103(第二回集英社ライトノベル新人賞一次通過作)

れつだん先生

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第一の事件

第9話 私が、やるのである

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「私あのぼろアパートに住んでるのよ」
 サキエさんが指を差し説明する間に、私は鍵を取り出しながら扉に近づいた。鴬張りの薄暗い廊下が軋み、切れかけた電球が、最後のあがきと言わんばかりに点滅し続けている。
「すげぇ」
 津田は信じられないといった表情でアパートを見上げている。そんなに珍しいのだろうか。確かに、この年期の入りかたには文化遺産に値すると言ってもよい。住みだした頃、雨漏りがすると管理人に苦情を言ったがなかなか修理してくれず、渋々バケツを購入したことを思い出した。益々サキエさんは何故このようなアパートに住んでいたのかという疑問が沸く。
「素晴らしいボロさでしょ」
 笑いかけるサキエさんに目をやり、またすぐアパートを見上げた。
「いや、違う。ダチのアパートなんだ、ここ」
 これは小説か、漫画か、映画なのであろうか? 都合の良い展開の繰り返し。津田以上に驚いた顔で二人を見た私は、鍵を差し込んだまま立ち止まっていた。サキエさんは笑っていた。

 わざわざここに記すか迷ったのだが、一応書いておこうと思う。十分前の出来事だ。友人に会いたいという我が儘を言った津田を、どのようにして墓場から連れ出そうか迷っていた三人は、一旦休憩しそれぞれのことを話し出した。
「でもさ、殺されるとか最悪だな。俺の事故なんか、自分が悪いしな」
 笑いながら喋る津田を少し悲しそうな顔で見たサキエさんも、ぽつりぽつりと話し始めた。個人情報である故全てを記すことはできないが、できる限りの努力はすることを誓う。私は努力することができるのである。紳士たる者、最初から諦めていても何も始まらない。
「まあねぇ。最初はやっぱり理解できなかったわよ。死んでることにも気付かなかった」
 顔を伏せていたサキエさんが私を見た。私は小さく頷き、先を促した。
「みんなから無視されて、窓に写る自分を見てようやく気付いた。あ、自分、死んでるんだ、って。それからアパートに両親が来て荷物を運んで行った。悲しむ両親に声もかけられないのが歯痒くて、しかもアパートからは離れられないし。毎日嘆いてたわ」
 幽霊になったこともない私がこういうのもなんだが、……気持ちはお察しします。いくら気丈にしていても、これ以上辛いことなどあるであろうか。私は知らない。孤独に襲われ、逃げることもできずアパートに漂っている。私にはわからない。サキエさんの目は、月明かりのせいだろう、少し光って見えた。
「でも、いくら嘆いてても仕方ないからね。歳も取らないしアパートの中なら自由だし、いつ終わるかわかんないけど楽しんでやろうってね。本当の意味での第二の人生っていうか、ね」
 最初は何かに触れることもできなかったようだ。しかし、毎日毎日、触れると自分に言い聞かせながら様々なものに触れる内に、ある程度は自由にコントロールできるようになったそうだ。そして、ペンを持ち当時の住人とコミュニケーションを取ろうとしたら、全員が恐怖し出て行った。
「あはは、ごめんごめん、辛気臭すぎだってね」
 無理矢理笑みを作るサキエさんを見ていた私は、自分の行いを恥じた。生きているだけで、それだけですごいことなのに……何もしてこなかった。俯き自分の情けなさを悔やんでいた私の肩に、サキエさんの掌の感触がした。サキエさんは「環のお陰なんだから」と言った。私は泣いた。夜の墓場で、恥ずかしめも無くただ泣いていた。
「あんたが泣いたらこっちまで泣きたくなるじゃない」
「いや、サキエ。俺が言えた義理じゃないけど、絶対犯人を捜そう。俺がブン殴ってやるよ。な、環」
 私はただ頷くことしかできなかった。

 ようやく私の涙も止まり、気を取り直して津田の友人を探そうということになったのだが、何も解決していないことに気付いた私たちは、足りない頭を使い、どうすれば津田を墓場から連れ出すことができるのかを考えていた。
「私の場合は環と一緒になら出られたんだけど……ものは試しよ、行ってみましょう」
 サキエさんは津田の腕を取り入口へと急ぐ。強い信頼関係で結ばれた私ならまだしも、津田の腕を取るなど言語道断。サキエさんの自由奔放さには呆れを通りこして怒りが沸いてくる。しかしこれは断じて嫉妬などという醜い感情ではない。
「環置いてくよー」
「ちょ、ちょっと待って下さいよサキエさん!」
 私の姿が読者諸兄にどのようにして映ったかなど、あえて私は聞かない。紳士たるもの、か弱き女性の我が儘など、取るに足らない可愛いものなのである。そう自分に言い聞かせながら、腕を組む二人の後を追い掛けていった。

 サキエさんは津田の腕を取り、なんとかして道に出そうとするが、まるでそこに見えない壁があるかのように津田の体は頑としてそこから動くことはなかった。力を込め、顔には少し疲労の色が浮かんでいる。津田も津田で、片足を出そうとしてみたり一旦手を離して助走を付けて勢いのまま出ようとしたりするも、時は経てど状況が変わるわけも無く、ただ同じことを繰り返していた。訓練を経たサキエさんならまだしも、何もしていない津田に触れることのできぬ私は、ただそれを眺めていた。確かに、私自身に何かできることがあるやもしれん。しかしここで手助けをしては、津田のためにはならない。ライオンは我が子をもなんとやらと言うではないか。断じて嫉妬などという不埒なものではない。嫉妬などでは。
 やがて暇を持て余した私が煙草に火を付けたのを見たサキエさんが、睨むような目で私を見遣り、「ちょっと! 環も手伝いなさいよ!」と叫ばれたので、私は「はい」と短く返事をし、機敏な動作で二人の元へ急いだ。断じてサキエさんに恐れ戦いたなどというみっともないものではない。みっともないものでは。
 腕を取り、押し合いへし合いを繰り返す二人。「やっぱり無理なんじゃないですか」という私を睨む二人。私に向かってなにかを叫ぶ二人。吸い終えた煙草を足で揉み消す私。「他の案を考えましょう」と提案する私。それを無視される私。
 その時の記憶を頼りに、墓場のできごとを書いている途中に虚しくなったのは私だけだろうか。いや、そんなことはないはずだ。触れぬことができぬ以上、私がすべきことは何もないのは明白であり、ただ突っ立って煙草の本数を減らすことしかすることはない。
「環もコウの腕持ってよ!」
 心の中で「はいはい。やっても無駄ですよ」と呟きながら渋々津田に片手を差し出した。人の感触がした。
「え?」「あ」
 何が起きたのかわからぬというような顔で見合う私と津田に、サキエさんが叫んだ。
「そのまま引っ張って!」

 私のお陰で今アパートの前に三人揃っていることができているのだ。最初こそ私に感謝していた津田も、着いた頃にはまた私を無視し、サキエさんと一緒に二人の世界へと入り込んでいた。幽霊には感謝を思う気持ちが欠けている記しておこう。
 さて、鴬張りの廊下を歩いているわけだが、ここで一つ問題がある。津田の姿は私とサキエさんにしか見えないのだ。一目友人を見るだけなら簡単なのだが、「できたら喋りたい」などと言う津田には遠慮という言葉を教えてやりたい。しかし、様々なことに柔軟に理解することができる私は、人が良いのだろうか……。私の部屋を開放し、津田が友人と話せる方法を一緒に考えていた。「想像以上に汚いな」と言った津田にはそのまま立たせている。もっとも、収容人数の限界をきたしているのでそれも仕方のないことである。
「まあ、普通に考えたら環に通訳してもらう他ないわな」
 自分は何もせず、全て人頼みってわけですよ! この男は!
「だねぇ。信じてもらえるかが心配」
 サキエさんは、まるで溢れんばかりの私の通訳力を疑うような目をやった。
「しかし……失敗すれば私はただのおかしな奴ではないですか! まだ当分はここに住みたいのです」
 自分の力を信用していないわけではない。石橋を叩いて渡るのが私だ。
「そうね、環には無理だわね」
 な、何ですと?
「ああ、やっぱ自分でやるしかないな」
 この男まで……!
「環は部屋で留守番してなさいよ」
「使えねぇ奴だなぁ」
 私の中の何かが弾けた。
「やりますよ! やります、私がやりますよ!」
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