BL小説短編集

相沢蒼依

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挨拶からはじまる恋

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「悪いが俺は、そういう趣味はない。諦めてくれ」

「諦めることができたら、とっくにやってますよ。半年間も時間かけて挨拶だけをするような、無駄な接触なんてしません」

「よくもまぁ、こんな俺のために半年も……」

 呆れた声を出しながらも、隙を見せないように警戒を怠らなかった。目の前にいる新入社員の目の色が、ふたりきりになった途端に、がらりと変わったせいだった。

 たとえるなら尊敬のまなざしが、粘着力を感じさせるイヤラしい眼つきに変わったといったところだろうか。男相手に欲情するなんて、意味が分からない。

「半年の間に、挨拶をしながら想いを募らせました。どうかこの恋心を受け取ってくださいなんて、ワガママは言いません」

「これ以上我儘を言うな、変なものを募らせるな、とっとと諦めてくれ!」

 大声で叫びながら、ふたたび後退りをして、しっかり距離をとる。背中を向けたら、そのまま襲われる可能性があると考えた。

「ただ、一度だけでいいんです。僕の躰をぎゅっと抱きしめて――」

 細長い二の腕を使って自分自身を抱きしめる新入社員の姿に、逃げる気力を奪うような、何とも言えない悪寒が走った。

「だっ、抱きしめるわけないだろ」

「先輩の熱い杭の先っぽだけでいいので、僕の中に挿入してほしくて」

「男相手に絶対に勃たない! 無理なことを頼むなよ」

 思いっきり上擦った俺の言葉に、銀縁メガネをくいっと上げながらクスクス笑いだす。

「安心してください、僕は勃たせる術をいろいろ持っています。それに、先輩は断れないはずでしょう?」

 メガネをあげた反動で、蛍光灯の光を受けたフレームの縁が、きらりと煌めく。たったそれだけのことで、新入社員の自信が満ち溢れているように見えてしまった。

「何を言ってるんだ……」

「僕に暴力を振るっておきながら、言い逃れをするんですか?」

 叩いた頬に指を差しながら、ここぞとばかりにアピールする。叩かれたその部分は、いい感じに腫れあがっていた。

「だっておまえが、先に手を出してきたんだろ」

 色白の肌に手形がはっきりついているそれは、思いっきり暴力の証になるのが明白で、後退っていた俺の足を止めるものになった。

「その証拠は、どこにあるのでしょうか?」

「くっ、それは――」

 まさに痛いところを突かれて、ぐうの音も出ない。

「慰謝料として、僕を抱いてください。それとも、僕が先輩を抱きましょうか?」

「なっ!?」

「筋肉質の躰を組み敷いて、喘がせながら身悶えさせるのも悪くないですよね。たくさん感じさせてあげますよ」

 耳を覆いたくなるような言葉の連続に、脳が反応しきれない。眩暈と一緒に、頭がくらくらしてくる。

「そ、そんなの嫌に決まってるだろ」

 入ってきた扉とは別の扉が、数メートル後方にあった。そこまで行くには、あと50歩以上後退りしなければいけない。

(この状況、どう考えたって危なすぎる。どうして、大会議室に入ってしまったんだ。もう少し先に行ったら、小会議室があったというのに!)

「どっちにしろ、先輩は断れない。僕が先輩に恋をした瞬間から、こうなることが決まっていたんです」

 恐怖のあまりに立ち竦んでいると、新入社員が近づいてきた。べったりとしたイヤラしい眼つきで見つめられて、石のように躰が動かなくなる。

 音もなく近づいてくる新入社員の姿は恐怖そのもので、現実を受け止めきれなくなった俺は、ぎゅっと両目を閉じた。これ以上自分から手を出して、アイツの動きを止めるのは無理な話だった。

「先輩、大好きです」

 耳元で囁かれたセリフと同時に、あたたかいものが躰を包み込んできた。

「は、はな、せ……。苦しい」

 呼吸を止めるぞと言わんばかりの強く絞めつける抱擁に、躰の震えが止まらない。

「いきなりキスしてごめんなさい。だけどこれからは確実に、あの手この手で先輩を堕としていきますので、覚悟していてくださいね」

 額に触れる熱い唇を認識したときには、ふっと躰が解放されていた。

 恐るおそる振り返ると、ひょろっとした新入社員の後ろ姿は反対側の扉の前にあって、会議室を出ようとしているところだった。

「諦めろよ、馬鹿野郎!」

 キスされた額をごしごし拭いながら、渾身の力を込めて怒鳴ってやる。

 すると扉の隙間からピストルの形をした手が、自分を狙いすましてきた。アイツの顔は扉の向こう側にあるので、絶対に当たるわけがない。それなのに指先は確実に、心臓を狙っているように感じた。

「Bang☆」

 ピストルの音を真似た声が響き渡る会議室。扉が閉じられた瞬間に、アイツに捕獲された錯覚に陥ったのは、間違いなく気のせいだ。

 このときはそう思い込んでやり過ごしたのに、あとから考えると、新入社員が口にしたピストルの発射音が、恋のカウントダウンの合図になっていたとは、思いもよらなかったのである。

【おしまい】
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