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ことりと、目の前に置かれたマグカップのゆらゆらと揺れる白い湯気をぼんやりと眺める。
「ホットミルクです。熱いのでお気をつけて」
ルドは言って、自分のマグカップに口を付けた。
珍しいことにそれはコーヒーではなく、私と同じホットミルクだった。
私も、そっとマグを持ち上げて一口、飲む。
温かくまろやかな味に、メープルシロップの甘みが口いっぱいに広がって、気付かないうちに入っていた肩の力がすとんと抜ける。
「いつか僕が言ったこと、覚えていますか?」
ルドはカップに目を落としながら、静かに言う。
私はカップをそっと机に戻して、答えた。
「……『事実というのは願望よりも軽い』」
「そうです。これは、いい悪いの問題ではありません」
ルドは言葉を探すように、もしくは言ってしまってもいいのかどうか悩むように、視線を少しさ迷わせる。
「……マーナさんのお兄さんですが、彼は勤勉でよく働く、評判のいい人物だったようです」
え、と声が出た。
マーナから聞いた話とはずいぶん違う。
「テラ様にもお力添えしていただき、少し調べさせていただきました。
村人からの話では、マーナさんのお兄さんはマーノさんというそうです。
マーノさんはご両親が亡くなられてから、妹を養うため家業の他に力仕事などもされて、とても忙しくされていたようです。マーナさんは家事と、家業のほんの一部をお手伝いされていたのだとか。
最初はそれで問題なく兄妹二人でやっていたそうです。
しかし、徐々にお兄さんの様子がおかしくなり出した。
心配した周囲の大人たちが話を聞くと、どうやら妹のマーナさんから、連日苦言を呈されているとのこと。
はじめは、『お兄ちゃんにはもっと大きなことをしてほしい。』『あたしのせいでやりたいこともできなかったと、後になってから後悔して欲しくない』、といったことを言われていたようですが、マーノさんは笑って流していたそうです。『別に大きなことをしようとは思わないし、マーナと二人で暮らしていければそれだけで幸せだ』、と。
しかしマーナさんの苦言は止まらなかった。
『あたしに恥ずかしい思いをしてほしいの?』『親がいないせいでこんな仕事しかできないって言い訳してるんでしょ?』『こんなに働いているのに、たったこれしか稼げないなんて!』
マーノさんはずいぶんと悩まれたそうです。
ですが一体どうすればいいのか、そもそもマーナさんがどうしてほしいのかもわからなかった。そうこうしているうちに、マーナさんは怪しげな人間たちの話をするようになったそうです。どう考えても売れる見込みのない商品を大量に仕入れてきたり、現実離れした儲け話に乗って多額の出資をしてしまったり。
マーノさんはマーナさんに止めてほしいと懇願したそうですが、マーナさんは止めませんでした。それどころか、どんどんと行動がエスカレートしていき……最後にはテオフラストゥスに、兄を売ってしまった、というのが村人たちの話で、」
「ルド、ごめん。ちょっと待って」
私は軽く眩暈のする頭を振って、ホットミルクを飲む。
マーナの言っていたこと、全部嘘だったってこと? でも、なんでそんな嘘を吐いたんだろう。そもそも、マーナは一体何がしたかったのか……。
それに、ルドの言っていることが全部本当だとすれば、それって、テオなんたらは悪くなかったってことだよね? マーナが自分からテオなんたらに接触してるんだから。
私はてっきり、テオなんとかが悪い方法でマーナたちを陥れたから、ルドがその制裁をしたんだと思っていたのだけれど。
「……ルド、それ、全部知ってて、研究所潰したの?」
「はい。完膚なきまでに潰しておきました」
なんだろう。
ルド、すっごくいい笑顔なんだけど、ここは笑うところなのだろうか。
「無関係の子どもを攫うような外道を雇ったんですよ。もとよりたくさんの研究所を所有し害悪なものを多く生み出していましたので、マーナさんの件とは別件として1つだけ潰させていただきました。」
「そっか……」
よくわからないけれど、ルドがとてもいい笑顔だから、これに関してはもう何を言っても仕方がないような気がする。
「マーナは、何がしたかったのかな」
「さあ。おそらくですが、マーナさんご自身が語ったことが彼女の中での現実だったのではないかと」
「そんな。だって、全然違うよ」
「村人たちから見れば、違ったのでしょうね。そもそも、人というのは、信じたいものしか信じられないものなのです。彼女がそう信じたいと望んだのであれば、他者から見た事実など関係ないでしょう」
「……それは、」
それは、確かに、そうなのかもしれない。
だって、私も……。
「ホットミルクです。熱いのでお気をつけて」
ルドは言って、自分のマグカップに口を付けた。
珍しいことにそれはコーヒーではなく、私と同じホットミルクだった。
私も、そっとマグを持ち上げて一口、飲む。
温かくまろやかな味に、メープルシロップの甘みが口いっぱいに広がって、気付かないうちに入っていた肩の力がすとんと抜ける。
「いつか僕が言ったこと、覚えていますか?」
ルドはカップに目を落としながら、静かに言う。
私はカップをそっと机に戻して、答えた。
「……『事実というのは願望よりも軽い』」
「そうです。これは、いい悪いの問題ではありません」
ルドは言葉を探すように、もしくは言ってしまってもいいのかどうか悩むように、視線を少しさ迷わせる。
「……マーナさんのお兄さんですが、彼は勤勉でよく働く、評判のいい人物だったようです」
え、と声が出た。
マーナから聞いた話とはずいぶん違う。
「テラ様にもお力添えしていただき、少し調べさせていただきました。
村人からの話では、マーナさんのお兄さんはマーノさんというそうです。
マーノさんはご両親が亡くなられてから、妹を養うため家業の他に力仕事などもされて、とても忙しくされていたようです。マーナさんは家事と、家業のほんの一部をお手伝いされていたのだとか。
最初はそれで問題なく兄妹二人でやっていたそうです。
しかし、徐々にお兄さんの様子がおかしくなり出した。
心配した周囲の大人たちが話を聞くと、どうやら妹のマーナさんから、連日苦言を呈されているとのこと。
はじめは、『お兄ちゃんにはもっと大きなことをしてほしい。』『あたしのせいでやりたいこともできなかったと、後になってから後悔して欲しくない』、といったことを言われていたようですが、マーノさんは笑って流していたそうです。『別に大きなことをしようとは思わないし、マーナと二人で暮らしていければそれだけで幸せだ』、と。
しかしマーナさんの苦言は止まらなかった。
『あたしに恥ずかしい思いをしてほしいの?』『親がいないせいでこんな仕事しかできないって言い訳してるんでしょ?』『こんなに働いているのに、たったこれしか稼げないなんて!』
マーノさんはずいぶんと悩まれたそうです。
ですが一体どうすればいいのか、そもそもマーナさんがどうしてほしいのかもわからなかった。そうこうしているうちに、マーナさんは怪しげな人間たちの話をするようになったそうです。どう考えても売れる見込みのない商品を大量に仕入れてきたり、現実離れした儲け話に乗って多額の出資をしてしまったり。
マーノさんはマーナさんに止めてほしいと懇願したそうですが、マーナさんは止めませんでした。それどころか、どんどんと行動がエスカレートしていき……最後にはテオフラストゥスに、兄を売ってしまった、というのが村人たちの話で、」
「ルド、ごめん。ちょっと待って」
私は軽く眩暈のする頭を振って、ホットミルクを飲む。
マーナの言っていたこと、全部嘘だったってこと? でも、なんでそんな嘘を吐いたんだろう。そもそも、マーナは一体何がしたかったのか……。
それに、ルドの言っていることが全部本当だとすれば、それって、テオなんたらは悪くなかったってことだよね? マーナが自分からテオなんたらに接触してるんだから。
私はてっきり、テオなんとかが悪い方法でマーナたちを陥れたから、ルドがその制裁をしたんだと思っていたのだけれど。
「……ルド、それ、全部知ってて、研究所潰したの?」
「はい。完膚なきまでに潰しておきました」
なんだろう。
ルド、すっごくいい笑顔なんだけど、ここは笑うところなのだろうか。
「無関係の子どもを攫うような外道を雇ったんですよ。もとよりたくさんの研究所を所有し害悪なものを多く生み出していましたので、マーナさんの件とは別件として1つだけ潰させていただきました。」
「そっか……」
よくわからないけれど、ルドがとてもいい笑顔だから、これに関してはもう何を言っても仕方がないような気がする。
「マーナは、何がしたかったのかな」
「さあ。おそらくですが、マーナさんご自身が語ったことが彼女の中での現実だったのではないかと」
「そんな。だって、全然違うよ」
「村人たちから見れば、違ったのでしょうね。そもそも、人というのは、信じたいものしか信じられないものなのです。彼女がそう信じたいと望んだのであれば、他者から見た事実など関係ないでしょう」
「……それは、」
それは、確かに、そうなのかもしれない。
だって、私も……。
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