を通した結果、私の手元にはとある紙が一枚あった。そこには(クロノス ライブ予定表)と書かれたタイトルと一緒に、今後のスケジュールが手書きで記載されていた。しかも、リハーサルまで書いてあるとか……。

「これを一体、私にどうすれと?」

 予定を見てライブ会場に顔を出しなさいという、上司からの業務命令――?

 深いため息を一つついたときにちょうどコピーが終わったので、書類をまとめて綴じてから鎌田先輩のところに持って行く。

「会議の書類、でき上がりました」

 目の前に差し出していつも通りに話しかけてみると、メガネの奥から覗き込むように私の顔を見ながら素っ気なく口を開く。

「ご苦労様でした。次の仕事がデスクに置いてありますので、すぐに取り掛かって下さい」

 なぁんて指示してきた。何となくだけど、とある紙について質問しにくい態度だよなぁ。

「ぼーっと突っ立って、何をしているんです? 早く取り掛からないと、時間がありませんよ。それとも何か、聞きたいことでもあるんですか?」

 ちょっとだけ眉間にシワを寄せ、追い立てるような早口で言われると、尚更聞きにくい。しかもその物言いも、コワくて聞けない。

「うっ……。聞きたいことはありません。すぐに取り掛かります」

 ただならぬ雰囲気を感じとり、鎌田先輩の傍から離れるべく踵を返した。

(この紙の意味は、本当に何!?)

 どうしたらいいのか分からないまま、その後いいつけられた仕事をした。

 正直、モヤモヤする。心の中はどうしても納得がいかない状況だったけど、定時を忘れて真剣に書類と格闘していた。手元にある書類を横にどけた瞬間、ポンと肩を叩かれて驚いてしまい、変な声が出てしまう。

「ひゃっ!?」

「お疲れ! お先に失礼するね」

 魅惑的な微笑みを口元に浮かべて、小野寺先輩が言う。その様子にしっかり頭を下げながら、ニッコリと微笑み返してあげた。

「お疲れ様です」

「定時を忘れるくらい仕事に没頭してたら、誰かさんみたいにこんなになるよ」

 両手の人差し指を使ってつり目を作り、眉間にシワを寄せて誰かさんのマネをする。その表情が思いのほか似ていて、笑いを堪えるのに必死だった。

「記念日、頑張って下さい」

「頑張る頑張る! いい曲、歌ってみせるよ」

「小野寺、お疲れ様でした」

 私たちの他愛ない会話に、素っ気ない声が割り込んできた。パソコン画面を見ながらこちらをチラリとも見ずに、鎌田先輩が言ったのだ。

 右手で私にバイバイしながら部署を出て行く小野寺先輩に、視線だけで挨拶した。

 ――ああ……またやってしまった。鎌田先輩から、ツッコミが入る前に帰っちゃおっと。

 ちょっとだけ肩を竦めてデスクの周囲を片付けたら、例の紙がひょっこり現れる。その様子が、見つけてくださいと言わんばかりで、どうにも収まりが悪い。

 どうしようかと思いながら上目遣いで、目の前の人を見つめてみた。

 眉間にシワを寄せながら鮮やかな指さばきで、パソコンを操っている。例えるならピアノで、高速ネコ踏んじゃったを弾いているみたいだ。

 不機嫌丸出しな鎌田先輩はとっても怖いけど、このままスルーするのも逆にコワイ。

 なけなしの勇気を振り絞って(それこそなけなしだよ)両手をデスクに置いて勢いよく立ち上がり、鎌田先輩の傍に行く。

「……何か、用ですか?」

 いつも通りの素っ気ない物言いに一瞬躊途惑ったけど、例の紙を目の前に思いきって突き出してみた。すると視線が私に向けられ、内心ドキドキしてしまう。

「……」

「……」

 無言――そして視線がジリジリと痛い。お互い言葉が出ない。何て切り出していいのか、全然分からない。

 困り果てる私を見てるメガネの奥にある眼差しが、フッと優しくなったように見えた。

(鎌田先輩って、こんな顔もするんだ――)

「昨日はどうでしたか? ……それは驚いたことでしょうね」

 視線をパソコンに戻し、また仕事を始める。刺すような目線から開放され、ちょっとだけ緊張感が解けた。

「鎌田先輩?」

「君の顔が、呆気にとられていました」

 適度に客で埋まっていたライブハウスの会場の中で、私をよく見つけられたな――さすがは鎌田先輩と言うべきか。

「正直驚いてしまって……いつもと違っていたから」

 スポットライトの中で生き生きと――

「……それで?」

 食い入るような視線で私の顔を見たけど、キーボードの手は止めない。

『それで、具体的な対応策は?』

 と聞かれた一昨日も、確かこんな状況だった。何かしら、きちんと答えないとヤバい。だって一昨日叱られたんだもん!

 声にはしなかったけど、私が先に質問を投げかけたハズなのに、なぜ逆に聞かれているんだろうか。

 ぼんやりと昨日の鎌田先輩を思い出してみたのだけれど、その姿が衝撃的過ぎて他のことがまったくもって思い出せない。

 金魚のように口をパクパクしている私を見て呆れてしまったのか、鎌田先輩がため息をつきながら視線をパソコンへと戻してしまった。再び視線の呪縛から解放され、ホッとしてしまい思わず――

「先週見たバンドは、結構良かったです」

 記憶のハッキリしていることを、口に出してみた。

「先週?」

「友人とあちこち、ライブハウス巡りをしているんですが……」

 言葉を続けようとしたけど、目の前で行われている行動に息を飲みこんでしまい、二の句が告げなくなってしまった。

 パソコンを見やる鎌田先輩の顔が瞬く間に鬼のような形相になり、キーボードを操る指使いはピアノを弾く感じを通り越して、叩きつけるようになっていて。

 ――私ってば、またしてもやってしまった感じ。地雷を踏んじゃったのかな……

 だけど理由が分からない。私の台詞に、怒らせるような要因があるとは思えないのに。

「あのですね……バンド巡りしてるのは、自分好みのイケメンを捜しているだけでして、そんでもってなかなか素敵なイケメンに会えない所に、鎌田先輩と偶然出会ってしまった、というか」

 ジロリと睨むように私の顔を見る、その視線が痛い。グサグサと突き刺さってくるみたい。

「今まで出会ったバンドの中で、鎌田先輩が一番素敵でした」

「…………」

 その時の鎌田先輩の眼差しが、意外なモノを見る目付きになった。そしてポロポロッと余計なことを喋ってしまった自分に、更に驚くしかない。

「今、自分が何を話したか、きちんと理解していますか? まるで支離滅裂です」

「……はい」

「で?」

 で? の意味が分からない。赤くなったり青くなったりする私に対し心底呆れたのかパソコンの手を止め、デスクに頬杖をつきながら白い目をして、しっかりとこっちを凝視する。

「何ていうバンドなんです、先週見に行ったというのは?」

 ――う~、覚えていないのだ、すべて愛子任せな私。

「……わかりません。だけどライブハウスは、しっかり覚えてます」

「そうですか」

 鎌田先輩、しばし沈黙。何かを考えているみたい。

 と思ったら突然パソコンの電源を落として、書類を片付け始める。だけど途中でフリーズ――顎に手をあてて、またしても考え始めちゃった。

 思慮が深すぎて全くついていけないけど、何か力になりたい! そういえば確か、厄介な案件を抱えてるって小野寺先輩が言ってたな。

「鎌田先輩、私にでもできそうなお仕事がありましたら、ドンドンおっしゃって下さい」

「はい?」

「今は仕事も大切かもしれないですけど、先輩にとってバンドも大事なものですよね?」

 迷うことなく目の前にあるスーツの袖をむんずと掴み、強引に引っ張ってやった。

「ライブハウスにご案内します。ここから歩いて、二十分くらいのところにあるんです」

「ちっ、ちょっと?」

「急ぎましょう!」

 渋る鎌田先輩を引きずるように、さっさと走り出した。

「早くしないと、始まりますよー」

 ズンズン社内を疾走する私と鎌田先輩は、かなり異様に見えたと後から同期に聞いた。だけどその時は必死で、それどころじゃなかった。

「っ……待って下さいっ!」

 会社の外に出た瞬間、鎌田先輩の叫び声がした。振り返ると、掴んでいた私の手をやんわりと袖から外す。

「君の足が遅いので、間に合いません」

 全力で鎌田先輩を引きずって走ってたからですと、文句を言いたかったが止めた――なぜだか優しそうな眼差しと目が合ってしまったから。

 メガネを外し、胸ポケットにしまう鎌田先輩。

「メガネなしでも、平気なんですか?」

「伊達なんです。童顔なので、会社では仕方なくかけてるんです」

 ――その顔のどこが童顔!?

「さて行きますよ、案内して下さい」

 そう言って、右手を差し出す。さっきは無我夢中で袖を引っ張ってたから、全然意識してなかったけど。

(手だよ手!)

 その事実に躊躇してたら突然、鎌田先輩が差し出した手を引っ込め、さっと後ろに隠してしまった。なんだろう――?

 不思議に思い首を傾げた瞬間、左手首を掴まれグイッと引っ張られる。

「わっ!」

「早く行きますよ、案内して下さい! 君のできることを率先して、手伝ってくれるのでしょう?」

 ――もしかして頼りにされてる? ……にしても足、速いなぁ。

 時々もつれそうになるけど、その度に速度を落とす鎌田先輩の背中を眺めながら、見えない優しさに胸がグッときてしまった。強すぎず弱すぎずな圧迫感の掴まれてる手首。じわじわと熱い――

 変にドキドキしたまま、あっという間にライブハウスに到着したのだった。
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