ロンリー・グレープフルーツ

れつだん先生

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第13話 送還

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 これぐらいはしてあげないと、というので思い出したのだけれど、僕たちがまだ同棲をしていない頃、薔薇の花束をプレゼントしたことがあった。花束を貰ったことがない、という彼女のために一万円札を握り締め、年齢分の薔薇を買おうとしたんだけれど、予算一万円では買うことができず、花屋の店員のお姉さんに薔薇と白い花を添えた花束を持って車を走らせた。彼女は大変に喜んで、写真を撮ってそれをずっと飾っていたそうな。女性というのは指輪だの花束だのに弱いのだろうか? 男である僕にはよくわからない。

 彼女は服を買いに行っても彼女自身の服を選ぶということはほとんどしない。大抵子供の服を選ぶか僕の服を選ぶ。子供は当然可愛らしい物を選ぶんだけれど、僕にも可愛らしい服を選ぼうとするから困る。キャラクターがプリントアウトされた服や、派手派手しい色のパーカーなど。僕は痩せていて身長も低いので、彼女の服を着るときもあった。僕は日に焼けない体質でもともと皮膚が弱く太陽の光を浴びるのは良くないため、ロングのTシャツや七分丈の服を選ぶことが多かった。僕は服装なんてものは着られたらいいと思っているので、いつも彼女に選んでもらっている。なので一切文句は言わない。文句を一言でも言うものなら――想像したくない。

 彼女の実家の風呂はとても狭い。浴槽はようやく大人二人がぎりぎり入れるぐらいで、僕達は子供たちを先に風呂に入れてその後僕達が入るようにしていた。そんなことが何ヶ月も続いたある日、大事件が起こった。風呂が大きくなったのだ! ゆったりと横に眠れるほどに大きくなり、体を洗う場所もかなり大きくなった。四人丸めて入ることも可能になった。それは彼女の両親のお金でできたものだった。僕の家は小さいので一緒に入ることを拒まれる。仕事が終わると彼女の家に帰り風呂を入り、ビールを呑んで家に帰る。たまらなく気持ち良い。

 彼女が機嫌の良いときは朝、キスで起こしてくれる。何度かキスされると目覚まし時計で起きるよりもすっと簡単に起きられるような気がする。まるでもともと最初から寝てなんてなかったかのようにすっと目が覚めて「おはよ」と言うと彼女も「おはよ」と返してくれる。彼女は僕にブラックのコーヒーを――僕はブラック以外のコーヒーは飲まない主義なのだ――煎れてくれ、子供二人は僕になついてくれて、下の名前で呼んでくれる。
 ペットが飼いたいと彼女と子供が言うので、雑種の小さな犬を貰ってきた。これなら家の中で飼えるだろうと思っていたけれど、日が経つにつれどんどん大きくなっていった。それでも僕たちは家の中で飼うのをやめなかった。真夏や真冬に外に犬を繋げておくなんて、拷問以外の何物でもないと思ったからだ。その代わり部屋は滅茶苦茶になった。僕たちが出かけていくと寂しさで犬――チョコと名づけた。名付け親は長女だ――は暴れ、ふすまは破れ、廊下には糞がいくつも放置されている。最初こそ僕が掃除をしていたけれど、もう面倒くさくなって放置するようになった。その度に彼女は僕に怒り、愚痴を言いながら掃除をする。公園につれていくと僕たちはチョコのロープを外してあげる。たまに子連れの親に怒られるけど、やっぱり犬は全速力で走ったほうがいい。気持ちの良さそうな顔をして走りまわるチョコを見ているとこちらまで心地良くなってくる。
 その間就職活動は一切していなかった。いや、正確にはしていたのだけれど、面接に行く振りをしていた。生活費は彼女のわずかな収入と借金。所謂ヒモと呼ばれる状態になった。彼女は僕に何度も「働け」と懇願したけれど、僕は働く気になれなかった。これまでの職場が良くなかったのだろうか? いや、一部を除けばそこそこ良かったはずだ。人間関係や仕事内容など。新しい職場を見つけなければならない。チョコの頭を右腕に乗せ、一緒にうたた寝をしながら思っていた。が、思うだけで実行には移せずにいた。

 そして消費者金融から借りた借金が三十万に達した時――つまりは同棲生活で二年が経った時――、彼女が僕の母親に電話をし、僕は実家に強制送還された。同棲生活がこんなにも簡単に終わるとは思ってもいなかった。

 実家に強制送還されたのはいいものの、僕の住むスペースが皆無なため、僕は派遣会社の寮に住むことになった。最初の仕事は生肉工場の仕事だった。その仕事を二日で辞め、次は液晶フィルムの製造の工場だけれど、それも一週間で辞め、寮から追い出されることになった。僕は両親に頭を下げ、住まわせてもらうことを提案したが、両親は首を縦に振らず、実家から歩いて十五分のところにアパートを借りることになった。久々の地元とあり、僕は地元の友人たちをアパートに招待して小さな宴会を開いた。

 同棲生活が終わったからといって、僕と彼女の関係性が終わったというわけではない。僕は一人暮らしをしながら金を貯め、もう一度彼女の元へ戻ると約束したし、彼女はそれを待つと言ってくれた。僕はいろんな仕事を転々としながら、彼女はじっと僕を待ちながら、無駄に月日は経っていった。田舎のくせに家賃は六万取られるし、収入だってそんなに多くないので貯金もろくにできやしない。さまざまな支払いや日々の食費で浪費してしまう。悪循環に陥ってしまった。

 僕が地元で一人暮らしをして一番長く働いたのは、カップラーメンの製造工場だった。八月から働き出したというのだけ覚えている。夜勤の仕事で時給が千円、派遣社員だけのラインがあり、そこで働いているのは二十人あまり。その内の八割方が女性だった。面接に来たのは四人。その全員が合格した。八人が入って一ヶ月も経たずに八人辞めたという話を面接官から聞き、不安だったのだけれど、そこまで大変というわけではなかった。そこで仲良くなったのが自衛隊上がりの同い年の男だった。名前をHという。元自衛隊というのは総じてそうなのかどうかはわからないけれど、自分のことを自分と呼んでいた。派遣の面接なのにも関わらずスーツで着ていたし、三年間自衛隊にいたせいか世間のことも全く知らず、最初は少し浮いていた。しかしすぐに馴染んでいった。人間関係は良好な――それがたとえ建前上だとしても――職場だった。
 仕事内容は至ってシンプル。ベルトコンベアで大量に流れてくるカップラーメンに具材が適量に入っているかどうかを目視で検査し、足りない場合は手で入れるというだけ。しかしコンベアのスピードが速く、流れてくる物量も多いため、最初の一週間はかなりきつく感じた。特にたまにやってくるチャーシュー入りのラーメンがきつかった。チャーシューは機械で入れることができないため、全て手入れでしなければならない。食品工場なので当然全身を作業着で覆うため、汗だくになりながら仕事をこなし、家に帰ればビールを呑んでたまの休みの日には溜まりに溜まった洗濯物や洗い物を整理する。休みの日が合わないため、彼女や子供たちに会うこともできない。僕たちの関係はなんとかぎりぎり繋がっているという状態だった。それもこれも全て僕が悪いんだ。彼女に借りた金も返せない、会いたくても会えない僕が。
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