12 / 12
六
最終話 終幕
しおりを挟む
怒りと絶望がないまぜになった表情のコタローが竹さんの静止を振り払ってバーを後にした。竹さんはしばらく無言のまま立ち尽くしていた。小夜子はもう奇声を発することも、両手のひらをカウンターに叩きつけることもやめ、じっとうつむいている。
竹さんが突然僕に向かってゆっくりと頭を下げ、「渡辺君」と声を上げた。僕がなにも答えないでいると、竹さんは素早く頭を上げた。いつもの優しい微笑みの竹さんに戻っていた。しかし声には悲痛さが滲み出ていた。
「俺は――いや……俺と武士とコタローは、小夜子ちゃんに普通の十代の女の子としての人生を歩ませたかった。でもそれは叶わない夢でしかなかった。小夜子ちゃんを守っていた武士は死んだし、コタローもこれから殺されるだろう。呆気なくね。人なんて死ぬ時は呆気ないものさ。俺はそういう死を何度も見てきた。でも俺は死にたくないから、この後すぐに荷物をまとめて蒲田を出るよ。大阪にでも行ってみようと思う。俺たちは小夜子ちゃんを守れなかった。裏の世界はさ、いろいろとややこしくてね」と一気にまくし立てるようにして言い、次いで小夜子の両手を太い手でゆっくりと包み、「小夜子ちゃん、君はもう自由だ。武士が残したその金で、自由に生きなさい」とだけ言い、手を頭の上に乗せて、まるで子どもをあやすかのように軽く撫でた。しかし小夜子はなにも答えずうつむいたままじっとしている。竹さんが言い聞かせるように何度も「小夜子ちゃん」と言うが反応はない。しびれを切らした竹さんが、「小夜子」と声を荒げると、それに反応して立ち上がり、直立不動のまま竹さんを見つめた。そして竹さんが「小夜子、走れ」と叫ぶと、ショルダー・バッグを握りしめ、髪の毛を振り乱しながら扉を出ていった。
竹さんは大きくため息をつき、僕の目の前に瓶のコーラを差し出し微笑み、「渡辺君、君ももう自由だ。自分の人生を歩みなさい」とだけ言った。それに僕はどう返せばいいのかわからずにいた。なにも考えずにポケットから自分のスマート・フォンを取りだし、連絡先を開き、佐和の項目を探した。確かに項目は存在していた。電話をかけたとして、佐和は出るのだろうか。すると竹さんのたくましい腕がスマート・フォンを奪い、慣れた手つきで操作し、僕に手渡した。二十秒もかからなかった気がする。小刻みに震える右手で連絡先を確認すると、佐和の項目が消えていた。通話履歴にも、メッセージ履歴からも消滅していた。
「君は、ここで、誰と会い、誰と、なにをした?」
と、竹さんは子どもに質問するように、言葉一つ一つを区切りながら大きな口を開けて言った。
僕は、ここで、誰と会い、なにをした?
「僕は、ここで、竹さんと会い、一人で、ウィスキーを呑んだ」と、僕も同じように言葉ひとつひとつを区切りながら大きな口を開けて言うと、竹さんはこれまでに見たこともないような特別な僕専用の笑顔を浮かべた。僕は軽く頭を下げ、コーラを手に持ってバーを後にした。もう小夜子にも竹さんにも会うことはない。死んでいった佐和やコタローのためになにかをすることもないし、小夜子を匿うこともない。それぞれがそれぞれの人生を歩むだけだ。もう使いっ走りのライター業からは手を引こう。障害者枠で就職して、のんびりと平和に過ごそう。この出来事を思い出す暇もないぐらいに、退屈すぎて飽々するぐらいに、平和な日常を過ごそう。
そのためには真里さんが必要だ。僕は真里さんと共に人生を歩みたい。楽しいことも辛いことも悲しいことも、すべてを真里さんと共有したい。真里さんがいない人生などつまらない。
――僕はポケットからスマート・フォンを取り出し真里さんに電話をかけた。いつもの真里さんの声が耳に入ってきた。とても心地よい。この瞬間を大切にしたい。僕は、「急にすみません。今から蒲田駅に来てくれませんか、大切な話があるので」だけ言い、電話を切った。それから時間がどれだけ経ったかわからないが、心配そうな表情を浮かべた真里さんが僕を見つけて走り寄ってきた。
「少し散歩でもして、それからご飯でも食べましょう」と提案すると、真里さんはとても美しく神聖な笑顔を浮かべた。
真里さんと駅周辺を散歩しながら、これからのことをまくし立てるようにして話し続けた。以前の僕からすると夢物語のような人生設計だ。しかし僕は本気だ。そしてその人生設計を完璧にするには真里さんが必要だと言った。心の底から真里さんを愛しているんだと言った。こんなにも簡単に愛の告白ができたことに驚いていた。考えるよりも先に口が動いていた。
話し終えて一度大きく深呼吸をし隣を見た。そこには誰も立っていなかった。誰もいない方向に向けて、僕はこれからの人生についての続きを話し続けていた。
竹さんが突然僕に向かってゆっくりと頭を下げ、「渡辺君」と声を上げた。僕がなにも答えないでいると、竹さんは素早く頭を上げた。いつもの優しい微笑みの竹さんに戻っていた。しかし声には悲痛さが滲み出ていた。
「俺は――いや……俺と武士とコタローは、小夜子ちゃんに普通の十代の女の子としての人生を歩ませたかった。でもそれは叶わない夢でしかなかった。小夜子ちゃんを守っていた武士は死んだし、コタローもこれから殺されるだろう。呆気なくね。人なんて死ぬ時は呆気ないものさ。俺はそういう死を何度も見てきた。でも俺は死にたくないから、この後すぐに荷物をまとめて蒲田を出るよ。大阪にでも行ってみようと思う。俺たちは小夜子ちゃんを守れなかった。裏の世界はさ、いろいろとややこしくてね」と一気にまくし立てるようにして言い、次いで小夜子の両手を太い手でゆっくりと包み、「小夜子ちゃん、君はもう自由だ。武士が残したその金で、自由に生きなさい」とだけ言い、手を頭の上に乗せて、まるで子どもをあやすかのように軽く撫でた。しかし小夜子はなにも答えずうつむいたままじっとしている。竹さんが言い聞かせるように何度も「小夜子ちゃん」と言うが反応はない。しびれを切らした竹さんが、「小夜子」と声を荒げると、それに反応して立ち上がり、直立不動のまま竹さんを見つめた。そして竹さんが「小夜子、走れ」と叫ぶと、ショルダー・バッグを握りしめ、髪の毛を振り乱しながら扉を出ていった。
竹さんは大きくため息をつき、僕の目の前に瓶のコーラを差し出し微笑み、「渡辺君、君ももう自由だ。自分の人生を歩みなさい」とだけ言った。それに僕はどう返せばいいのかわからずにいた。なにも考えずにポケットから自分のスマート・フォンを取りだし、連絡先を開き、佐和の項目を探した。確かに項目は存在していた。電話をかけたとして、佐和は出るのだろうか。すると竹さんのたくましい腕がスマート・フォンを奪い、慣れた手つきで操作し、僕に手渡した。二十秒もかからなかった気がする。小刻みに震える右手で連絡先を確認すると、佐和の項目が消えていた。通話履歴にも、メッセージ履歴からも消滅していた。
「君は、ここで、誰と会い、誰と、なにをした?」
と、竹さんは子どもに質問するように、言葉一つ一つを区切りながら大きな口を開けて言った。
僕は、ここで、誰と会い、なにをした?
「僕は、ここで、竹さんと会い、一人で、ウィスキーを呑んだ」と、僕も同じように言葉ひとつひとつを区切りながら大きな口を開けて言うと、竹さんはこれまでに見たこともないような特別な僕専用の笑顔を浮かべた。僕は軽く頭を下げ、コーラを手に持ってバーを後にした。もう小夜子にも竹さんにも会うことはない。死んでいった佐和やコタローのためになにかをすることもないし、小夜子を匿うこともない。それぞれがそれぞれの人生を歩むだけだ。もう使いっ走りのライター業からは手を引こう。障害者枠で就職して、のんびりと平和に過ごそう。この出来事を思い出す暇もないぐらいに、退屈すぎて飽々するぐらいに、平和な日常を過ごそう。
そのためには真里さんが必要だ。僕は真里さんと共に人生を歩みたい。楽しいことも辛いことも悲しいことも、すべてを真里さんと共有したい。真里さんがいない人生などつまらない。
――僕はポケットからスマート・フォンを取り出し真里さんに電話をかけた。いつもの真里さんの声が耳に入ってきた。とても心地よい。この瞬間を大切にしたい。僕は、「急にすみません。今から蒲田駅に来てくれませんか、大切な話があるので」だけ言い、電話を切った。それから時間がどれだけ経ったかわからないが、心配そうな表情を浮かべた真里さんが僕を見つけて走り寄ってきた。
「少し散歩でもして、それからご飯でも食べましょう」と提案すると、真里さんはとても美しく神聖な笑顔を浮かべた。
真里さんと駅周辺を散歩しながら、これからのことをまくし立てるようにして話し続けた。以前の僕からすると夢物語のような人生設計だ。しかし僕は本気だ。そしてその人生設計を完璧にするには真里さんが必要だと言った。心の底から真里さんを愛しているんだと言った。こんなにも簡単に愛の告白ができたことに驚いていた。考えるよりも先に口が動いていた。
話し終えて一度大きく深呼吸をし隣を見た。そこには誰も立っていなかった。誰もいない方向に向けて、僕はこれからの人生についての続きを話し続けていた。
1
お気に入りに追加
1
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(2件)
あなたにおすすめの小説
恋する閉鎖病棟
れつだん先生
現代文学
精神科閉鎖病棟の入院記です。
一度目は1ヶ月、二度目は1ヶ月、三度目は4ヶ月入院しました。4ヶ月の内1ヶ月保護室にいました。二度目の入院は一切記憶がないので書いていません。
渡辺透クロニクル
れつだん先生
現代文学
カクヨムという投稿サイトで連載していたものです。
差別表現を理由に公開停止処分になったためアルファポリスに引っ越ししてきました。
統合失調症で生活保護の就労継続支援B型事業所に通っている男の話です。
一話完結となっています。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
虚無・神様のメール・その他の短編
れつだん先生
現代文学
20年間で書き溜めた短編やショートショートをまとめました。
公募一次通過作などもあります。
今見返すと文章も内容も難ありですが、それを楽しんでいただけると幸いです。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
日本万歳 小説版
れつだん先生
エッセイ・ノンフィクション
2010年日本文学出版大賞の特別賞を貰ったものです。記念品として賞状と蛍光ペンを貰いました。
「賞を与えたかったが小説ではないため別に特別賞を作った」的なことを言われました。ふうん。
2010年。仕事を始めては辞めるを繰り返していた僕。金が完全に尽きた僕は生活資金を借りるため役所へ行く。
同時期、彼女に振られる。精神的に追い詰められながら、日雇いの仕事へ向かう。
増える酒量、統合失調症の気配。ただ生きる。なんのために?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
さっきの感想は一枚目を読んでのもので、これから書くのは最後まで読み切った感想。
11のところがちょっとグロいな。あと花村萬月を思い起こさせるような雰囲気があった。
他にも何人か影響を受けている小説家がいるのが何となくわかる。
グロイ部分を除けば、話としてはまあまあ面白いと思う。
ラストのオチは途中から「もしかしたらこれって」って思っていたので意外性はなかったけどね。
統失患者の妄想って事にしているので、ミステリの部分は中途半端な描き方にしているというのはわかるんだけど、もう少し、話に奥行きと深みが欲しいかな、という気がした。
描写の生々しさ(たばこや酒の話とか、心情描写、日常生活の描写)から自分がその場にいるようなリアリティーや臭気は伝わってきているので、その点はよくできていると思う。
素人の書いた読み物の出来としては及第点で、70点くらい上げてもいいけど、プロの作品として見た場合にはどうかと言う話になると、今書いた通り。
奥行きを持たせて深みを付けようとしたら、骨組みを変えないといけないかもしれないね。
あと11がグロいと書いたけど、この部分だけが強烈なインパクトを放っていて、その他の部分が余り印象に残っていない。
言い替えればメリハリのつけ方が上手くできていない(バランスが悪い)という事になると思う。
この作品は純文学で統失文学みたいな位置づけの作品だと思うから、ラストはこれでもいいのかも知れないけど、一般エンタメとして創作したという話であれば、オチが弱いかな。
この手の主人公が精神疾患があって、妄想している傾向の話だと、シークレット ウインドウがあるけど、あっちだと最後、主人公は破滅して終わってたと思うし。
最後に気になった事を一つ。
ゴーストライターの件、実体験だったりする?
まあ答えにくいとは思うけど聞いてみた。
まともな感想なんて何年ぶり、いや何十年ぶりか。読み切って貰えて嬉しいです。ありがとう。
妄想・夢オチ、よくわからんオチが大好きなんですよね。映画だとシャッター・アイランドとか。
書いた当時のことはほとんど覚えてないですが、ラストは結構早い段階から決まって、でもこんなオチだと真面目に読んだ人が怒るだろうなぁと心配しました。
まあ真面目に最後まで読んだ人なんか皆無だったんで、なにもなかったですが。
へー、描写が生々しいのか。自分じゃよくわからないもんですな。
ゴーストライターなんか一度もやったことないですよ。誰が僕なんぞに依頼するんですか。完全なる創作ですよw
感想ありがとうございました。
よくわからんがねぎねぎねぎ。
という冗談はさておき。
これはこれでありかなと思う。
文学賞に出したら文章に色々とクレーム付きそうだけど、読めんわけじゃないからいい。
感想ありがとうございます!!
個人的黒歴史小説です!