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最終章 夢で逢えたら
第3話 関係
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気づけば訪問看護のお姉さんに好意を抱いていた。僕は昔から優しくされると好意を抱くタイプだった。こんな屑以下のゴミ以下のカスの僕に、こんなに優しくしてくれるだなんて、と思ってしまうのだ。
お姉さんはお婆さんともおばさんとも異なっていた。看護じゃなくて友達のような接し方だ。訪問看護が来る月水金は、チャイムで起こされてドアを開けるまで、お姉さんでありますように、と祈っては裏切られ、どうせお姉さんじゃないだろうな、と思うとお姉さんだったり、抑うつ状態と言われているが、それなりに楽しい日々を送っていた。
しかし僕は、お姉さんとこれ以上の関係になろうとは思ってはいなかった。というよりも、なれると思っていなかった。明らかに無理だから。医者を好きになることをなんとか用語で転移というらしい。医者は病気をよくしようとしているだけなのに、患者は、自分にこんなにも親身になってくれるだなんて、と好意を抱いてしまう。それと一緒だった。お姉さんは仕事で優しくしている。ただそれだけのことだ。それに、こんな精神病で生活保護を貰っている男なんてごめんだろう。しかし、そうやって自分を納得させようとすればするほど、お姉さんのことが気になっていた。
お姉さんの行動もどうかと思う。「どこに座ろうかなぁ」なんて言いながら、いつもは僕の定位置であるパソコンの前、僕の至近距離に座ったり、僕に、「彼女いないのぉ?」と聞いてきて、「いや、全然いないですよ」と返すと、「えぇ、笑顔がいいし話してて楽しいから、モテそうなのになぁ」と言って来たり。僕はその日大いに悩んだ。これは社交辞令、ただの会話なのか、僕にある一定以上の好意を抱いているのか、さっぱりわからなかった。
だから僕はいつも書き込んでいる掲示板に、訪問看護のお姉さんのことを書き込んだ。すると返信がいくつか来た。内容はどれも、後者の考えを肯定するものだった。「お姉さんが来たらコーヒーでも渡せ」だの、「お姉さんに彼氏がいるか聞け」だの、「LINEを聞け」だの、「食事を誘え」だの、チキンな僕には絶対にできないことだった。
悩んで悩んで意識すれば意識するほど、お姉さんのことが気になってくる。それに比例するかのように、生活の方も整ってきた。ちゃんと毎日シャワーを浴びるし、歯も磨くし、お姉さんにちょっとでもよく思って欲しいために頑張った。しかし一つだけきついことがあった。金だ。四月の終りになると金がほとんどなくなり、煙草もセーブし、食事も一日一食ご飯とレトルト・カレーのみ。そういう時は、美味しそうな飯を思い浮かべたり、ジュースが飲みたくなったり、最後はアルコールが呑みたくなる。しかし現実的に財布の中には全くお金はないので、そういった妄想はつらかった。だから僕はお姉さんが来た時にそれを話そうと思った。
その頃にはお婆さんは来なくなり、おばさんかお姉さんかだった。おばさんには、十八歳で高校を卒業したばかりの見習いの女の子がついていたが、当然興味はない。
その日はお姉さんだった。体温を計り血圧を計り、薬のチェックを済ますと、お姉さんは、「最近困ってることない?」と聞いてきた。僕は、「いやあ、金がないんですよね」と苦笑いをしながら言った。お姉さんはしばらく考えた後、「なにか対処法ないかなぁ」と返してきた。「いや、主治医には早く恋人を作るか結婚して、相手に金銭管理をまかせろって言ってるんですよ」と、少し突っ込んで言ってみると、「あれ、彼女いなかったっけ?」と、きょとんとする。「いないですよ。前も言いましたよ」と、またもや突っ込んでみると、「そっかそっかぁ」と、笑顔で返す。僕は、なにかしそうになるのを必死で止めた。「誰か紹介してくださいよ」と冗談のように言うと、お姉さんは、「そんな、人に紹介する前に、自分がどうにかしなきゃ」と笑って言った。ということはつまり――お姉さんには恋人も旦那もいないということだ! どうせ無理だとわかっていても、どうしても期待してしまう。
この一連の流れを掲示板に書くと、数人が盛り上がった。行け行けと僕を後押しする。しかしなにもできなかった。シャイななどという可愛いものじゃない。もう一度言う。チキンだ。
……ただの患者に、「彼女はいないのか」だとか、「モテそうだ」なんて言うだろうか? 断っておくが、これは別に自慢ではない。
そんな、よく言えばガキをからかうようなお姉さんの顔は、残念ながらほとんどわからない。常にマスクをしているからだ。しかし世の中は顔ではない。顔面偏差値平均レベル以下、身長はたったの百六十センチの僕でさえ、これまでに何度か彼女はいたわけだし。僕は顔で選ばない。それだけは自信があった。しかし、マスクを外した素顔を見たいという気持ちもあった。結局は顔なのだろうか? いや、顔が、ではなく、顔も、だ、と自分を納得させる。
おばさんが来て、別のおばさんが来て、お姉さんが来る。お姉さんが来るのが楽しみで生きているようなものだった。
ある日保健師から連絡があり、五月十七日に久が原駅で待ち合わせをして作業所の見学に行くことになった。
その日はお婆さんの来る日で、ヘルパーの力もあってかなり綺麗になった部屋を褒めてくれた。そしてお婆さんは続けた。「そういやね、Aさんもすごい褒めてたよ、部屋を掃除したことを」
「えAさんって誰ですか?」
「ほらあの若い……といっても君には若くないかもしれないが、ショートカットの」
「ああ、あの人ですか」
恥ずかしながらお姉さんの名前をそれまで知らなかったし、聞けなかったから、これは大きな収穫だった。しかも褒められていたとは。
「ゴールデン・ウィークは訪問看護もないからね」とお婆さんは言った。ショックだった。これほどまでに連休を憎んだことはない。お姉さんに会えないだなんて……。
お婆さんが帰ってすぐにパソコンの横に適当に置かれた名刺を何枚か拾い読むと、Aさんの名前があった。真理という名前だった。僕はすぐさま褒められたことを、ネットの掲示板に書き込んだ。やはり同じ答えが返ってきた。押せ押せモードだった。ちょうど、ゴールデンウィークに入った所だったので、お姉さんにゴールデン・ウィークは何をしていたか聞け、と言われた。それだけでも実行に移そうと思った。
その後暇なので、真理さんの本名でグーグル検索をかけてみた。と同時に、止めていたフェイスブックでも検索してみた。珍しい名前ではないので沢山出てきた。馬鹿らしくなってやめた。
その日の晩、面白いことが起きた。僕は数年前からたまにネットサービスの一つである、生配信というものをやっていた。三十分間顔出しで雑談をして、コメントがあればそれに受け答えしていくというもの。そこになんと精神病になる前に四年間付き合っていた元彼女がやってきたのだ。
文字と声のやり取りとはいえ、七年近く全く連絡を取っていなかったので、楽しそうにやっていて安心した。お互い深い部分までは聞かなかったが、安心は安心だ。上の子供は――当然僕の子供ではない――もう十八歳になるだろう。下の子供は――当然僕の子供ではない――もう十六歳だろうか? そんな元彼女にも、「お姉さんを頑張って口説け」と言われた。
「やっぱり幸せになって貰いたいから」と元彼女。それは僕も同じ気持ちだった。あんなに引きずっていたのに、時間というものは怖い怖い。
お姉さんはお婆さんともおばさんとも異なっていた。看護じゃなくて友達のような接し方だ。訪問看護が来る月水金は、チャイムで起こされてドアを開けるまで、お姉さんでありますように、と祈っては裏切られ、どうせお姉さんじゃないだろうな、と思うとお姉さんだったり、抑うつ状態と言われているが、それなりに楽しい日々を送っていた。
しかし僕は、お姉さんとこれ以上の関係になろうとは思ってはいなかった。というよりも、なれると思っていなかった。明らかに無理だから。医者を好きになることをなんとか用語で転移というらしい。医者は病気をよくしようとしているだけなのに、患者は、自分にこんなにも親身になってくれるだなんて、と好意を抱いてしまう。それと一緒だった。お姉さんは仕事で優しくしている。ただそれだけのことだ。それに、こんな精神病で生活保護を貰っている男なんてごめんだろう。しかし、そうやって自分を納得させようとすればするほど、お姉さんのことが気になっていた。
お姉さんの行動もどうかと思う。「どこに座ろうかなぁ」なんて言いながら、いつもは僕の定位置であるパソコンの前、僕の至近距離に座ったり、僕に、「彼女いないのぉ?」と聞いてきて、「いや、全然いないですよ」と返すと、「えぇ、笑顔がいいし話してて楽しいから、モテそうなのになぁ」と言って来たり。僕はその日大いに悩んだ。これは社交辞令、ただの会話なのか、僕にある一定以上の好意を抱いているのか、さっぱりわからなかった。
だから僕はいつも書き込んでいる掲示板に、訪問看護のお姉さんのことを書き込んだ。すると返信がいくつか来た。内容はどれも、後者の考えを肯定するものだった。「お姉さんが来たらコーヒーでも渡せ」だの、「お姉さんに彼氏がいるか聞け」だの、「LINEを聞け」だの、「食事を誘え」だの、チキンな僕には絶対にできないことだった。
悩んで悩んで意識すれば意識するほど、お姉さんのことが気になってくる。それに比例するかのように、生活の方も整ってきた。ちゃんと毎日シャワーを浴びるし、歯も磨くし、お姉さんにちょっとでもよく思って欲しいために頑張った。しかし一つだけきついことがあった。金だ。四月の終りになると金がほとんどなくなり、煙草もセーブし、食事も一日一食ご飯とレトルト・カレーのみ。そういう時は、美味しそうな飯を思い浮かべたり、ジュースが飲みたくなったり、最後はアルコールが呑みたくなる。しかし現実的に財布の中には全くお金はないので、そういった妄想はつらかった。だから僕はお姉さんが来た時にそれを話そうと思った。
その頃にはお婆さんは来なくなり、おばさんかお姉さんかだった。おばさんには、十八歳で高校を卒業したばかりの見習いの女の子がついていたが、当然興味はない。
その日はお姉さんだった。体温を計り血圧を計り、薬のチェックを済ますと、お姉さんは、「最近困ってることない?」と聞いてきた。僕は、「いやあ、金がないんですよね」と苦笑いをしながら言った。お姉さんはしばらく考えた後、「なにか対処法ないかなぁ」と返してきた。「いや、主治医には早く恋人を作るか結婚して、相手に金銭管理をまかせろって言ってるんですよ」と、少し突っ込んで言ってみると、「あれ、彼女いなかったっけ?」と、きょとんとする。「いないですよ。前も言いましたよ」と、またもや突っ込んでみると、「そっかそっかぁ」と、笑顔で返す。僕は、なにかしそうになるのを必死で止めた。「誰か紹介してくださいよ」と冗談のように言うと、お姉さんは、「そんな、人に紹介する前に、自分がどうにかしなきゃ」と笑って言った。ということはつまり――お姉さんには恋人も旦那もいないということだ! どうせ無理だとわかっていても、どうしても期待してしまう。
この一連の流れを掲示板に書くと、数人が盛り上がった。行け行けと僕を後押しする。しかしなにもできなかった。シャイななどという可愛いものじゃない。もう一度言う。チキンだ。
……ただの患者に、「彼女はいないのか」だとか、「モテそうだ」なんて言うだろうか? 断っておくが、これは別に自慢ではない。
そんな、よく言えばガキをからかうようなお姉さんの顔は、残念ながらほとんどわからない。常にマスクをしているからだ。しかし世の中は顔ではない。顔面偏差値平均レベル以下、身長はたったの百六十センチの僕でさえ、これまでに何度か彼女はいたわけだし。僕は顔で選ばない。それだけは自信があった。しかし、マスクを外した素顔を見たいという気持ちもあった。結局は顔なのだろうか? いや、顔が、ではなく、顔も、だ、と自分を納得させる。
おばさんが来て、別のおばさんが来て、お姉さんが来る。お姉さんが来るのが楽しみで生きているようなものだった。
ある日保健師から連絡があり、五月十七日に久が原駅で待ち合わせをして作業所の見学に行くことになった。
その日はお婆さんの来る日で、ヘルパーの力もあってかなり綺麗になった部屋を褒めてくれた。そしてお婆さんは続けた。「そういやね、Aさんもすごい褒めてたよ、部屋を掃除したことを」
「えAさんって誰ですか?」
「ほらあの若い……といっても君には若くないかもしれないが、ショートカットの」
「ああ、あの人ですか」
恥ずかしながらお姉さんの名前をそれまで知らなかったし、聞けなかったから、これは大きな収穫だった。しかも褒められていたとは。
「ゴールデン・ウィークは訪問看護もないからね」とお婆さんは言った。ショックだった。これほどまでに連休を憎んだことはない。お姉さんに会えないだなんて……。
お婆さんが帰ってすぐにパソコンの横に適当に置かれた名刺を何枚か拾い読むと、Aさんの名前があった。真理という名前だった。僕はすぐさま褒められたことを、ネットの掲示板に書き込んだ。やはり同じ答えが返ってきた。押せ押せモードだった。ちょうど、ゴールデンウィークに入った所だったので、お姉さんにゴールデン・ウィークは何をしていたか聞け、と言われた。それだけでも実行に移そうと思った。
その後暇なので、真理さんの本名でグーグル検索をかけてみた。と同時に、止めていたフェイスブックでも検索してみた。珍しい名前ではないので沢山出てきた。馬鹿らしくなってやめた。
その日の晩、面白いことが起きた。僕は数年前からたまにネットサービスの一つである、生配信というものをやっていた。三十分間顔出しで雑談をして、コメントがあればそれに受け答えしていくというもの。そこになんと精神病になる前に四年間付き合っていた元彼女がやってきたのだ。
文字と声のやり取りとはいえ、七年近く全く連絡を取っていなかったので、楽しそうにやっていて安心した。お互い深い部分までは聞かなかったが、安心は安心だ。上の子供は――当然僕の子供ではない――もう十八歳になるだろう。下の子供は――当然僕の子供ではない――もう十六歳だろうか? そんな元彼女にも、「お姉さんを頑張って口説け」と言われた。
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