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課外授業:苦手な教師
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テーブルを挟み、改めて向かい合う形で座り直した。
目の前にいる三木先生の頬には、私がつけたモミジが綺麗に浮かび上がっている。
「せっかく教育的指導をしてるときに、暴力はいけないと思うぞ」
「教育的指導を名目に抱きつくなんて行為は、絶対に認められません。暴力じゃなく、れっきとした正当防衛ですから」
じーっと睨みながら、コーヒーを一口飲んだ。
本当にNHKってば何を考えているのか、さっぱり分からないよ。
「えーっと……夕日の中、何かをするワケでもなく、ただ一人を見つめてる」
平手打ちされた頬を恨めしそうに撫でながら目をつぶって、口ずさんだ言葉に唖然とするしかない。
「光が輝きを増すとき、波にさらわれた時間が、ただ色あせていく……」
「ちょっと待って、どうしてそれを覚えてるの!?」
小説のイメージを詩にして冒頭部分に書いたものを、すらすらと三木先生が暗唱していたから。
「いやー、ここの部分の詩で、心をぎゅっと鷲掴みされてしまってな。つい覚えてしまったんだ。特にラストの……これから出逢う月と夜空のように 君と僕が出逢うように その夜空に星を散りばめ――」
「ややややめてっ! 朗読するなんて、私に死ねって言ってるようなもんなんだよっ」
両手でテーブルをバンバン叩きながら、激しく抗議してみせた。
「恥ずかしがることじゃねーって。褒めてるのに、おかしなヤツだな。もっと胸張って、堂々とすればいいのによ」
「車の中でも言ったけど、誰かに見せるために書いたものじゃないんだってば。例えるなら、着替え中を盗撮された感じに思えてならないんだから」
「小説読んでて思ったんだけどさ、お前の比喩って絶妙だよな。説得力ありすぎて、反論できねー。膝を叩いて頷くレベルだ」
怒りまくってる私を宥めるためなのか不意に褒められ、口をつぐんでしまった。
「冒頭の詩も比喩も超絶なのに、物事の経験不足とここぞという場面で書かなきゃならない心情面が、悲劇的に足りなくて物語全体が薄っぺらいんだよ。お前の言葉を借りるなら、淡い光――そうだな三日月の光くらいか」
「三日月の光?」
「ああ、夜空にぽっかり浮かぶ三日月。目には留まるけど、それでおしまい」
そうか、私の書いた物は三日月みたいなんだ。
「これからいろんな事を経験していって文章を書いていけば、満月の手前くらいまでは光は増すだろうな。他に文章力を上げるのに、何かやってるのか?」
「140文字で呟くアレだったり、ゲームしたり……」
「へえ、限られた文字数で気持ちを伝えるアレか。昔は17文字で表現した人間を俳人と呼んだが、お前は廃人の方なんだな。何を呟いてるのやら」
ムカつく! どうして人の神経に触ることばかり、平気で言いまくれるのだろう。
「廃人レベルまでいってませんから。失礼なことばかり、言わないでくださいっ」
「そんじゃあ僕がお前を、神レベルまで引き上げてやるって言ったら、どうする?」
紙? 髪? 神?
「せっかくいいモノ持っているのに、そのままにしておくのが惜しいと思ってさ。三日月を満月まで、光らせてやるって言ってんだよ」
「三木先生に、それが出来るっていうの? 不安満載なんだけど……」
猜疑心溢れる眼差しで見ると、曇りがちなメガネを上げて、きりりっと顔を引き締める。
「国語の教師やる前は、新聞記者やってたんだ。こう見えても一応、文章のプロだぞ僕は」
「プッ、全然似合わなーい。ガセっぽい」
思わず、クスクス笑ってしまった。
「で、どうするよ。僕の手を取るのか?」
突き刺すような視線に、体が自然と緊張した。自分の書いた文章が、今よりもいいものになる――三木先生の手を借りるのは正直すっごくイヤだけど、身近でいろいろ指導してもらえるのは、チャンスかもしれないな。
「何も知らない未熟者ですが、ヨロシクお願いします!」
姿勢を正し、きっちり頭を下げてお願いしてみた。
「普段からそうやって素直に接してくれたら、可愛げがあるのにな。よろしくやってやるよ。はい、握手!」
目の前に差し出された大きな右手を、自分の右手で握る。やっぱ男の人の手って、大きいなぁ。現金掴み取りをやったら、たくさん取れそうだ。
「何て顔してるんだ。僕の手を握って、ドキドキしちゃった?」
勘違いも甚だしい。誰がNHK相手に、ドキドキなんてするもんか。
「すみません。三木先生ごときに、ドキドキしませんから」
「お前な……。これから恋愛小説を書いていくんだろ? ドキドキとかキュンキュンは、大事な要素だぞ」
「三木先生相手に、ドキドキやキュンキュンは絶対に無理です」
含み笑いしながら言うと、苦虫を噛み潰したような顔をした。
「可愛い顔して、言うこと酷いよな。友達にも、そんな態度なのか?」
「言わないよ。三木先生の顔を見てると思ったことが、つい口に出ちゃって」
「じゃあ、さっき言ってたNHKって何だ? ナチュラルでハイスペックに、カッコイイの略か?」
「ぶぶっ!!」
何だって、こんなにポジティブでいられるんだろ。自分の顔、ちゃんと鏡で見てないでしょ!
あ、メガネをかけないで見てるのかもしれない。
「涙流して笑うほど、可笑しなことを言ったか? 何の略か、教えろよ」
「……何か、本格的にキモいの略です」
渋々教えるとなぜか顎に手を当てて、ううーんと唸る。
「語呂合わせにしちゃ、ちょっと曖昧だよな。いっその事、なまらにしてみたらどうだ?」
「なまら? 何それ」
「元は新潟弁なんだが、それが北海道に渡って来たらしい。すごいとか、とてもっていう意味だ。ちなみに強調系は、なんまら。どうだ、しっくりくるだろ」
ちょっと待って。三木先生ってば、自分で本格的にキモいを強調しちゃってるよ。
「方言はなー、奥が深いんだぞ。調べていくと、発祥の地があってだな――」
自分で自虐してるのを、全然気がついてない! 授業同様、抜けすぎてるでしょ。
どうにも堪らなくなって両手で口を塞ぎ、肩を揺すって大笑いしてしまった。
「何が可笑しい? 変なこと言ったか」
「いや、何でもない。三木先生って黙っていても、面白い顔してるなって」
「お前なー、明らかに僕をバカにしてるだろ。さっきから、コロコロと態度を豹変させて。ちょっと、さっきのノート貸してみろ」
差し出した手に、ノートを渡した。ぱらりと表紙をめくり、そこに書いてある題名と私の名前をじっと見る。
「ペンネームは、奈美っていう本名でいくのか」
「改めて名前考えるの、面倒くさいから」
「じゃあ、こんなのはどうだ?」
背広の胸ポケットに差していた万年筆を取り出し、空いてるスペースに綺麗な文字で名前を書いてくれた。
「――虹美、こうみ?」
「いや、ななみって呼ぶ。コロコロと態度が七変化するお前に、まさしくピッタリだろ。それとも、こっちの方がいいかな」
今度は七七七と書いて私の顔を見ながら、にやりと笑ったNHK。
「何これ、七が三つでななみって呼ぶ気でしょ。ギャンブラーみたいな名前、勝手につけないでよ」
「じゃあ、苗字つけてやるよ。カメレオン奈美、すっごく格好いいだろ」
「三木先生、私をワザと怒らせて楽しんでるでしょ」
「お前が僕の顔を見て、ずっと笑うからだろ。先生に向かって失礼すぎるんだ、崇め奉れ!」
ノートを閉じて、ぱしっと私の頭を叩く。
「ペンネーム考えるのが面倒くさいって言ったから、わざわざ考えてやってるのに、文句しか言わねーもんな。ムカついたから、今日はここまで」
「ええーっ、その中に書かれてる赤と青の枠の意味、どうしても知りたいんだけど」
「その意味を知る前に、今から渡す本、読んでおけ。ノートはもう一度読み直したいから預からせてもらう」
そう言ってノートを小脇に抱え、本棚の前に立った、NHKの横に並んでみる。
私より頭一個分と少しだけ背の高いNHKは、真剣に本の背表紙を視線で追っていきながら、迷うことなく何冊か抜き取っていった。
セレクトされた物は全然知らない本ばかりで、その難しそうな感じにこっそり辟易しながら、簡単に読めそうなものがないかなぁと屈んで、整然と並べられた本棚をじーっと覗きみる。
一冊だけ、なぜか逆さまに立て掛けられている本を発見した。他の本はちゃんと並べられているのに、どうしてだろう?
思わず手に取って、それを見てしまった。
「何だ、お前。そんな本が読みたくなったのか?」
「え? あ、うん。急に読みたくなっちゃった」
「しかしなぜ『古事記』なんだ。相変わらず考えてること、さっぱり分からねーな」
肩をすくめるとドサッと私の両手にセレクトした分厚い本を、6冊も渡してきた。
「急いで読まなくていい。じっくり読んでみろ。頭で考えるんじゃなく、心の目で読むんだ」
「心の目?」
ワケが分からず、小首を傾げてしまった。
「お前は頭の中で、人を好きになるか? 大好きな彼を見つけました。その瞬間、胸がドキドキって感じるだろ。頭がドキドキしたら、間違いなく血管がブチ切れてる状態だろうな」
「三木先生の比喩、いろんな意味で絶妙ですね、ははは……」
苦笑いするとバカにするなという顔をして、ぎろりと睨んできた。
「本の文字もそうだが、目にする文字すべてを心の目で捉えろ。どうしてこのポスターはこういうキャッチフレーズなんだろうとか、三面記事の見出しとか、いろいろ心に響くものが結構あるもんだぞ」
「そんなものにいちいち反応していたら、すっごく疲れちゃいそう」
うんざりしながら言うと、そんなことないよと笑いながら私の頭を撫でる。
「感受性豊かな年頃だからこそ、いろんなものに対して感じて欲しいんだ。そうして文章に向き合ってくれると、こっちとしても教え甲斐がある。さてと送ってやるから、帰り支度をしろ。忘れ物をするなよ」
せかされる様に指示され、慌ててカバンに本を詰め込んだ。
(――うわっ、かなり重い)
両手でよいしょと持ち上げると、さっと横から奪われてしまった。
「家の前まで、持って行ってやる。重たくさせたのは、僕の責任だからな」
「ありがとぅ……ございます。三木先生」
スマートな態度にどんな顔していいか分からず、たどたどしくお礼を言うしか出来なかった。やっぱ男の人なんだな、ちょっとだけ嬉しいかも――
「どーいたしまして、カメレオン奈美」
前言撤回! やっぱイヤなヤツだよNHK!
前を行く三木先生の背中を無言で、思いっきり叩いてやった。
テーブルを挟み、改めて向かい合う形で座り直した。
目の前にいる三木先生の頬には、私がつけたモミジが綺麗に浮かび上がっている。
「せっかく教育的指導をしてるときに、暴力はいけないと思うぞ」
「教育的指導を名目に抱きつくなんて行為は、絶対に認められません。暴力じゃなく、れっきとした正当防衛ですから」
じーっと睨みながら、コーヒーを一口飲んだ。
本当にNHKってば何を考えているのか、さっぱり分からないよ。
「えーっと……夕日の中、何かをするワケでもなく、ただ一人を見つめてる」
平手打ちされた頬を恨めしそうに撫でながら目をつぶって、口ずさんだ言葉に唖然とするしかない。
「光が輝きを増すとき、波にさらわれた時間が、ただ色あせていく……」
「ちょっと待って、どうしてそれを覚えてるの!?」
小説のイメージを詩にして冒頭部分に書いたものを、すらすらと三木先生が暗唱していたから。
「いやー、ここの部分の詩で、心をぎゅっと鷲掴みされてしまってな。つい覚えてしまったんだ。特にラストの……これから出逢う月と夜空のように 君と僕が出逢うように その夜空に星を散りばめ――」
「ややややめてっ! 朗読するなんて、私に死ねって言ってるようなもんなんだよっ」
両手でテーブルをバンバン叩きながら、激しく抗議してみせた。
「恥ずかしがることじゃねーって。褒めてるのに、おかしなヤツだな。もっと胸張って、堂々とすればいいのによ」
「車の中でも言ったけど、誰かに見せるために書いたものじゃないんだってば。例えるなら、着替え中を盗撮された感じに思えてならないんだから」
「小説読んでて思ったんだけどさ、お前の比喩って絶妙だよな。説得力ありすぎて、反論できねー。膝を叩いて頷くレベルだ」
怒りまくってる私を宥めるためなのか不意に褒められ、口をつぐんでしまった。
「冒頭の詩も比喩も超絶なのに、物事の経験不足とここぞという場面で書かなきゃならない心情面が、悲劇的に足りなくて物語全体が薄っぺらいんだよ。お前の言葉を借りるなら、淡い光――そうだな三日月の光くらいか」
「三日月の光?」
「ああ、夜空にぽっかり浮かぶ三日月。目には留まるけど、それでおしまい」
そうか、私の書いた物は三日月みたいなんだ。
「これからいろんな事を経験していって文章を書いていけば、満月の手前くらいまでは光は増すだろうな。他に文章力を上げるのに、何かやってるのか?」
「140文字で呟くアレだったり、ゲームしたり……」
「へえ、限られた文字数で気持ちを伝えるアレか。昔は17文字で表現した人間を俳人と呼んだが、お前は廃人の方なんだな。何を呟いてるのやら」
ムカつく! どうして人の神経に触ることばかり、平気で言いまくれるのだろう。
「廃人レベルまでいってませんから。失礼なことばかり、言わないでくださいっ」
「そんじゃあ僕がお前を、神レベルまで引き上げてやるって言ったら、どうする?」
紙? 髪? 神?
「せっかくいいモノ持っているのに、そのままにしておくのが惜しいと思ってさ。三日月を満月まで、光らせてやるって言ってんだよ」
「三木先生に、それが出来るっていうの? 不安満載なんだけど……」
猜疑心溢れる眼差しで見ると、曇りがちなメガネを上げて、きりりっと顔を引き締める。
「国語の教師やる前は、新聞記者やってたんだ。こう見えても一応、文章のプロだぞ僕は」
「プッ、全然似合わなーい。ガセっぽい」
思わず、クスクス笑ってしまった。
「で、どうするよ。僕の手を取るのか?」
突き刺すような視線に、体が自然と緊張した。自分の書いた文章が、今よりもいいものになる――三木先生の手を借りるのは正直すっごくイヤだけど、身近でいろいろ指導してもらえるのは、チャンスかもしれないな。
「何も知らない未熟者ですが、ヨロシクお願いします!」
姿勢を正し、きっちり頭を下げてお願いしてみた。
「普段からそうやって素直に接してくれたら、可愛げがあるのにな。よろしくやってやるよ。はい、握手!」
目の前に差し出された大きな右手を、自分の右手で握る。やっぱ男の人の手って、大きいなぁ。現金掴み取りをやったら、たくさん取れそうだ。
「何て顔してるんだ。僕の手を握って、ドキドキしちゃった?」
勘違いも甚だしい。誰がNHK相手に、ドキドキなんてするもんか。
「すみません。三木先生ごときに、ドキドキしませんから」
「お前な……。これから恋愛小説を書いていくんだろ? ドキドキとかキュンキュンは、大事な要素だぞ」
「三木先生相手に、ドキドキやキュンキュンは絶対に無理です」
含み笑いしながら言うと、苦虫を噛み潰したような顔をした。
「可愛い顔して、言うこと酷いよな。友達にも、そんな態度なのか?」
「言わないよ。三木先生の顔を見てると思ったことが、つい口に出ちゃって」
「じゃあ、さっき言ってたNHKって何だ? ナチュラルでハイスペックに、カッコイイの略か?」
「ぶぶっ!!」
何だって、こんなにポジティブでいられるんだろ。自分の顔、ちゃんと鏡で見てないでしょ!
あ、メガネをかけないで見てるのかもしれない。
「涙流して笑うほど、可笑しなことを言ったか? 何の略か、教えろよ」
「……何か、本格的にキモいの略です」
渋々教えるとなぜか顎に手を当てて、ううーんと唸る。
「語呂合わせにしちゃ、ちょっと曖昧だよな。いっその事、なまらにしてみたらどうだ?」
「なまら? 何それ」
「元は新潟弁なんだが、それが北海道に渡って来たらしい。すごいとか、とてもっていう意味だ。ちなみに強調系は、なんまら。どうだ、しっくりくるだろ」
ちょっと待って。三木先生ってば、自分で本格的にキモいを強調しちゃってるよ。
「方言はなー、奥が深いんだぞ。調べていくと、発祥の地があってだな――」
自分で自虐してるのを、全然気がついてない! 授業同様、抜けすぎてるでしょ。
どうにも堪らなくなって両手で口を塞ぎ、肩を揺すって大笑いしてしまった。
「何が可笑しい? 変なこと言ったか」
「いや、何でもない。三木先生って黙っていても、面白い顔してるなって」
「お前なー、明らかに僕をバカにしてるだろ。さっきから、コロコロと態度を豹変させて。ちょっと、さっきのノート貸してみろ」
差し出した手に、ノートを渡した。ぱらりと表紙をめくり、そこに書いてある題名と私の名前をじっと見る。
「ペンネームは、奈美っていう本名でいくのか」
「改めて名前考えるの、面倒くさいから」
「じゃあ、こんなのはどうだ?」
背広の胸ポケットに差していた万年筆を取り出し、空いてるスペースに綺麗な文字で名前を書いてくれた。
「――虹美、こうみ?」
「いや、ななみって呼ぶ。コロコロと態度が七変化するお前に、まさしくピッタリだろ。それとも、こっちの方がいいかな」
今度は七七七と書いて私の顔を見ながら、にやりと笑ったNHK。
「何これ、七が三つでななみって呼ぶ気でしょ。ギャンブラーみたいな名前、勝手につけないでよ」
「じゃあ、苗字つけてやるよ。カメレオン奈美、すっごく格好いいだろ」
「三木先生、私をワザと怒らせて楽しんでるでしょ」
「お前が僕の顔を見て、ずっと笑うからだろ。先生に向かって失礼すぎるんだ、崇め奉れ!」
ノートを閉じて、ぱしっと私の頭を叩く。
「ペンネーム考えるのが面倒くさいって言ったから、わざわざ考えてやってるのに、文句しか言わねーもんな。ムカついたから、今日はここまで」
「ええーっ、その中に書かれてる赤と青の枠の意味、どうしても知りたいんだけど」
「その意味を知る前に、今から渡す本、読んでおけ。ノートはもう一度読み直したいから預からせてもらう」
そう言ってノートを小脇に抱え、本棚の前に立った、NHKの横に並んでみる。
私より頭一個分と少しだけ背の高いNHKは、真剣に本の背表紙を視線で追っていきながら、迷うことなく何冊か抜き取っていった。
セレクトされた物は全然知らない本ばかりで、その難しそうな感じにこっそり辟易しながら、簡単に読めそうなものがないかなぁと屈んで、整然と並べられた本棚をじーっと覗きみる。
一冊だけ、なぜか逆さまに立て掛けられている本を発見した。他の本はちゃんと並べられているのに、どうしてだろう?
思わず手に取って、それを見てしまった。
「何だ、お前。そんな本が読みたくなったのか?」
「え? あ、うん。急に読みたくなっちゃった」
「しかしなぜ『古事記』なんだ。相変わらず考えてること、さっぱり分からねーな」
肩をすくめるとドサッと私の両手にセレクトした分厚い本を、6冊も渡してきた。
「急いで読まなくていい。じっくり読んでみろ。頭で考えるんじゃなく、心の目で読むんだ」
「心の目?」
ワケが分からず、小首を傾げてしまった。
「お前は頭の中で、人を好きになるか? 大好きな彼を見つけました。その瞬間、胸がドキドキって感じるだろ。頭がドキドキしたら、間違いなく血管がブチ切れてる状態だろうな」
「三木先生の比喩、いろんな意味で絶妙ですね、ははは……」
苦笑いするとバカにするなという顔をして、ぎろりと睨んできた。
「本の文字もそうだが、目にする文字すべてを心の目で捉えろ。どうしてこのポスターはこういうキャッチフレーズなんだろうとか、三面記事の見出しとか、いろいろ心に響くものが結構あるもんだぞ」
「そんなものにいちいち反応していたら、すっごく疲れちゃいそう」
うんざりしながら言うと、そんなことないよと笑いながら私の頭を撫でる。
「感受性豊かな年頃だからこそ、いろんなものに対して感じて欲しいんだ。そうして文章に向き合ってくれると、こっちとしても教え甲斐がある。さてと送ってやるから、帰り支度をしろ。忘れ物をするなよ」
せかされる様に指示され、慌ててカバンに本を詰め込んだ。
(――うわっ、かなり重い)
両手でよいしょと持ち上げると、さっと横から奪われてしまった。
「家の前まで、持って行ってやる。重たくさせたのは、僕の責任だからな」
「ありがとぅ……ございます。三木先生」
スマートな態度にどんな顔していいか分からず、たどたどしくお礼を言うしか出来なかった。やっぱ男の人なんだな、ちょっとだけ嬉しいかも――
「どーいたしまして、カメレオン奈美」
前言撤回! やっぱイヤなヤツだよNHK!
前を行く三木先生の背中を無言で、思いっきり叩いてやった。
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